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第48話 名前
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気がついたら、私はソファに寝かされていた。
セユンが仕事の合間に昼寝するあのソファだ。
私が目を覚ましたことに気づいたセユンが、顔を覗き込む。
顔をそちらに向ければ右頬が引きつった。何かが貼ってあることに気づき、それで傷の処置もされていることに気づいた。いつの間に……誰がしてくれたのだろう。もっとも私はどれくらい意識を失っていたのだろうか。
「大丈夫か? 君は意識を失っていたんだよ」
「はい……なんとか」
「脳震盪を起こしているようだ。動かさないで」
騎士ならもっとひどい傷など目にしているだろうに、セユンは自分がケガをしたかのように辛そうに私を見る。
「ごめんなさい……怪我をしてしまいました……メイクで隠しきれるでしょうか……」
モデルなのに顔に傷を作ってしまった。身体もクロエにさんざん爪を立てられて引っかかれたり蹴られたので痣もできているだろう。こうして横になっていても体中が痛むし、見た目もどんな風になっているかもわからない。
「そんなことはどうでもいいだろっ!?」
「ですが……コンペも近いのに」
大公妃のサロンはもう一週間後だ。どうでもいいことなわけがないのに、何を言っているのだろう。みんなで一丸となって頑張ったというのに。
「そんなものより、君の方が大事だ!」
セユンは私の頭側に跪くと、まるでお祈りをするかのように両手を組む。
「たとえ、二目とみられない顔になったとしても、俺には君は誰よりも美しく見えるんだ」
「……」
ここでいつもの癖を出さないでほしい。
周囲の目が痛い。好奇に満ちた目でじろじろと見られているのがわかる。
恥ずかしすぎて死んでしまう。ショーで受ける視線には慣れたが、この視線は種類が違いすぎる。
「それよりデザインがっ」
誤魔化す意味もあったけれど、ずっと気になっていたことを訊かなければ。
クロエが盗ませたデザイン画はどうなったのだろう。
「あれはダミーだよ。本物のデザインは違う場所に隠してあった。クロエの動きは把握していたから、没デザインとすり替えておいたんだ。うちの人間なら中身を一目でも見れば、今回採用されたデザインでないとわかったはずなんだが……それすらもわからなかったんだろうな。クロエは」
「…………」
先程、この別邸にクロエは鍵を使って入ってきていた。
彼女が賊に持っていた自分の鍵を貸していたのなら、どこかでその人と接触し、それを返してもらってからこの中に入ってきたはずだ。
その時に、賊がちゃんと言われたものを盗んできたか、その場でデザイン画を確認したはずなのに、それでもクロエは気づかなかったのだ。
セユンのその表情はどこか寂しそうだった。一緒に仕事をしているのなら、ファッションやデザインに対する思いを共有してくれていると思っていたのだろう。
そこまで相手が仕事に興味を失われていたことを、まざまざと見せつけられてはやるせなさしか残らないだろう。
「じゃあ、私、ケガしただけ損だったんですね!」
あの時、私がクロエを見逃していたとしても、どこかで彼女は捕まっていたということだろうか。
いささかがっかりしてしまったが、セユンは首を振る。
「そうでもないさ。君のおかげで現行犯逮捕できたし、逃げられる可能性もなくなったのだから。レティエくんのお手柄だよ」
「あ……別に私、呼び捨てされてもいいですよ?」
「え?」
「先ほど私のことレティエって呼んでましたよね?」
火急の時だから気を使った呼び方なんてできなかったのだろうけれど、元々自分の方がずいぶんと年下なのだから、別にそういう呼ばれ方をするでもいいと思う。
何の気ないつもりでそう言ったのだけれど、どうしたのだろう。セユンの顔が真っ赤っかになっている。
きまり悪がって頭を抱える彼ならともかく、こんな風に照れた姿を見るのは初めてだ。
どうしてセユンが照れているのだろうと思っていたところに、憲兵が近づいてきた。
「事件の詳細をお話し願えますか?」
「彼女はけが人なので手短にお願いします」
セユンが場所を譲るようにして、立ち上がる。
お決まりのような身元確認作業からで、憲兵隊にフルネームを告げたら、セユンの顔がぽかんとしていた。
「……君、貴族だったのか」
その表情に、あ、この人、本当に気づいてなかったんだ……と思ってしまった。
「契約書、名前だけでいいって言ってましたよね?」
「だ、だって、貴族の娘さんって思わなかったから……」
「私はともかくミレーヌを見ても気づかなかったんですか?」
「すまん、あんまり彼女のこと見てなかったんだ……。それに彼女が貴族でも、従妹である君が貴族とは限らないし、君は貴族っぽい感じしなくて」
その言葉に私はふくれっつらをしてしまう。確かに高貴さとか気品とかは備わっていないのは自覚しているが、面と向かって言われるのは複雑だ。
「どうせ私は高貴さに欠けてますよ」
「そういう事じゃなくてっ……いや、平民しかいないようなプリメールになじんでるし……」
「セユンさんがそれ言います?」
どうやらお互いに貴族らしくないという印象を持っていたようだ。この場合、それは誉め言葉として受け取っておこう。
私の方もセユンが高位貴族だということをいつも忘れているのだし。
貴族の娘ということで、居場所が特定できるのは憲兵隊にはありがたいことのようだ。
