「真白」〜〜雪と蛇の女〜〜

まへまへ

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第38話 下半身麻痺

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ぼんやりとした光が視界に滲んでいた。

白い天井。

機械の規則的な電子音。

ミキは、ゆっくりとまぶたを開けた。

――ここは、どこ?

喉が焼けるように乾いている。

身体を起こそうとした瞬間、異様な感覚が走った。

腰から下が、まるで他人の身体のように何も感じない。

重たい布団の下で、足の位置すらわからなかった。

 「……え?」

声が震えた。

恐る恐る指先でシーツの上を探る。

でも、触れているはずの脚の感触が――ない。

そのとき、カーテンの向こうから足音が近づき、白衣の医師が静かに姿を現した。

 「ミキさん、気がつきましたか」

穏やかな声。

けれど、その奥にある重い色を、ミキは直感で感じ取った。

 「先生……私……足が……動かないんです」

医師は短くうなずき、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。

 「ミキさん、ナイフが脊髄の下部に達していました。手術で止血と損傷部の処置はしましたが……残念ながら、下半身の運動機能と感覚が、ほとんど失われています」

 「……え?」

言葉が、耳から心に届くまでに時間がかかった。

 「そ、そんな……治るんですよね? リハビリすれば……」

医師は静かに首を横に振った。

 「現時点では、回復の見込みはかなり厳しいです。ただ、上半身には問題ありませんし、命も助かりました。それが、奇跡なんです」

ミキは、息を詰めたまま、しばらく何も言えなかった。

涙が視界を曇らせていく。

それでも――彼女の唇から出た最初の言葉は、別のものだった。

 「……先生……」

 「はい」

 「……お腹の子は……? 私の……赤ちゃんは……無事ですか?」

医師の目がわずかに揺れた。

すぐに看護師を呼び、超音波機器の準備を指示する。

 「すぐに調べましょう。落ち着いてくださいね」

検査用のジェルが腹部に塗られ、冷たさが一瞬肌を撫でる。

モニターの画面に白い影が浮かび上がった。

医師が慎重に探るようにプローブを滑らせ、やがて表情を和らげた。

 「……ミキさん、赤ちゃんは……無事です。心拍も確認できています」

その瞬間、ミキの目から大粒の涙が零れ落ちた。

 「……よかった……よかった……」

嗚咽が声になり、枕を濡らす。

医師は静かに頷き、カルテに記録を取るとそっと言葉を添えた。

 「どうか気を強く持ってください。あなたが生きていて、赤ちゃんも生きている――それが何よりです」

ミキは震える唇で、小さく微笑んだ。

 「……この子は……私が守ります。どんなことがあっても……」

病室の窓の外では、秋の光が淡く差し込んでいた。

ミキの瞳には、その光よりもずっと強い決意が宿っていた。


ーーーーー


病院の一室。

窓の外では、冬の気配が濃くなりはじめた夕暮れの光が、静かにベッドの白いシーツを照らしていた。

ミキは、車椅子に座ったまま、両手をぎゅっと膝の上で握りしめていた。

目の前のテーブル越しに座るのは、芸能事務所の社長。

いつもは強気な笑顔を絶やさない男の顔に、今日ばかりは深い陰りが差していた。

 「……社長」

ミキは小さく息を吸い、声を整えた。

「記者会見を開かせてください」

社長は眉をひそめた。

 「……ミキ。今はまだ身体も本調子じゃない。世間の目に出るのは早いよ。しばらく静養してからでも――」

 「違うんです」

ミキの声は、かすれていたが、その奥に強い決意があった。

 「もう、私は“モデルのミキ”として活動することはできません。この身体では、撮影にもステージにも立てません。だからこそ、きちんと自分の口で、みんなに伝えたいんです」

社長は黙り込んだ。

その沈黙を恐れずに、ミキは続けた。

 「写真集の発売を最後の仕事にしたい。今まで支えてくれたファンのみんなに、そして事務所の皆さんに――心からの“ありがとう”を伝えたいんです。写真集がたくさん売れてくれることが、私にできる唯一の恩返しです」

社長は深くため息をつき、背もたれに身体を預けた。

 「……本当に、最後までプロなんだな。ミキ」

 「ええ」

ミキは穏やかに微笑んだ。

 「でも……嘘はつきません。あの事件のことも、報道のことも、自分の身体のことも。真実だけを話します」

その言葉に、社長はしばらく視線を落としたまま動かなかった。

やがて、重々しくうなずく。

 「……わかった。準備しよう。すぐに広報にも動かせるようにする」

ミキの目に、安堵と感謝の光が宿った。

 「ありがとうございます。社長……いままで、本当にお世話になりました」

 「やめろよ、そんな顔すんな」

社長は立ち上がり、わずかに笑って見せた。

 「最後まで、ちゃんと送り出すのが俺の役目だ。お前の覚悟、受け取ったよ」

ミキは小さくうなずき、両手を胸の前で組んだ。

 「……これでやっと、前に進めます」

窓の外には、沈みかけた夕日が、赤く病室を照らしていた。

それはまるで、彼女の燃え尽きるような情熱を静かに祝福する光のようだった。

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