もしも北欧神話のワルキューレが、男子高校生の担任の先生になったら。

歩く、歩く。

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9話 ようやく普通の授業が始まるとでも思ったか?

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 五時間目、つまりは世界史の授業である。浩二はややイライラしながらばるきりーさんが来るのを待っていた。
 壮絶な朝を迎えさせてくれたおかげで、もうずーっとイライラしてばっかりだ。ストレスで自律神経失調症になったら治療費でも請求してやろうか。

 加えて、浩二を余計にイライラさせているのが、琴音の仕草だ。琴音の奴、妙にそわそわしていて挙動不審になっている。
 経験上、あの状態の琴音は大抵ろくな事を考えていない。昔から奴のせいでスズメバチにメッタメタにされたり、オークのホームレスに襲われたり、破壊神シヴァ宅の窓ガラスを割って焼き殺されそうになったりしたのだから。

 ……よく友情が持っているものである。それはさておき、琴音がかかわった以上、油断は出来ない。今度は宝塚ステージのような形式で授業をやってもおかしくないから割と本気で。
 もしそんな事しでかしたら……いくら琴音でも許さない。クラス全員の前でお尻叩きの刑に処してやるつもりだ。

「安心しなムロ公、あんたが思うような危険は無いからさ」

 不意に木下真里が近づき、話しかけてきた。別段親しくないのにムロ公とか呼ぶ馴れ馴れしさがむかつくものの、浩二は努めて静かに返した。

「なんでそう言えるんだ?」
「そうギスギスすんなよ。あたしがちょいと軌道修正させたからさ」

 木下はため息をついた。

「あんたも大変だねぇ。ばるきりーさんに目ぇつけられて」
「同情するなら変わってくれ」
「ヤダ」

 即答され、浩二は舌打ちした。

「ま、とりあえずそんだけ言わせて。あんたがイライラしてると琴音が不安がるからさ」
「なんでそこで琴音が出て」
「だまらっしゃい。とにかく、琴音を不安がらせんなよ」

 廊下から足音が聞こえるなり、木下はすばやく席に戻った。
 なんなんだあのヤンキー。浩二はいぶかしんだが、それよりもばるきりーさんに意識が向かった。

「よし諸君! そろっているな!」

 扉を開くなり、ばるきりーさんは固まった笑顔で入ってきた。
 なんつーぎこちない笑顔だろう、頬の筋肉に力が入りすぎてカチコチだ。口元が変に釣りあがって変な形になっている。軌道修正って、修正かけたほうが余計にあやしくなっているのですが。これじゃあ汚職の謝罪会見する政治家の方がよっぽどいい顔をしている。
 これ絶対修正できてねーな。呆れ顔の浩二だったが、ばるきりーさんの発言を聞き、驚く事になる。

「よ、よし! それではまず……えっと……そう! 教科書だ! 教科書を出してくれ!」
「えっ?」

 浩二だけでなく、クラス全員が耳を疑った。いやまぁ大変失礼っちゃ失礼な話だが、驚きだった、驚愕だった、愕然とした。あのばるきりーさんが、世界史の授業で槍を持ち込むようなワルキューレが、授業に教科書を持ち込んだだと!?
 教室中がざわめき出した。ばるきりーさんがまともな授業をするつもりなのかと全員で疑りぶっていた。存外失礼な連中である。

「……なんだ、どうしたんだ? 悪い物でも食べたのか? 昼は何食べたんだあんた」
「ニーズヘッグの蒲焼丼だが」
「聞くんじゃなかった……じゃなくて! なんでいきなり普通の授業を? なんかたくらんでるんじゃないだろうな!」
「企むとは失礼な! わ、私だって普通の授業くらい出来ると証明しなければ生徒に見離されると、琴音と木下に指摘されたからでは決して無いぞ!」

 いや全部ボロボロ出とるがな。クラス一堂、満場一致のツッコミだった。
 ただ、不安要素ばかりが先立って安心できなかった。このワルキューレに果たして人間の普通が理解できているのだろうか。あの二人がまともなアドバイスを送っているのを祈るばかりだ。絶対無理だと思うけど。
 兎にも角にも、ばるきりーさんの授業がどうなるのか、不安で仕方なかった。

