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第三章 二人の冷戦編
57.リゼッタは暗闇を歩く
しおりを挟む夜遅く、擦るような足音で目が覚めた。
最近の眠りの浅さも影響しているだろうけれど、小さな物音で起きるのは良い加減止めたい。特に今回のような不気味な案件の場合は、再び眠るに眠れなくなってしまう。
枕の上で頭の向きを変えて、部屋の電気を点けるべきかどうか悩んでいたら、その小さな足音は私の部屋の前で数秒停止した。ドキドキと高鳴る胸を手で押さえながら、鍵を掛けたかどうかを考える。
大丈夫、絶対に鍵は掛けた。
お化けは擦り抜けて来るかもしれないけれど、強盗ぐらいならば入って来れるはずもない。心配することはない。
去って行く足音を聞いてホッと息を吐く。未だに慣れない一人のベッドの上で、横を向いて身体を丸めた。頭の中ではマリソンの言葉を思い出す。愛は取引、それは彼女にとっての真理なのだろう。
(難しいことばっかり…)
もっとシンプルに生きられたらどんなに良いだろう。好きだと思ったら抱き締めて、キスをして、愛の言葉を交わし合えたらこんなに頭が溶けるほど悩まなくても良い。
ノアはもう家に帰ったのだろうか?
夕食の時点ではどうやらまだ外出していたようだし、ウィリアムは別件でヴィラに会いに来ていたから、クロウ邸に遊びに行っているようでも無いようだった。朝方感じていた不穏な気持ちは今もまだ残っている。
(まさかとは思うけれど…)
念のため、部屋の入り口に置かれた燭台を手に持って、慎重に鍵を開けた。細く扉を開けた先の廊下には誰も居ない。安心して部屋の中に戻ろうとした矢先、ぬるっとしたものを踏んで滑った。
「……ひゃっ!」
尻もちをついて、暗い廊下に私の声が反響する。暗闇の中でいよいよ本格的に怖くなってきたため、這うように部屋に戻っていたら、ぼんやりとした部屋の明かりが、廊下に点々と落ちる赤い血痕を照らし出した。
心臓の鼓動が速まる。
叫び声を上げて皆を起こすべきか。それとも見て見ぬ振りをして部屋に大人しく戻るべきか。そんなことを考えながら、目で赤い跡を辿っていたところ、その先にある部屋のことを思い出した。
「………ノア?」
いやいや、まさか。そんなはず。
もうどうにも思考は纏まりそうにない。薄いワンピースの上からガウンを羽織って、火の消えた燭台に再び明かりを灯した。
小さな血痕は案の定ノアの部屋へ向かって続いている。舞踏会ではあんな風に突き放したのに、と毒突く声が頭の中で聞こえて来る。だけれど、もしもこれが一大事だったら?何かの事件に巻き込まれて彼が瀕死だったら?
責めることも赦すことも、まだ出来ていない。
話し合いだって、していないのに。
血痕はやはり、ノアの部屋の前で途切れていた。
ノックをするべきか、声を掛けるべきか、はたまた一か八かでドアノブを回して押し入ってみるべきかで悩んだ。しかし、ここで悠長にノックや声掛けの返事を待つよりも、早く彼の状態を確かめたいと思った。
「……!」
ひんやりと冷たいドアノブは意外にもあっさりと回転し、私は前のめりになりながら部屋の中へ入った。
ノアはベッドに腰掛けて座っていた。
下を向いたまま、微動だにせず。
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