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第二章 エバートン家の別荘

14.用意された鳥籠

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 頬に当たる潮風で目が覚めた。

 いつの間にか眠っていたようだ。マスカラを塗られた重たい睫毛がくっつくような感覚をもどかしく思いながら、目を開く。開け放たれた窓の外には海が広がっていて、私は大きなベッドの上に横たわっていた。

「……え?」

 確か、昨日の夜はカプレットの屋敷から別荘まで車で移動していたはず。どうやって私はこの部屋まで辿り着いたのだろう。キョロキョロと見回していたら、少し離れた場所で腰掛けるルシウスの姿が目に入った。

「起きたんだね、おはよう」
「ルシウス…着いたなら起こしてくれたら良いのに」
「ごめん。あまりにも気持ちよさそうに寝てたから」
「ここがエバートンの別荘?」
「ああ、そうだ」

 私はベッドから降りて窓際へと近寄る。
 白い木枠を嵌められた大きな窓には淡い水色のカーテンが掛かっている。窓の外には朝日を受けてキラキラと輝く広大な海が広がっていて、私は思わず感嘆の声を漏らした。

「気に入ってくれた?」
「ええ…良い眺めね。来て良かったわ」

 初めは不安もあったのだ。ロカルドが訪れて来る危険性はあるとは言え、まだ心を許していないルシウスの別荘にお邪魔するなんて、気が進まなかった。

 けれども実際問題、ルシウスは今のところ私にまだ協力的だし、金銭を求めて来るわけでもない。どういうわけか、親切に接してくれるこの男に対して、私はそろそろ警戒を解いても良いかもしれないと思った。

 彼自身にも何か個人的な目論見はあるようなので、私にもメリットがあって彼にとっても利益があるのなら、私たちの関係はウィンウィンであると言えるだろう。これから先、しばらくお世話になるのだとしたら、ずっと他人行儀で居るのも疲れるだけだし、友人レベルまでは受け入れても良いかもしれない。

 そんなことを考えながら、口を開いた。


「とりあえず、着替えるわ。私の荷物はどこ?」

 ルシウスは相変わらずニコニコした顔で立ち上がる。部屋の中には見当たらないから、どこか別の部屋に置いているのだろう。彼に鉄アレイなどを含む荷物の中身を見られては困るので、私は慌ててベッドから降りた。

「大丈夫よ。自分で運ぶから」
「その必要はない」

 ルシウスの手が私の右手を取る。
 何故だか、胸の中がザワザワした。

 何か大事なことを忘れている。昨日の夜、カプレット家の屋敷から車は二台で出発したはずだ。私とルシウスが乗る先頭車を追い掛けるように、二台目には侍女のステファニーと荷物が運び込まれたんだっけ。それで、ステファニーはどこに?


「……ルシウス、聞いても良い?」
「どんな質問でも答えるよ」

 握られた手の上をルシウスの指が這うように動く。
 警戒を解くのは早すぎた、と瞬時に後悔した。警戒どころか私は眠ってしまったのだ。その間に何があったかも知らずに。

「ステファニーはどこ?」

 絞り出すように発した問い掛けは、部屋の空気を揺らして消えた。手の甲を撫でていたルシウスの指が止まる。覗き込む碧色の瞳だけが真実を知っている。

 私は突然怖くなった。

 派手な化粧をしていても、中身は内気で大人しい令嬢シーア・カプレット。今までロカルドへの復讐を支えに強く維持していた心だけれど、それが果たされた今、私はただのカプレット家の末娘でしかない。非力で無知な一人の小娘。


「答えて!ステファニーはどこなの…!」

 何も答えないルシウスのシャツを左手で掴んで揺する。捕まっている右手を握る彼の力が僅かに強まった。

「シーア…君の侍女は来ない」
「なんで……?」
「君の荷物も来ない。必要なものは揃ってる」
「どういうこと、そんなの私、」
「カプレット子爵も合意の上だ」

 頭を殴られたような鈍い痛みを覚えた。
 彼はいったい何を言っているのか。

「君が眠った後、後続の車はカプレットの屋敷へ戻った」
「………そんな…」
「悪かった。騙すような真似をして」

 何も言えなかった。ただただ、呆然として、自分の知らない場所で取り交わされた計画の不快さに吐き気がしていた。ルシウスはすべて知っていたのだ。

 すべて知った上で、私をこの別荘へ誘った。ロカルドから匿うなんて真っ当な目的を述べて。


「カプレットとエバートンは今後ビジネス上のパートナーとなる。両家の結び付きを強くするために、君にはエバートン家に嫁いでもらう」
「……貴方と婚約するということ?」
「婚約じゃない、これは結婚だ。この別荘に居る間、俺たちは夫婦として過ごすための準備をする」
「………、」
「言っている意味が分かる?」

 分からないし、分かりたくないと思った。
 熱を含んだルシウスの瞳が射抜くように私を見ていても、視線を交えて彼と愛を語り合う気にはなれなかった。何もかもが突然すぎて。


「シーア、どうか拒まないで」

 強く抱き締められようとも、その背中に腕を回す気力は湧かない。私はルシウスの向こうに見える青い海を見つめた。綺麗な部屋、はためく水色のカーテンに窓から覗く絵画のような景色。

 ここは、用意された鳥籠。
 気付いた答えに私はただ生ぬるい涙を流した。


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