もしも北欧神話のワルキューレが、男子高校生の担任の先生になったら。

歩く、歩く。

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20話 がんばれ!ばるきりーさん!

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 危機を感じた浩二は、咄嗟に振り向いた。
 直後にタラスクの爪が襲い掛かり、危うく体を切り裂かれそうになった。姿を消したはずのタラスクがまた現れたのだ。
 琴音の手を引き、浩二は走った。琴音は絶対守らなきゃいけない。

「大丈夫……」

 タラスクは遅い。とにかく走りさえすれば、逃げ切れる。そう思っていた浩二だったが、見通しが甘かった。
 タラスクは先ほどよりもはるかに早く走り、浩二の前に立ちふさがった。とっさに鞄を叩き込むが、鼻先ではじかれ、浩二はのけぞった。浩二がひるんだ隙に、タラスクは大口をあけた。体を捻り避けるも、制服が破かれ、わき腹を牙が掠めた。

「強すぎ……!」

 これじゃ、逃げられない。
 タラスクの口から紫色の気体があふれてきた。浩二は息を止め、琴音にハンカチを押し付けた。

「毒ガスだ、絶対吸うな!」

 吸ったら牛ですら即死するほどの猛毒だ。早く離れないといけないのに、毒ガスを出すタラスクが距離を詰め、執拗に攻撃してきた。
 くそ、息が続かない。息を吸えば死に、止まれば殺される。逃げ道がない。
 せめて、せめて琴音だけでも逃がせ。浩二は一か八か、琴音を思いっきり蹴っ飛ばした。

「んきゃ!?」

 琴音は大きく転がり、ぎりぎり毒ガスの範囲外へと出て行った。確認した浩二は踏みとどまり、その場でタラスクを迎え撃つ。
 これ以上は近づけさせない。琴音は、死んでも守りきる。大事な奴が目の前で死ぬなんて……もう嫌なんだ!
 だから、立ち向かうんだ。大事な人を、今度こそ守るために!

 浩二が覚悟を決めた瞬間、風を切る音が聞こえた。
 それを聞いて間をおかず、タラスクに超速の槍が落ち、手足を残して体が消滅した。毒ガスも霧散して、息が吸えるようになる。浩二は大きく呼吸して、ひとまずの無事に胸をなでおろした。

「けど、何だ……?」

 タラスクが消えた場所に残ったのは、ばるきりーさんの槍だった。
 浩二は空を見上げたが、ばるきりーさんの姿は見えない。いったいどこから、こんなピンポイント狙撃をしたのだろう。

「けど……」

 またばるきりーさんが、助けてくれた。浩二は唇を噛み、眉間にしわを寄せた。
 あいつはどこまで、俺を助けるつもりだ。

「こうちゃん!」

 琴音に呼びかけられ、浩二ははっとした。
 空から、リンドブルムが落ちてきている。ばるきりーさんがやったのだろう、体中痣だらけで、すでに事切れているようだ。

 遅れて、銀色の影が飛んでくる。ばるきりーさんだ。しかし様子が少しおかしい、随分疲弊しているようだった。リンドブルム相手に苦戦したとは考えにくいが、何かあったのだろうか。
 ばるきりーさんはリンドブルムの下にもぐりこみ、押し返そうとしていた。確かに減速はしたが、ばるきりーさん一人で抑えられる質量ではなく、徐々に押されている。

 ばるきりーさんは苦悶の表情で地上を見て、ためらうようなそぶりを見せた。地上の被害を恐れて、魔法の使用をためらっているのだ。

「何、してんだ……!」

 浩二は拳を握りこんだ。

「他のワルキューレは、何してんだよ! 早く助けに行けよ! あいつ一人に、全部任せるつもりか!」

 浩二は続けて、ばるきりーさんに叫んだ。

「あんたもあんただ! いつもみたいに魔法を使えよ! 周りの迷惑考えるような人格者じゃないだろ、あんたは! 今更お上品な顔してんじゃねぇよカマトト!」

 罵倒に近い言葉の羅列だが、内容は違う。
 浩二は、ばるきりーさんを応援していた。

「やるならやるで……思いっきりやってみろ! 周りの事気にせず、目の前のゴミ片付ける事に集中しろ! この……駄目教師がぁっ!」

 喉がかすれるほどの勢いで叫び、浩二は熱い声援をばるきりーさんに向けた。

  ◇◇◇

 浩二の声が耳に届き、ラーズグリーズは地上に目を落とした。
 体に力が入らず、魔力も底を尽きかけている。そんな状態で、ヘルに加速の魔法をかけられた竜の巨体を押し返すのは、甚だ無謀な行いだ。

 だけど、ラーズグリーズの心は折れていない。

 生徒の住むこの街を壊したりなんか、絶対させるものか。教師であるならば、生徒の未来は守り抜かなければならない。己が背に負ぶさった責任は、この程度の困難ごときで投げ出していいほど、軽い物ではないのだ!

「ああ……思いっきりやってやるさ……」

 どうせ自分は駄目教師だ。だったら……泥臭く足掻いてでも、ぶち破ってやろう! 自分の前に立ちふさがる壁を!
 リンドブルムを押し返しながら、ラーズグリーズは残った力をかき集めた。自分に残された道はたった一つ、一点突破しかない。複雑な魔法を使えるだけの余力はない、ならば残った力全てをぶつけて、こいつを吹っ飛ばす!
 だが、集中できない。リンドブルムほどの質量を押し返しながら力を集めるなんて、時間がかかりすぎる。

「誰か……」

 一秒でもいい、代わりにこいつを支えてくれさえすれば、一瞬で終わらせられる。
 ラーズグリーズに焦りが浮かびだした。すると刹那、周囲から、多数の銀影が飛び出してきたではないか。
 その銀影の正体は、なんとヴァルキュリア軍だ!
 一人、また一人と集まり、リンドブルムを押していく。次第に落下速度が落ち、リンドブルムの動きが緩やかになった。
 しかしなぜだ。なぜ突然ヴァルキュリアが動き出した?

「突然、どうした」
「我々も……わかりません……」

 ラーズグリーズの問いかけに、名の分からないヴァルキュリアは首を振った。
 別のヴァルキュリアも同様だった。と、その中の一人がこう語った。

「ですが……知らぬ人間の声を聞いたら……体が勝手に……」
「知らぬ人間……まさか……」

 心当たりがあるとしたら、一人しかいない。浩二のあの声援が、ヴァルキュリア軍を動かしたとしか、考えられなかった。
 だがしかし、細かい事はこの際どうでもいい。
 ヴァルキュリア達が協力してくれている今こそが唯一のチャンス。ラーズグリーズは距離を取り、自身に残った力をかき集めた。

 全身にほとばしる魔力を右拳に集約させ、凝縮する。拳は眩いばかりの輝きを放ち、次第に手が銀色に染まり始めた。
 全身全霊、渾身の一振りを携えて、ラーズグリーズはリンドブルムを見据えた。
 生徒の未来を、ヘルなんかに奪われて……たまるか!

「ぬぅぅぅぅおおおっ!」

 ラーズグリーズは、空を駆けた。
 文字通りに、自分の持てる全てを、リンドブルムに叩き付ける。柔らかい肉にぶつかった拳は深々とめり込み、分厚い皮膚に、無数の亀裂を走らせた。

 全身全霊の一撃がリンドブルムの巨体を貫き、爆散させた。肩まで突き抜ける衝撃に顔をしかめ、ラーズグリーズは小さくうめいた。
 全部を出し切り、意識が朦朧とする。でも生徒を守れた充足感が、彼女の胸を満たしていた。

  ◇◇◇

 リンドブルムが四散していき、危機が去ったのを見るなり、街中から喝采が起こった。
 ばるきりーさんは天空で拳を突き上げ、堂々とした佇まいで滞空している。眼下に居る人々を安心させるためだろう。
 空に立つヴァルキュリア軍は全員疲れ切り、へろへろになりながら、各々の持ち場へと戻っていく。
 拳を下ろしたばるきりーさんは浩二を見つけ、やってきた。力を使い切ったのか、肩で息をしていた。

「よかった、無事だったか……」

 ばるきりーさんはふらりとよろめき、浩二の前で跪いた。様子がおかしい……あんなドラゴン一匹にここまで消耗するはずがない。

「何か、あったの?」
「まぁ、少しな。だが、君たちが気にする事ではない」

 心配する琴音に、ばるきりーさんは首を振った。

「言っただろう、君たちは私が守ると。君達は、何も心配するな」

 ばるきりーさんは浩二達に心配させまいと、気丈に振舞っていた。それが余計に、浩二をいらだたせた。
 大人はすぐに隠し事をする。自分にとって都合の悪いことなら、なおさらだ。

「話せよ」
「ん?」
「話せよ。俺たちに、関係ある事なんだろ。そこまでするのはさ。隠してないで話せよ。ここ最近俺が襲われるのと、なんか関係あるんだろ」

 浩二は真正面から、ばるきりーさんに問いかけた。
 ばるきりーさんは浩二を見上げ、ため息をついた。

「まぁ、そうだな。大いに関係あり、だ。特に浩二、君にはな」
「それなら、隠すな。俺には、知る権利があるはずだろ」

 自分の知らない所で、勝手に戦われても困るだけ。隠し事をするような奴なんか、信用できるわけがない。
 ばるきりーさんは黙していたが、やがてあきらめたように首を振った。

「隠し続けるのは、無理だろうな。しっかり、聞いてくれよ」
「……ああ」

 浩二は心した。ばるきりーさんの話を一字一句聞き逃すまいと、耳に神経を集めた。
 俺が襲われる理由は、なんなんだ。
 ばるきりーさんの口が開かれる。瞬間、浩二の腹に鈍痛が貫いた。
 浩二の腹からは、ばるきりーさんが倒したはずのタラスクの腕が飛び出していた。ばらばらになったはずの腕が、自立して動いたのだ。
 浩二は血を吹き、琴音の悲鳴を遠くに聞きながら、意識を奥底へと飛ばしていった。
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