「真白」〜〜雪と蛇の女〜〜

まへまへ

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第35話 それから1ヶ月後

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朝の光が白い雪面をやわらかく照らしていた。

ロッジの裏手では、一朗が薪を割り、真白はその音を聞きながら、湯気の立つカップを両手で包みこんでいた。

―― 一ヶ月後。

撮影のあの日から、もうそんなに時間が経った。

一朗と過ごす日々は、まるで夢のように穏やかで、あたたかかった。

雪が降れば二人で外に出て雪かきをし、晴れた日には近くの森へ散歩に行った。

一朗の笑う声。

その背中。

冬の陽にきらめく吐息。

どれもが、真白にとって宝物のように思えた。

けれど――その幸福が大きくなるほど、胸の奥で小さな痛みも育っていった。

夜、ロッジの灯りが静まり返るころ。

真白はいつものようにタブレットを開く。

検索欄には、いくつもの言葉が並んでいた。

 「蛇 寿命」
 「人間 結婚」
 「子ども 生まれるまで」

指が震えて、画面をなぞる。

そして、無機質な文字が、真白の心に冷たく突き刺さった。

 ――寿命、十年。
 ――子を持つことはできない。

 「……十年しか、生きられないんだ……私」

声に出すと、空気が震えた。

湯気はもうとっくに消えていた。

一朗は、優しい。

朝には「おはよう」と微笑みかけ、夜には「おやすみ」と髪を撫でてくれる。

その手のぬくもりに包まれるたび、真白は人間になりたいと願った。

ずっとそばにいたい。

一朗の子どもを抱いて、同じ時間を生きていたい。

だけど――自分は“人間”じゃない。

いつか、一朗の腕の中から消えていく存在。

その現実を知った夜から、真白は微笑むたびに、胸の奥で涙が溜まるようになった。

あの幸せな時間を永遠に閉じ込めたい。

でも、それができないことも、分かっている。

タブレットの光が、頬を照らす。

その瞳に映るのは、蛇のように細く震える自分の影。

真白は静かに画面を閉じた。

――このままでは、一朗はきっと、不幸になる。

雪の外で、薪を割る音がまた響いた。

その音を聞きながら、真白は小さく微笑んだ。

 「……一朗、あったかいね」

そう呟いた声は、雪に吸い込まれて消えていった。

薪が小さくはぜる音だけが、沈黙のあいだを埋めている。

真白は、膝の上で指を組んだまま、何度も唇を噛んだ。

一朗がコーヒーを差し出しながら、静かに笑う。

「どうした? さっきから元気ないよ」

その言葉に、真白は顔を上げる。

迷って、躊躇して、それでも――言わなきゃいけないと思った。

「……ねえ、一朗」

「うん?」

「私ね……蛇なんだ」

一朗は、何も言わなかった。

ただ、その瞳が真白をまっすぐに見つめていた。

それが怖くて、真白はうつむいた。

「この身体も、心も……全部、普通の人間じゃないの。それに、寿命も、たぶんあと十年くらいしかないんだって。
子どもも産めないし……人間みたいに、一緒に歳を取ることもできない。そんな私が、一朗と一緒にいていいのかなって……思って……」

声が震えて、言葉が途切れた。

真白は小さく嗚咽を漏らしながら、膝の上で拳を握った。

一朗はしばらく黙っていた。

ストーブの火が、赤くゆらめく。

その灯りの中で、一朗はゆっくりと微笑んだ。

「……ふふっ」

真白は驚いて顔を上げた。

一朗の笑顔は、いつも通りの、あたたかい笑顔だった。

「なんで笑うの……?」

「いや、ごめん。でもさ……真白らしいなって思って」

一朗は、そっと真白の両手を包み込む。

その手はあたたかくて、力強かった。

「俺はね、真白がいてくれたら、それでいいんだ。寿命が十年なら、十年一緒に過ごそう。十年の中に詰められるだけの思い出を作ろう。時間が短いとか、長いとか、そんなの関係ない。俺にとっては、真白といる“今”がいちばん大切なんだ。」

