異世界マッチョ

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80 マッチョさん、苦悩する

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 スクルトさんと漁港に行くと、様々な魚が水揚げされていた。
 イワシ、サンマ、サバといった青魚がメインだ。加工食品にするには適していない小魚が多かった。たまに鯛やカレイといった白身魚もあった。どうやら異世界特有の海産物というものは特に無さそうだ。むしろワカメは異世界っぽいけれど、こちらでは食べないのかもしれない。
 タコも少しは獲れるようだ。実はタコも筋肉にとって非常に有用な食材である。低カロリーでそこそこのタンパク質。それにあの噛み切れない硬さも食事の量を減らしたい時には実に有効なのである。さすがにタコだけで肉体を作った人の話は知らないが、補助食品として有能なことはトレーニーなら知るところである。干したタコの話をスクルトさんにしたらやんわりと却下された。
 カジキマグロなども獲れていたがあまり数は多くない。大味だし量が確保できない以上は缶詰にするのは難しいだろうな。ホンマグロが獲れるかもと期待もしていたが、そもそも大型のカヌーのような舟で網を使った漁をしている。ホンマグロが獲れるにしても偶然を狙うしか無いだろう。
 ざっくりとリベリの魚を見てきたが、やはりサバ缶が欲しい。
 最大の問題は鮮度である。私には魚の良し悪しの見分けなどつかないが、イワシやサンマがかなり良くない状態で漁港に入っていることだけは分かる。実際に漁師の方に話を伺ってみると、肥料の印象が強くて家でもあまり食べたりしないし、食べるときは必ず加熱をするそうだ。高タンパクなのに食べないとは勿体ないが、手間を考えるとこういう商売にした方が稼ぎになるのだろう。
 近海ものの魚でも冷蔵庫や冷凍庫が無い世界で加工から輸送までの工程は難しいかもしれない。思いつきと筋肉面の必要性から調査しに来たが、ちょっと成功している図が見えないな。

 どうも缶詰は思っていた以上の難事業になりそうだ。缶詰という概念がそもそも無いし、缶を作るのであれば薄い鉄をできるだけ均等な品質で大量生産をしなくてはいけない。食品加工のための設備も必要なのである。スクルトさんに缶詰というものを説明したら、ずいぶんと感心された。
 「マッチョさんの故郷ではそうまでして魚を食べたかったんですね。」
 「そうなのかもしれません。」
 「長期保存が効くという点がすごく魅力的に聞こえます。」
 「ハムやチーズや果実酒と同程度の長期保存が可能で、三年ほど経ってもほとんど劣化せずに食べられるのですが・・・」
 うーん。スクルトさんに話しながら問題点を洗い出すか。
 「まずは缶を作るための設備と技術ですよね。次に魚の鮮度と量の確保。最後に魚の加工場と味ですねぇ。」
 「瓶詰というのも考え方としては同じものなのでしょうか?」
 「だいたい同じですね。中に入れた食べ物に鉄の味が移ってしまう野菜のようなものは瓶詰の方がいいと思います。熱湯でビンを煮て消毒をして、熱いうちに調理加工済みの食べ物をビンに入れ、コルクで栓をすればいいですね。ビンは黒色で色が付いたものの方が日持ちします。」
 「うーん・・・マッチョさんのお話を聞いている限り、ビンの方が試験をしやすい感じですかねぇ。缶詰となると缶を作るところからですから・・・」
 「そういう気がしてきましたねぇ。」
 やはりサバ缶を作るのは難しいか。
 「あえて缶にする理由ってどこにあったんでしょうか?」
 「輸送がラクですし、規格化もラクですし、割れないですし、日光で痛んだりもしません。」
 「・・・なるほど。」
 スクルトさんも相当に考え込んでいる。筋肉のためとはいえ超えなくてはいけないハードルが高すぎるのだ。そもそも大量生産という発想自体が19世紀あたりにできた考え方だった気がする。やはり実現は難しいか?
 「ビンは試験用に100ほど急ぎで用意してみます。コルクはこの街の近くで大量に獲れるはずなので私が手配してみます。調理加工設備も用意できると思います。どの食材で試すかが問題ですね。」
 スクルトさんは完全にこの事業をやる気である。
 うーん。ほとんど思いつきでできるかどうか調べるだけのつもりだったのに、私だけ撤退しづらくなってしまった。

