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第一章
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「どういうこと? 転校したいの?」
顧海は頷いた。
「今の高校は家から近すぎるから、俺が引っ越したら通いづらい」
房菲は顧海の言葉が飲み込めない。
「引っ越したらってなに?」
顧海は家具に半分腰かけ、まったく気に留めず煙草に火をつけた。
「ジジイとケンカした」
房菲は顧海の手から煙草を奪う。
「こんな若い時からニコチン中毒になって。言っとくけど喫煙は発育に影響するわよ!」
「俺の発育はもう終わった」
房菲の視線は無意識に顧海の下半身に注がれたが、その後わざと落ち着き払ったように視線を戻し、話題も逸らした。
「どんな学校に行きたいの?」
「そっちで決めていいよ」
「やっぱりね。私のところに来るときにはいい用事だった試しがないもの」
顧海は笑う。
「俺、もう姉さんしか家族がいないからさ」
その言葉は房菲の胸に響いた。顧海は幼い頃からこの従姉に懐き、一日中彼女の後をくっついて回った。成長してからも変わらない。いいことがあっても悪いことがあってもここに逃げ込んでくるのだ。
「うちの旦那の知り合いに何人か校長がいるわ」
「じゃあ、早く頼むよ」
「ちょっと待ってちょうだい」
房菲は顧海の手を引いて言った。
「最初に言っておくけど、そんなにいい学校に入るのは無理よ。今の場所とは比べ物にならないわ。もちろんそこまでひどい学校は選ばないけど」
「通えればそれでいい。任せるよ」
白洛因はパソコンを立ち上げ、メールボックスを開く。二十以上の未読メールが溜まっていたがすべて海外からで、それも全部同一人物、つまり石慧からだった。
まず全部ゴミ箱に移動させ、それから完全に消去する。
どうせ別れたのだから、徹底的に断ち切ったほうがいい。
「小因、こっちに来ておくれ」
隣の部屋から白ばあちゃんの声が聞こえてきた。白洛因は急いで立ち上がり、祖母の部屋へ行った。
彼女はソファーに座っていた。丸々と肥えた姿はまるで小さな仏様のようで、黙っていれば誰が見ても健康なおばあちゃんだった。しかし口を開くと皆を驚かせてしまう。
「小因、ばあちゃんに林檎を砕いて食べさせておくれ」
白洛因はいつものことなので、林檎の皮を剥き始めた。半分ほど向いたところで祖母は見ていられなかったのか、皮に手を伸ばして何かぶつぶつ言いながら全部口の中へ入れてしまった。
「ばあちゃん、それは食べちゃだめだよ」
「厚い、厚い」
白洛因にはわかっていた。祖母は林檎の皮を厚く剥きすぎると咎めているのだ。
一年前、白洛因の祖母はとても話し好きな人だった。一家で話をしていても、彼女がひとりで話すのをみんなで聞くばかりだった。あの頃祖母の口はとても滑らかで、十人が束になっても彼女には叶わなかった。
今年になり、祖母は肺血栓を患って入院したのだが、血栓を散らしたときに脳の血管が詰まり、言語中枢を圧迫してしまった。それから脳と口が一致せず、とんちんかんな言葉を話すようになってしまった。
林檎を「剥く」ことを「砕く」と言ってしまうのはまだ軽いほうで、祖父を叔父と呼んだり、伯母を姉さんと呼んだりすることも日常茶飯事で、やがて彼女の中で白家は老いも若きもみんな同世代になってしまった。
「ばあちゃん、俺部屋に戻るよ。パソコンつけっぱなしだし」
「後でまたばあちゃんとおしゃべりしておくれ」
ちなみに祖母は以前ほど話せないものの、その情熱は変わらないどころかさらに旺盛になっていた。誰かを捕まえてはしゃべろうとするので、ご近所の人たちも祖母を見かけると姿を隠すようになってしまった。彼女の独創的な言語体系は、なかなか周囲の人に理解されない。
「もうすぐ月光(学校)が始まるんだよね?」
「あと一週間かな」
祖母は白洛因の手を掴み、ひどく用心深い表情を浮かべ、抜け目ない老婆のように告げた。
「しっかり勉強しなさい。驕りとらぶら(高ぶら)ないように」
白洛因はそれに対して子供をあやすような口調で答える。
「安心して、ばあちゃん。俺は驕りとらぶら(高ぶら)ないから」
五分としないうちに祖母は鼾をかきはじめた。老人は睡眠時間が少ないというが、白ばあちゃんは例外だった。朝八時に起きて朝食を食べ、正午まで寝る。昼食を食べた後、また午後四時まで寝る。それから少し活動してまた夕食を食べ、八時ぴったりに眠りにつくのだ。
逆に白じいちゃんは朝四時に目を覚まし、三輪車で家を出て行く。正午に戻ってきて昼食を取り、また出て行って夕飯時に戻る。食事の後は散歩をして、戻って来るのは遅い時間だった。
二人に共通していることは、とにかくめちゃめちゃだということだ。
例えば二人は夜一緒にテレビを見るのだが、一晩で五つの局をザッピングし、見たものを一つの完全なドラマに仕立て上げ、嬉しそうに語って聞かせる。それくらいめちゃめちゃなのだ。
白洛因はソファーの上にあった上掛けに手を伸ばして祖母にかけると、部屋を出て行った。
顧海は頷いた。
「今の高校は家から近すぎるから、俺が引っ越したら通いづらい」
房菲は顧海の言葉が飲み込めない。
「引っ越したらってなに?」
顧海は家具に半分腰かけ、まったく気に留めず煙草に火をつけた。
「ジジイとケンカした」
房菲は顧海の手から煙草を奪う。
「こんな若い時からニコチン中毒になって。言っとくけど喫煙は発育に影響するわよ!」
「俺の発育はもう終わった」
房菲の視線は無意識に顧海の下半身に注がれたが、その後わざと落ち着き払ったように視線を戻し、話題も逸らした。
「どんな学校に行きたいの?」
「そっちで決めていいよ」
「やっぱりね。私のところに来るときにはいい用事だった試しがないもの」
顧海は笑う。
「俺、もう姉さんしか家族がいないからさ」
その言葉は房菲の胸に響いた。顧海は幼い頃からこの従姉に懐き、一日中彼女の後をくっついて回った。成長してからも変わらない。いいことがあっても悪いことがあってもここに逃げ込んでくるのだ。
「うちの旦那の知り合いに何人か校長がいるわ」
「じゃあ、早く頼むよ」
「ちょっと待ってちょうだい」
房菲は顧海の手を引いて言った。
「最初に言っておくけど、そんなにいい学校に入るのは無理よ。今の場所とは比べ物にならないわ。もちろんそこまでひどい学校は選ばないけど」
「通えればそれでいい。任せるよ」
白洛因はパソコンを立ち上げ、メールボックスを開く。二十以上の未読メールが溜まっていたがすべて海外からで、それも全部同一人物、つまり石慧からだった。
まず全部ゴミ箱に移動させ、それから完全に消去する。
どうせ別れたのだから、徹底的に断ち切ったほうがいい。
「小因、こっちに来ておくれ」
隣の部屋から白ばあちゃんの声が聞こえてきた。白洛因は急いで立ち上がり、祖母の部屋へ行った。
彼女はソファーに座っていた。丸々と肥えた姿はまるで小さな仏様のようで、黙っていれば誰が見ても健康なおばあちゃんだった。しかし口を開くと皆を驚かせてしまう。
「小因、ばあちゃんに林檎を砕いて食べさせておくれ」
白洛因はいつものことなので、林檎の皮を剥き始めた。半分ほど向いたところで祖母は見ていられなかったのか、皮に手を伸ばして何かぶつぶつ言いながら全部口の中へ入れてしまった。
「ばあちゃん、それは食べちゃだめだよ」
「厚い、厚い」
白洛因にはわかっていた。祖母は林檎の皮を厚く剥きすぎると咎めているのだ。
一年前、白洛因の祖母はとても話し好きな人だった。一家で話をしていても、彼女がひとりで話すのをみんなで聞くばかりだった。あの頃祖母の口はとても滑らかで、十人が束になっても彼女には叶わなかった。
今年になり、祖母は肺血栓を患って入院したのだが、血栓を散らしたときに脳の血管が詰まり、言語中枢を圧迫してしまった。それから脳と口が一致せず、とんちんかんな言葉を話すようになってしまった。
林檎を「剥く」ことを「砕く」と言ってしまうのはまだ軽いほうで、祖父を叔父と呼んだり、伯母を姉さんと呼んだりすることも日常茶飯事で、やがて彼女の中で白家は老いも若きもみんな同世代になってしまった。
「ばあちゃん、俺部屋に戻るよ。パソコンつけっぱなしだし」
「後でまたばあちゃんとおしゃべりしておくれ」
ちなみに祖母は以前ほど話せないものの、その情熱は変わらないどころかさらに旺盛になっていた。誰かを捕まえてはしゃべろうとするので、ご近所の人たちも祖母を見かけると姿を隠すようになってしまった。彼女の独創的な言語体系は、なかなか周囲の人に理解されない。
「もうすぐ月光(学校)が始まるんだよね?」
「あと一週間かな」
祖母は白洛因の手を掴み、ひどく用心深い表情を浮かべ、抜け目ない老婆のように告げた。
「しっかり勉強しなさい。驕りとらぶら(高ぶら)ないように」
白洛因はそれに対して子供をあやすような口調で答える。
「安心して、ばあちゃん。俺は驕りとらぶら(高ぶら)ないから」
五分としないうちに祖母は鼾をかきはじめた。老人は睡眠時間が少ないというが、白ばあちゃんは例外だった。朝八時に起きて朝食を食べ、正午まで寝る。昼食を食べた後、また午後四時まで寝る。それから少し活動してまた夕食を食べ、八時ぴったりに眠りにつくのだ。
逆に白じいちゃんは朝四時に目を覚まし、三輪車で家を出て行く。正午に戻ってきて昼食を取り、また出て行って夕飯時に戻る。食事の後は散歩をして、戻って来るのは遅い時間だった。
二人に共通していることは、とにかくめちゃめちゃだということだ。
例えば二人は夜一緒にテレビを見るのだが、一晩で五つの局をザッピングし、見たものを一つの完全なドラマに仕立て上げ、嬉しそうに語って聞かせる。それくらいめちゃめちゃなのだ。
白洛因はソファーの上にあった上掛けに手を伸ばして祖母にかけると、部屋を出て行った。
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