お兄様、闇堕ちしないって本当ですか!?

由原靜

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第一章 ロードライトの令嬢

55 ゆびきりと面会

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「……落ち着いたか?」

 散々な泣き言を一通り喚き終わってぐったりしたわたしに、兄はそっと声を掛けてきた。「ひゃい」と情けない返事をする。

 普通に抱き締められていたものだと思っていたけれど、いつの間にか、兄にほとんど全体重を預ける格好になっていたらしい。慌てて身を起こそうとしたが、わたしの意思とは反対に、腕と足には全然力が入ってくれなかった。

「熱が出たな。すまない、疲れさせた」

 わたしの首筋に手を当てた兄は、そう言ってわたしを抱き上げる。道理で、さっきから頭がぼうっとするはずだ。

「大丈夫、ですよ……」

「リッカ、これから『大丈夫』は禁止だ。お前の大丈夫は一切信用できないからな。いいな?」

「うっ……はぁい」

 一度わたしをベッドに下ろすと、兄は大股で前いたところに戻っていった。どうしたのかと何とか首を回して見れば、クローゼットの前に再び立った兄は、そのままネクタイを手に取り結び始める。

 ……そうだ、お着替えの真っ最中でしたね。邪魔しちゃってゴメンナサイ。

「お前の部屋に戻るぞ。セラにも、ここに来ることは言ってないんだろう? 早く戻らないと心配させる」

「はい……お兄様、目が赤いですよ」

「バカ。お前もな」

「わたしのは、元からです」

 やがて普段の装いで戻ってきた兄は、わたしをお姫様抱っこすると部屋を出る。耳のすぐそばで、兄の心臓の鼓動が聞こえた。その鼓動の音に耳を澄ましていると、奇妙に脈打つ自分の心臓も、徐々に落ち着きを取り戻すのが分かる。

 人気のない廊下を運ばれながら、わたしは兄に話しかけた。

「……お兄様に、諦める気がないのは、分かったんですけど……それでも、どうしようもないことは、あると思います」

 兄は黙ってわたしを見る。蒼の瞳がすぅっと細まったのを見て、わたしは慌てて言葉を付け加えた。

「違うのっ、諦める気は無くて……無いんですけど。でも、お兄様。一つ約束してください」

「何だ?」

「わたしが死んだら自分も死ぬとか、わたしが死んだ後の世界に意味なんかないとか、そんなこと、もう言わないで欲しいんです」

 それだけは、絶対に譲れない。
 わたし以外に大事なものがないなんて、絶対に口にして欲しくない。

「それでも、もしお兄様が、わたしより大事なものがないって言うのなら。わたしが、お兄様の生きる理由になります」

「……僕の、生きる理由に?」

「お兄様がわたしを追って死のうとしたり、わたしを蘇らせようとしたりしたら、わたし、お兄様のこと、心の底から嫌いますから」

 口の端を吊り上げ、わたしは笑った。

「そんなことしたお兄様のことを、わたしは絶対に許しません。あの世で会ったって、口なんて聞いてやりませんので。お兄様は百歳まで生きて、孫やひ孫に囲まれて、笑ってその生涯を終えないといけないんです。それ以外の終わりは、絶対に許しません」

 ずっと、ずっと、見ていますからね。

「ですのでどうか、真っ当に生きてくださいね」

 兄はしばらく目を瞬かせていたが、やがてクスッと微笑み、前を向く。

「……それは、なかなか強烈だな」

 わたしの部屋の前では、セラとシギルが立っていた。わたしと兄の姿に気付いたセラは、慌ててこちらに駆け寄ってくる。

「お嬢様! 心配しました、坊っちゃまのところに行ってらしたんですね」

「心配かけてごめんなさい、セラ」

 兄は、わたしの身体をセラに手渡した。そこで、背後からシギルが声をかけてくる。

「次期当主様、そろそろ出発しようと思うのですが、よろしいですか?」

「あぁ。……すまない、少し待ってくれ」

 そう言うと、兄はわたしの顔を覗き込んだ。どうしたのかと、セラに抱かれたまま目をぱちぱち瞬かせていると、兄はわたしの目の前で、軽く小指を立ててくる。

「さっきの話。必ず守ると約束しよう」

「『ゆびきり』と言うんだろ?」との言葉に、思わず頬を緩めた。

「……えぇ。約束ですよ、お兄様?」

 小指を絡める。

「嘘ついたら針千本飲んでもらいますから」

「……一体どんな刑罰なんだ、それ?」

「……さぁ?」


 ◇ ◆ ◇


「ところで、次期当主様。先ほどは、リッカ様と何を話しておられたのですか?」

 ヴァルヌス監獄の中を歩きながら、シギルはオブシディアンに尋ねかけた。途端、前を行くオブシディアンから殺気混じりの魔力を向けられる。

「……別に。お前には関係ない」

 つっけんどんな声に、「そうですか」と思わず苦笑した。相変わらず、オブシディアンからは蛇蝎の如く嫌われている。

「そんなに殺気を飛ばさないでくださいませ。囚人たちを怖がらせてしまいますよ?」

「牢には魔力を通さぬよう、結界が張ってあると言ったのはお前だ」

「次期当主様なら、監獄の内側から破壊できちゃうでしょうよ」

 魔法使いは血で魔力を継承する。両親の魔力が強いほど、子供もより強い魔力を受け継ぐことになる。
『建国の英雄』を祖として持つロードライトもまた、他家より強い魔力を誇りとし、«魔法使いだけの国»の実質の筆頭格として、この国に君臨してきた。その直系として生を受けたオブシディアンもまた、ロードライトを率いるに足るだけの魔力を保有している。

『建国の英雄』御三家のうち他二家は、子孫を残せず、また時代の闇に消えて行った。順当に考えると、今現在この国で最も強い魔力を保有しているのは、先代当主であるアリアを母親に持ち、次期当主であるオブシディアンだ。

(――まぁ、リッカ様のことを加味すると『最も強い』という評価は覆るかもしれませんがね)

 ロードライトと同じく『建国の英雄』であるテレジア。その二家の血を引くリッカともなれば、もはや別格、規格外と言っていい。惜しむらくは、その魔力を扱えるだけの生命力が足りていないことだ。
 トリテミウスの学長が聞けば、どれだけ惜しむことだろう。ゆくゆくは、四大の精霊魔法すら容易に扱えるだけの逸材となるやも知れぬのに――

「あ、その角を左です」

「……チッ」

「あの、舌打ちで答えられると、流石に私も傷付きます」

「嘘をつけ」

「まぁ、嘘ですけど。……ですが、次期当主様? 貴方が早く従者を決めてくれさえすれば、わざわざ貴方も私などと行動を共にする必要もなく、また私も余計な仕事が増えずに済む、どちらにとっても良い結果となるはずなんですがね?」

 嫌味っぽくそう言ってみせると、オブシディアンからの殺気は目に見えて強まった。

「……ハッ。リッカの『お願い』だったら、何だって喜んで聞くくせに」

「次期当主様が幼女だったなら、私だってハイハイ言うこと聞きましたよ。羨ましいなら次期当主様も幼女になって出直してきてくださいませ」

 仕事と趣味では、モチベーションが全然違うのだ。趣味であれば時間外労働も厭わないが、仕事であれば業務時間内に済ませてしまいたい。

 ――もっとも、シギルにプライベートなんて無いけれど。
 に従者として膝をついた時点で、私事など全て売り払っている。

 オブシディアンが従者を付けることを厭う理由に察しは付く。第六分家セイブルに胡散臭さを感じる理由にも心当たりはある。
 それでも、オブシディアンがロードライトの次期当主である限り、この戒めが解けることはないだろう。むしろ成長するにつれ、より強く、その縛りを感じることになるはずだ。

「……早めに諦めてしまった方が良いですよ」

 前を歩いていたオブシディアンの肩がピクリと揺れた。それを見てやっと、今の内心を口にしてしまっていたことに気が付く。

「失礼しました。失言でした」

 目を伏せ、軽く頭を下げた。

「……諦めは、必要だろうか」

 思わず耳を疑う。まさか、オブシディアンから言葉が返ってくるとは思いもしていなかった。
 言葉を吟味している間、オブシディアンはぽつりと呟く。

「僕は、何も諦めたくない。リッカが死ぬことも、仕方ないの一言で済ませたくない。……母が死んだとき、周囲は僕に『仕方のないことだった』と言った。リッカが死んだときも、周囲はそう言うのだろうか。『リッカが死んだのは、仕方のないことだった』と」

「…………」

「何も、諦めたくないだけなんだけどなぁ……」

 シギルに聞かせるというよりは、まるで独り言のような調子だった。
 だからシギルも、口にしようとしていた言葉を途中で飲み込む。

 大人ぶっていても、まだ彼は、十歳の少年なのだ。

「……次期当主様。これは私の戯言ですので、聞き流してくださって構いません」

 無言のオブシディアンに、言葉の続きを許されたのだと解釈した。

「無論、どうしようもないことは、この世界に幾らでもありますが……本当に、幾らだってありますが。それでも、何もかもを諦め、受け入れると仰るには、まだ早いと思いますよ」

 ――『嫌です』と口にすることさえも許されなかった、あの頃の自分を思い出す。

「少なくとも、オブシディアン様は名門・ロードライトの次期当主でいらっしゃる。普通の者がどう足掻いても手に入れることが出来ないような、そんな力を持って生まれた存在なのです。……多少の理不尽、跳ね除けてしまえば良いではないですか。そのための力を、貴方は既に持っているでしょう?」

 軽く目を瞬かせ、オブシディアンは振り返った。
 足を止めたオブシディアンに対し、シギルは静かに微笑んでみせる。

「少なくとも、私だけは『リッカ様の命を諦めろ』とは言いませんよ。絶対に」

 少しの間黙ってシギルを見つめていたオブシディアンは、やがてぎゅっと眉を寄せ、目を眇めた。

「……下心が隠せてないぞ」

「そんなことないですよぉ」
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