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第四章 獅子の檻編

25.マリオネットと色香

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陽の光も差し込まない檻の中の生活は、時の流れも分からず、ただ同じことの繰り返しだ。相変わらず部屋は寒いままで、そろそろ本格的に体温も下がってきた気がする。

消化した食事の回数からして、おそらく今日は二日目。

両手を縛られたままでは、何もかも上手くはできず、食事や飲み物の食べ溢しで白いシャツはまだらに汚れている。


「……風呂?」

流石に耐えかねて、入浴を申し出たらアーサーは一瞬きょとんとした顔をした。

「お願いします…」
「問題ない。俺の部屋を使ってくれ」

そうだ。地下にあるこの檻の真上はアーサーの浴室。そのまま階段を上がれば良いだけの話。

「ありがとうございます、じゃあこの鎖を…」
「それはそのままで良い」
「え?」
「足元に気を付けて、付いて来てくれ」

階段を登り出すアーサーの後ろを、ジャラジャラと音を響かせて追い掛けた。



「………眩しい」

久しぶりに見る明かりに目を細める。

地下には上階の水音までは届かなかったため、彼がその間に浴室を使用したのかどうかは定かではない。物音はしたから、私が知らないだけでメイドが掃除に訪れた可能性もある。

このまま、もしもアーサーが、私を地下に入れて放置したら、と思うと怖くなった。

きっと見つけられることはない。
大声を出したところで地下からの声は聞こえないし、浴槽の下に隠し扉があるなんて誰が気付くだろう。そして、気付いたところで、檻には鍵が掛けられているのだ。

私の命は完全にアーサーに握られている。


「……ありがとうございました。ではこれで…」

お礼を伝えるも、アーサーは部屋を去らない。
私を一瞥するとおもむろに浴槽へ近付いて蛇口を捻った。

勢いよく水が飛び出す。


「まだ冷たいのか?まあ、直ぐに温かくなる」
「………え?」

抱き上げられて、浴槽の中に落とされた。
バランスが取れずに足を滑らせたせいで、まともに底に転がってしまって耳の中に水が入った。

「ちょっと、突然何を…!」
「手伝ってやる。洗いたいんだろう?」
「自分で出来ますから、一人にしてください!」
「言ったよな?三日間は俺の監視下だ」
「…………っ冷たい、」

湯を張る傍らで、アーサーはシャワーを捻ったが、出てきたのは明らかにまだ冷たい水だ。嫌がらせのように浴びせ続けるものだから、水を含んだシャツは重くなって身体に張り付いた。

本当に風邪を引いてしまう。


「どうだ、綺麗になったか?」
「寒くて風邪を引きそうです。やめてください!」
「文句が多いな」
「どうしてこんな無茶するんですか」
「そんなのお前が…」

言葉の続きを待たずに、扉の向こうから声がした。
アーサーはハッとしたように目を向ける。


「……旦那様?すみません、部屋をノックしても返事はなかったのですが、奥から物音がしたもので…」

この声はイシスだ。

「心配ない。悪いが入浴中なので話は後にしてくれ」
「それは、失礼いたしました……あの、奥様はまだご病気でいらっしゃいますか?」
「ああ。かなり容態が悪い、移ってはいけないからイヴの部屋には誰も入れるな」
「承知いたしました」

どうなっているのか?
アーサーを見上げると、目線は扉の方を見たままだ。

何も考えずに、勢いで手をドアノブに伸ばした。


「………イシス!待って!」
「……おい!」

アーサーが私の口を塞ぐ。
金属のノブまで後、数センチという所で指先は離される。

聞こえなかったのか、聞こえない振りをしたのかは分からないが、遠くの方で部屋の扉が閉じる重々しい音がした。


「何やってんだよ…!」
「何って、そんなのこっちの台詞です!変な手枷を付けたり、寒い部屋に閉じ込めたり、水を浴びせたり」
「…それは、お前が俺から離れて行こうとするから」
「そんなことしていないわ…!」

濡れた毛先から水が落ちる。

蛇口からはようやくお湯が出るようになった。浴室に湯気が立ち込めて、部屋の温度も僅かに上がったような気がする。


「……お前と居ると俺は弱くなる」
「アーサー…」
「今まではどうでも良かったんだ。エリスだって誰だって、好かれたら相手をして、冷めたら手放すだけ」
「…………、」
「でも、イヴ、お前は駄目だ。どうして…」

アーサーは私を見ているようで、その意識はどこか遠くにあるようだ。顔を上げて話を聞く私の肩をアーサーが掴み、投げ出されたシャワーヘッドが床に水を撒き散らした。


「肩、痛い……っん、やめて!!」

首元に沈んだ唇が強く吸い付くから、思わず突き離す。
しかし、彼の身体はそんな力ではびくともしないようで、腰に手を回されれば、私はもう逃げられない。

「アーサー!痛いの、離して…!」
「大丈夫だ。まだ今日は二日目だから」
「………アーサー…?」
「俺たちには時間がある、」

空虚な眼差しでアーサーは私を抱き上げる。
器用に足で浴槽をどかせると、空いた手で取手を引く。

「やだ、地下はもう嫌なの、お願い…!」
「約束しただろう?三日は俺の管理下だ」

シャツからはボタボタと水が落ち続ける。

階段を降りると再び、また悪夢のような檻が現れた。
あんなに眩しかった光はもう届かない。


「……お願い…もう嘘なんて吐かないから」
「どうやってお前を信じたら良い?」
「それは……、」
「どうしてお前はいつも簡単に身体を許すんだ?俺だけでは不満か…?」

アーサーの手が、私の濡れた髪を耳に掛ける。
腰に回された腕に力が入った。

「そんなわけ…」
「異人だったことは驚かない。お前の過去にも俺は執着しない。でも、この世界で他の男に振り回されるのはやめてくれ」
「………ごめんなさい、秘密を守りたくて…」
「秘密の代わりに身体を差し出すなんて随分安いな」
「貴方と一緒に居たかったから…!」

私の声はきっともう、アーサーには届かない。

「イヴ、愛していたんだ…本当に、」
「…………」
「誰にも触れて欲しくなかった。なのに、なんでお前が自分を差し出すんだ?」
「アーサー、」
「大丈夫って、どこが……?」

それらは全部、アーサーの本音。
何事も、平気な様子で流していた彼の、本当の気持ち。

「もう優しくなんて出来ない」


噛むようなキスが首に、耳に、振ってくる。
繋がれた鎖を揺らしながら、私は身体を震わせた。


嘘で固めた身体に、アーサーの指が触れる。

どうにでもなればいい。
煮ても、焼いても、捨ててしまったって構わない。
赦してほしいなんて、言えるわけがない。




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