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夢と始まり
しおりを挟む――"死”の匂いがした。
「いやああああああ!」
私はベッドから飛び起き、割れるように痛む頭を両手で抱え込んだ。ドクンドクンと脈打つ鼓動は早く、吐き気もする。無情にも止まらない涙が頬を流れ、真っ白なシーツを濡らしていく。
「聖(ひじり)……大丈夫だ。何も怖いものなんてないよ。大丈夫だから落ち着こう」
静かに耳元で囁かれた声。
安心する、声ーー
「と……東堂さん」
俯いている顔を上げると、そこには、向き合うようにして私を見つめる三十代前半くらいの若い男性。程よいくらいに鍛え上げられた上半身からは微かに香水の匂いがする。黒い羽毛布団を膝に掛け、心配そうに私を見る。
「あ、もう大丈……」
無理に笑顔を作り、目の前にいる彼に笑った。
ーー瞬間。
ふわり、温かい体温が優しく私を包み込む。
「え? と、東堂さん?」
(だ、だ、抱き締められた?)
突然の出来事に混乱する私を、東堂さんは更にキツく抱き締めた。それは、とても心地好く、先程までの身体の不調や不安は緩和された。
「また、怖い夢を見たのか?」
東堂さんの低い声が耳元で聞こえる。普段の彼の声とは違う、心配するような声色だった。
私は、どうして彼に……東堂さんに心配ばかり掛けてしまうんだろう。愛しい人を苦しめたくはないのにーーーー
最低だ。
「聖、あまり自分を責めるな。お前は何も悪くないよ。悪いのは過去なんだ……」
そう言って、東堂さんは枕元に置いてあった紙袋を私に手渡した。小さな紙袋には沢山の薬が入っていて、私は何の躊躇いもなく、白い錠剤と薄ピンクのカプセルを飲んだ。
躊躇いなんてあるはずない。
私には、必要不可欠なモノだから。
躊躇いなんてあったら駄目なんだ。
私は、強くならなきゃ。
「ふー、落ち着いた! もう本当に大丈夫だよ! ありがとうございました、東堂さん!」
ニッコリ。薬を飲み、東堂さんに安心をもらった私は、満面の笑顔で微笑む。東堂さんは頭を掻き、少し照れ臭いような表情を浮かべた。
「大丈夫なら、安心した」
そう言って東堂さんは優しく笑った。
既に気付いている人もいると思うが、彼ーー東堂 和久(とうどう かずひさ)は、私の恋人であり上司だ。実年齢の三十一歳よりは、かなり若く見える。
シュッとした二重瞼の切れ目に、鼻筋の通った高い鼻。艶のあるストレートの黒髪は襟足まであり、小麦色の肌はとても綺麗である。程よく鍛えられ、筋肉のついた身体には所々に傷跡が残っている。切り傷の様なものや、火傷の様なものなど様々だが、痛々しさが滲み出てくるようだ。
「なぁ? 聖、丸見えだぞ?」
(……え?)
東堂さんに見惚れていた私は、その言葉で我に帰る。東堂さんは人差し指であるものを指差した。私は、恐る恐る東堂さんの指を辿り、ソレを見た。
東堂さんが指差すのは私の上半身。ーー丸いお椀型の形の良い胸。
一気に顔が火を噴いたように熱くなる。
「っ……やだあ!」
子どもみたいな叫び声を上げる私を見て、東堂さんはクスクスと笑った。一方の私は、ミノムシの様に毛布を身体に巻き付け、赤面する顔で東堂さんを見た。
東堂さんは相変わらず笑っている。
「なっ、何で見るんですか! 最低、変態!」
その辺にあった枕や毛布を東堂さんに投げつけたが、私の攻撃はあっさり避けられた。
「聖こそ、そんなに挑発するような格好して……また俺を誘ってるのか?」
東堂さんは慣れた手付きで私の体に巻き付けていた毛布を剥がし、耳元で囁く。
「っ……」
自分の顔が更に熱くなるのを感じた。
恥ずかしさとは裏腹に、東堂さんに求められるのを嫌とは感じず、逆に嬉しいという矛盾した感情が湧く。ーーーー本当に図星だった。
「も、もう用意をしないといけないし……だ、駄目です!」
「んー、何も聞こえないなぁ。聖の肌、スゲー気持ちいいから離れたくない」
上機嫌で私の胸に顔を填める東堂さんを、どうにか引き離そうと必死に藻掻くが、力強い腕にそれを阻止される。
「聖、駄目……か?」
子猫のように甘える東堂さんに、呆れながらも、渋々抵抗をやめた。普段、このような姿を見せない東堂さんに甘えられると、気を許してしまう。
「もう……」
赤くなる顔を手で押さえ、無防備な身体をそっと東堂さんに預けた。東堂さんは、そんな私の唇に優しいキスを落として小さく微笑む。
窓の外で生暖かい風が吹いた。
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