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第二章 傾城傾国
第四十一話 天狗様です
しおりを挟む「あ…あの!閻魔様ってもう戻ってますか?」
「まだアタシは見てないよ」
こちらを一瞥してそう答えると、鈴白はまた本に目を戻す。
私は腱鞘炎になりそうな手を摩りながら、とぼとぼと冥殿の廊下を歩いて自分の部屋へ帰った。今日は青鬼と二人でひたすら何かの書類に印鑑を押す作業をしていたのだけれど、あれは無心になれるというメリットはあれど腕への負担が半端ない。終わった頃には手の感覚がなくなっていた。
せっかくだからと三叉にもらった桃酒で閻魔を誘おうと思い立ってはや三時間。夕方から探し続けても見つからず、結局みんなで夕食を食べてもう眠る時間が近付いている。
(今日は難しいかな………)
ずっしりと重たい酒瓶を抱え直して、部屋の扉を引こうとしたとき、背後から物音が聞こえて反射的に振り返った。
しかし、廊下の上には誰も居ない。
縁側へ続くガラス扉がわずかに開いていたので、隙間風が吹き込んだのかと思い手を伸ばしたところ、バサッと何かが私の身体を包み込んだ。
「ひゃっ────!??」
叫び声は大きな手で消される。
恐怖の中でなんとか首を捩って手の主を確認したら、黒髪を後ろで一つに束ねた男が目に入った。こんな人、冥界き来てから見たことがない。何よりも男の背中からは大天使よろしく真っ黒な羽が生えている。
「お前、新入りか?まだ人間の匂いが残ってるな」
グッと鼻先を私の首元に近付けてスンスンするので、思わず振り上げた手が男の顔に当たった。
「ったぁ!ちょっと顔近付けたぐらいで引っ叩くんじゃねーよ。お前もどうせ閻魔に囲われてる女だろ?」
返事をしようにも口を塞がれていては何も話せないので、私は身振り手振りで手を離すように伝える。しかし、どうやらこの馬鹿力男にはそれが伝わらないようで。
必死でもがく私を眺めてニタニタと笑った後、私が抱える酒瓶に目を移した。
「ん?これは酒か?気が効くな~遠慮なく貰うぞ」
「……っダメです!これは私が閻魔様と、」
男の手が口から離れて酒瓶を掴んだので、私はなんとか死守しようと身を丸める。どういうわけか逃げれば逃げるほど強く巻き付く黒い羽に苦しさを感じ始めたところ、廊下の向こうからこちらに向かって来る赤い髪を見つけた。
命知らずな背後の男は「なんだ来たのか」と特段驚く様子もなくその姿を見上げる。私は閻魔があらぬ誤解を抱かないように説明の言葉を頭の中で練っていた。
「遊山、その女は俺の嫁だ」
「は?お前結婚したのか?」
愛人は?という問い掛けに閻魔は「解散した」と答える。
遊山と呼ばれた男は私を抱き締めたままで、珍しいこともあるんだなと感想を溢した。私の首元に顔を沈めた遊山が喋ると息が掛かってくすぐったい。
目を固く閉じて耐える私の手を閻魔が引いた。
後ろで「お?」と驚きの声が上がる。
「俺が先に見つけたんだぞ!今晩は俺に貸せ」
「アホ抜かすな。誰がお前になんか貸すか」
「この柔らかさ、肌寒い夜にちょうど良いなぁ」
「お前…冗談も大概にしろよ」
最終的に凄むような閻魔の圧に押されて、遊山は腕をゆるめて私を解放してくれた。閻魔に腕を引かれるままに立ち上がると、勢いがついてポスッとその胸に納まる。
「あ、ごめんなさい…!」
しかしながら、冥王は私に方に顔を向けずにただ黙って衣服を正す遊山を見ていた。
「おい女、名前はなんて言う?」
「私ですか?小春ですけど……」
「ほう。小春か、覚えたぞ。俺は天狗の遊山だ」
「何しに来たんだ?」
和気藹々と自己紹介タイムに突入しそうな私たちに冷ややかな一声を投じた閻魔大王に向き直り、遊山は含んだ笑いを見せた。
暫しの間、私は睨み合う二人の間に立って震える。
この空気に耐えろと言う方が難しい。
「極楽の屋島から伝言だ。どうやらお前の周りに嘘吐きが居るみたいだぞ、気を引き締めておけ」
「………なるほどな。元気にやってるか?」
「俺が会った時は変わりなさそうだったよ」
「なら良かった」
それっきり黙り込む閻魔に「用が済んだから帰る」と、遊山はどこからか取り出した天狗の面を付けて庭へと降り立つ。その足が一度地を蹴ると、身体は軽々と舞い上がって、私が瞬きをしたらもう彼方へと消えていた。
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