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第一章 ロードライトの令嬢
09 国外者
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目一杯の荷物を背負いながらひょこひょこ歩いている赤髪の少年の姿を見て、オブシディアン・ロードライトは思わず顔を顰めた。
彼の背中には、学校の備品が山と積まれている。大方、空き教室の片付けでも頼まれてしまったのだろう。
そんな雑用、引き受ける義理はないのにと思うが、しかしお人好しの彼は、誰のどんな頼みも決して断ることなく請け負ってしまうのだ。
見れば、両手にもいっぱいの本を抱えている。
あれだけ積み重ねては、前を確認するのも一苦労に違いない。
思わず立ち上がったオブシディアンの手を、誰かが掴んだ。
「オブシディアン様」
「……ミラ、か」
長い金髪に、意志の強そうな藍の瞳。
十歳という幼さはあるものの、それでも可愛いというよりは美人という形容が似合う、整った目鼻立ちをしている。
幼馴染であり、またロードライト家第一分家の長女であるミラ・ロードライトとは、切っても切れない仲だった。
彼女の右耳には、金色のピアスが誇らしげに揺れている。
ロードライトの一族は皆、十歳になると右耳にピアスをつけ、家の所属を表すのが慣わしだ。
オブシディアンも例に漏れず、右耳にシンプルな銀色のピアスを付けている。
一族の中でも歳が近い彼女とは、半ば兄妹同然に育ってきた。
生まれとしては、オブシディアンよりミラの方が数ヶ月ほど早いことになる。
そのためミラは、事あるごとにオブシディアンに対して姉っぽく振る舞う傾向があった。
「オブシディアン様。彼とは、関わり合いにならない方が」
凛とした口調でミラは言う。
その言葉に、オブシディアンは大きくため息を零した。
「『国外者』とは連むなって?」
普段は決して使わない差別用語を口にする。
そんなオブシディアンに、ミラはぎゅっと眉を寄せたものの「えぇ」と頷いてみせた。
「『建国の英雄』、ロードライト本家の直系長子であります、オブシディアン・ロードライト様。お友達はお選びになった方がよろしいかと思いますわ」
ミラは、対外的な硬い口調で言う。
――この国が«魔法使いだけの国»『ラグナル』として諸国から独立したのは、今から五百年ほど前のこと。
かつて、魔法使いは人間たちから多くの迫害を受けた。
幾たびも続いた不当な魔女裁判で、数多の同胞の血が流された。
「人間など殲滅してしまえ」と憤る魔法使いも多くいた中、やがて三人の魔法使いが立ち上がる。
彼らは一つの国を興すと、人間たちと不可侵の条約を結び、この国を«魔法使いだけの国»とした。
もう二度と、悲しい事件が起きぬように。
そうして人間と魔法使いは袂を分かち、お互いの領分を決して侵さぬよう、取り決めを結んだのだった。
三人の魔法使いの家系は、やがて『御三家』と呼ばれるようになる。
そのうちの一家がロードライト家であり、オブシディアンはその本家における直系長子、次期当主として生まれ育った。
オブシディアンは、ミラに向き直る。
「シリウスは僕の友人だ」
「ですから、その友人関係が不適切だと言ってるの。外の者と関わるなど、どうかしています」
魔法使いの魔力は血に宿る。
魔法使いの両親から生まれた子供は魔力を持ってうまれるし、また人間の両親から生まれた子供は、基本的に魔力を持つことはほとんどない。
――しかし、時には例外も生じる。
普通の人間から魔力を持った子供が生まれることは、確率として存在する。
その場合、子供が魔力を持っていることを政府が検知した段階で、子供は家族から引き離され、ただ一人«魔法使いだけの国»に連れて来られることとなる。
そういう子供は『国外者』と呼ばれ、暗に差別されることも多い。
家名を重視するお国柄、家族と離され身一つの子供は、一番立場が弱かった。
「あいつはちゃんとしたこの国の者だ。お前にどうこう言われる筋合いはない。……それに、リッカもあいつを気に入ったようだしな」
「ま!」とミラは咎めるような視線を向けるが、オブシディアンには関係のないことだ。
