お兄様、闇堕ちしないって本当ですか!?

由原靜

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第一章 ロードライトの令嬢

47 犯人確保

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 片耳に挿した通信装置から届く声、その指示を聞きながら、ロードライト第六分家セイブル当主シギル・ロードライトは空を駆けた。
 アスファルトで塗り固められた地面と、密集して建てられた家々。天にも届かんとする高層ビル群に、喧しく走る自動車達。

「相変わらず、凄い人の量だな……」

 «魔法使いだけの国»とは比べ物にならないほど多くの人々が、足早に通りを行き交っている。
 そんな彼らを眼下に見ながら、シギルは箒の柄を掴み直した。ノイズ混じりの通信に眉を寄せつつ、通信装置に片手を当てる。

「……え? あぁ、すみません、通信の調子が悪くって……エーテルも精霊も足りてないからですかね? 飛んでてもたまに、何かに引っ張られるような浮遊感があって……電波デンパ? 何です、それ? はぁ、そいつが魔法と相性が悪いんですか? ……あぁいいです、全く、第三分家アジュール様の仰ることはややこしくていけません」

 夜になっても灯りは絶えない。地上にも地下にも鉄道が張り巡らされていて、時間に急かされるように、人はこぞって足を早めている。
 人間たちの進歩は早いなと、どこか他人事のように思った。

 事実、他人事なのだ。«魔法使いだけの国»で生きている限り、国外のことなど気にする必要もなく一生を終える。それが、大多数の魔法使いが辿る生き方というものだった。
 シギルだって、リッカを呪った男が国外にいるなどといった話を聞かされていなければ、国外に出ることはおろか、国外事情に関心を持つこともなかっただろう。

 ――そう、リッカがいなければ。

 リッカ・ロードライト。
 ロードライト先代本家当主、アリア・ロードライトの娘であり、同時にアリアが犯した罪の象徴でもある、幼く儚い可憐な少女。呪いに冒された身であれど、その眼差しには力があり、その言葉には意志がある。

 触れただけでそこから壊れてしまいそうな線の細さと、鈴の鳴るような高く甘い声。か弱く華奢な外見と裏腹に、その内側にあるものは、どうやらただの少女というわけではないらしい。

 あの少女に、やかましく周囲を飛び回るハエを見るような眼差しで射抜かれたい。
 嫌悪を露わにした表情で、吐き捨てるように言葉を吐かれたい。
 ――なんだかんだで、彼女は根が優しく善良だから、シギルが望むようなことはしてくれないのだろうけど。

「あぁ、でも、私がリッカ様を呪った男を捕らえた暁には、踏んで欲しいとまでは望まないものの、褒美として、また頬にビンタくらいはしてくれないでしょうかね……」

 押しには強くなさそうなので、頼み込めばやってもらえる可能性はある。その時にリッカが浮かべるであろう戸惑い、未知の者(=シギル)に対する恐怖とドン引きの顔を思うと、えも知れぬ感情で、思わず胸の奥が熱くなる。

「……え? あぁ、すみません、うっかり口に出していたようで……変態? やだな、手を出しはしませんよ。ノー・タッチ・幼女ですので。で、あの男の行方は……ブリッジストーン通り? あの、地名じゃなくって方角で言ってもらえません? 特徴的な建物なんて言われましても、全部同じに見えるんですよ」

 たとえ誰かが空を見上げたとしても、『目くらまし魔法』を掛けているシギルの姿を見ることはできないだろう。
 鳥よりも早い速度で飛びながら、シギルは辺りを見渡した。

「……あぁ、あぁ、見つかりました」

 通りを歩く一人の男、ヨハン・ワイルダーの姿を捕捉して、シギルは箒を急停止させた。しばらく空中でホバリングする。«魔法使いだけの国»にいた頃と容貌を変えた形跡もないため、探し当てるのに苦労はしなかった。

「それでは、どうもありがとうございました。後はこちらで対処します……えぇ、ご心配には及びません。恐らくは簡単に終わりますので」

 通信装置から手を離すと顔を上げる。目を細めて、シギルはしばらくヨハンを観察した。
 第三分家の見立て通り、ヨハンを護るような魔術結界は張られていないようだ。頭上を飛ぶシギルに気が付く様子もない。

 他の人間たちと同じように身に纏ったスーツに、こざっぱりと整えられた頭髪。高級感はないものの、丁寧に手入れされたと分かる服装。
 どうやらヨハンはこちらの世界で所帯を持ったらしい。妻の情報、子の情報、つい先程調べられたばかりの情報が、通信装置を通じて次から次へと舞い込んでくる。

 それらを聞き流しながら、シギルは懐から魔法陣が描かれた札を取り出した。ヨハンが人気のない場所へ行くのを待つ。
 しばらくして、ヨハンが裏路地へと入って行った。万が一逃げ出されることのないように、ヨハンの半径数メートルに結界を張る。
 狙いを定めて魔力を放てば、魔力は銀の軌跡を描いては、いとも簡単にヨハンを捕縛した。

 あまりにも呆気ない『終わり』だった。
 不可視の糸に絡め取られ、ヨハンは不意を突かれてすっ転ぶ。

「これだけ歯応えがないと、何だかリッカ様が無駄に苦しまれたように思えて、何だか虚しいですねぇ……」

 思わずそう一人ごちた。
 箒を蹴って飛び降りると、音も立てずに地面に降り立つ。

「――魔法使いが人里へ降り立って、一体どうやって周囲に溶け込んでいるのか疑問でしたが……案外似合っているじゃありませんか、ねぇ? ヨハン・ワイルダーさん?」

 間違いがあっては大ごとだ。地に伏してもがくヨハンを見下ろし、顎を蹴り上げては風貌の再確認をした。念のために魔法解除の魔法陣を施しては、写真と見比べ、同一人物かの最終チェック。