 夕方には筋トレを済ませてから出かける準備をした。宿にいい食堂が無いか聞いてみたところ、鶏肉が食べられるお店があるというのでそこに行くことにした。言われてみるとこの街ではゆで卵がけっこう安価で手に入ったな。ロキさんがどうも働きっぱなしのようなので、近況確認と慰労を兼ねて食事をすることにした。ドワーフ族にはやはり肉だろう。
 スクルトさんは瓶詰の可能性に夢中である。カニ缶の話をしたら余計に火が点いた。瓶詰の基本的な作り方だけスクルトさんに教えて、私は王都に帰ろうかと考え始めている。仕事もないし、筋トレの道具も無い。タンニングにも満足した。王都に帰ればトレーニングルームも使えるだろうし、許可が出たらドワーフの里へトレーニング機材製作の進捗を確かめに行くこともできるのだ。長くこの街に留まる理由は、いまは食材以外には無い。

 「マッチョさん、気を使っていただいてありがとうございます。」
 数日ぶりに見たロキさんは、たしかにちょっと疲れ気味だな。環境の変化もあったし、少し痩せたかもしれない。
 「ちょっと働き過ぎなんじゃないでしょうか?新しい街でこのペースでは、勇者でも身体が持たないんじゃないんですか?」
 「子どもが生まれましたからね。重要な局面では育てる方が頑張らないといけません。ヤマは越えたので大丈夫でしょう。教え子たちもよくついて来てくれています。」
 そうは言っても睡眠不足は筋肉の敵である。眠らない人間というのは筋肉を裏切っているのだ。

 お店はいかにも田舎の漁港近くの食堂っぽかった。だがこういう店が美味しかったりするのだ。
 こちらのお店の素材は、主に店主が育てているそうだ。メニューに店主のお勧めサラダがあったので興味本位で注文してみたら、数分後に私はブロッコリーと異世界で再会することになった。    
 ブロッコリーについては説明するまでもなく、トレーニー御用達の野菜である。この世界にもブロッコリーがあったのか。味も完全にブロッコリーである。意外過ぎる再会に少し感動してしまったが、私の脳みそは自動的にこのブロッコリーを他の土地でも食べられないかどうかを考え始めていた。ブロッコリーも魚同様に足が早くて簡単に黒ずんでしまう野菜だ。ふつうはわずかに酢を加えて茹でるか、電子レンジで温めていただく。塩コショウに鷹の爪やニンニクを入れても美味しいが火加減が難しい。
 うーむ。この世界でも気楽にブロッコリーが食べられないだろうか?
 ピクルスに加工して食べているトレーニーがいたな。酢漬けの瓶詰あるいは缶詰という方法が取れればいい。

 「マッチョさん、なにか難しい顔をしていますが、苦手な食べ物でもありましたか?」
 「・・・いえ。ちょっと宗教上の問題を思い出してしまいまして。」
 「そうですか。私も黙っていた方がいいでしょうか?」
 「いえ。食事中に失礼しました。ロキさんにいらない気づかいをさせてしまいましね。すみません。」
 そう、人と食事中である。補給について考えるのは失礼になってしまうだろう。そもそも私はロキさんを息抜きのために呼んだのだ。自分の補給食で悩んでいい状況ではない。
 「それにしてもこの野菜、ブロッコというのですか?変わった味をしていますね。初めて食べました。」
 そのブロッコが私の宗教上の問題なのだ。
 私だけでも保存食づくりから撤退する気だったのに、瓶詰にしてほしいアイテムが増えてしまった。
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