71 / 361
月の砂漠のかぐや姫 第70話
しおりを挟む
「あれは、先導役の王花の盗賊団の男だ。どうして、後ろに向かって走っていくのだろうか」
王柔の姿は、山脈のように連なっている駱駝の背の影から見え隠れしながら遠ざかっていきました。それを目で追いながら、寒山は、腹の中で不安という黒い塊が、ずしっと存在を主張し始めたのを感じました。
「何事もなければ良いが・・・・・・」
自分を落ち着かせるためなのか、また、無意識のうちに髭をなでながら、寒山はつぶやきました。
交易隊の隊長はとても大変な仕事でした。長い期間、隊員を励ましながら、厳しいゴビの大地を、時には、歩くことさえ困難な砂漠を、進んでいかなければなりません。その間、精霊に加護を求める他は、誰の助けを受ける事も期待できません。天候の急変や盗賊に襲われる危険はもちろんのことですが、交易隊の団員による盗みや反逆さえも、備えの対象となります。そのため、様々な個性を持つ隊長がいるものの、彼らは総じて人間的な魅力に富み、人を指導する力に優れているのでした。寒山は、その隊長の中でも、特に経験豊富な男でしたから、自らが持つ人を引き付ける力に加えて、様々な困難を乗り越えてきたという実績により、交易隊の各員から強い信頼を得ていたのでした。
ただ、寒山は、どちらかというと「慎重な」考え方をする男でした。選択を迫られる際には、全てを得る可能性もあるが全てを失う可能性もある選択肢よりは、多少損害が生じたとしても全体を失う恐れが少ない選択肢を選ぶ男でした。もっとも、だからこそ、頭布の下の黒髪やその豊かな髭に、ぽつぽつと白いものが混じるこの年まで生き抜いてこれたのだ、と言うことも出来るのかも知れませんが。
その経験に裏打ちされた寒山の感覚は、ヤルダンに入った時から、なにやら言葉にできない刺激を彼に送り続けていました。そして、今、案内人が隊を逆走するという、通常あり得ない行いをしているところを目にしたのでした。
心配するだけで済めば、何らかの笑い話で済むことであれば、それで良いのだが・・・・・・。寒山は、そのように思いながらも、不安が大きくなるのを留めることが出来ないのでした。なぜなら、彼の経験はこう告げていたからでした。
「こういう時には、決まって何かが起きるのだ」
経験というものは、最良の占い師なのかもしれません。
やはり、寒山の恐れていたとおりになってしまいました。
案内役の男が交易隊の後ろの方へ走っていってからしばらくして、そちらの方から大きな怒鳴り声が聞こえてきました。寒山が馬上から眺めたところでは、最後尾の連が交易隊の進行から大きく遅れていました。どうやら、その連は進むのを止めてしまっているようでした。
今日の朝の打ち合わせでは、うまくいけば今日中にヤルダンを抜けられるかもしれないと、案内人が話していました。もうずいぶん前に太陽は頂点を過ぎてしまっていますから、急がないと、今日中にヤルダンを抜けることが出来ません。
「こんな時に、なんだ。おい、俺は、後方を見てくるから、ここを頼む」
寒山は、自分の補佐の男に指示を出すと、愛馬の頭を後方に向けて、その脇腹を蹴りました。
「だから、言ってるじゃないですか。もう、彼女は限界なんですよ。少しでもいいから休ませてあげてくださいよっ」
「関係ない奴が何をぬかすっ。ほらっ、立て、歩けっ」
「止めてくださいっ!」
大きな声を出していたのは、先程、寒山の脇を走り抜けた案内人の男と、交易隊の護衛をしている男でした。護衛隊の男は、持っている槍の尻を案内人の男の方に振りかざし、案内人の男はその前で身体を大きく広げて、何かをかばっているようなしぐさをしていました。激しく言い争いをしている二人の横で、一本の縄で繋がれた数人の奴隷が、迷惑そうな顔をしながら立っていました。縄の端は地上に向けて垂れ下がっており、案内人の背中に隠れていました。
「あの男、たしか、王柔とか言ったな。なぜ、案内人がこんなところまで下がってきて、護衛隊の男と言い争いなんぞしているのだ」
寒山は、状況を良く確認しようと、「何をしているんだ、お前たちっ」と大きな声をあげながら、言い争いをしている二人の真ん中に、馬を進めました。
その時、馬上から見下ろしている寒山の目に、王柔の背に隠されているものの姿が入りました。
そこには、奴隷の中で最も年若い、子供と言っても差し支えのないような少女が、横たわっていました。彼女が全身を大きく動かして、荒い呼吸を繰り返しているのが、遠目にも良くわかりました。
「隊長様、勘弁してください」
「俺たちは何もしてません。悪いのは、あの子です。お叱りなら、あの子をお願いしますっ」
「俺たちが歩くのを止めたんじゃありませんぜ。あの、横から入ってきた男が護衛の人からかばうのを良いことに、あいつが休んでいるんですよっ」
「俺はいつも遅れないように歩いてました。本当です、本当ですよ、隊長様!」
突然に交易隊の隊長である寒山が馬に乗って現れて、自分たちを見下ろしながら一喝したものですから、奴隷たちはびっくりしてしまいました。たちまち、立ち止まっているのは自分たちのせいではない、あの少女とあの男が悪いのだ、お願いだから自分たちを罰するのはやめてくれ、との言葉が、彼らの口から次々に飛び出してきました。
仲間を売っているように見える彼らでしたが、もともと、彼らの内に仲間意識などはありませんし、実際に起こった出来事は彼らの言うとおりでしたから、彼らがとばっちりを恐れて必死にまくし立てるのも、当然と言えば当然のことなのでした。