簡単に経緯を話した後はケガを考慮して、詳しい話は後日ということになり、私はそのまま憲兵隊に保護されて家まで送り届けられることになった。
セユンが仕事の合間に昼寝するあのソファだ。
私が目を覚ましたことに気づいたセユンが、顔を覗き込む。
顔をそちらに向ければ右頬が引きつった。何かが貼ってあることに気づき、それで傷の処置もされていることに気づいた。いつの間に……誰がしてくれたのだろう。もっとも私はどれくらい意識を失っていたのだろうか。
「大丈夫か? 君は意識を失っていたんだよ」
「はい……なんとか」
「脳震盪を起こしているようだ。動かさないで」
騎士ならもっとひどい傷など目にしているだろうに、セユンは自分がケガをしたかのように辛そうに私を見る。
「ごめんなさい……怪我をしてしまいました……メイクで隠しきれるでしょうか……」
モデルなのに顔に傷を作ってしまった。身体もクロエにさんざん爪を立てられて引っかかれたり蹴られたので痣もできているだろう。こうして横になっていても体中が痛むし、見た目もどんな風になっているかもわからない。
「そんなことはどうでもいいだろっ!?」
「ですが……コンペも近いのに」
大公妃のサロンはもう一週間後だ。どうでもいいことなわけがないのに、何を言っているのだろう。みんなで一丸となって頑張ったというのに。
「そんなものより、君の方が大事だ!」
セユンは私の頭側に跪くと、まるでお祈りをするかのように両手を組む。
「たとえ、二目とみられない顔になったとしても、俺には君は誰よりも美しく見えるんだ」
「……」
ここでいつもの癖を出さないでほしい。
周囲の目が痛い。好奇に満ちた目でじろじろと見られているのがわかる。
恥ずかしすぎて死んでしまう。ショーで受ける視線には慣れたが、この視線は種類が違いすぎる。
「それよりデザインがっ」
誤魔化す意味もあったけれど、ずっと気になっていたことを訊かなければ。
クロエが盗ませたデザイン画はどうなったのだろう。
「あれはダミーだよ。本物のデザインは違う場所に隠してあった。クロエの動きは把握していたから、没デザインとすり替えておいたんだ。うちの人間なら中身を一目でも見れば、今回採用されたデザインでないとわかったはずなんだが……それすらもわからなかったんだろうな。クロエは」
「…………」
先程、この別邸にクロエは鍵を使って入ってきていた。
彼女が賊に持っていた自分の鍵を貸していたのなら、どこかでその人と接触し、それを返してもらってからこの中に入ってきたはずだ。
その時に、賊がちゃんと言われたものを盗んできたか、その場でデザイン画を確認したはずなのに、それでもクロエは気づかなかったのだ。
セユンのその表情はどこか寂しそうだった。一緒に仕事をしているのなら、ファッションやデザインに対する思いを共有してくれていると思っていたのだろう。
そこまで相手が仕事に興味を失われていたことを、まざまざと見せつけられてはやるせなさしか残らないだろう。
「じゃあ、私、ケガしただけ損だったんですね!」
あの時、私がクロエを見逃していたとしても、どこかで彼女は捕まっていたということだろうか。
いささかがっかりしてしまったが、セユンは首を振る。
「そうでもないさ。君のおかげで現行犯逮捕できたし、逃げられる可能性もなくなったのだから。レティエくんのお手柄だよ」
「あ……別に私、呼び捨てされてもいいですよ?」
「え?」
「先ほど私のことレティエって呼んでましたよね?」
火急の時だから気を使った呼び方なんてできなかったのだろうけれど、元々自分の方がずいぶんと年下なのだから、別にそういう呼ばれ方をするでもいいと思う。
何の気ないつもりでそう言ったのだけれど、どうしたのだろう。セユンの顔が真っ赤っかになっている。
きまり悪がって頭を抱える彼ならともかく、こんな風に照れた姿を見るのは初めてだ。
どうしてセユンが照れているのだろうと思っていたところに、憲兵が近づいてきた。
「事件の詳細をお話し願えますか?」
「彼女はけが人なので手短にお願いします」
セユンが場所を譲るようにして、立ち上がる。
お決まりのような身元確認作業からで、憲兵隊にフルネームを告げたら、セユンの顔がぽかんとしていた。
「……君、貴族だったのか」
その表情に、あ、この人、本当に気づいてなかったんだ……と思ってしまった。
「契約書、名前だけでいいって言ってましたよね?」
「だ、だって、貴族の娘さんって思わなかったから……」
「私はともかくミレーヌを見ても気づかなかったんですか?」
「すまん、あんまり彼女のこと見てなかったんだ……。それに彼女が貴族でも、従妹である君が貴族とは限らないし、君は貴族っぽい感じしなくて」
その言葉に私はふくれっつらをしてしまう。確かに高貴さとか気品とかは備わっていないのは自覚しているが、面と向かって言われるのは複雑だ。
「どうせ私は高貴さに欠けてますよ」
「そういう事じゃなくてっ……いや、平民しかいないようなプリメールになじんでるし……」
「セユンさんがそれ言います?」
どうやらお互いに貴族らしくないという印象を持っていたようだ。この場合、それは誉め言葉として受け取っておこう。
私の方もセユンが高位貴族だということをいつも忘れているのだし。
貴族の娘ということで、居場所が特定できるのは憲兵隊にはありがたいことのようだ。
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