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第36話 芸能界の打算
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都内・芸能事務所の会議室。
昼下がりの光がブラインドの隙間から差し込み、机の上にはスポーツ紙や週刊誌が無造作に積まれていた。
そのどれもが、同じ見出しを踊らせている。
《人気モデル・ミキ アイドル・ケンジと極秘交際!》
「――事実と違います!」
ミキはテーブルに両手をついて、まっすぐに社長を見据えた。
その声は静かだったが、はっきりと怒りが滲んでいた。
「撮影の打ち上げで、みんなで食事に行っただけです。二人きりじゃありません。スタッフも、プロデューサーも、マネージャーもいた。どうして、こんな写真一枚で“熱愛”なんて……!」
社長は、肘掛け椅子に深く腰を下ろしたまま、ため息をついて新聞を畳んだ。
「わかってるよ、ミキ。俺だって全部経緯は聞いてる」
「だったら――」
「けどな」
社長は低い声で言葉をかぶせた。
「この報道で、ミキ。お前の名前は一気に広まった。テレビの出演オファーも来てるし、SNSのフォロワーも増えてる。来月発売の写真集――間違いなく、売れる」
ミキは言葉を失い、拳を握りしめた。
「……それって、嘘のまま世間を騙すってことですか?」
社長は、まるで痛みを避けるように視線を外した。
「“騙す”とは違う。利用するんだ。芸能の世界は話題が命だろ? 一時の騒ぎで終わらせればいい。写真集が出るまでは、静観してくれ」
ミキは深く息を吸い、そしてゆっくり吐いた。
怒りよりも、虚しさが胸を満たしていく。
「……わかりました」
その声は落ち着いていたが、少し震えていた。
「でも、写真集が発売されたら――きっぱり否定します。ファンにだけは、誤解されたくないんです」
社長はしばらく沈黙し、やがてうなずいた。
「……わかった。それでいい」
ミキは軽く会釈をして立ち上がった。
ドアノブに手をかけると、ガラス越しに廊下の照明が揺れて見えた。
「……一朗、真白ちゃん…見てないといいけど」
誰にも聞こえない声で呟きながら、ミキは会議室を後にした。
ーーーーー
写真集の宣伝取材の朝。
鏡の前に立ったミキは、いつもと変わらぬ笑顔をつくっていた。
けれど、その微笑の奥では、静かに震える不安が渦を巻いていた。
――もう、三週間も来ていない。
手帳に書かれた小さな印の日付を、指先でなぞる。
「まさか……そんなはずないよね」
呟きながらも、胸の奥では確信に似た予感が疼いていた。
もしも、妊娠していたら――。
仕事は? 事務所は? 世間は?
そして……あの人は、どう思うだろう。
ミキは鏡の中の自分を見つめ、目を伏せた。
メイクをしても、頬に少しだけ疲れが滲んでいる。
誰にも言えない。マネージャーにも、友人にも。
言葉にした瞬間、この日常が崩れてしまいそうで怖かった。
――もし妊娠していたら、下ろすの……?
その言葉が頭をよぎるたび、胸の奥が締めつけられる。
そんな決断、できるわけがない。
けれど、今の自分には産むこともできない。
窓の外は、春の光がまぶしいほどに晴れていた。
街路樹の若葉が風に揺れ、まるで世界だけが穏やかに前へ進んでいるように見える。
ミキは両手でお腹をそっと押さえ、静かに目を閉じた。
「……どうしよう、私……」
携帯が鳴った。
マネージャーからの連絡――「撮影車、もう下に着きました」
ミキは短く「今行きます」と答え、深呼吸をして立ち上がった。
口紅を引き直し、笑顔をつくる。
その笑顔は完璧だった。
だけど、胸の奥に渦巻く不安だけは、どんなメイクでも隠せなかった。
ーーーーー
夜のコンビニ。
誰にも気づかれないようにフードを深くかぶり、ミキはレジに妊娠検査薬をそっと差し出した。
心臓の鼓動が早くなり、レジ袋の中の白い箱が、やけに重く感じられた。
部屋に戻ると、靴も脱がずにリビングの明かりをつけた。
広い部屋に響くのは、時計の針の音だけ。
ミキは震える手で箱を開け、説明書を読みながら深呼吸をした。
――落ち着いて。大丈夫。
けれど、心は落ち着かなかった。
数分後、結果のラインが浮かび上がった瞬間、息が止まる。
視界が滲み、目の奥が熱くなる。
「……陽性……」
声に出した瞬間、胸の奥からこみ上げるものがあった。
怖さよりも、驚きよりも、強い「確信」。
――この命は、あの夜、真白と一緒に変身した「新しい形」の続きなんだ。
指先が震える。
ミキは両手でお腹をそっと包み込み、涙が頬を伝った。
「……そうだよね。一朗……」
言葉にならない思いがあふれる。
あのとき、彼の優しさと、真白とひとつになって感じたあの温もり。
あれは夢でも幻でもなかった。確かに生きていた証。
「この子は、真白ちゃんの子供でもあるんだね」
ミキは涙をぬぐい、鏡の中の自分をまっすぐに見つめた。
モデルでも、アイドルでもなく―― 一人の女として。
「下ろすなんて、できない……」
「産む。育てる。なんとしても」
その決意を口にした瞬間、心の中に小さな炎が灯った。
