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第一章 ロードライトの令嬢

36 どうか、苦しまないで

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  やはりというか何というか、ロードライト第五分家パーピュアの屋敷へ出かけたことは、リッカの身体には相当な負担だったらしい。
 翌日――というよりも当日の夜には、リッカは熱を出して寝込んでしまった。
 
 荒い呼吸に、高い熱。意識もないのに、時折引き攣るように身を捩っては苦しみ続ける。
 そんなリッカを見ていると、こちらまで身が引きちぎられる思いになった。
 
 セラを含めたリッカの侍女、第四分家ヴァートの彼女らに混じって、オブシディアンも治癒の陣を重ねがけする。何もできない邪魔ものが、リッカの部屋にいるわけにはいかない。
 足手まといにも、邪魔ものにもならないように。リッカの側にいられるのなら、どれだけ高度な魔法だって使えるようになってみせる。
 昔は恐々とオブシディアンの手元を見ていたセラたちも、今ではもう、オブシディアンがいる光景も見慣れたものと受け止めている。
 
(どうか、苦しまないで、リッカ)
 
 リッカの、氷のように冷たい手をそっと握った。自分の頬に押し当て、息を吐く。
 いつも驚くほど高い熱が出るのに、リッカの手足はいつでも冷たい。血が通っていないのかとまで思ってしまう。

(精霊様、どうかリッカを助けてください)

 自分の体温を分け与えるように、優しく強く握り締める。
 
(僕に、リッカの苦しみが移ればいいのに)
 
 
 
 
(呪われたのが、僕であれば良かったのに――)
 
 
 
 
 自分が痛かったり、苦しかったりするのは耐えられる。
 でも、愛する妹が苦しんでいる姿を見ていると、簡単に心が折れそうになる。
 目の端から涙が溜まって、溢れ落ちそうになる。
 
 
 リッカが死んだら、どうしよう。
 
 
 そんな仮定を考えるだけで、心の底に穴が開く。
 ぽっかりと冷たい空間に、ただそのまま堕ちていくような――
 
 
「……おにぃ、さま?」
 
 
 微かな声に、はっと目を開けた。
 
「リッカ!」
 
 リッカの綺麗な赤い瞳は、熱のせいか潤んで薄膜を帯びている。
 オブシディアンの頬に触れたリッカは、ほんのりやわく微笑んだ。
 
「泣かないでください、お兄様……」
 
 リッカの冷たい指先が、オブシディアンの目元をくすぐる。弾みでほろりと涙の粒がこぼれた。
 
「……泣いてない」
 
 強がりでしかないオブシディアンのそんな言葉に、リッカはあわく笑ってみせた。
 全てを包み込むような、慈愛の籠った微笑み。儚くて、それでいて泣きたくなるほど綺麗な笑顔だった。
 
「だいじょうぶ……大丈夫です、お兄様……わたしは、大丈夫ですから」
 
 
 ――そうやって、お前はいつも。
 
 
「大丈夫……すぐに、元気になりますから……心配しないで、大丈夫です……」
 
 
 本当に、嫌になるくらい、いつだって。
 
 
「お兄様こそ、ちゃんと眠ってください……ちゃんと、ご飯食べてますか……?」
 
 
 どうしていつだって、他人の心配ばっかりするんだ。


 お前の方が苦しいはずなのに。
 お前の方がしんどいはずなのに。
 どうして、全てに耐えて笑ってみせる。
 
 
「どうして……」
 
 
 苦しいよって言ってくれ。
 痛いよって泣いてくれ。
 弱音を吐いて、縋ったっていい。
 
 
 だから、たった一人で耐えないで。
 
 
「わたしは、大丈夫ですから」
 
 
 リッカはオブシディアンの頭を撫でた。
 優しく、そっと。
 腕を上げていることも苦痛なのか、やがてその手は力なく、毛布の上に落ちてしまう。
 
「……大丈夫って言わなくて、いいんだよ……」
 
 痛い時は痛いと言って、苦しい時は苦しいと言って。
 それでいいのに、リッカはただ、困ったように笑うだけだ。
 
 ふ、と、疲れたようにリッカの瞼が落ちていく。
 思わず一瞬慌てるも、呼吸は前より安定していた。
 はぁ、とオブシディアンは安堵の息を吐く。
 
 リッカの手を、再び強く握りしめた。
 薄くて小さい華奢な手のひら。重たいものなんて持てるわけもない、オブシディアンが力を込めたらそのまま壊れてしまいそうな、か弱い手。
 
 こんなにも弱々しいのに、どうしてリッカは強いのだろう。
 
 いつも明るく振る舞っては、ただ前だけを見つめている。
『呪いを解く』という強い心で、なんだってやってみようとする。
 そんなリッカに引きずられるように、父もシギルもナナリーも、リッカに協力してくれるようになった。
 その明るさは、かつてのリッカとは真逆のもので――
 
 
(……あれ?)
 
 
 そう言えば、どうしてリッカはいきなり明るくなったのだろう?

 
 思い返せば、これまでのリッカは、あまり笑わない覇気のない子だった。
 いつもベッドの上から、ぼうっと外を眺めていて。促されないと、ベッドから降りようともしないような、そんな儚い少女だった。
 リッカの侍女たちも、そんなリッカの様子を怖々と見ていて――オブシディアンだって、気を揉んだのは一度や二度ではない。
 
 それが、今や。
 父に会いに『当主の間』へと赴き、地下書庫に行ってみたいと言い、第五分家の屋敷へ行く時も心の底から楽しそうだった。
 そもそもこれまでのリッカなら、シリウスに会ってみたいなんてことも、自分から言い出すものだろうか?
 
(ここ最近、珍しく元気なものだと、そう思っていたが――)
 
 
 まるで――そう、まるで。
 人格が変わってしまったようじゃないか?


(何を、馬鹿なことを)


 慌てて頭を振る。
 そんなヘンなこと、あってたまるものか。

 リッカは、リッカだ。
 オブシディアンにとって、たった一人の愛しい妹。

 
 
「……リッカ」
 
 そっと、妹の名前を囁く。
 その返事は、当然なかった。
 
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