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第五章
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顧海が白洛因を家まで送り届けると、白漢旗は路地で世間話をしているところだった。だが顧海と白洛因を見るとすぐに小さな椅子を畳んで立ち上がり、目元に笑い皺を浮かべる。
「大海(グー・ハイのあだ名)、家に帰らないでうちで夕飯を食べていきな!」
白洛因は父親を睨み、目線ではっきり伝えた。どうするつもりだ? 奴には建前なんてわからないぞ。そんなことを言えば帰らないに決まっている。
「いいよ! おじさんにそう言われちゃ帰るわけにはいかないな」
ほらみろ!
白洛因は眉間に皺を寄せ、敵意に満ちたまなざしを白漢旗へ向ける。
「今日は鄒おばさんの作ったご飯だから、絶対間違いない」
「鄒おばさんの料理なんて食わせる必要はない。父さんが作れよ!」
白漢旗は固まった。褒められているのか貶されているのかわからない。
顧海が厨房へ入ると、鄒おばさんが麺を作っているところだった。大きく太い綿棒を何度も転がし平らに伸ばしてから折り畳み重ね、トントントンとリズミカルな音を立てて確かな手つきであっという間に切り終える。一本一本の太さも長さも揃っていて、機械で作ったように完璧なレベルだ。とても手打ちとは思えなかった。
「おばさん、包丁の技術がすごいね。どれくらい修行したの?」
鄒おばさんは優しく笑う。
「修行なんてしてないわ。二十年以上やっていれば誰でもできるようになるのよ」
「手伝おうか?」
「いいわよ。あなたは部屋で宿題してなさい。すぐにできるから」
顧海はまな板に転がっているきゅうりを一本齧り、歯ざわりの良さに思わず賞賛の声を上げた。
「おばさん、このきゅうりどこで買ったの? めちゃくちゃ美味いよ」
「うちの庭で植えたきゅうりよ。後で取ってあげるからご両親に持って帰りなさい。農薬も使ってないし安心よ」
「わかった。後でおばさんちに寄ってもらっていくよ」
笑っている間にも鄒おばさんはきゅうりをまっすぐ綺麗に細切りにし、まるで小窓のカーテンのように皿に盛り付けた。
そして隣には作りたての肉味噌を乗せる。その味は濃厚で肉はふっくらと柔らかい。具材も豊富だ。大豆、香椿、赤カブの細切りなど……彩も美しく、見ているだけで食欲がそそられる。
「おばさん、代わりにちょっと味見しようか?」
「いい加減にしろ」
顧海が箸を麺に伸ばそうとしたとき、戸口から怒りの声が聞こえてきた。
「外に出て来い! 働け! ただで飯を食えると思うなよ」
鄒おばさんは顧海と白洛因の後ろ姿を見ながら笑う。あの子たちはなんて可愛いんだろう。
食事をしながら顧海はビールを飲み、白ばあちゃんと楽しくおしゃべりした。白ばあちゃんは友達ができたと喜び、食事の後も顧海を帰さず、興奮しながら中庭を指さした。
「このあたりの作物は全部劉少奇同志(中国二代目の国家主席)が私たちに作らせたんだよ」
「……」
白洛因は祖母の手を取り、言い聞かせる。
「ばあちゃん、まず先に足を洗おうか。ほら、一緒に部屋に戻ろう」
顧海は白洛因が祖母のタオルを取りに外に出てきたところを捕まえる。
「お前のおばあちゃんの話はつまり、俺に泊まれってことじゃないか?」
白洛因は顧海の肩を強く叩いた。
「それはお前の考えすぎだ!」
中庭をぶらぶら歩きながら、顧海はばあちゃんの部屋の前で足を止め、静かに薄暗い電球を眺めた。どれだけ使い込まれたかわからない古い電球の明度は携帯の画面にも及ばない。だがこの灯りとその下にいる彼を思うと顧海の胸は温かく満たされる。これこそ家庭というものだ。家庭の夜には昼のような明るさはいらない。ほのかな明かりに照らされ、家族の影が壁に長く短く映し出されればいい。