「で、ではまず、古代ヨーロッパからだ……な……」

 教科書をめくるなり、ばるきりーさんはきょとんとした。なんだ? まさか教える場所がわからないとか、そんなんだろうか。

「どうしたよ?」
「いや、知人の事が載っていたのでつい見入ってな」
「あっそ……知人? 知人!?」

 浩二達は教科書に釘付けになった。普通歴史の授業じゃ聞かない言葉である。

「ほらこの、ユスティニアヌス一世だ。一時期私の部下をしていた事があるのだぞ」
「ぶっ!? ええぇ!?」

 今明かされる衝撃の真実だった。というよりなんだろうかその関係性は。

「いやぁ、中々辛抱強いエインヘリャルでな。頭脳にも長けていたから有能な右腕だったぞ。そうか、人間界では皇帝をしていたのだな」
「あ、あんた洒落にならん事をぺらぺら喋るんだな……」

 ついでに言うとユスティニアヌス一世は約千五百年前の人物だ。つまりばるきりーさんの年齢はそれ以上という事になる。

「……見た目二十代なのに中身ババアかよ……」

 年齢差がすさまじい事になりそうなので浩二は深く言及しないようにした。

「ほー……ふむふむ……なるほど。あのロリコンめ、人間界でも八面六臂の活躍をしていたのだな。二十歳年下の娼婦を娶ったと聞いた時には性根を疑ったが」
「え……娼婦をって、いや皇帝だろこの人、娼婦を妃になんかしないって」

「事実だぞ? ユスティニアヌスが叔父を説得して法改定し、身分差があっても婚姻できるよう調整したのだ。それが原因で一時期貴族の結婚ラッシュが始まったとかなんとか。ただテオドラは聡明な女だぞ。ニカの乱ではユスティニアヌスに王族としての誇りを解いて、反乱を鎮圧するキッカケを作ったそうだ」

「歴史めちゃくちゃ詳しいな!?」

 内容は果たして高校生の授業で必要かはまた別の話であるが。しかしこれは行幸、行幸だ。まさか……ここまで歴史に明るかったとは。
 いやまぁ、当然とも言える。人間の歴史は戦争で彩られ、教科書に紹介されている偉人は、文化人より武人の方がずっと多い。各時代で活躍した軍人達がエインヘリャルとしてヴァルハラに召集されていれば、そりゃあ人間界の歴史にも明るくなる!

 だったらとっととそれを活用しろや。室井浩二、心のツッコミである。

「なんだ浩二、ユスティニアヌスにでも会いたいのか?」
「いや会えるもんなら会ってみたいけど……」
「そうか! なんだそれなら早く言ってくれ、おやすい御用だぞ。奴とは旧友だからな、一声かければ三分で呼べるぞ」
「古代皇帝をカップラーメン感覚で呼べるあんたは一体なんなんだよ」
「ヴァルキュリア軍が誇る精鋭、計画を壊す者ラーズグリーズだ。それより、浩二の他にも居ないか? 別に奴の事情は気にせんでいいぞ。なんなら織田信長とか、坂本龍馬とか、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルにも会わせたっていいんだからな」

 偉人達にこんな無遠慮が言える教師なんて他に居るだろうか。そもそも古代皇帝と知り合いの時点で諸々狂っているのだが。
 それはそれとして、振って湧いた偉人と出会える機会に、クラスメイトは困惑しているようだった。そんな昔の人に出会えるなら、もっと色んな偉人に出会えるのではなかろうか。クラスメイトのほとんどはそう思っているようだ。

 まぁ、浩二もちょっと興味があった。そんな偉人に出会える機会なんか普通ありえないのだし。ただ、相手はばるきりーさんなのが即答できない要因だ。こいつに任せて本当にいいのかと、浩二はかなり警戒していた。