王柔の姿は、山脈のように連なっている駱駝の背の影から見え隠れしながら遠ざかっていきました。それを目で追いながら、寒山は、腹の中で不安という黒い塊が、ずしっと存在を主張し始めたのを感じました。
「何事もなければ良いが・・・・・・」
自分を落ち着かせるためなのか、また、無意識のうちに髭をなでながら、寒山はつぶやきました。
交易隊の隊長はとても大変な仕事でした。長い期間、隊員を励ましながら、厳しいゴビの大地を、時には、歩くことさえ困難な砂漠を、進んでいかなければなりません。その間、精霊に加護を求める他は、誰の助けを受ける事も期待できません。天候の急変や盗賊に襲われる危険はもちろんのことですが、交易隊の団員による盗みや反逆さえも、備えの対象となります。そのため、様々な個性を持つ隊長がいるものの、彼らは総じて人間的な魅力に富み、人を指導する力に優れているのでした。寒山は、その隊長の中でも、特に経験豊富な男でしたから、自らが持つ人を引き付ける力に加えて、様々な困難を乗り越えてきたという実績により、交易隊の各員から強い信頼を得ていたのでした。
ただ、寒山は、どちらかというと「慎重な」考え方をする男でした。選択を迫られる際には、全てを得る可能性もあるが全てを失う可能性もある選択肢よりは、多少損害が生じたとしても全体を失う恐れが少ない選択肢を選ぶ男でした。もっとも、だからこそ、頭布の下の黒髪やその豊かな髭に、ぽつぽつと白いものが混じるこの年まで生き抜いてこれたのだ、と言うことも出来るのかも知れませんが。
その経験に裏打ちされた寒山の感覚は、ヤルダンに入った時から、なにやら言葉にできない刺激を彼に送り続けていました。そして、今、案内人が隊を逆走するという、通常あり得ない行いをしているところを目にしたのでした。
心配するだけで済めば、何らかの笑い話で済むことであれば、それで良いのだが・・・・・・。寒山は、そのように思いながらも、不安が大きくなるのを留めることが出来ないのでした。なぜなら、彼の経験はこう告げていたからでした。
「こういう時には、決まって何かが起きるのだ」
経験というものは、最良の占い師なのかもしれません。
やはり、寒山の恐れていたとおりになってしまいました。
案内役の男が交易隊の後ろの方へ走っていってからしばらくして、そちらの方から大きな怒鳴り声が聞こえてきました。寒山が馬上から眺めたところでは、最後尾の連が交易隊の進行から大きく遅れていました。どうやら、その連は進むのを止めてしまっているようでした。
今日の朝の打ち合わせでは、うまくいけば今日中にヤルダンを抜けられるかもしれないと、案内人が話していました。もうずいぶん前に太陽は頂点を過ぎてしまっていますから、急がないと、今日中にヤルダンを抜けることが出来ません。
「こんな時に、なんだ。おい、俺は、後方を見てくるから、ここを頼む」
寒山は、自分の補佐の男に指示を出すと、愛馬の頭を後方に向けて、その脇腹を蹴りました。
「だから、言ってるじゃないですか。もう、彼女は限界なんですよ。少しでもいいから休ませてあげてくださいよっ」
「関係ない奴が何をぬかすっ。ほらっ、立て、歩けっ」
「止めてくださいっ!」
大きな声を出していたのは、先程、寒山の脇を走り抜けた案内人の男と、交易隊の護衛をしている男でした。護衛隊の男は、持っている槍の尻を案内人の男の方に振りかざし、案内人の男はその前で身体を大きく広げて、何かをかばっているようなしぐさをしていました。激しく言い争いをしている二人の横で、一本の縄で繋がれた数人の奴隷が、迷惑そうな顔をしながら立っていました。縄の端は地上に向けて垂れ下がっており、案内人の背中に隠れていました。
「あの男、たしか、王柔とか言ったな。なぜ、案内人がこんなところまで下がってきて、護衛隊の男と言い争いなんぞしているのだ」
寒山は、状況を良く確認しようと、「何をしているんだ、お前たちっ」と大きな声をあげながら、言い争いをしている二人の真ん中に、馬を進めました。
その時、馬上から見下ろしている寒山の目に、王柔の背に隠されているものの姿が入りました。
そこには、奴隷の中で最も年若い、子供と言っても差し支えのないような少女が、横たわっていました。彼女が全身を大きく動かして、荒い呼吸を繰り返しているのが、遠目にも良くわかりました。
「隊長様、勘弁してください」
「俺たちは何もしてません。悪いのは、あの子です。お叱りなら、あの子をお願いしますっ」
「俺たちが歩くのを止めたんじゃありませんぜ。あの、横から入ってきた男が護衛の人からかばうのを良いことに、あいつが休んでいるんですよっ」
「俺はいつも遅れないように歩いてました。本当です、本当ですよ、隊長様!」
突然に交易隊の隊長である寒山が馬に乗って現れて、自分たちを見下ろしながら一喝したものですから、奴隷たちはびっくりしてしまいました。たちまち、立ち止まっているのは自分たちのせいではない、あの少女とあの男が悪いのだ、お願いだから自分たちを罰するのはやめてくれ、との言葉が、彼らの口から次々に飛び出してきました。
仲間を売っているように見える彼らでしたが、もともと、彼らの内に仲間意識などはありませんし、実際に起こった出来事は彼らの言うとおりでしたから、彼らがとばっちりを恐れて必死にまくし立てるのも、当然と言えば当然のことなのでした。
0
あなたにおすすめの小説
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
最前線
TF
ファンタジー
人類の存亡を尊厳を守るために、各国から精鋭が集いし
最前線の街で繰り広げられる、ヒューマンドラマ
この街が陥落した時、世界は混沌と混乱の時代に突入するのだが、
それを理解しているのは、現場に居る人達だけである。
使命に燃えた一癖も二癖もある、人物達の人生を描いた物語。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
レベル1のフリはやめた。貸した力を全回収
ソラ
ファンタジー
勇者パーティの荷物持ち、ソラ。
彼はレベル1の無能として蔑まれ、魔王討伐を目前に「お前のようなゴミはいらない」と追放を言い渡される。
だが、傲慢な勇者たちは知らなかった。
自分たちが人間最高峰の力を維持できていたのは、すべてソラの規格外のステータスを『借りていた』からだということを。
「……わかった。貸していた力、すべて返してもらうよ」
契約解除。返還されたレベルは9999。
一瞬にして力を失い、ただの凡人へと転落しパニックに陥る勇者たち。
対するソラは、星を砕くほどの万能感を取り戻しながらも、淡々と宿を去る。
静かな隠居を望むソラだったが、路地裏で「才能なし」と虐げられていた少女ミィナを助けたことで、運命が変わり始める。
「借金の利息として、君を最強にしてあげよう」
これは、世界そのものにステータスを貸し付けていた最強の『貸与者』が、不条理な世界を再定義していく物語。
(本作品はAIを活用して構成・執筆しています)
真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます
難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』"
ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。
社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー……
……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!?
ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。
「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」
「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族!
「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」
かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、
竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。
「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」
人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、
やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。
——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、
「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。
世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、
最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕!
※小説家になろう様にも掲載しています。
神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします
夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。
アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。
いわゆる"神々の愛し子"というもの。
神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。
そういうことだ。
そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。
簡単でしょう?
えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか??
−−−−−−
新連載始まりました。
私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。
会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。
余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。
会話がわからない!となるよりは・・
試みですね。
誤字・脱字・文章修正 随時行います。
短編タグが長編に変更になることがございます。
*タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる