【完結】溺愛してくれた王子が記憶喪失になったようです

おのまとぺ

文字の大きさ
59 / 68
第三章 二人の冷戦編

56.王子は感謝を伝える【N side】

しおりを挟む

自分たちの乗る列車の後続車で流血沙汰の騒ぎが怒っていることなど微塵も知らないように、人々はその旅路を楽しんでいるようだった。

打ち付ける雨を物ともせず、ポーカーやチェスに熱中する姿を見ながら、自分の幼少期を振り返る。

強国の王子として生まれて四半世紀と少し、何不自由なく生きて来たと思う。国王の息子という地位や名誉が持つ力は計り知れず、望まなくても人は周囲に集まって来た。初めこそ何の疑いも持たずに接していた彼らを、甘い蜜に群がるありのように感じ始めたのはいつからだったか。媚びへつらう女たちに嫌気が差して、身分を隠して娼館へ通うという選択を取った。

(憧れるだなんて…よく言える、)

エレン・ロベスピエールに告げられた言葉が、何度も頭の中で浮かんでは消えていた。自分が本当に「何でもかんでも思いのままに操る」ことが出来るのならば、こんな場所に一人で突っ立って居ない。

たった一人の最愛の人さえ大切にすることが出来ない、この愚かな肉体で良ければ喜んで差し出す。綺麗に洗って干して生まれ変われるならば、涙を流して喜ぶだろう。

誰かを抱き締めるには酷く汚い。すべて綺麗にしろ、というリゼッタの言い付けを守るためには一生掛かっても時間は足りない気がした。罪に罪を重ねて生きて来たし、踏み倒した他人の心なんて数知れないのだから。


「遅かったわね」

座席に近付くと、不機嫌そうに目を細められた。

「すみません、少し手間取りました」
「言われた通りに行動したわ…」

言いながら、気掛かりな様子で隣で寝息を立てるカーラを見つめる。兄が既に列車から姿を消し去ったことなど露知らずで眠り続けている彼女が次に目覚めるのは南部の娼館なので、大移動に驚くだろう。

男の楽園、女の地獄とは上手く言ったもので、中には法外な施設も少なくない。比較的規制が甘い自国の南部には、一度迷い込んだ女を死ぬまでき使う娼館もまだ僅かに残存していた。自分の私怨のために群衆を扇動して犯罪を起こした兄と、その兄に連れ添って計画に加担した妹。彼らが行き着く終わりとしては相応しいと思える。

「ハンカチは返すわね」
「ありがとうございます。シルヴィアさん」

シルヴィア・バートンは複雑な顔でレースのハンカチを手渡した。特殊な薬品を染み込ませたハンカチは、吸い込むと気絶する優秀な機能を有していた。

「彼女が私の隣に座った時、わざとコインを落としたの。拾ってくれようと屈んだところで口元に押し付けた。これでもう私の役目は終わりのはずよ」
「もちろんです。次の駅で降りてください」
「引ったくりを捕まえて貰った御礼がこんなに高くつくとは思わなかったわ」

薄い紫色の瞳を閉じて疲れたように息を吐く。

「……彼女をどうするつもり?」
「知らない方が良いかと、」
「怖いことを言うのね。リゼッタを痛め付けた人たちを懲らしめるって言うから手を貸したけれど、犯罪は嫌よ?」
「まあ、ギリギリ大丈夫だと思います」

曖昧に笑うと、シルヴィアは疑いを拭い切れない顔を向けたまま、小さなピンク色のハンドバッグから煙草を取り出して火を付けた。煙を逃すために開けた窓からは雨が吹き込んでいる。

この大雨で血液の凝固が遅れるのであれば、もしかするとエレンは死んでしまうかもしれない。リゼッタとの約束を守り切れたか微妙なラインなので気持ちが沈んだ。


「仕事を辞めるって言いに来た時、彼女は自分が襲われたことを私に一言も話さなかったわ」
「………、」
「だから…したたかに生きろ、なんて上から目線でアドバイスした。もう十分に頑張って生きているのに…」
「……そうですね」
「リゼッタには幸せになってほしい。心から…本当に」

涙を溜めた薄紫色の瞳がこちらに向けられた。

「貴方、王子様なんでしょう?一度ぐらい彼女の、本当の王子様に成り切ってよ。大切ならば、手を離さないで」

エレンと自分の会話を聞いていたのか、それともリゼッタから聞いたのか。自国の王子を前にして啖呵を切れるシルヴィアの姿に、心が揺れた。

しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

凛蓮月@騎士の夫〜発売中です
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】  公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。  だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。  ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。  嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。  ──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。  王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。  カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。 (記憶を取り戻したい) (どうかこのままで……)  だが、それも長くは続かず──。 【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】 ※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。 ※中編版、短編版はpixivに移動させています。 ※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。 ※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)

記憶と魔力を婚約者に奪われた「ないない尽くしの聖女」は、ワケあり王子様のお気に入り~王族とは知らずにそばにいた彼から なぜか溺愛されています

瑞貴◆後悔してる/手違いの妻2巻発売!
恋愛
【第一部完結】  婚約者を邪険に思う王太子が、婚約者の功績も知らずに婚約破棄を告げ、記憶も魔力も全て奪って捨て去って――。  ハイスぺのワケあり王子が、何も知らずに片想いの相手を拾ってきたのに、彼女の正体に気づかずに――。 ▲以上、短いあらすじです。以下、長いあらすじ▼  膨大な魔力と光魔法の加護を持つルダイラ王国の公爵家令嬢ジュディット。彼女には、婚約者であるフィリベールと妹のリナがいる。  妹のリナが王太子と父親を唆し、ジュディットは王太子から婚約破棄を告げられた。  しかし、王太子の婚約は、陛下がまとめた縁談である。  ジュディットをそのまま捨てるだけでは都合が悪い。そこで、王族だけに受け継がれる闇魔法でジュディットの記憶と魔力を封印し、捨てることを思いつく――。  山道に捨てられ、自分に関する記憶も、魔力も、お金も、荷物も持たない、【ないない尽くしのジュディット】が出会ったのは、【ワケありな事情を抱えるアンドレ】だ。  ジュディットは持っていたハンカチの刺繍を元に『ジュディ』と名乗りアンドレと新たな生活を始める。  一方のアンドレは、ジュディのことを自分を害する暗殺者だと信じ込み、彼女に冷たい態度を取ってしまう。  だが、何故か最後まで冷たく仕切れない。  ジュディは送り込まれた刺客だと理解したうえでも彼女に惹かれ、不器用なアプローチをかける。  そんなジュディとアンドレの関係に少しづつ変化が見えてきた矢先。  全てを奪ってから捨てた元婚約者の功績に気づき、焦る王太子がジュディットを連れ戻そうと押しかけてきて――。  ワケあり王子が、叶わない恋と諦めていた【幻の聖女】その正体は、まさかのジュディだったのだ!  ジュディは自分を害する刺客ではないと気づいたアンフレッド殿下の溺愛が止まらない――。 「王太子殿下との婚約が白紙になって目の前に現れたんですから……縛り付けてでも僕のものにして逃がしませんよ」  嫉妬心剥き出しの、逆シンデレラストーリー開幕! 本作は、小説家になろう様とカクヨム様にて先行投稿を行っています。

旦那様、離婚してくださいませ!

ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。 まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。 離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。 今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。 夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。 それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。 お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに…… なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

処理中です...