「リッカに会わせたの!? あの子を家から連れ出した……わけじゃないわよね。ということは、彼を本家に立ち入らせたということです!? ご当主様は、何もおっしゃらなかったの?」
「……父は関係ないだろう」
思わず声が低くなる。
ロードライト家現当主であり、実の父であるメイナード・ロードライトとは、学園の入学前に一度、『行ってきます』と報告の挨拶をしたきりだ。
それでもオブシディアンはまだいい。妹であるリッカなど、父と最後に会ったのなんて、母がまだ生きていた頃だった。
当時はまだ赤ん坊であったリッカは、父の顔すら覚えてはいないだろう。
「ですからオブシディアン様は、ロードライト家、しかも本家の次期当主である自覚をお持ちくださいと言っているのです」
「ここは学校だ、『建国の英雄』の末裔だろうが何だろうが、ここでは等しく生徒に過ぎない。それに、魔力を持つ者であれば誰だって受け入れるのが、建国当時からのこの国の信念だ。ロードライトの僕が、その思想を守って何が悪い」
それでもと、まだ御託を並べる彼女の隣を歩き去る。
さすがに、彼女は追っては来なかった。
ミラと話していたら肩が凝る、と、オブシディアンは思わず深々とため息をつく。
実家である、ロードライト本家にいる時と同じ気分になってしまう。
リッカの部屋で他愛無い話をしている時が、一番気が休まるというものだ。
可愛らしい妹の笑顔は、オブシディアンにとって唯一の心の拠り所だった。
«魔法使いだけの国»『ラグナル』、その『御三家』の一つであるロードライト家。
五百年間の平和の間、他の二家は子孫を残せず、もしくは時代の闇に消えていった。
唯一現存しているロードライト家、その次期当主として生まれたからには、自分に果たすべき責務があることも承知している。
それでも、学校でくらいは、自由にさせてくれないものだろうか。
ミラも、悪い子ではないのだが。どうにも頭が固いのがいけない。
友達は選べ、とミラは言うものの――果たして、家名に群がる連中と対等に『友達』でいられるものだろうか。
オブシディアンとしてはむしろ、選んだが故のシリウス・ローウェルなのだ。
「シリウス」
シリウスに駆け寄った。その背中に声を掛ける。
明るい翡翠の瞳は、オブシディアンを見て柔らかく細まった。
「オブシディアンじゃないか」
「また雑用引き受けたのか? 手伝うよ」
有無を言わさず、シリウスの持つ荷物を半分奪い取る。
シリウスは一瞬目を瞠ったものの、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「そんな、黒曜殿下に手伝わせるなんて恐れ多い」
「馬鹿を言え。そんなに抱えて重たいだろ、素直に手伝わせろ」
シリウスは明るい笑い声を零す。
「ありがとう。重さは大したことなかったんだが、ちょっと前が見えなくてさ。階段転げ落ちるとこだったかもな」
「そうなる前に人に頼るか断れよ」
思わずそう口にした。
シリウスはただ「冷静に考えたら、お前の言う通りだよなー」と笑うだけだ。
「でも、人に頼まれごとをされるとさ、嬉しいんだ。俺は誰かに必要とされてるって気分? そんな感じ」
シリウスの言っていることは、オブシディアンにはよく分からない。
ただ「そうか」と頷いた。
そこで、シリウスは話題を変える。
「そういや、お前の妹のリッカ、あの子の具合は大丈夫か? この前は本当にすまなかった。身体弱いって言ってたもんな。無理させちゃったかな」
「あぁ……リッカについては心配ない……というか、あいつが倒れるのはいつものことではあるから」
「いつものことなのか……」
眉を寄せてシリウスは呟く。
まぁ、とオブシディアンは濁した。
「シリウスが気に病む必要はない。翌日には起き上がれるようになっていたし、リッカもすまなそうにしていた。……実はリッカも、お前とはまた会いたいと言っていてね。シリウス、お前さえ良ければ、だが……」
「そりゃこっちのセリフだよ。正直『妹にはもう二度と会わせない』って言われるかと思った」
「ははは……」
リッカに諭されるまでは、オブシディアンもそうするつもりだった。
それを言うとさすがに角が立つかと、オブシディアンは曖昧に頷く。
「そうだ、シリウス。リッカに手紙を書いてやると約束したんだ。良ければ、君もリッカに何か書いてくれないか? 簡単な近況でいいからさ」