「えぇ、間違いないようですね。全く手間取らせてくれました、貴方、全然魔法使ってくれないんですもの。そりゃあ、魔法探知に引っかかってくれないわけですよね」

「……まさか、お前、ラグナルの手の者か……」

 くぐもった呻き声。
 一度冷めた眼差しを送ったシギルは、その口端を吊り上げた。

「家庭を持ち、大事なものが出来た後に、過去の罪に捕捉されるなんて……貴方も可哀想な人ですね」

 ヒッとヨハンの喉から怯えた声が溢れた。
 身を捩って逃げようとするヨハンの背中を、踵で踏み締める。

「何処へ行かれるつもりでしょう? まだ、聴取は終わっていません、よ――!?」

 背中を踏んでいたと、そう思っていた足が掬い取られた。
 手も使わず、ヨハンは器用に束縛を振り解いては立ち上がる。強くタックルされて身体が浮いた。狭い路地裏の壁に叩きつけられる。
 思わず呻いたシギルの隙を付いて、ヨハンは脇目も振らず駆け出した。チッと舌打ちをし、シギルも後を追う。

 ――いくら逃げたところで、魔法結界に阻まれるから意味はない。 
 そう楽観していたシギルだが、ふと煌めいた銀色に視線が奪われた。

 投擲されたナイフが、シギルの眼球狙って飛んでくる。咄嗟に避けたところで、ふと頭上に暗い影が差した。

「…………っ!」

 間一髪。
 ヨハンの飛び蹴りを髪の毛数本の余地で躱したシギルは、不可視の糸を手繰り取り、再びヨハンを地に伏せさせる。
 もう逃げようという気も起こさせないほどに、二重、三重と魔法を掛けると、観念したようにヨハンは動かなくなった。

「見逃してくれ……」

 か弱い声が、ヨハンの口から溢れる。

「もう、«魔法使いだけの国»に戻るのは御免なんだ……」

「そうですか」

「許されないことをしたのは分かってるが、仕方のないことだったんだ……見逃してくれ……」

「そうですか」

「俺にはもう、この世界で家族がいるんだ……家で妻と娘が、俺の帰りを待ってるんだ…… どうして、今更……」

「そうですか」

「頼む! 何だってする……家族も、俺が魔法使いだってことを知らないんだ……だから」

 シギルは軽く目を細めた。

「言いたいことは、それだけですか」

「……あ……」

 ヨハンはがっくりと項垂れる。
 そんな彼を横目に見ながら、シギルは耳の通信装置に手を当てた。

「……任務完了。帰還しますと、そう我が主人にお伝えください。あと、牢の準備をお願いしますね」

 まだ空中を浮遊していた箒を呼び寄せる。柄に括り付けていたアタッシュケースを手に取ると、地面に置いて蓋を開けた。
 奥に広がるのは、真っ暗な深淵。底の見えない漆黒に、ヨハンが身を震わせる。

「待って……家族が……」

「……アリア様にも、守りたい家族がいましたよ」

 静かに呟いた。ヨハンは目を瞬かせ、シギルを見上げる。

「アリア……まさか、ロードライトの……?」

「えぇ、貴方が呪った赤子の母親ですよ。ですが、アリア様の名をその汚い口で呼ばないで頂けますか? なんだか穢された気分になりますので」

 そう吐き捨てれば、ヨハンは恐れをなしたように顔を俯かせた。何事かを噛み締めるように、数度「俺が……呪った……俺が……」とうわ言を呟いている。

「これから貴方をラグナルに輸送します。洗いざらい吐いて頂きますので、お覚悟の程よろしくお願いしますね」

「……た、頼む……せめて家族には……家族だけは、何もしないでくれ……!」

 こいねがうような眼差しで、ヨハンはシギルを見上げた。

「俺だけの罪なんだ、家族は関係ない……! 妻も、娘も、何も罪はないんだ……お願いだ、二人だけには手を出さないでくれ……」

 もし、手足が自由であったならば、ヨハンはシギルの足元に縋り付いていただろうか。それほどまでの勢いで、人が変わったように彼はシギルに訴えかける。

 あぁ、なんと哀れなことか。そう考えながら、シギルは軽く腰を曲げてヨハンと目を合わせた。

「今更そんなことを仰るくらいなら、初めからロードライトに手など出さなければ良かったのに」

 一度敵と見做した相手に対し、ロードライトは容赦ない。
 今更、身内に累が及ぶことに怯えるくらいなら、初めから大人しくしておけば良かったものを。

「ロードライトの姫君に手を出した罪を、心の底から悔いてくださいね」

 ヨハンの腰の辺りを掴むと、そのままアタッシュケースの奈落に放り込む。パタンと蓋を閉め、鍵をかけると、ふとシギルは息を吐いた。

 ――あぁ、終わった。
 リッカを苦しめていたもの全てが、これで、終わったのだ。

 空を仰ぐ。

「……アリア様を手に掛けた私の罪も、これで少しはあがなうことが出来たでしょうか」

 眩い光に目を細めて、ひとり、シギルは呟いた。
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