「はいはーい! 私会ってみたい、ユステニなんとかさんに!」

 しり込みする浩二達の中、一人空気を読まない奴が居た。琴音である。
 ちったぁ警戒しろやと浩二は目配せするが、琴音は無視してぐいぐい迫った。

「こんな機会なんて滅多にないもん。だったら甘えなくっちゃ損だよ皆!」

 琴音はクラスに呼びかけるように言った。言っている事は間違ってないし、先ほど歴史の知識はしっかりあるのを証明したわけだしで、興味を引かれた生徒がちらほらと見えていた。
 やばい、この流れ、ばるきりーさんの話に乗っかる流れじゃないか? 浩二は止めようと考えたが、追い討ちをかけるように木下が参加した。

「あたしも興味あるね、その皇帝さんに会えるもんなら試してみたい気もするけど?」

 若干棒読み加減の台詞に、琴音に合わせただけの発言なのが丸見えである。
 でもってこの二人のせいで、クラスの空気が俄然ばるきりーさんよりに近づいてしまった。

「そうかそうか! 皆ユスティニアヌスに会いたいのだな、まかせろ! すぐに皆で会いにいこうではないか!」

 ばるきりーさんは調子に乗り、引き受けてしまった。
 いや待て待て待て。お前らこれまでの事忘れたわけじゃないだろうな?
 浩二は止めようとしたが、既にクラスメイトは行く気になっていた。警戒心とかそんなモンどっかに置き去りで、すっかりばるきりーさんのペースに巻き込まれている。

「いや駄目だろ、てか駄目だって! これもう失敗フラグ立ってるから! 考え直せよ皆!」
「大丈夫だ浩二! 私に全て任せておけ!」

 ばるきりーさんはにこやかに言い、

「では善は急げだ、早速行こうか、ヴァルハラへ!」

 もはやお決まりの文句を言い放ってくれた。

「ヴァ、ルハラぁ!?」

 やっぱ予想通りの展開になった! 浩二はばるきりーさんを止めようとしたが、彼女は指を鳴らして夢のツアーへの片道切符を切りやがった。
 んで直後、浩二の見る景色が劇的に変化した。
 教室に居たはずなのに、豪奢な宮殿の内装が視界に飛び込んできた。クラス全員で広いバルコニーに座しているようで、天井には武装した女性が幾人も飛んでいるのが見え、壁には無数の武器が陳列されている。サッカーコート三面分もの面積がある階下にはこれまた武装した強面の方々が、

「悲しいけどこれ戦争なのよね!」
「やらせはせん! やらせはせんぞぉ!」
「見える……私にも敵が見える!」

 こんな感じの台詞を吐きながら、それはそれは楽しそうに戦争に興じ、思いっきり殺し合いを演じているではないですか。なんかモビルスーツに乗ってそうなセリフの応酬だけど。
 銃声と悲鳴と撲殺音と斬殺音が入り乱れるカオスな様相を見て、真っ赤な戦場と反比例してクラスメイトの顔が思いっきり青ざめた。しかも下の人達、死んだ先から復活していくもんだから余計に不気味だ。
 一応言っとくと、この人達はふざけているわけではない。ラグナロクが来る時まで、こうやって戦いまくって技術を磨いているのだ。いつになるか分からないから今じゃすっかり生前のストレスをぶちまけるだけになっているのは秘密。

「や……これちょっとここ危なくない!?」
「そりゃ危ないだろう。気付かれたらここにも押し寄せてくるぞ」
「ヘイティーチャー安全ってワードディクショナリーでサーチしてプリーズ!」

 錯乱してルー語になった浩二の鼻先に、鋼鉄の矢がびゅんっと掠めた! 誰が撃ったか、ボウガンの矢が流れ弾で飛んできたみたい。

「さて、ではユスティニアヌスを探さねば」
「ちょっと待たんかい!」

 たった今生徒が大ピンチだったのにスルーってそりゃやったらあかん事だ。何の準備も無くヴァルハラに放り込む時点ですでにやったらあかん事なのですが。
 クラス連中は飛んでくる流れ弾に阿鼻叫喚としており、琴音に至っては泡を吹いて気絶していた。これ放置したら死人出るのが容易に想像できる。