「そりゃ歓迎だけど、いいのか?」
「もちろん。リッカも喜ぶ」
大きく頷く。
「お兄様は妹想いなことで」とシリウスは笑った。
彼の背中には、学校の備品が山と積まれている。大方、空き教室の片付けでも頼まれてしまったのだろう。
そんな雑用、引き受ける義理はないのにと思うが、しかしお人好しの彼は、誰のどんな頼みも決して断ることなく請け負ってしまうのだ。
見れば、両手にもいっぱいの本を抱えている。
あれだけ積み重ねては、前を確認するのも一苦労に違いない。
思わず立ち上がったオブシディアンの手を、誰かが掴んだ。
「オブシディアン様」
「……ミラ、か」
長い金髪に、意志の強そうな藍の瞳。
十歳という幼さはあるものの、それでも可愛いというよりは美人という形容が似合う、整った目鼻立ちをしている。
幼馴染であり、またロードライト家第一分家の長女であるミラ・ロードライトとは、切っても切れない仲だった。
彼女の右耳には、金色のピアスが誇らしげに揺れている。
ロードライトの一族は皆、十歳になると右耳にピアスをつけ、家の所属を表すのが慣わしだ。
オブシディアンも例に漏れず、右耳にシンプルな銀色のピアスを付けている。
一族の中でも歳が近い彼女とは、半ば兄妹同然に育ってきた。
生まれとしては、オブシディアンよりミラの方が数ヶ月ほど早いことになる。
そのためミラは、事あるごとにオブシディアンに対して姉っぽく振る舞う傾向があった。
「オブシディアン様。彼とは、関わり合いにならない方が」
凛とした口調でミラは言う。
その言葉に、オブシディアンは大きくため息を零した。
「『国外者』とは連むなって?」
普段は決して使わない差別用語を口にする。
そんなオブシディアンに、ミラはぎゅっと眉を寄せたものの「えぇ」と頷いてみせた。
「『建国の英雄』、ロードライト本家の直系長子であります、オブシディアン・ロードライト様。お友達はお選びになった方がよろしいかと思いますわ」
ミラは、対外的な硬い口調で言う。
――この国が«魔法使いだけの国»『ラグナル』として諸国から独立したのは、今から五百年ほど前のこと。
かつて、魔法使いは人間たちから多くの迫害を受けた。
幾たびも続いた不当な魔女裁判で、数多の同胞の血が流された。
「人間など殲滅してしまえ」と憤る魔法使いも多くいた中、やがて三人の魔法使いが立ち上がる。
彼らは一つの国を興すと、人間たちと不可侵の条約を結び、この国を«魔法使いだけの国»とした。
もう二度と、悲しい事件が起きぬように。
そうして人間と魔法使いは袂を分かち、お互いの領分を決して侵さぬよう、取り決めを結んだのだった。
三人の魔法使いの家系は、やがて『御三家』と呼ばれるようになる。
そのうちの一家がロードライト家であり、オブシディアンはその本家における直系長子、次期当主として生まれ育った。
オブシディアンは、ミラに向き直る。
「シリウスは僕の友人だ」
「ですから、その友人関係が不適切だと言ってるの。外の者と関わるなど、どうかしています」
魔法使いの魔力は血に宿る。
魔法使いの両親から生まれた子供は魔力を持ってうまれるし、また人間の両親から生まれた子供は、基本的に魔力を持つことはほとんどない。
――しかし、時には例外も生じる。
普通の人間から魔力を持った子供が生まれることは、確率として存在する。
その場合、子供が魔力を持っていることを政府が検知した段階で、子供は家族から引き離され、ただ一人«魔法使いだけの国»に連れて来られることとなる。
そういう子供は『国外者』と呼ばれ、暗に差別されることも多い。
家名を重視するお国柄、家族と離され身一つの子供は、一番立場が弱かった。
「あいつはちゃんとしたこの国の者だ。お前にどうこう言われる筋合いはない。……それに、リッカもあいつを気に入ったようだしな」
「ま!」とミラは咎めるような視線を向けるが、オブシディアンには関係のないことだ。
「リッカに会わせたの!? あの子を家から連れ出した……わけじゃないわよね。ということは、彼を本家に立ち入らせたということです!? ご当主様は、何もおっしゃらなかったの?」
「……父は関係ないだろう」
思わず声が低くなる。
ロードライト家現当主であり、実の父であるメイナード・ロードライトとは、学園の入学前に一度、『行ってきます』と報告の挨拶をしたきりだ。