まだ誰にも知られていない秘密。
けれど、その秘密が、彼女をこれから強くしていくのだった。
昼下がりの光がブラインドの隙間から差し込み、机の上にはスポーツ紙や週刊誌が無造作に積まれていた。
そのどれもが、同じ見出しを踊らせている。
《人気モデル・ミキ アイドル・ケンジと極秘交際!》
「――事実と違います!」
ミキはテーブルに両手をついて、まっすぐに社長を見据えた。
その声は静かだったが、はっきりと怒りが滲んでいた。
「撮影の打ち上げで、みんなで食事に行っただけです。二人きりじゃありません。スタッフも、プロデューサーも、マネージャーもいた。どうして、こんな写真一枚で“熱愛”なんて……!」
社長は、肘掛け椅子に深く腰を下ろしたまま、ため息をついて新聞を畳んだ。
「わかってるよ、ミキ。俺だって全部経緯は聞いてる」
「だったら――」
「けどな」
社長は低い声で言葉をかぶせた。
「この報道で、ミキ。お前の名前は一気に広まった。テレビの出演オファーも来てるし、SNSのフォロワーも増えてる。来月発売の写真集――間違いなく、売れる」
ミキは言葉を失い、拳を握りしめた。
「……それって、嘘のまま世間を騙すってことですか?」
社長は、まるで痛みを避けるように視線を外した。
「“騙す”とは違う。利用するんだ。芸能の世界は話題が命だろ? 一時の騒ぎで終わらせればいい。写真集が出るまでは、静観してくれ」
ミキは深く息を吸い、そしてゆっくり吐いた。
怒りよりも、虚しさが胸を満たしていく。
「……わかりました」
その声は落ち着いていたが、少し震えていた。
「でも、写真集が発売されたら――きっぱり否定します。ファンにだけは、誤解されたくないんです」
社長はしばらく沈黙し、やがてうなずいた。
「……わかった。それでいい」
ミキは軽く会釈をして立ち上がった。
ドアノブに手をかけると、ガラス越しに廊下の照明が揺れて見えた。
「……一朗、真白ちゃん…見てないといいけど」
誰にも聞こえない声で呟きながら、ミキは会議室を後にした。
ーーーーー
写真集の宣伝取材の朝。
鏡の前に立ったミキは、いつもと変わらぬ笑顔をつくっていた。
けれど、その微笑の奥では、静かに震える不安が渦を巻いていた。
――もう、三週間も来ていない。
手帳に書かれた小さな印の日付を、指先でなぞる。
「まさか……そんなはずないよね」
呟きながらも、胸の奥では確信に似た予感が疼いていた。
もしも、妊娠していたら――。
仕事は? 事務所は? 世間は?
そして……あの人は、どう思うだろう。
ミキは鏡の中の自分を見つめ、目を伏せた。
メイクをしても、頬に少しだけ疲れが滲んでいる。
誰にも言えない。マネージャーにも、友人にも。
言葉にした瞬間、この日常が崩れてしまいそうで怖かった。
――もし妊娠していたら、下ろすの……?
その言葉が頭をよぎるたび、胸の奥が締めつけられる。
そんな決断、できるわけがない。
けれど、今の自分には産むこともできない。
窓の外は、春の光がまぶしいほどに晴れていた。
街路樹の若葉が風に揺れ、まるで世界だけが穏やかに前へ進んでいるように見える。
ミキは両手でお腹をそっと押さえ、静かに目を閉じた。
「……どうしよう、私……」
携帯が鳴った。
マネージャーからの連絡――「撮影車、もう下に着きました」
ミキは短く「今行きます」と答え、深呼吸をして立ち上がった。
口紅を引き直し、笑顔をつくる。
その笑顔は完璧だった。
だけど、胸の奥に渦巻く不安だけは、どんなメイクでも隠せなかった。
ーーーーー
夜のコンビニ。
誰にも気づかれないようにフードを深くかぶり、ミキはレジに妊娠検査薬をそっと差し出した。
心臓の鼓動が早くなり、レジ袋の中の白い箱が、やけに重く感じられた。
部屋に戻ると、靴も脱がずにリビングの明かりをつけた。
広い部屋に響くのは、時計の針の音だけ。
ミキは震える手で箱を開け、説明書を読みながら深呼吸をした。
――落ち着いて。大丈夫。
けれど、心は落ち着かなかった。
数分後、結果のラインが浮かび上がった瞬間、息が止まる。
視界が滲み、目の奥が熱くなる。
「……陽性……」
声に出した瞬間、胸の奥からこみ上げるものがあった。
怖さよりも、驚きよりも、強い「確信」。
――この命は、あの夜、真白と一緒に変身した「新しい形」の続きなんだ。
指先が震える。
ミキは両手でお腹をそっと包み込み、涙が頬を伝った。
「……そうだよね。一朗……」
言葉にならない思いがあふれる。
あのとき、彼の優しさと、真白とひとつになって感じたあの温もり。
あれは夢でも幻でもなかった。確かに生きていた証。
「この子は、真白ちゃんの子供でもあるんだね」
ミキは涙をぬぐい、鏡の中の自分をまっすぐに見つめた。
モデルでも、アイドルでもなく―― 一人の女として。
「下ろすなんて、できない……」
「産む。育てる。なんとしても」
その決意を口にした瞬間、心の中に小さな炎が灯った。
まだ誰にも知られていない秘密。
けれど、その秘密が、彼女をこれから強くしていくのだった。
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