お兄様、闇堕ちしないって本当ですか!?

由原靜

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第一章 ロードライトの令嬢

58 クリスマスプレゼント

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 窓越しに降り積もった雪を見つめながら、ミーア・ローウェルはむぅっと口を尖らせた。読みかけの児童書を放り捨て、暖炉に足を向けるとぱたぱたと遊ばせる。

「たいくつ……」

 外の天気は晴れ、時々雪。ちょっと寒くはあるものの、遊ぶには絶好の日取りだ。
 町から少し歩いたところには、森があって湖がある。冬の間は湖の表面が凍ってしまうので、スケートに持ってこいだった。近所の友達も、今日は湖まで遊びに出ているのだろう。

 去年までは、ミーアだって、こんな日には元気に外へ飛び出していたはずだ。
 この一年、イースターも海水浴もハロウィンも、何ひとつ、遊びらしいことをしていない。どうも、遊びたい気持ちになりきれない。

「……どれもこれも、お兄ちゃんのせいだ」

 深紅の髪の毛先をくるくると遊ばせながら、ミーアは膝を抱えて頭を埋めた。

「お兄ちゃんが、いなくなっちゃったせいなんだから」

 つけっぱなしのテレビから、クリスマスの特集が流れている。きらきらしたイルミネーションに、新作のおもちゃ。どれもこれも、心が全く惹かれない。

「お兄ちゃんの、ばーか。ばかばかばーか。知らないんだから」

 一年前の冬、兄は突然いなくなった。
 ある日、役人のような人たちが家まで来て、両親と話し合った後、兄だけを連れて行ってしまった。
 ただ、最後に、兄とクッキーの配分で大喧嘩したことを覚えている。
 もっと欲しいと喚く自分と、俺も食べるんだから半分こだと強い口調で言った兄。役人たちの前で泣き出したミーアに困った両親は、ミアを抱き抱えては、部屋の外に放り出した。それもまた悲しくて、悲しくて、なんだかずっと泣いていた気がする。

 やがて戻ってきた兄は、ミーアの前で膝をつくと「ごめんね」と言って、困った顔で笑った。

「さっきのクッキー、ミーアに全部あげる。これからは、おやつも全部ミーアが食べていいからさ」

 バイバイ、と。
 そう言って荷物をまとめた兄は、もう戻っては来なかった。

 クッキーはもう食べる気になれなくて、見ないふりをしていたら、いつの間にかカビが生えていて、母に怒られて捨てられた。
 あれだけ毎日、鬱陶しいと思っていたはずなのに。
 いざ居なくなった途端に寂しさが募るのは、一体どうしてなのだろう。

「……お兄ちゃんのクリスマスプレゼントだって、ちゃんと用意したのに……」

 星の形の銀飾りがついた革のブレスレットは、雑貨屋で思わず一目惚れしたものだ。母にねだると、母は少し悲しそうな顔をした後、何も言わずにミーアに買ってくれた。
 宛名のないプレゼントは、今もまだ、ミーアの学習机の中で眠っている。

 その時、階下で大きな音がした。家全体が揺れる音に、思わずびくっと身を起こす。

「えっ、な、何っ!?」

 今、この家にいるのはミーアだけだ。父も母も、仕事で病院に行っていて不在だった。

 慌てて部屋を出た。下からは、人の声が聞こえてくる。どうやら複数いるらしい。
 強盗だったら怖いけど、強盗なら、こんなに大きな音を立てて侵入するはずがない。じゃあ一体何なんだろうと、恐る恐る階段を降りて、玄関を覗き込む。

 玄関の前では、数人の男女が転がっていた。「リッカを潰すな!」と怒る声に、「善処はしています!」と誰かが返す。ミーアは思わず、唖然として身を乗り出した。

「すんません、いきなり転移しても大丈夫そうなの、ここしかなくて……」

 ミーアと同じ色の赤い髪をした少年が、苦笑しながら弁明している。少年は部屋を見回しては、覗いているミーアを見つけて「おっ」と目を輝かせた。

「ミーア、久しぶり! 元気だったか?」

「……お、にい、ちゃん……?」

 おずおずと尋ねれば「他に誰に見えるんだ」なんて言って、彼は――ミーアの兄、シリウス・ローウェルは、ミーアに笑いかけた。

「……お兄ちゃん……」

 もう、会えないと言われていた。
 いくら寂しくとも、手紙も出せないと――もう家族じゃないんだと、そう、両親からは言われていた。

 そんな兄が、今、ミーアの目の前にいる。

 思わず、じわりと目に涙が浮かぶ。
 ふらりと兄に歩み寄ろうとしたその時、兄の後から、一人の女の子が姿を見せた。小柄だから、周囲に埋もれていたのだ。

 銀の艶やかな長い髪を持った、線の細い、びっくりするほど可愛らしい女の子だ。ミーアよりも、一つか二つ歳下だろうか。彼女はミーアを見つけると、ぱちぱちと赤い目を瞬かせては、照れたようににっこりと笑った。

