お兄様、闇堕ちしないって本当ですか!?

由原靜

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第一章 ロードライトの令嬢

48 ご褒美とお願い

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「というわけで、リッカ様。ご褒美にビンタして頂けませんか?」

 満面の笑みを浮かべるシギルに、わたしは思わず頬を引き攣らせた。

 わたしを呪った犯人、ヨハン・ワイルダーの行方が分かったと知らせを受けて、今日でおよそ三日が経った。
 犯人確保に対し、シギルは大活躍してくれたらしい。知らせを受けた場所へ向かい、犯人を取り押さえて、そのまま無事に«魔法使いだけの国»ラグナルへ連れ帰ってくる。
 一大仕事を一人でこなしてくれたシギルに対し、恩を感じる気持ちは、もちろんある。わたしがあげられるものなら、何だってあげてもいいくらいだ。

「……でも……ビンタはさ……報酬として違くない……?」

 むしろ罰じゃない?
 しかしシギルは「報酬ですよ! 私にとっては!」と強く主張する。

「いや……でもさ……」

 渋るわたしに、それでもシギルは食い下がってくる。

「ではリッカ様は、功を挙げた臣下に対して褒美を与えてくださらないと仰るので? あーあ、私、リッカ様のために頑張ったのになー。身も粉にして働いたのになー。……リッカ様は私の労を認めてはくださらないんですね……私は悲しいです……」

「うぅっ、罪悪感に訴えかけてくるのはやめてくれないかなぁ!?」

 わたしだって感謝の気持ちはあるんだよ!

「では!」

「では!」じゃねぇよ。身を乗り出すな。

「……っく、う……」

 躊躇いながらも右手を持ち上げた。途端、シギルは期待に満ちた顔をする。
 その顔は心底の喜びを表していて、普段は鉄仮面な微笑みを鎧のように張り付けている分、なんだか新鮮で魅力的だった。
 魅力的なのは、良いんだけど……なんでこんな時に限って、そんなに表情豊かなんだろうなぁ!

「…………っ」

 ぎゅっと目を瞑った。意を決して振り下ろそうとしたその手を、ふと誰かが押し留める。

「お嬢様、お嬢様の手を汚す必要はありませんよ」

「せ、セラぁ……」

 わたしににっこりと笑いかけたセラは、シギルに極寒の眼差しを注ぎながら「はい」と何かをわたしに握らせた。ん? と首を傾げて、手の中にあるものを見る。
 紙をじゃばらに折り、持ち手の部分をテープで巻いて握りやすくなったそれは、何故だかとっても見覚えがあった。
 セラを見上げ、わたしは尋ねる。

「……セラ、これは何?」

「東洋に伝わるシバき用武具、その名も『ハリ・セン』と言うものらしいです!」

「…………」

「いったー!? お嬢様、一体何をなさるのですか!?」

 何をなさるも何も、当然のシバきだよ。

 セラはハリセンが振り下ろされた頭頂部を押さえているが、実際は音が派手なだけで痛みはさほどでもない。

 セラの頭をぺちんとした続きで、未だ待機しているシギルの頭もぺちんとした。大した力じゃないし、素手でやるのと威力もさほど変わらないだろうから、これで許してもらいたい。

「……えぇ……」

 それでも不満げなシギルのほっぺを、わたしはむんずと掴んだ。驚いたようにシギルの目が見開かれる。

 むにょーんとほっぺを伸ばしてはこねくり回す。男性らしく、シギルの頬にはあまり肉が付いていないため、子供のほっぺと比べると伸びが悪い。

 しばらくむにょむにょと遊んでは、手を離した。シギルがちょっとどう反応したらいいのか分からないような微妙な顔で固まっているのが、なんだか愉快だ。
 そのままわたしは、シギルの頭を軽く撫でる。

「全くもう、素直にお礼くらい言わせてよ。……ありがとう、シギル」

 薄い金髪は、見た目通りさらさらとしていて手触りが良い。兄の髪は真っ直ぐで艶がある、少し硬めの髪質だけれど、シギルの髪は柔らかくて、少しふわふわとしていて暖かい。
 ……あ、昔飼ってた犬の手触りと似てる。ちょっぴり。

 気が済むまでもふもふした後、満足して手を離した。シギルはしばらく凍りついた表情で呆然とわたしを見つめていたが、やがてすぅっと青ざめると、勢いよく後ずさる。

「……っ、失礼……」

 そのままシギルはふらふらと扉の方へ向かうと、そのまま部屋の柱に向かって強く頭を打ちつけた。ガツンと重たい音が部屋に響くので、わたしは思わずひぃっと喉を鳴らす。

「し、シギル!? どうしたの!?」

 慌ててベッドから立ち上がろうとしたわたしを、セラはそっと押し留めた。

「お嬢様、お気になさらないでください。許容量を超えた幼女趣味ロリコンが爆発しただけですので」

「許容量を超えたロリコンが爆発っ!?」

 それはそれで、本当に大丈夫なのか!?