真白の瞳から、大粒の涙が零れた。

頬を伝って、指の上に落ちる。

「……一朗……」

声は震えていたけれど、その表情は穏やかだった。

一朗は微笑んで、真白の髪を撫でる。

「泣くなよ。せっかく、あったかい夜なのに」

真白は一朗の胸に顔をうずめ、子どものように泣き続けた。

その涙の中には、悲しみと安堵と、どうしようもないほどの愛が混ざっていた。

ーーーーー

真白の涙が少し落ち着いたころ、一朗は気を紛らわせるように立ち上がった。

「……よし、ちょっとテレビでもつけようか。こういう時は笑うのが一番」

リモコンを手に取り、チャンネルを軽く回す。

ニュース番組、料理番組、そして次に映ったのは賑やかなバラエティ番組。

スタジオの明るい笑い声が、ロッジの静けさをやわらかく切り裂いた。

「バラエティがいいな。ほら、笑えるやつ」

「うん……」

真白はまだ少し赤い目をして、膝を抱えながらソファに座る。

画面の中では、司会者が陽気なテンションで話していた。

 「さあ、今夜の注目ニュース! あの人気モデル“ミキ”に熱愛発覚――!」

その瞬間、二人の視線が同時にテレビへと向いた。

画面の中央には、見覚えのある笑顔。

雪の中で撮影していたあのミキ――真白と、一朗の“特別な時間”を共にした彼女の姿があった。

隣には、若い男性アイドルの写真。テロップが赤く踊る。

《人気モデル・ミキ(27) 男性アイドルグループのリーダー・ケンジと交際報道》

 「……えっ」

真白が小さく声を漏らした。

 「ミキさん……!」

画面の中では、写真週刊誌の表紙が映し出され、二人が夜の街を並んで歩く姿がぼかし気味に映っていた。

ナレーターの声が、淡々と事実を伝える。

 〈双方の事務所は“プライベートは本人に任せている”とコメント〉

一朗は思わず苦笑した。

 「……すごいな。芸能ニュースにまでなるなんて」

真白は目を丸くしたまま、画面を見つめ続けた。

あの雪の日に笑っていた彼女――変身の秘密を共有した“ミキさん”が、まるで別の世界の人みたいに遠く感じた。

 「なんか……ミキさん、テレビで見ると全然違うね」

 「うん。ほんとに“モデルのミキ”って感じだ」

二人はしばらく無言でテレビを見続けた。

一朗はカップを手にしたまま、少し視線を落とした。

そして、意を決したように口を開く。

「……真白。驚かないで聞いてくれよ」

真白は小首をかしげて、一朗の顔を覗き込む。

「うん、なに?」

一朗は少し息を整えた。

「ミキさん――あの人は俺の幼馴染の“陽子”なんだ。」

その言葉は、部屋の空気を一瞬止めた。

真白は、一朗をじっと見つめた。

そして、穏やかな笑みを浮かべる。

「……知ってるよ」

一朗の手が止まった。

「えっ?」

驚きと混乱が入り交じる表情で真白を見る。

真白は静かに続けた。

「ミキさんの手を……握ったときに、わかったの」

真白は、自分の胸の前でそっと両手を重ねた。

「優しくて、あったかくて……どこか懐かしい感じがした。“あ、この人、一朗の言ってた陽子さんなんだ”って」

一朗は呆然としたように口を開けたまま、しばらく言葉を失っていた。

「……でも、どうして俺に言わなかったんだ?」

真白は少しうつむいて、申し訳なさそうに笑った。

「ミキさんに“内緒にしてね”って言われたの。“一朗に伝えたらあの人困っちゃうから”って。だから……約束、守ったの」

一朗は小さく息を吐き、そして苦笑した。

「そうか……そうだったんだな。俺はてっきり、恋人がいるから正体を隠してたのかと思ってた」

真白は首を横に振った。

「違うよ。一朗のこと、ちゃんと想ってた。ミキさん――ううん、陽子さんは、優しい人だから」

一朗は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

彼女――陽子が自分に残していった“秘密”と“想い”が、真白を通して静かに溶け出していくようだった。

「……真白、よく気づいたな」

「ふふ。だって、私は神様の使いだからね」

真白は照れくさそうに笑った。

一朗は、その笑顔を見て、胸の奥に込み上げる複雑な想いを、そっと飲み込んだ。


ーーーーー


テレビでは、スタジオのキャスターが軽妙な口調で話していた。

 「人気モデルのミキさんと、トップアイドル“ケンジ”さんの熱愛がスクープされました!」

画面には、街中を並んで歩くような写真が映り、まるで恋人のようなナレーションが流れている。

ストーブの音が静かに響く中、真白は湯呑みを両手で包みながら、じっと画面を見つめていた。

 「……このニュース、間違ってるね」

一朗は思わず吹き出した。

 「いやいや、真白。間違ってるって……。あんなに写真撮られて、テレビまで報じてるんだぞ?それに――陽子だってあんな美人なんだから、人気アイドルと付き合ってても不思議じゃないだろ?」

軽く笑いながら言う一朗の横顔に、真白は小さく首をかしげた。

 「確かに……そうだけどね」

真白は少しの間、画面に映る“ミキ”をじっと見つめた。

テレビの中の彼女は、堂々と微笑んでいるように見えた。

けれど真白の目には、その笑顔の奥が――どこか、少しだけ寂しそうに映った。

 「でもね、一朗」

真白は静かに言葉を続けた。

 「ロッジにミキさん手が来て手を握ったとき……陽子さんだとわかって…その時に今画面に映ってる“ケンジ”は、ミキさんの“過去”にはいなかった」

一朗は、茶を口にしようとして止まった。

 「……過去にいなかった?」

真白は頷く。

 「うん。ミキさんの心の中――その“過去”の中に、あの人はいないの。だから違う。きっと、何かの誤解か、作られた話だよ」

一朗はしばらく黙って真白を見つめた。

真白の瞳には迷いがなく、まっすぐで、それでいてどこか不思議な深さがあった。

 「……本気でそう思うのか?」

 「うん」

真白ははっきりとうなずいた。

 「だって、ミキさん――“陽子さん”は、そんな笑い方しないもん」

その言葉に、一朗は少しだけ驚き、そして、ふっと口元を緩めた。

 「……そうだな。たしかにあの笑顔は、どこか違うかもしれない」

二人の視線がテレビから外れ、窓の外の雪へと向かう。

吹きすさぶ風の音の中で、真白は小さく呟いた。

 「きっと――陽子さん、何か困ってる」


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