58 / 68
第三章 二人の冷戦編
55.王子は別れを告げる【N side】▼
しおりを挟む斜めに倒した刃の先端が骨に到達する硬い感覚を感じた。実際問題、このまま力を掛けたところで骨に邪魔されて完全に切断することは難しそうだ。人が手首を切って死ぬには太い木の枝を折る程度には力が必要となる、と何かの文献で読んだけれど、どうやら嘘ではないらしい。
中途半端に刺さったナイフをグリグリと動かしながら、声にならない悲鳴を上げ続けるエレンを見下ろした。
「俺を騙したって本当?」
「……な、なんのことだ!?」
「お前が詐欺師だって聞いたから」
エレンは僅かにその口元を歪めた。
「騙される方が悪い。あいつら阿呆の集まりだ、俺がちょっと唆してやれば馬鹿な犬みたいに食い付いて来る。それだけお前も恨まれてるってことだ!」
「なるほど。反王党派なんてもっともらしい名前を語って人を集めたってわけか、良いアイデアだな」
「軍資金って名目で金だって差し出すんだ。その金で俺が飲んだくれてることも知らずにな…!」
真の反王党派である男たちが聞いたらどう思うだろう。行いの善悪は別として、多くの人々の闘志を燃え上がらせるエレンの演説は是非とも聞いてみたいと思った。素晴らしい話が終わったら最後に拍手でも送りたいぐらいだ。
「数を揃えて正解だったよ。俺はリゼッタにもう人を殺さないと誓ってる。彼女が見ているあの場で、大勢相手に虚勢を張ることは出来なかった」
「ノア、お前の土下座だけで俺はビール10杯は飲めるよ。間抜け面を踏めなかったのは残念だがなぁ…」
「踏んでも良かったのに。王権という権力に見せかけの数で挑んだお前に、俺が良いことを教えてあげようか?」
見上げる綺麗な目玉に引き抜いたナイフを刺した。
大きく跳ねる身体を脚で押さえ付ける。
「大勢を引き連れて力を持った気になっても、肝心の心臓部分を潰せば同じ。リーダーであるお前が抜けたら、指導者を失った彼らは以前ほどの団結力を発揮しない」
最早返事すら返って来ない顔を見つめた。
「お前のこと殺す気はないよ。リゼッタを襲ったあの日、参加していた男たちの情報を教えてくれるなら」
「……ルチアーノだ!現場として使った製鉄工場はルチアーノの所有物だった!」
「今度は嘘じゃない?」
「本当だ!信じてくれ…!」
どのみち、もう使い物にならない双眼を止血してあげるべきなのか、それとも抉り取ってあげるべきなのか判断出来なかった。医学に精通したウィリアムなら、そういった知識もあるのかもしれないけれど。
自分の腕の様子も確認したいし、あまり騒ぎ立てて他の乗客が見物にでも来たら困る。聞きたいことは聞き出せたので、もう心残りもない。
啜り泣くような声を漏らすエレンを引き摺って、走り続ける列車の乗車口に近付いた。窓の外には荒れ狂う海が見える。開閉部分の鍵が内側から外せることは安全面で問題があると、オーギュスト・ベルナールに教えてあげるべきかもしれない。
「……な、何をするんだ!?」
「運が良ければ助かる。悪ければ、当たりどころ次第では即死。俺が直接手を下したことにはならないと思うけど、どうかな?」
「やめろ!ノア!頼むから…!」
「お前が考えた陳腐な惨劇に巻き込まれたリゼッタに出演料が払われずに、一人で丸儲けはフェアじゃない」
扉を押し開けると、潮風の匂いがした。
「生きてても報復は考えないでほしい。お前の妹であるカーラのためにも、その方がきっと良いよ」
「カーラは…!妹をどうするんだ!?」
「南部の娼館へ送る予定だ。お前が殺した娼婦と同じ場所にしようか?その目で見付け出せるか分からないけれど」
ヒュッと息を呑む音がして、エレンは嗚咽を漏らした。上着を剥ぎ取って、謝罪と恨み辛みを混ぜこぜにして暴れる身体を大きく開いた扉から投げ捨てた。
赤く染まったシャツを隠す目的で拝借したジャケットを着込むと、害のない男から漂うような、女ウケの良い爽やかな香水が香る。自分も彼もとてもじゃないがそっち側の人間ではないので苦笑した。
通路に飛び散った血を処理して、残った課題を片付けるために隣の車両へと向かった。
65
あなたにおすすめの小説
婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。
目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。
「あなたは、どなたですか?」
その一言に、彼の瞳は壊れた。
けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。
セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。
優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。
――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。
一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。
記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。
これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定
【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜
凛蓮月@騎士の夫〜発売中です
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】
公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。
だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。
ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。
嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。
──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。
王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。
カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。
(記憶を取り戻したい)
(どうかこのままで……)
だが、それも長くは続かず──。
【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】
※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。
※中編版、短編版はpixivに移動させています。
※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。
※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)
記憶と魔力を婚約者に奪われた「ないない尽くしの聖女」は、ワケあり王子様のお気に入り~王族とは知らずにそばにいた彼から なぜか溺愛されています
瑞貴◆後悔してる/手違いの妻2巻発売!
恋愛
【第一部完結】
婚約者を邪険に思う王太子が、婚約者の功績も知らずに婚約破棄を告げ、記憶も魔力も全て奪って捨て去って――。
ハイスぺのワケあり王子が、何も知らずに片想いの相手を拾ってきたのに、彼女の正体に気づかずに――。
▲以上、短いあらすじです。以下、長いあらすじ▼
膨大な魔力と光魔法の加護を持つルダイラ王国の公爵家令嬢ジュディット。彼女には、婚約者であるフィリベールと妹のリナがいる。
妹のリナが王太子と父親を唆し、ジュディットは王太子から婚約破棄を告げられた。
しかし、王太子の婚約は、陛下がまとめた縁談である。
ジュディットをそのまま捨てるだけでは都合が悪い。そこで、王族だけに受け継がれる闇魔法でジュディットの記憶と魔力を封印し、捨てることを思いつく――。
山道に捨てられ、自分に関する記憶も、魔力も、お金も、荷物も持たない、【ないない尽くしのジュディット】が出会ったのは、【ワケありな事情を抱えるアンドレ】だ。
ジュディットは持っていたハンカチの刺繍を元に『ジュディ』と名乗りアンドレと新たな生活を始める。
一方のアンドレは、ジュディのことを自分を害する暗殺者だと信じ込み、彼女に冷たい態度を取ってしまう。
だが、何故か最後まで冷たく仕切れない。
ジュディは送り込まれた刺客だと理解したうえでも彼女に惹かれ、不器用なアプローチをかける。
そんなジュディとアンドレの関係に少しづつ変化が見えてきた矢先。
全てを奪ってから捨てた元婚約者の功績に気づき、焦る王太子がジュディットを連れ戻そうと押しかけてきて――。
ワケあり王子が、叶わない恋と諦めていた【幻の聖女】その正体は、まさかのジュディだったのだ!
ジュディは自分を害する刺客ではないと気づいたアンフレッド殿下の溺愛が止まらない――。
「王太子殿下との婚約が白紙になって目の前に現れたんですから……縛り付けてでも僕のものにして逃がしませんよ」
嫉妬心剥き出しの、逆シンデレラストーリー開幕!
本作は、小説家になろう様とカクヨム様にて先行投稿を行っています。
旦那様、離婚してくださいませ!
ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。
まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。
離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。
今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。
夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。
それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。
お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに……
なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる