36 / 73
第一章 ロードライトの令嬢
36 どうか、苦しまないで
しおりを挟む
やはりというか何というか、ロードライト第五分家の屋敷へ出かけたことは、リッカの身体には相当な負担だったらしい。
翌日――というよりも当日の夜には、リッカは熱を出して寝込んでしまった。
荒い呼吸に、高い熱。意識もないのに、時折引き攣るように身を捩っては苦しみ続ける。
そんなリッカを見ていると、こちらまで身が引きちぎられる思いになった。
セラを含めたリッカの侍女、第四分家の彼女らに混じって、オブシディアンも治癒の陣を重ねがけする。何もできない邪魔ものが、リッカの部屋にいるわけにはいかない。
足手まといにも、邪魔ものにもならないように。リッカの側にいられるのなら、どれだけ高度な魔法だって使えるようになってみせる。
昔は恐々とオブシディアンの手元を見ていたセラたちも、今ではもう、オブシディアンがいる光景も見慣れたものと受け止めている。
(どうか、苦しまないで、リッカ)
リッカの、氷のように冷たい手をそっと握った。自分の頬に押し当て、息を吐く。
いつも驚くほど高い熱が出るのに、リッカの手足はいつでも冷たい。血が通っていないのかとまで思ってしまう。
(精霊様、どうかリッカを助けてください)
自分の体温を分け与えるように、優しく強く握り締める。
(僕に、リッカの苦しみが移ればいいのに)
(呪われたのが、僕であれば良かったのに――)
自分が痛かったり、苦しかったりするのは耐えられる。
でも、愛する妹が苦しんでいる姿を見ていると、簡単に心が折れそうになる。
目の端から涙が溜まって、溢れ落ちそうになる。
リッカが死んだら、どうしよう。
そんな仮定を考えるだけで、心の底に穴が開く。
ぽっかりと冷たい空間に、ただそのまま堕ちていくような――
「……おにぃ、さま?」
微かな声に、はっと目を開けた。
「リッカ!」
リッカの綺麗な赤い瞳は、熱のせいか潤んで薄膜を帯びている。
オブシディアンの頬に触れたリッカは、ほんのりやわく微笑んだ。
「泣かないでください、お兄様……」
リッカの冷たい指先が、オブシディアンの目元をくすぐる。弾みでほろりと涙の粒がこぼれた。
「……泣いてない」
強がりでしかないオブシディアンのそんな言葉に、リッカはあわく笑ってみせた。
全てを包み込むような、慈愛の籠った微笑み。儚くて、それでいて泣きたくなるほど綺麗な笑顔だった。
「だいじょうぶ……大丈夫です、お兄様……わたしは、大丈夫ですから」
――そうやって、お前はいつも。
「大丈夫……すぐに、元気になりますから……心配しないで、大丈夫です……」
本当に、嫌になるくらい、いつだって。
「お兄様こそ、ちゃんと眠ってください……ちゃんと、ご飯食べてますか……?」
どうしていつだって、他人の心配ばっかりするんだ。
お前の方が苦しいはずなのに。
お前の方がしんどいはずなのに。
どうして、全てに耐えて笑ってみせる。
「どうして……」
苦しいよって言ってくれ。
痛いよって泣いてくれ。
弱音を吐いて、縋ったっていい。
だから、たった一人で耐えないで。
「わたしは、大丈夫ですから」
リッカはオブシディアンの頭を撫でた。
優しく、そっと。
腕を上げていることも苦痛なのか、やがてその手は力なく、毛布の上に落ちてしまう。
「……大丈夫って言わなくて、いいんだよ……」
痛い時は痛いと言って、苦しい時は苦しいと言って。
それでいいのに、リッカはただ、困ったように笑うだけだ。
ふ、と、疲れたようにリッカの瞼が落ちていく。
思わず一瞬慌てるも、呼吸は前より安定していた。
はぁ、とオブシディアンは安堵の息を吐く。
リッカの手を、再び強く握りしめた。
薄くて小さい華奢な手のひら。重たいものなんて持てるわけもない、オブシディアンが力を込めたらそのまま壊れてしまいそうな、か弱い手。
こんなにも弱々しいのに、どうしてリッカは強いのだろう。
いつも明るく振る舞っては、ただ前だけを見つめている。
『呪いを解く』という強い心で、なんだってやってみようとする。
そんなリッカに引きずられるように、父もシギルもナナリーも、リッカに協力してくれるようになった。
その明るさは、かつてのリッカとは真逆のもので――
(……あれ?)
そう言えば、どうしてリッカはいきなり明るくなったのだろう?
思い返せば、これまでのリッカは、あまり笑わない覇気のない子だった。
いつもベッドの上から、ぼうっと外を眺めていて。促されないと、ベッドから降りようともしないような、そんな儚い少女だった。
リッカの侍女たちも、そんなリッカの様子を怖々と見ていて――オブシディアンだって、気を揉んだのは一度や二度ではない。
それが、今や。
父に会いに『当主の間』へと赴き、地下書庫に行ってみたいと言い、第五分家の屋敷へ行く時も心の底から楽しそうだった。
そもそもこれまでのリッカなら、シリウスに会ってみたいなんてことも、自分から言い出すものだろうか?
(ここ最近、珍しく元気なものだと、そう思っていたが――)
まるで――そう、まるで。
人格が変わってしまったようじゃないか?
(何を、馬鹿なことを)
慌てて頭を振る。
そんなヘンなこと、あってたまるものか。
リッカは、リッカだ。
オブシディアンにとって、たった一人の愛しい妹。
「……リッカ」
そっと、妹の名前を囁く。
その返事は、当然なかった。
翌日――というよりも当日の夜には、リッカは熱を出して寝込んでしまった。
荒い呼吸に、高い熱。意識もないのに、時折引き攣るように身を捩っては苦しみ続ける。
そんなリッカを見ていると、こちらまで身が引きちぎられる思いになった。
セラを含めたリッカの侍女、第四分家の彼女らに混じって、オブシディアンも治癒の陣を重ねがけする。何もできない邪魔ものが、リッカの部屋にいるわけにはいかない。
足手まといにも、邪魔ものにもならないように。リッカの側にいられるのなら、どれだけ高度な魔法だって使えるようになってみせる。
昔は恐々とオブシディアンの手元を見ていたセラたちも、今ではもう、オブシディアンがいる光景も見慣れたものと受け止めている。
(どうか、苦しまないで、リッカ)
リッカの、氷のように冷たい手をそっと握った。自分の頬に押し当て、息を吐く。
いつも驚くほど高い熱が出るのに、リッカの手足はいつでも冷たい。血が通っていないのかとまで思ってしまう。
(精霊様、どうかリッカを助けてください)
自分の体温を分け与えるように、優しく強く握り締める。
(僕に、リッカの苦しみが移ればいいのに)
(呪われたのが、僕であれば良かったのに――)
自分が痛かったり、苦しかったりするのは耐えられる。
でも、愛する妹が苦しんでいる姿を見ていると、簡単に心が折れそうになる。
目の端から涙が溜まって、溢れ落ちそうになる。
リッカが死んだら、どうしよう。
そんな仮定を考えるだけで、心の底に穴が開く。
ぽっかりと冷たい空間に、ただそのまま堕ちていくような――
「……おにぃ、さま?」
微かな声に、はっと目を開けた。
「リッカ!」
リッカの綺麗な赤い瞳は、熱のせいか潤んで薄膜を帯びている。
オブシディアンの頬に触れたリッカは、ほんのりやわく微笑んだ。
「泣かないでください、お兄様……」
リッカの冷たい指先が、オブシディアンの目元をくすぐる。弾みでほろりと涙の粒がこぼれた。
「……泣いてない」
強がりでしかないオブシディアンのそんな言葉に、リッカはあわく笑ってみせた。
全てを包み込むような、慈愛の籠った微笑み。儚くて、それでいて泣きたくなるほど綺麗な笑顔だった。
「だいじょうぶ……大丈夫です、お兄様……わたしは、大丈夫ですから」
――そうやって、お前はいつも。
「大丈夫……すぐに、元気になりますから……心配しないで、大丈夫です……」
本当に、嫌になるくらい、いつだって。
「お兄様こそ、ちゃんと眠ってください……ちゃんと、ご飯食べてますか……?」
どうしていつだって、他人の心配ばっかりするんだ。
お前の方が苦しいはずなのに。
お前の方がしんどいはずなのに。
どうして、全てに耐えて笑ってみせる。
「どうして……」
苦しいよって言ってくれ。
痛いよって泣いてくれ。
弱音を吐いて、縋ったっていい。
だから、たった一人で耐えないで。
「わたしは、大丈夫ですから」
リッカはオブシディアンの頭を撫でた。
優しく、そっと。
腕を上げていることも苦痛なのか、やがてその手は力なく、毛布の上に落ちてしまう。
「……大丈夫って言わなくて、いいんだよ……」
痛い時は痛いと言って、苦しい時は苦しいと言って。
それでいいのに、リッカはただ、困ったように笑うだけだ。
ふ、と、疲れたようにリッカの瞼が落ちていく。
思わず一瞬慌てるも、呼吸は前より安定していた。
はぁ、とオブシディアンは安堵の息を吐く。
リッカの手を、再び強く握りしめた。
薄くて小さい華奢な手のひら。重たいものなんて持てるわけもない、オブシディアンが力を込めたらそのまま壊れてしまいそうな、か弱い手。
こんなにも弱々しいのに、どうしてリッカは強いのだろう。
いつも明るく振る舞っては、ただ前だけを見つめている。
『呪いを解く』という強い心で、なんだってやってみようとする。
そんなリッカに引きずられるように、父もシギルもナナリーも、リッカに協力してくれるようになった。
その明るさは、かつてのリッカとは真逆のもので――
(……あれ?)
そう言えば、どうしてリッカはいきなり明るくなったのだろう?
思い返せば、これまでのリッカは、あまり笑わない覇気のない子だった。
いつもベッドの上から、ぼうっと外を眺めていて。促されないと、ベッドから降りようともしないような、そんな儚い少女だった。
リッカの侍女たちも、そんなリッカの様子を怖々と見ていて――オブシディアンだって、気を揉んだのは一度や二度ではない。
それが、今や。
父に会いに『当主の間』へと赴き、地下書庫に行ってみたいと言い、第五分家の屋敷へ行く時も心の底から楽しそうだった。
そもそもこれまでのリッカなら、シリウスに会ってみたいなんてことも、自分から言い出すものだろうか?
(ここ最近、珍しく元気なものだと、そう思っていたが――)
まるで――そう、まるで。
人格が変わってしまったようじゃないか?
(何を、馬鹿なことを)
慌てて頭を振る。
そんなヘンなこと、あってたまるものか。
リッカは、リッカだ。
オブシディアンにとって、たった一人の愛しい妹。
「……リッカ」
そっと、妹の名前を囁く。
その返事は、当然なかった。
0
あなたにおすすめの小説
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
「俺が勇者一行に?嫌です」
東稔 雨紗霧
ファンタジー
異世界に転生したけれども特にチートも無く前世の知識を生かせる訳でも無く凡庸な人間として過ごしていたある日、魔王が現れたらしい。
物見遊山がてら勇者のお披露目式に行ってみると勇者と目が合った。
は?無理
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
1つだけ何でも望んで良いと言われたので、即答で答えました
竹桜
ファンタジー
誰にでもある憧れを抱いていた男は最後にただ見捨てられないというだけで人助けをした。
その結果、男は神らしき存在に何でも1つだけ望んでから異世界に転生することになったのだ。
男は即答で答え、異世界で竜騎兵となる。
自らの憧れを叶える為に。
【長編版】悪役令嬢の妹様
紫
ファンタジー
星守 真珠深(ほしもり ますみ)は社畜お局様街道をひた走る日本人女性。
そんな彼女が現在嵌っているのが『マジカルナイト・ミラクルドリーム』というベタな乙女ゲームに悪役令嬢として登場するアイシア・フォン・ラステリノーア公爵令嬢。
ぶっちゃけて言うと、ヒロイン、攻略対象共にどちらかと言えば嫌悪感しかない。しかし、何とかアイシアの断罪回避ルートはないものかと、探しに探してとうとう全ルート開き終えたのだが、全ては無駄な努力に終わってしまった。
やり場のない気持ちを抱え、気分転換にコンビニに行こうとしたら、気づけば悪楽令嬢アイシアの妹として転生していた。
―――アイシアお姉様は私が守る!
最推し悪役令嬢、アイシアお姉様の断罪回避転生ライフを今ここに開始する!
※長編版をご希望下さり、本当にありがとうございます<(_ _)>
既に書き終えた物な為、激しく拙いですが特に手直し他はしていません。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
※小説家になろう様にも掲載させていただいています。
※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。
※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。
※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。
※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。
※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。
※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。
※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。
弟に前世を告白され、モブの私は悪役になると決めました
珂里
ファンタジー
第二王子である弟に、ある日突然告白されました。
「自分には前世の記憶がある」と。
弟が言うには、この世界は自分が大好きだったゲームの話にそっくりだとか。
腹違いの王太子の兄。側室の子である第二王子の弟と王女の私。
側室である母が王太子を失脚させようと企み、あの手この手で計画を実行しようとするらしい。ーーって、そんなの駄目に決まってるでしょ!!
……決めました。大好きな兄弟達を守る為、私は悪役になります!
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる