わからないから、教えて ―恋知らずの天才魔術師は秀才教師に執着中

月灯

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だから、教えて②

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 ジルベルトが、星花祭りのあと姿をくらませていた。

「……ジルベルト?」

 見上げると、彼は黙って横を向いた。道理でここ数日ジルベルトがずっといたわけだ。休みを取ったのかと思いきや、まさか《塔》と連絡を断っていたとは。
 バジルが腰に手を当て、胸を反らす。その表情はアーサーが見たことないほど険しい。いや、焦っているとでも言うべきか。

「いい加減に仕事復帰してください! あんたのせいでここ数日リエさんがめちゃくちゃ笑顔なんですよ。勘弁してくださいよほんと」

 笑顔? アーサーが首を傾げると同時、ジルベルトの表情が動いた。しばし押し黙った彼は、不本意そうに頷く。

「……明日からは行く」
「そこは今日からと」
「嫌だ」
「駄々っ子か」

 リエ。聞き覚えのある名だ。そうだ、フィリップ・リエ。アーサーの学問分野では誰もが知る名である。この前買った論文集にも載っていた。確か魔力の利用効率についてだったか。
 学会で見かけたこともあるが、いつも仏頂面で淡々と語っている印象しかない。彼の笑顔と仕事復帰がなぜ繋がるのか。

「先生のほうからも言ってやってください」
「え、僕?」
「はい」

 いきなり水を向けられて驚く。ええと、と困惑しつつアーサーはジルベルトの袖を引いた。が、アーサーを抱き込む腕は緩まない。

「……ジルベルト」
「わかっている。明日行く」

 意地でも今日は行く気がないらしい。ますます強くなった腕に、アーサーは再び「苦しい」と訴えた。やはりあまり効果はなかった。
 諦めてアーサーはバジルへ向き直る。

「ところで、バジルくんは《塔》の人だったんだね」
「……あー」

 バジルは少し気まずそうに頭を掻いた。

「そうです。おれは《塔》の命令で学院に潜入していました。……いままで隠していてすみません」
「まあ、びっくりはしたけれど」

 驚きはしたが、謝られることでもない。潜入の目的は知らないが、ジルベルト絡みなのは明らかだ。教会だけでなく《塔》からも目をつけられていたわけである。もしかすると、アーサーが想像する以上にジルベルトの私的な交流相手は稀少なのかもしれない。
 どんな思惑であれ、バジルがアーサーを助けようとしていたのは事実だ。いまだって彼はまっさきにアーサーの心配をしてくれた。

「星花祭りではありがとう。助けようとしてくれたんだよね」
「まあ、遅くなっちゃったんですけど」
「それでもお礼を言わせて。ありがとう」
「……どういたしまして」

 バジルが照れくさそうにはにかんだ。つられてアーサーも微笑むと、頭上で唸るような声がする。

「おい、用が済んだなら出ていけ」
「は? いま先生と喋ってるんですけど? 邪魔しないでもらえます?」

 ジルベルトはふんと鼻を鳴らす。

「お前はぼくを探しにきた。ぼくは明日行くと約束した。もうここにいる理由はない」
「残念ながら、先生の保護も任務なんだよ。――というわけで先生、ここから出ましょう」
「えっ」

 保護?
 話が読めなくなってきた。

「許さない」

 アーサーが答える前にジルベルトが噛みついた。にわかに背後の怒気が強くなる。しかしバジルは動じない。

「あんたが許す許さないじゃないんだわ。上からの正式な命令なんで」
「だめだ」
「……あの、どうしてそのような命令が?」

 このままだと埒が明かない。というか、誰が状況を説明してほしい。アーサーが言い合いに割って入ると、バジルが振り返ってにこりと笑った。温度差がすさまじい。

「星花祭りの日以来、あなた方ふたりが行方不明だったからです」
「え?」
「先生が魔力枯渇状態になったのち、このクソ……」

 バジルは咳払いした。

「くそ偉大な魔術師は先生を抱えて消息を断ちました。それからずっと連絡もありません。ですので捜索隊が組まれていました。おれもその一人です」
「そう、だったんだ」

 まさかそんな大事になっていたとは思わなかった。呆然とするアーサーを上から下まで眺め、バジルは息を吐く。

「とりあえず元気そうで安心しましたけど。とまあこういう事情でして、このクソ……クソがなにをするかわからない以上、ひとまず保護させていただきます」

 いま、しっかりクソって言い直したな。だが、そう突っ込みをいれる雰囲気でもなかった。

「だめだ」

 ジルベルトはなおも一点張りである。バジルが呆れたように息を吐く。

「だめだもクソもないんですよ。――はぁ、あんたさ、やってること犯罪なのわかってます? 誘拐で指名手配されても文句言えない立場なんで。あそこのドアも仕掛けあるし、監禁でしょこれ」

 バジルの言うことはもっともだ。「捜索」という形なのは《塔》の温情なのだろう。だからこそ、ここで逆らえばきっと後はない。

「知ったことか。アーサーはここから出さない」

 だがジルベルトも折れなかった。どうしたものかとアーサーは思考をめぐらす。どうすればこの場を、というかジルベルトを収められるだろう。
 そのとき、腹に回ったジルベルトの腕が震えていることに気づいた。

「……ジルベルト」
「だめだ」
「ジルベルト、話を聞いて。……バジルくん、申し訳ないけれど、今日のところは見逃してくれないかな」
「それは同行を拒むということですか?」

 バジルの視線がアーサーへ向く。口調は丁寧だが、まとう空気が冷えたのがわかった。気安く見えるが、目の前の教務助手は逆らう者には容赦しない男なのだろう。いままで優しかったのは、あくまでアーサーが巻き込まれた被害者だからにすぎない。
 ここが正念場だ。アーサーは背を正した。

「いや、きちんと行く。でもその前にジルベルトと話し合う時間が欲しい」

 そうして背後を振り返った。ジルベルト、と呼びかける。黄玉の眸が揺らいだ。

「ジルベルトは、僕を傷つけようとしてる?」
「違う」

 即答。

「僕が疎ましい?」
「違う」

 これも即答だ。それだけわかればいい。わかった、とアーサーは頷いて右手の人差し指を回した。そして現れた水の刃をを躊躇いなくもう一方の指先に当てる。とぷ、と血が滲んだ。背後で息を呑む音がする。その口がなにごとか紡ぐ前に、アーサーは一息で捲し立てた。

「――【誓約。アーサー・クラムベルは明日、ジルベルト・オーウェンに同伴し《塔》へ赴く。この血に背くことなし】」

 刹那、指先の傷から一筋の光が立ち上り、ぱっと弾けた。誓約が受理された証だ。よし、これでいい。アーサーは唇の端を持ち上げる。

「この通りだよ。ジルベルトが明日《塔》へ行くときに、僕も一緒に行こう。だからどうか、ここは一度退いてほしい」

 誓約は女神に対する正式な誓いだ。もし違反すれば死という罰が下るし、解除もできない。魔術師が誠実を証明するための手段だが、その性質ゆえ使用される場面じたい限られる。
 それを敢えてアーサーは持ち出した。この場を収めるには、きっとこれくらい大袈裟なほうがいい。なにせ命を賭けたのだ。案の定バジルはしばし黙り込んで、「はぁ」と息を吐く。

「……わかりました。いいでしょう。確かに先生たちは話し合いが必要です。――あんたも、頼みますよ」

 アーサーの背後を睨みつけたバジルは、そのまま走って窓から飛び降りた。
 来たときも唐突だったが、帰りも早い。

「……アーサー、どういうつもりだ」

 地を這うような声に、アーサーは覚悟を決めて振り返った。
 ――ずっと、ジルベルトとの関係を曖昧にしてきた。怖かったからだ。踏み込んで、失うのが怖かった。
 だがもう限界だろう。アーサーは深く息を吸って、吐く。そうしてゆっくり口を開いた。
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