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5 こんこんと美貴ちゃん

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  次の日の朝、起きたら、こんこんは雄介の布団の中で寝ていた。
 こんこん用の寝る場所を作ってあげるという考えがなかったので、一緒に寝ることにしたのだけれど、こんこんの寝心地はどうだったのだろう。

 雄介は動物を飼ったことがない。

 雄介は元々違うところで生まれた。
 お父さんの会社は日本のあちこちにあって、その仕事の都合で今いるところに幼稚園に入る直前に引っ越してきた。
 今でもいつどこに引っ越しするかわからないから、ずっと借りた家に住むしかない。
 そして、そういう家はだいたいがペット禁止なため、生き物を飼うことを許してもらえなかった。
 もっともお父さんが猫が好きなので、たまに一緒に動画を見たりするのだけれど、そのお父さんは猫アレルギーだから、将来、動物を飼うことを許された家でも猫を飼うことはできないだろう。
 
 雄介の部屋は東向きで、カーテンが細く開いた隙間から入ってきた朝日が、こんこんの毛皮を照らしている。白いこんこんの毛皮だけれど、そこだけきらきらと光って雪の降った日の朝のようだった。 

「こんこん、おはよう!」
 
 ぎゅむ、と抱きしめると、こんこんに嫌そうに前足で肩のあたりを叩かれてしまった。

 そういえば、こんこんはトイレに行ってない気がする。ずっと部屋にいるみたいだ。
 万が一、その辺におもらししてしまってもいいや、といちおう部屋中に新聞紙をいてはいるのだけれど。

「ゆうすけー、いいかげん起きなさい! 夏休みだからって不規則にしてると、夏休み終わってから戻すのしんどいわよ!」
「起きてるよぅ」
「!? なにこれ!? 片付けなさい!」

 新聞紙を敷きつめているのを散らかしているのだとお母さんは思ったらしい。でも、お母さんの目の前で、まだぐうぐう寝ているこんこんに対しては何も言わない。

 やはり、お母さんはこんこんが見えていないようだ。

 (お母さんに見えてないなら、このまま、こっそりこんこんを飼っちゃおうかな……)

 と、少し思ったのだけれど、そうしてしまうのは嘘をついているようでなぜか良心が痛んでしまう。

 とりあえず、こんこんを園長先生に見てもらおうと、雄介は支度をすることに決めた。






 教会と幼稚園は隣同士に建てられていて、園長先生の家は幼稚園の敷地内にある。
 夏休みの間は幼稚園もお休みで、幼稚園の門も開いていない。
 今日が日曜日だったら教会学校があるのだけれど、昨日が日曜日だったので今日は月曜日。教会で園長先生に会うとしても次の大人の礼拝のある水曜日だろう。ずいぶんと間があいてしまうことになる。
 かといって、わざわざ先生のおうちにチャイムを鳴らしていくのも、気が引けるし。

「どうしようかなぁ……」

 そう思いながら、こんこんを抱っこしたまま閉まっている門の外でうろうろしていたら、先生の自宅の扉が開いたのが見えた。
 誰が出て来たんだろう、と思っていたら、相手が先に自分をわかってくれた。
 白いセーラー服を着た彼女は手を振っている。
 
「ゆうくん、おはよー、どうしたの? ここでセミりでもしてるの?」
「あ、美貴ちゃん! おはよう」

 知ってる人でほっとした。美貴ちゃんは園長先生の娘で、もう中学生だけれど雄介と同じ小学校に通っていた。
 彼女が卒業して一年半くらいしか経ってないのに、随分とお姉さんになっているし、短かった髪も肩をすぎるくらい長くなっていて違う人みたいでびっくりしてしまった。

 日曜学校に毎回顔を出す美貴ちゃんは、一時期、礼拝にも顔を出していた雄介のことを幼稚園の頃から知ってくれている。
 もっとも雄介の通っていたこの幼稚園は子供の数が一学年20人程度と少ないし、この幼稚園から同じ小学校に行ったのは雄介と瑛太郎だけだから、美貴ちゃんも何かと雄介を気にかけてくれて、一度は忘れた縄跳びを借りたことだってあった。
 あの時は本当に助かったなぁ、と三年前のことをなんとなく思いだしてしまった。

「……なんでそんな子を連れてんの?」

 いつの間にか美貴ちゃんは雄介の腕の中をじっと見ている。
 
「美貴ちゃんはこの子が見えるの?」
「うん、見える。見えちゃいけない子が見えてる」
 
 見えちゃいけない子って……。
 そんな言い方しなくても、と思ったけれど、世の中には見えていい子と見えてはいけない子がいるのか、と知らない常識を知ってしまった。
 
「この子、お母さんには見えなかったんだ。だから園長先生ならわかるかなって」
 
 そう美貴ちゃんに言うと、露骨に嫌そうな顔をされた。
 
「うちのお父さんには、その子は見せない方がいいと思うんだけどなぁ」
「どうして?」
「あの人、頭が固いから?」
 
 自分の父親に対して随分とクールな言い方だ。
 美貴ちゃんは園長先生のことが嫌いなのだろうか。
 やはり自分の父親ともなると、また違うものなのだろうか。

「この子ね。行く場所がないみたいなんだよ。僕がこの子のおうち壊しちゃって。連れて行ってっていうから連れて帰ったんだけれど、うち、飼えないし……」
「それなら、月島のおじさんに相談する方がいいよ」
「それって誰?」
「駅前の不動産屋さんのことだよ。今泉不動産の社長さん」

 その人なら知っている。お店は入口が狭くてぼろぼろで怪しく見えるけれど、この地域の主のような存在で年末商店街の福引コーナーで子供達に風船を配ってくれるおじさんだ。 
 
「それって、おうち探しって意味で?」

 雄介がそう尋ねたら、美貴ちゃんは違う違うと手を振った。

「そうじゃないよー。あそこのおじさんそういうの詳しいんだよ。うちのお父さんとは違った形でね。やっぱり不動産といったら事故物件とかあるから、そういうのに詳しくなっちゃったのかもね」

 じこぶっけん?
 じこぶっけんとはなんだろう。

 雄介が言われた言葉の意味がよくわかっていないのに気づかないまま、美貴ちゃんは「じゃ、私、もう行くね」と手を振って行ってしまった。

 夏休みだというのに学校があるのだろうか。
 中学生は大変だなぁと、雄介は去っていく美貴ちゃんの後ろ姿を手を振って見送った。

(でも、美貴ちゃん、こんこんのこと嫌いなのかな。それとも動物が嫌いになっちゃったのかな)

 ちらっとこんこんを見ただけで、可愛いとか、触りたいとか、そういうそぶりを美貴ちゃんは見せなかった。

 雄介の記憶にある美貴ちゃんは動物が大好きな子だった。

 小学校の時にはずっと飼育委員だったし、幼稚園で飼われていたウサギの面倒もよく見ていた。近所の公園で誰かが犬を連れてた時は、一緒に遊んでいた姿も見たことがある。
 中学生になって大人っぽくなった彼女は、動物への興味がなくなってしまったのだろうか。
 そう思うと少し寂しくなってしまった。
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