 二回、三回、四回と、そのままの勢いで頭を打ちつけたシギルは、そこでふぅっと大きく息を吐いては、先ほどと変わって随分スッキリした顔で戻ってきた。その額から血が流れているのを見て、わたしは思わず青ざめる。

「シギル、頭大丈夫……?」

「いいえお嬢様、アレは立派な病気です。不用意に近付かれない方がよろしいかと」

 セラがきっぱりと断言する。そうじゃないよ! いや、そうかもしれないけど!
 わたしが傍らに置いていたハリセンを拾ったセラは、空中に魔法陣を描くと、ため息をついてシギルの頭を軽く叩いた。瞬間、緑の光が辺りに散る。そして次に見たときには、シギルの額の傷は綺麗さっぱり消えていた。

「シギル、お嬢様を無闇に脅かさないでくださいね」

 セラがにっこり微笑む。なかなか凄みのあるにっこりだ。
 シギルも同じくにっこりで返す。

「ありがとうございますセラ様。いやはや年甲斐もなくはしゃいでしまってすみませんね」

「うふふ、大丈夫ですよ。ですがあまり度が過ぎるようですと、ご当主様にご報告する羽目になりますので、ご注意くださいませ?」

「あぁ、それは困りものですね。ただでさえ次期当主のオブシディアン様には目を付けられているというのに、今度こそ本当に殺されてしまうかもしれません。全く、リッカ様は人たらしですね」

「ですわねぇ。ひとえにお嬢様の人柄の良さ、人徳の為せる術と思いますが、しかしお呼びもしていない害虫が湧いてくることを思うと、程々に留めておいて頂きたいものですね」

「ははは、流石、セラ様は手厳しいな」

 あはははは、うふふふふ。……と、笑い合う二人。
 セラもシギルも綺麗な顔をしているから、美男美女の二人が並べばすっごい眼福なはずなのに、なんだろう……全然和まないなこの光景……。
 うぅっ、見てるだけで、不思議な寒気が。

「なんか、二人ともいつの間にか仲良くなったよね……」

 セラ、最初はシギルのことを怖がってるというか、割と畏怖してた気がするのだけど。
 まぁあの頃はわたしも父と仲良くなんてなかったし、本家当主である父の従者なんて、確かにちょっと距離感じちゃってたのかもしれない。

 と、そこでセラがずずいっと顔を寄せてきた。

「お、じょ、う、さ、まー?」

「は、はいぃっ!?」

「お嬢様がっ! 色々と無茶を仰る分っ! コイツとの連携が必要不可欠になってきてしまうんですよっ!!」

「い、いひゃいいひゃい! ほっぺのばしゃないで!」

 コイツって言っちゃったよ、とうとう。
 シギルもシギルで「リッカ様。私とセラ様の間にロマンスは生まれませんので、ご心配なさらず」と飄々としている。全く。

「……でも、これで万事解決……という訳ではないんですよね」

 わたしの頬から手を離したセラは、そう呟いて軽く眉を寄せた。

「お嬢様の呪いの解除方法を聞き出して、正確に解かないといけません。必要な呪具があれば用意をしなければなりませんし、そもそも呪いは、掛けるよりも解く方が難しいのですから」

「えぇ、その通りです」

 シギルも静かに頷く。

「ヨハン・ワイルダー……リッカ様を呪った犯人を捕らえて、本日で三日が経ちました。その間あの男は、自白剤が入っているのを恐れてか、水すら一度も口にしていないという状況のようです。ラグナルに連れて来られてからというもの、あの男はずっと無言を貫き通しています」

「水すら……!?」

 人間って、水飲まないと死んじゃうんじゃないっけ?
 思わず声を上げたわたしに対し、シギルはゆっくりと頷いてみせた。

「えぇ。ですので、な尋問は本日で一度区切りとし、明日からはな尋問に着手する予定です」

 ――『人道的』と『本格的』。
 その違いが分からないほど、わたしはもう、ロードライトについて無知ではなかった。

「良いですよね? リッカ様」

 そう言って、シギルはわたしを見下ろしわらう。
「分かっていますよね?」と、言わんばかりに。

 分かっている。
 聞き出さないと、わたしの命は助からない。
 わたしだって自分の命は大切だ。甘っちょろいことは言っていられない。

「……分かってる。……でも、二つお願いがあるの」

 きっと顔を上げ、シギルを見据えた。

「ヨハン・ワイルダーの家族には、手を出さないで。あくまでも、わたしを呪ったのはヨハン一人。は、必要ない」

 シギルはゆるりと目を細める。

「果たしてそれは、リッカ様がお決めになることでしょうか?」

「わたしにも、決める権利はあるはずだよ。だって、呪われたのはわたしだもの」

 胸に手を当て、拳を握った。

「……いや、むしろわたし以外に、決める権利がある人はいないと思うよ。だって一番の当事者、呪われた張本人であるリッカ・ロードライトが『赦す』と言っているんだもの。だからロードライトも、わたしの言うことに従うべきだ」

 しばし、シギルと睨み合うような状態になる。
 先に目を逸らしたのは、シギルの方で。

「……承知しました。善処はします」

「……ありがとう……」

 ほっと胸を撫で下ろした。
 そこを見逃すシギルではない。すかさず、わたしに釘を刺してくる。

「善処はしますが、しかしそれでもあの男が強情に口を割らなければ、我々は家族を盾にして、あの男を脅しますからね。我々にとってはあの男の家族より、リッカ様の方が何倍も重要で、大事なのですからね」

「うん、分かってるよ」

 この辺りが妥協点だろう。わたしだって命は惜しい。
 ふぅと小さく息を吐いたシギルは、ふと思い出したように口を開いた。

「そう言えば、リッカ様。『二つお願いがある』と仰いましたよね。今の、『ヨハン・ワイルダーの家族に手を出すな』が一つとして、ではもう一つは?」

「あぁ、うん。あのね」

 軽く小首を傾げた。
 出来るだけ可愛らしく――それでも、精一杯の品格を込めて。
 わたしは、出来る限りの『お願い』をする。


「わたしを、ヨハン・ワイルダーに会わせなさい」
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