「お、お騒がせして、ごめんなさい……ひゃっ」

「リッカ!?」

 立ち上がろうとした瞬間、少女はかくんと力が抜けたようにつんのめった。慌てて兄が抱き止めると、眉尻を下げてはミーアを見る。

「ミーア、悪いんだけど、父さん呼んで来てもらえる? 仕事中だと思うんだけど、できる限り急いでって、電話して欲しい」

「あ、うん……分かった……」

 何がなんだか分からないまま、それでも兄の言う通りに、ミーアはリビングへと向かうと電話を取った。番号を押し、耳に当てる。やがて電話が繋がり、父の声が聞こえてきた。

『……ミーア? どうした、何かあったのか?』

「パパ。お兄ちゃんが帰ってきたの。……よく分かんないけど、超可愛い女の子と一緒に。だから、早く帰ってきて」

『…………ハ?』


 ◇ ◆ ◇


「ほんと、シリウス様々だなぁ……」

 シリウス様の実家が運営している、エディンバラ市街のローウェル総合病院。そこの一角に位置する病室で、わたしは外を眺めていた。

「≪魔法使いだけの国»が、建国されておよそ五百年。それは、知っていたけれど……」

 ラグナルの外に広がっていたのは、近代の世界。電球がつき、飛行機が飛び、インターネットがある、六花わたしがよく知っていた世界が、そこにあった。

 眼下に広がる、網の目状に広がる道路には、自動車やバスやタクシーが、けたたましい音を立てて走っている。リッカとしてずっと≪魔法使いだけの国»のロードライト本家城で静かな日々を過ごしていたものだから、上まで響くクラクションが、なんだか酷く懐かしい。

 兄、セラ、そしてシリウス様と共に、国外の――イギリス、エディンバラにあるシリウス様の実家に向かったのが、一昨日のこと。
 国外に出るまでも、何枚もの書類にサインしたり、何人もの大人たちに話をしたりと大変だったけど、国外に出てからも、予想通り大変だった。それでもシリウス様のお父様と会い、イギリスの政府関係者までも巻き込んだ話し合いが行われ、たまたま空いていたローウェル病院の一室を貸してもらえることとなったのだから、ほっと一安心だ。

 シリウス様や周囲の反応から、ラグナルのことは国外には知られていないものだと思っていたが、政府の中核にはちゃんと伝達されていたようだ。
 国外の人の扱いを思えば、それもそうか。いきなりラグナルに連れてこられるのは、この国から見ると失踪したも同然の扱いだ。ラグナルについての秘匿性を保ちながらも、安全に身を受け渡せるよう、元からいろいろと取り決めがなされていると考えるのが普通だろう。

 シリウス様のお父様は、そりゃあもう突然の降ってわいた話に仰天していたものの、『わたしが病気の可能性があり、ラグナルでは治療ができない』という話を聞いた途端、医者の顔つきになって話を聞いてくれた。全ての話を聞き終わった後、シリウス様のお父様は、空いているからとこの病室を貸してくれたのだ。

「誰であれ、必要な者に医療は提供されるべきです。そのためならば、私は力を惜しみません」

 シリウス様のお父様、神過ぎる。親子揃ってマジで神。

 話し合いはシリウス様のご実家の応接間で行われたのだけど、最中、シリウス様と同じ髪の色をした女の子が、じぃっとこちらを覗いていた。シリウス様にはわたしと同じくらいの妹がいるって言っていたから、多分その子だろう。
 濃い緑の瞳が印象的な、とっても可愛い女の子だった。おしゃべりできなかったのが悔やまれる……。

 あと、予想通りというべきか、わたしたちを国外に出すために、父はだいぶ無理をしたらしい。具体的に何をしたのかは教えてもらえなかったけど、シギルが「労りのお手紙でも書いてあげてください」と言っていたので、素直に従うことにした。

「これまで権力を極力振るうことなく、ラグナルにとって単なる一家であろうと努めてこられた我が主人が、リッカ様のことに関しては、それはもう滅茶苦茶な程の便宜を図られたのです。リッカ様にとってもこのような状況になってしまったのは想定外ではございましょうが、我が主人のお心遣いとご心労について、加えラグナルと国外の不可侵を脅かす大事となってしまった件について、流石に一言二言頂戴したくございます」

 ……と、幼女であるわたしに滅茶苦茶甘いだろうあのシギルが、シギルが、そう滔々と告げるので、わたしはひとしきり反省の言葉を書いて父へ送った。わたしのために無理を通してくださってありがとうございます、お父様。心の底から愛しています。

 ちなみにシギルは、わたしが検査入院を受けている間の兄やセラの滞在場所やその他諸々の手続きを済ませると、現地の政府の方に引き継ぎを行い、速攻でラグナルへと戻って行った。
 シギル、働き過ぎ。過労死しちゃうよと言ったら「後ほどリッカ様からご褒美を頂戴したく存じます」とにっこり笑顔で返されてしまった。……か、考えておくことにするよ……。