「早く教室戻せよ! 死ぬ! 死ぬからここに居たら死ぬって!」
「む……しかしまだユスティニアヌスがだな……」
「もうどうでもいいわそんな奴ぁ!」

 古代皇帝に対しとんでもない侮辱をぶつける浩二だった。そいでもって、そのツッコミが禍してしまったらしく、

「おっ! なんだあそこの新入りか!」
「ヒャッハー! 歓迎会だぜホッホーゥ!」

 熱烈歓迎モードのエインヘリャルさん達が、武器を掲げて駆け上がってきやがった。

「だー来たー! 早く指鳴らして魔法使えよ!」
「いや、逆転送の場合は四分かかってしまうのだ。しばし待て」
「待てるわけねぇだろ!」

 相変わらず考え方が変わらないワルキューレに浩二はむかっ腹が立った。こいつ本当に教師になろうと思ってんのだろうか。
 こうなりゃ、自分の身は自分で守ってやる! 浩二は壁に走り、その中から適当に直刀を手に取った。

「無理だ浩二。それらの武器は主様でなければ使う事は……」
「だまらっしゃい!」

 浩二は怒鳴り、

「そもそも……あんたがこんな所に……」

 直刀を壁からはがし、

「連れてくんのが悪いんだろうがぁ!」

 鞘から刀を引き抜いて、そのまま峰でエインヘリャルをぶん殴ったぁ!
 最前列がひっくり返って後列のエインヘリャルにのしかかり、ドミノ倒しに転げ落ちていく。肩で息をする浩二の横で、ばるきりーさんは目を見開いていた。

「あ、あれ? 主様しか使えないはず……なのだが……しかもその刀は神武天皇の持っていた布都御魂じゃ……」
「草薙の剣と同列の国宝かよこれ!? まぁいいや、皆! とにかく武器使え武器! 丸腰じゃ殺されるぞ! 木下、なんか使って手伝え!」
「わかったよ!」

 浩二の呼びかけに背を押され、木下が壁の武器に飛びついた。ところがだ。

「おいムロ公、外れないぞこの武器!」
「はぁ!? そんなわけないだろ、俺が使えてるんだぞ!」
「ひゃーはぁ! 一匹もぉ、逃がさなーい!」

 モヒカン頭のエインヘリャルが、棍棒を振り上げて階段を上ってきた。浩二は棍棒を避けて布都御魂を振り回し、飛び掛ってくる戦闘狂を叩き飛ばした。

「つぅ……」

 わずかに棍棒が頬をかすったらしく、うっすら血がにじみ出た。けどそんなのを気にしてる場合ではなく、浩二は血を拭いながら木下の所へ向かった。

「貸せよほら! 別に固定されてるわけじゃなくて」

 でもって適当にロッドを掴み、壁から引っぺがして木下に渡した。

「こんな感じに取れるから! ほらこれ持って! 一人じゃどうにもならねぇから!」
「男がぎゃーぎゃー弱音を吐くな!」

 文句をいいながらも、木下は豪快に棒を伸ばしてぶん回し、上ってきたエインヘリャルの顔面をドゴーンっと殴り飛ばした!

「ま、またしても……しかもそれ孫悟空の如意棒……」
「さっきからなんで東洋系の武器ばっかそろってんだよ北欧の神殿に!」
「んな事言ってる暇ないだろムロ公! とっとと手を動かす!」

 浩二は木下と共にエインヘリャルを撃退し、懸命に身を守り続けた。他の生徒はそれぞれ武器を使おうと躍起になっているが、誰も壁から武器を取る事ができずにいる。
 増援は望めず、二人じゃ裁ききれない。早く逃げなきゃ殺される。早くばるきりーさんが逆転送の魔法を使わなければ……。

「な、なぜだ……なぜ主様しか使えぬ武器を浩二が……し、信じられん……」

 肝心のばるきりーさんは愕然としていて、全然動く気配がない。浩二はぷちんとし、ばるきりーさんに怒鳴りつけた。

「さっさと魔法使え魔法! ぼーっとしてんなホラ!」
「お、おう……おお!?」

 ばるきりーさんはうろたえながらも、ようやく逆転送の準備に取り掛かったのだった。
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