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第一章 ロードライトの令嬢

07 兄の闇堕ち阻止計画

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「ん……」

 日の光で、目が覚めた。

 息を吸おうとした途端、ズキリと強く胸が痛む。
 痛みに全身がびくりと跳ねて、そこでパッと意識が完全に覚醒した。

 いつもの痛み。
 いつもの感覚。
 いつも通りの、わたしの日常。

 ――息が苦しい。
 いくら吸っても、全然身体に巡ってくれない。

 起き上がれるようになるのは、もう少し先。
 奇妙に脈打つ心臓が少し落ち着いて、全身に新たな血が十分に巡り、冷え切った四肢がほんの少しだけ温もりを帯びた後。

 ふと、左手に何か感触を覚えた。
 左の方に目を向ける。

 わたしの手をぎゅっと握っていたのは、兄だった。
 椅子に腰掛けたまま、わたしのベッドに突っ伏すようにして眠っている。

「おにい……」

 声を掛けようとして、起こしてしまうのもなと躊躇した。
 窓から見える外の様子から、今はまだ明け方ごろだろう。
 なら、まだ寝かせておいてあげたい。
 きっと、夜を徹する覚悟でわたしの側についていてくれたのだろうから。

「…………」

 艶のある黒髪の隙間から、伏せられた長い睫毛が覗いている。右の耳には、銀色のピアスが嵌っていた。
 呼吸に応じて肩が動いていなければ、そのまま彫像としてどこかに飾られていてもおかしくないな、なんてことをついつい考えてしまう。

『ゼロイズム・ナイン』――ゲームの世界でのラスボス、オブシディアン・ロードライトも、とても綺麗な人だった。

 あまり笑うことなく、怜悧で冷たい印象を与えがちではあったものの――それでも主人公、シリウス・ローウェルの前でだけは、終始砕けた口調でいたし、笑うことだってあったのに。

 わたしの死をきっかけに、兄の人生はおかしくなってしまった。

 ――なら、わたしが死ななければ、兄は闇に堕ちたりしないのではないか?

 わたしが死ななければ、兄はシリウス様と決別することもなくなるし、もちろんゲームのように、ラスボスになんてならないのではないか?

「……名案じゃない?」

 わたしはまだまだ生きていたいし、兄が道を踏み外してしまうのも御免だ。
 これぞ、一石二鳥の解決策。

 ……まぁ、策の要はわたしの命に掛かってるわけだけど……。

 わたしの身体を蝕んでいるこの病気は、一体なんなのだろう?

 その時、兄が身じろぎをした。
 ぎゅっと眉を寄せた兄は、そのままぼんやりと顔を上げる。
 わたしはその顔を覗き込んだ。

「……リッカ……?」

「はい、リッカです。おはようございます、お兄様」

 兄は目をぱちぱちさせている。どうやら、まだ頭が起き切ってはいないらしい。
 起きている間は鋭い目つきも、今はどこかぼんやりとしていた。

 やがて小さく息を呑んだ兄は、そのまま勢いよく身を起こした。
 わたしの額と首に手を当て、熱がないかを確かめている。

「大丈夫ですよ、お兄様」

 そう言いながら、兄の手をそっと外した。
 笑みを向けると、兄もぎこちなく笑顔を返してくれる。

「……驚いたんだ。いつもとは違う倒れ方だったから」

「あ、あはは……」

 今回は体調の悪化というより、思い出した記憶のショックでって感じだったからなぁ……余計な心配をさせてしまって申し訳ない。

「あ……そうだ、シリウス様は……?」

「学校があるからな。先に帰らせた」

「学校!」

 そうだ! 学校があるのだった!

「あの……お兄様は……」

 おずおずと問いかける。
 兄は静かに首を振った。

「僕はいいんだ。リッカに何かあったかと心配しながら授業を受けたところで、身につくはずもないんだから……」

 そう言った兄は、ふと表情を曇らせた。

「リッカには、無理をさせてしまった……本当にすまないと思っている。お前の体調の変化に気が付くことができなかった。僕の監督不行き届きだ……」

「そんなこと……」

 わたしが倒れたのは、兄のせいじゃないのに……。

 それでも、兄は責任を感じてしまっているようだ。つくづく真面目な人だと思う。
 いいやと首を振り、兄は続ける。

「普段の僕なら、何があってもリッカから目を離すなんてなかったのに。シリウスがいたから、つい気が抜けてしまって……。でも、もう大丈夫だ。もう、シリウスは家には来させない。もうお前に、絶対に無理はさせないから」