 ついでに、兄と共に、精霊様への感謝の祈りを捧げておいた。宗教にはあまり馴染みがないものの(本家に礼拝堂があったことも初めて知った。自分の部屋から出たことすらほとんどない虚弱幼女を舐めるな)、兄はわたしとお祈りができて嬉しそうだったので、良しとする。

「……こら、リッカ。風に当たりすぎだ。体調を崩すぞ」

 そこで、兄がため息をつきながら近付いてきた。ひょいとわたしを抱き上げると、有無も言わさずベッドに横たわらせる。

 今日は、ここ数日で行った検査の結果が出る日だ。検査の結果次第で、これからどういう治療を行なっていくかが決まるのだ。
 仰ぎ見た兄の顔色はあまり良くない。初めての国外に、わたしの病気への心配と、シギルから引き継がれた細やかな諸々で、心労が重なっているのが一目で分かる。

「お兄様こそ、お疲れじゃないですか? 少し眠ったらどうです?」

 ベッドをぽんぽんと叩いた。わたしは小柄だから、大人用のベッドは広さが有り余っている。兄が横になるスペースは十分だ。

 兄はわたしの提案に苦笑すると「気遣ってくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」と言って、わたしの頭を優しく撫でた。どうやら冗談と受け取られたみたいだ。……本気だったのにな。

「セラとシリウス様は、今どこに?」

「セラは病院内を見て回ってる。シリウスは、そんなセラの付き添いをしてもらってるよ。……『セラさんは放置してたら暴走しそうだから』だってさ」

「あぁ……」

 それは、うん、そうだなぁ……。

 国外に来てからというもの、セラは本当に熱心だ。最初はカルチャーショックが強かったらしいセラも、今は一つでも多くのことを吸収しようと熱心だった。
 あんまり暴走されると、セラが魔法使いだとバレてしまいそうなのが一番の懸念点なんだけどな。今のところは『田舎から出てきた世間知らずの学生』てな感じで誤魔化せているみたいだけど。

 その時、病室の扉がガラリと開いて、白衣を纏った男の人が入ってきた。シリウス様のお父様、アルファルド・ローウェルさんだ。その後ろには、アルファルドさんの従姉妹だという看護師のグレースさん。わたしは慌てて、兄の手を借り身を起こす。

「横になっていても良かったんだよ、リッカ」

 アルファルドさんは柔らかい声でそう言った。「いえっ」とわたしは首を振る。

「検査の結果を伝えに来た。今、いいかな」

「はいっ。……あ、セラが……」

 そう言いかけた瞬間、慌てた様子でセラとシリウス様が駆け込んできた。あぁ良かった、と胸を撫で下ろす。近代医学に関してはわたしの方が知識があるかもしれないけど、それでもセラには聞いておいてもらわないと。

 兄が慌てて、筆記具を手元に引き寄せ構える。シリウス様とセラが聞く体勢に入ったのを見て、アルファルドさんは話し始めた。

「端的に言おう。リッカ、君の身体を蝕んでいるのは、呪いではない。ちゃんとした病名のついた、病気だよ」

 わたしの心臓内部の部屋の壁には穴が空いているのだと、アルファルドさんは説明した。
 生まれつきのものであり、この病気を持って生まれる小児は少なくないこと、手術をすれば完治すること。わたしたちの側に近代医学の知識がないことを知っているアルファルドさんは、わたしたちの反応も見ながら、ゆっくり噛み砕いて教えてくれた。

「今は、手術の成功率も高い。ここには小児外科に長けた医師もいるから、どうか安心してくれ。リッカ、君の病気は、我々が必ず治すよ」

 そう言ってにっこり微笑まれ、肩の力がすっと抜けた。胸に手を当て、息を吸う。
 ……治る。
 この身体は、ちゃんと治るんだ。

「……ありがとう、ございます……」

 まだ実感が湧かないまま、アルファルドさんを見上げた。アルファルドさんは、シリウス様と同じ翡翠の瞳でわたしを見つめると「よく頑張ったね」と優しい声で言う。

「もう、耐えなくていい。この手術を受ければ、痛みに魘されることもなくなる。走れるようにもなるし、みんなと一緒に遊べるようにもなるんだよ」

「…………っ」

 ――夢にまで見た、健康な身体。
 リッカあの子が願って願って、でも無理だと、確かに一度諦めた。

 ぎゅっとシーツを握り締めるわたしを、兄も、シリウス様も、心配そうに覗き込んでくる。
 ……運命は、本当に変えられるのか。
 わたしが死なない未来は、本当に、あるのだろうか。

 一瞬浮かれたわたしの心を遮ったのは、一つの声だった。

「すみません、アルファルド様。よろしいでしょうか?」

 セラは、硬い声でアルファルドさんをじっと見つめていた。その口元はきゅっと引き結ばれていて、それを見たわたしは、思わず緩んだ口元を引き締める。

「一つ、懸念がございます」
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