もしも北欧神話のワルキューレが、男子高校生の担任の先生になったら。

歩く、歩く。

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21話 浩二の心の傷

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 天木結衣はいつも傷だらけだった。
 小さい頃、琴音と一緒に遊んでいた幼なじみの一人だ。小学生に上がるまでは、三人で一緒に居るのが楽しくて、他愛ない毎日を過ごしていた。

 けど小学生に上がってから、三人の世界は一変した。

 理由は分からない。けど子供のする事に、意味なんてないのだろう。
 結衣はいじめの標的になっていた。結衣は内気で引っ込み思案な子だったから、殴っても、蹴られても、何も抵抗できずにいた。教科書は破かれ、筆記用具は壊され、机には口汚い罵倒を彫られ……毎日、身も心も、生傷が絶えなかった。

「……なんで急に、思い出す?」

 浩二はふと思った。けどだめだ、頭が働かない。
 目の前では、過去の憧憬が次々に映り、流れていく。その中に、幼い頃の自分が見えてきた。
 結衣が傷ついていくのを、浩二は黙ってみていられなかった。いじめっ子は全員殴り倒し、結衣に嫌がらせをする奴らには、脅してでも止めるよう忠告をした。そして琴音と一緒に、結衣を交えて担任の先生や彼女の両親に現状を伝え、いじめを止めるよう根回しもした。

「そういや、それで一度、いじめは止まったんだよな……」

 しかし、いじめはすぐに再開してしまった。それも、教師まで敵に回ってだ。
 教師は暫くしてから、浩二に雷を落としていた。いじめっ子を全員殴り倒した事を執拗に責め立てて、いじめっ子を擁護し、守ってしまったのだ。それ以来、浩二は結衣を守ろうとするとすぐに教師に止められ、逆に咎められていた。

 浩二が居なくなった事で結衣のいじめは酷くなり、さらには琴音にまで手が伸びるようになってしまった。しかし教師はそれらを全て黙殺していた。
 後で知ったのは、教師は自身の評価を下げたくない一心で、いじめの事実を無かった事にしようとしていたらしい。いじめを止めるより、黙認した方が楽だし、報告さえしなければ、誰にも気付かれやしない。そんな浅ましい魂胆で、結衣は見捨てられたのだ。

「親も……当てにならなかった……」

 結衣の両親は、いじめの実態を知っても結衣を学校に行かせ、何もしなかった。内申が大切だの、いじめじゃなくて単にじゃれているだけだろうだの言っていたが、結局は世間体を保とうとしていただけだ。
 浩二は自身の両親にも相談したが、他人事として受け取ってくれなかった。それに当時から、両親は海外に飛んでばかりいて、まともに取り合ってくれやしない。最終的には校長にも直訴しようとしたが、それも周りの大人達がいじめを隠すために浩二を押さえ込んでしまった。

 加えて、教師は浩二を目障りだと感じ始めていた。挙句、いじめっ子を扇動し、浩二に対し嫌がらせをするようにまで発展した。

「今思えば、他にやり方はあったはずだよな」

 けど、十にも満たない子供にそんなのを考えさせるのは、酷な話だ。
 周りには味方が居なかった。大人も、同級生も、教師でさえも。全てが浩二達の敵だった。浩二達を取り囲む人間の目は正気を失っているかのように血走っていて、子供三人を執拗に追い詰めていた。
 浩二は懸命に抗い、二人を守ろうとしたが、敵はあまりにも多く、自分も、琴音も、結衣さえもズタボロにされていった。

「……一年位、だったか」

 そんな地獄のような日々は、突然終わりを告げた。
 ある日、結衣が突然姿を消した。嫌な予感がした浩二は、琴音と一緒に学校を休んだ。
 街中を探して、大通りの歩道橋で結衣を見つけた。下は車の通りが激しい道路だ。結衣はそこでたたずんで、生気の無い目で空を見ていた。
 浩二と琴音に気付いた結衣は、とても穏やかな顔で微笑んでいた。その笑顔に浩二は恐怖し、すぐに結衣の手を引こうと走った。

「さよなら……」

 結衣の最後の言葉だった。
 結衣は笑顔のまま、歩道橋から飛び降りた。
 落ちゆく彼女に、浩二は手を伸ばした。しかし差し伸べた手は、届かなかった。
 そして結衣は、浩二の目の前で……トラックに撥ねられた。
 結衣の小さな体はゴミのように飛ばされ、反対車線からの車にもぶつかった。道路には血だまりが広がり、その中心に居た結衣は、目を見開いた、苦痛に満ちた顔で転がっていた。

「……結衣……結衣! 結衣ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 浩二は絶叫し、崩れ落ちた。
 結衣を守れなかった後悔と、大人に対する、強い恨みが心に湧いてきた。
 教師も、親も、結衣を助けてくれなかった。大人が全員で結衣を追い詰めたから、彼女は、自殺を選んでしまったのだ。

「許せなかった……」

 大人なんて、全員卑怯な奴ばかりだ。保身のためなら、平気で弱者を見捨てる汚い奴らだ。あいつらが死ぬべきだったんだ。結衣が死んだのは、全部大人達のせいだ!
 それから浩二は、大人を信じなくなった。大人の声は全部耳障りで、大人の行いは全て嘘にまみれている。浩二の目に映る大人は皆、虫けら以下の存在にしか見えなくなった。

「だから俺は……あれ、なんで……」

 なぜこうも鮮明に、昔の事が浮かんでくる。それどころか、段々眠くなってきた。
 力が抜けて、ふわふわしてくる。頭の中が空っぽになって、気持ちよくなってきた。

「……二! ……い、……二」

 誰かが浩二を呼んでいる。けどこれは、大人の声だ。
 どうせまた、益体もない事を喚いているのだろう。聞く必要はない。目を閉じて、楽になった方がいい。

「を……せ、浩……!」

 不意に、腕を引かれた。浩二は誰かに力強く引っ張られ、目を開けた。
 視界には、銀色の髪をした……神話の女が映っていた。
 大人なのに、懸命に浩二を気にかけ続ける馬鹿で、いくら拒絶しても、しつこいくらいに追いかけてくる。逃げようとしても、こいつは手を差し伸べてくる。
 こんなにしつこくちゃ、こっちももう、抗う気が起きやしない。どこまでも、ただただ純粋に生徒を救おうと向かってきやがる。こんな、まっすぐこられ続けたら、もう認めるしかない。

「目を覚ませ、浩二!」

 こいつは紛れもない、本物の先生だ。

「……俺の負けだ」

 掴んでくる手を、浩二は握り返した。

  ◇◇◇

「起きろ、浩二!」

 ばるきりーさんの呼びかけに応じ、浩二は飛び起きた。
 頭が痛くてくらくらする。体もだるく、腹がスースーした。

「こうちゃん……よかったぁ!」

 琴音に抱きつかれ、浩二はびっくりしてまた倒れた。今気付いたが、服が破れて、腹が出ている。ここで浩二は、自分に何が起こったのかを思い出した。
 どうやら、走馬灯を見ていたらしい。

「そうだ……タラスクに腹を……」
「うん……でもばるぎりーざんが治じでぐれだんだよぉ……」

 琴音は泣きじゃくり、ガラガラ声で教えてくれた。
 当のばるきりーさんは、荒い息をしながら、その場にへたりこんだ。

「よく、戻ってこれたな。流石に駄目かと、諦めかけたぞ」

 肩に手をおき、ばるきりーさんは力強く笑いかけた。そんな消耗した体で、自分を治したと言うのか。
 なんでこいつはそこまで頑張れる。なんでそこまで必死になって、生徒を守ろうとする?

「……あんたは、なんなんだ? なんで大人のくせして、子供を守ろうとするんだ? なんでそこまで、必死になれるんだよ?」

 浩二の質問に、ばるきりーさんは口の端を持ち上げた。

「私は人じゃないから大人じゃないぞ。私はワルキューレ、一応これでも女神だ。そして教師が生徒を守るのに、理由は必要か?」

 ばるきりーさんは平然と、語ってくれた。
 そんな事を言う教師が、居たとは思わなかった。そして忘れていた。ばるきりーさんは人じゃないから、大人とは呼べない。
 大人じゃなければ、頼ってもいいのだろうか。人ではないけれど、ばるきりーさんは人間より、ずっと大人のように思えた。

「今日はもう帰れ、二人とも。私が家まで送るからな」

 ふらつく体を起こし、ばるきりーさんは槍を杖に歩き出した。浩二を助けるのに、相当な力を必要としたらしく、口を動かすのも億劫なようだ。
 これでは、さっきの話の続きを聞くのは難しいだろう。

「そうだ、浩二」

 ばるきりーさんは残った力で、浩二にこう残した。

「今度の日曜日、予定を空けておいてくれ。その他の詳細は、また後で連絡する」

 そう告げると、ばるきりーさんは疲れきり、もう話さなくなった。
 日曜日、何をするつもりだ? 浩二は疑問に思うが、素直に従う事にした。
 あの人になら、任せられる。浩二は頑なな心が、ほんの少しだけ緩んだような気がした。
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