それでもオブシディアンはまだいい。妹であるリッカなど、父と最後に会ったのなんて、母がまだ生きていた頃だった。
当時はまだ赤ん坊であったリッカは、父の顔すら覚えてはいないだろう。
「ですからオブシディアン様は、ロードライト家、しかも本家の次期当主である自覚をお持ちくださいと言っているのです」
「ここは学校だ、『建国の英雄』の末裔だろうが何だろうが、ここでは等しく生徒に過ぎない。それに、魔力を持つ者であれば誰だって受け入れるのが、建国当時からのこの国の信念だ。ロードライトの僕が、その思想を守って何が悪い」
それでもと、まだ御託を並べる彼女の隣を歩き去る。
さすがに、彼女は追っては来なかった。
ミラと話していたら肩が凝る、と、オブシディアンは思わず深々とため息をつく。
実家である、ロードライト本家にいる時と同じ気分になってしまう。
リッカの部屋で他愛無い話をしている時が、一番気が休まるというものだ。
可愛らしい妹の笑顔は、オブシディアンにとって唯一の心の拠り所だった。
«魔法使いだけの国»『ラグナル』、その『御三家』の一つであるロードライト家。
五百年間の平和の間、他の二家は子孫を残せず、もしくは時代の闇に消えていった。
唯一現存しているロードライト家、その次期当主として生まれたからには、自分に果たすべき責務があることも承知している。
それでも、学校でくらいは、自由にさせてくれないものだろうか。
ミラも、悪い子ではないのだが。どうにも頭が固いのがいけない。
友達は選べ、とミラは言うものの――果たして、家名に群がる連中と対等に『友達』でいられるものだろうか。
オブシディアンとしてはむしろ、選んだが故のシリウス・ローウェルなのだ。
「シリウス」
シリウスに駆け寄った。その背中に声を掛ける。
明るい翡翠の瞳は、オブシディアンを見て柔らかく細まった。
「オブシディアンじゃないか」
「また雑用引き受けたのか? 手伝うよ」
有無を言わさず、シリウスの持つ荷物を半分奪い取る。
シリウスは一瞬目を瞠ったものの、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「そんな、黒曜殿下に手伝わせるなんて恐れ多い」
「馬鹿を言え。そんなに抱えて重たいだろ、素直に手伝わせろ」
シリウスは明るい笑い声を零す。
「ありがとう。重さは大したことなかったんだが、ちょっと前が見えなくてさ。階段転げ落ちるとこだったかもな」
「そうなる前に人に頼るか断れよ」
思わずそう口にした。
シリウスはただ「冷静に考えたら、お前の言う通りだよなー」と笑うだけだ。
「でも、人に頼まれごとをされるとさ、嬉しいんだ。俺は誰かに必要とされてるって気分? そんな感じ」
シリウスの言っていることは、オブシディアンにはよく分からない。
ただ「そうか」と頷いた。
そこで、シリウスは話題を変える。
「そういや、お前の妹のリッカ、あの子の具合は大丈夫か? この前は本当にすまなかった。身体弱いって言ってたもんな。無理させちゃったかな」
「あぁ……リッカについては心配ない……というか、あいつが倒れるのはいつものことではあるから」
「いつものことなのか……」
眉を寄せてシリウスは呟く。
まぁ、とオブシディアンは濁した。
「シリウスが気に病む必要はない。翌日には起き上がれるようになっていたし、リッカもすまなそうにしていた。……実はリッカも、お前とはまた会いたいと言っていてね。シリウス、お前さえ良ければ、だが……」
「そりゃこっちのセリフだよ。正直『妹にはもう二度と会わせない』って言われるかと思った」
「ははは……」
リッカに諭されるまでは、オブシディアンもそうするつもりだった。
それを言うとさすがに角が立つかと、オブシディアンは曖昧に頷く。
「そうだ、シリウス。リッカに手紙を書いてやると約束したんだ。良ければ、君もリッカに何か書いてくれないか? 簡単な近況でいいからさ」
「そりゃ歓迎だけど、いいのか?」
「もちろん。リッカも喜ぶ」
大きく頷く。
「お兄様は妹想いなことで」とシリウスは笑った。
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