「だ、ダメです!」

 慌てて叫んだ。
 兄の手を両手でぎゅっと握ると、兄を見つめる。

 この真面目な人を年相応な少年に変えることができるのは、シリウス様をおいて他にいない。
 普段は常に気を張っている兄が、シリウス様の前でだけは、あんなにも素直に笑えていたのだから。

 真面目すぎる人なのだ。
 何だって深刻に捉えすぎてしまう。

「お兄様、わたしは大丈夫です。わたしが昨日倒れたことは、シリウス様が原因ではありません」

 全てを一人で抱え込んでしまったから、この人はきっと律儀に、わたしの死すらも背負ってしまったのだろう。

 わたしの死だけではなく、ありとあらゆる物事を、幼い頃から背負い続けて――
 一人ではどうすることも出来ないまま、その重みに潰されてしまったのだ。

 ――背負わせたくない
 ――苦しませたくない

「えぇ、全くもって、微塵たりとも! シリウス様にも、そしてお兄様にも、責任は一切ないのです!」

(――そう、わたしが死ぬことに対しても)

 ……いや、別に死にたくはないのだけど! まだまだこの世界を生きていたいのだけど! 生きる気力で満ち溢れているのだけど!

 それでも、人は死ぬものだ。
 病気でだけでなく、事故でも、突発的な事件でも。
 それが運命の導きであり、この世の定めというものだ。

(――六花わたしだって、まだ死にたくはなかった)

 人は思うより簡単に死んでしまうものだし、生きている限り、誰かの死を背負って進まなければならない。

 死なない人間がいないように、身の回りの誰もが死なない人生もまた、ないのだから。
 大切な人が死んでなお、その人の人生は続くのだから。

「だから、お兄様!」

 兄に顔をぐいっと近づけた。
 兄の蒼い目を覗き込む。

「シリウス様のこと、また連れてきてくださいね? 約束ですよ?」

 そう言って小指を立てると、兄はわたしの小指を見て不思議そうな顔をした。
 どうやらこの世界には『指切り』という文化はないらしい。

「約束をするとき、こうして小指を絡めるんです」

 そう説明すると、兄は納得したように頷いた。

「……あぁ、約束しよう。必ずまた、シリウスを連れてくるよ」

「絶対、絶対ですよ? お兄様」

 兄が立てた小指に、自分の指を絡める。
 ゆびきりげんまん、と一通り歌った後、指を離した。

 兄は感心した顔でわたしを見ている。

「お前、よく分かんないもの知ってるな」

「ほ……本で読んだのでっ!」

 慌てて言った。
 兄は、素直に誤魔化されてくれたようだ。

「お前、結構本も読むしな。家の中だけにいるっていうのも暇だよな……特に僕が学校に行くようになってからは、それこそ侍女たちとしか関わりもないだろ」

「そうなんですよね……」

 六花として生きていた頃は、暇だなんて感じる暇すらなかったくらい、物や遊びに満ちていたのに。

 スマートフォンを一人一台持つようになって、SNSだって発達して。
 世界がすごい勢いで進歩するから、置いていかれないようにするだけで精一杯だった。

 だからだろうか。
 この世界で一人、痛みを堪えながら蹲っていると、どうしようもなく不安になってしまう。
 テレビでもあれば、少しは気も紛れそうなものなのに。

 そんなわたしの様子を見ていた兄は「そうだ」とわたしに一つの提案をした。

「なら、お前に手紙を書こう。もちろん、お前も返事をしてくれるよな?」

「手紙ですか! それは嬉しいです!」

 学校での兄の様子も知ることが出来るというのは願ったり叶ったりだ。
 次から痛みで意識が飛びそうになった時は、兄に書く手紙の内容でも思い浮かべて気を紛らわそう。

 その時、兄のお腹がくぅと鳴った。
 兄はパッと顔を赤らめる。

「そう言えば、朝ごはんがまだでしたね」

「あぁ……セラに、お前が起きたことを伝えてくる。朝食もこっちに持ってきてもらうようにするから、朝は一緒に食べようか。少しであれば食べられそうか?」

「はい!」

 良い返事をしたご褒美か、兄はわたしの頭を優しく撫でると踵を返した。
 その背中に、ふと尋ねかける。

「ねぇ、お兄様……わたしのこの病気は、一体何なんですか?」

 たびたび脈が狂っては、立ち上がることさえ出来なくなる。
 呼吸が苦しくて、息もまともに吸えなくなって。
 手足の先から、氷のように冷たくなっていくような――この病気は、一体何なのだろう。

 ――でもこの痛み、どこか覚えがあるような……?

 わたしの声に、兄は振り返った。

「病気……? お前、何を言ってるんだ?」

「え?」

 どこか戸惑うような表情のまま、兄は言う。

「お前のは、病気じゃなくて、呪いだぞ?」
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