じいちゃんは白酒を飲んだのでもう寝てしまったのだろう。かすかに鼾が聞こえてくる。ばあちゃんは相変わらずぶつぶつおしゃべりを続け、その前に座る可愛い孫が忍耐強く足を擦ってあげている。
白洛因は冷たいこともあるが、時には人情深い。彼は相手によって温度と距離を変える。冷たいときは頭上にある太陽すら受け入れないが、熱くなると相手の心にどれだけ雪が積もっていても瞬時に溶かしてしまう。この種の人間は常に相手の心を掴み、追えば逃げ、引けばチラリとこちらを振り返り、それだけで魂まで持っていかれる。同性のただの友達であっても、彼がいなければ世界が大きく欠けてしまう。
麻薬以外に彼を形容する言葉が見つからない。
白洛因がばあちゃんの部屋から出てくると、あたりは静まり返っていた。時々犬の遠吠えが聞こえてくるが、鄒おばさんもいつのまにか帰ってしまったようで、中庭も綺麗に片付けられている。シャワーカーテンで覆われた浴室では白漢旗が疲れた体を洗っている。白洛因は自分の部屋に向かった。
部屋の明かりは誰かがつけたようだ。中に入って白洛因は固まる。
顧海が靴を脱いで彼のベッドに横たわっている。枕も布団も白洛因のものを使い、当たり前のようにそこに寝ていた。
「とっとと帰りやがれ!」
白洛因は顧海に蹴りを入れる。
顧海はもごもごと何かつぶやいたが、薄く開いた目はギラギラとあやしい光を放っていた。
「酔っぱらっちまったんだよ!」
白洛因は怒りに顔色を変える。
「たったビール一本しか飲んでないだろう! 騙されるもんか。さっさと起きろ!」
「起きられない!」
「調子に乗るな!」
白洛因は顧海を引っ張り起こそうとしたが、逆に彼にベッドに押し倒されてしまう。木製のベッドが大きく軋む。顧海は上に乗り上げて白洛因の肩を押さえ、両足で必死に白洛因を抑え込んだ。視線が蛇のように白洛因の体を張ってまとわりつき、背筋が寒くなる。簡単には逃げられないと体がすくみ、白洛因は動けなくなった。
白洛因のためらう視線に気づき、顧海は自分の頭を白洛因の肩に勢いよく乗せて歯を食いしばる。
「どうやら……マジで酔ったみたいだ」
「大海(グー・ハイのあだ名)、家に帰らないでうちで夕飯を食べていきな!」
白洛因は父親を睨み、目線ではっきり伝えた。どうするつもりだ? 奴には建前なんてわからないぞ。そんなことを言えば帰らないに決まっている。
「いいよ! おじさんにそう言われちゃ帰るわけにはいかないな」
ほらみろ!
白洛因は眉間に皺を寄せ、敵意に満ちたまなざしを白漢旗へ向ける。
「今日は鄒おばさんの作ったご飯だから、絶対間違いない」
「鄒おばさんの料理なんて食わせる必要はない。父さんが作れよ!」
白漢旗は固まった。褒められているのか貶されているのかわからない。
顧海が厨房へ入ると、鄒おばさんが麺を作っているところだった。大きく太い綿棒を何度も転がし平らに伸ばしてから折り畳み重ね、トントントンとリズミカルな音を立てて確かな手つきであっという間に切り終える。一本一本の太さも長さも揃っていて、機械で作ったように完璧なレベルだ。とても手打ちとは思えなかった。
「おばさん、包丁の技術がすごいね。どれくらい修行したの?」
鄒おばさんは優しく笑う。
「修行なんてしてないわ。二十年以上やっていれば誰でもできるようになるのよ」
「手伝おうか?」
「いいわよ。あなたは部屋で宿題してなさい。すぐにできるから」
顧海はまな板に転がっているきゅうりを一本齧り、歯ざわりの良さに思わず賞賛の声を上げた。
「おばさん、このきゅうりどこで買ったの? めちゃくちゃ美味いよ」
「うちの庭で植えたきゅうりよ。後で取ってあげるからご両親に持って帰りなさい。農薬も使ってないし安心よ」
「わかった。後でおばさんちに寄ってもらっていくよ」
笑っている間にも鄒おばさんはきゅうりをまっすぐ綺麗に細切りにし、まるで小窓のカーテンのように皿に盛り付けた。
そして隣には作りたての肉味噌を乗せる。その味は濃厚で肉はふっくらと柔らかい。具材も豊富だ。大豆、香椿、赤カブの細切りなど……彩も美しく、見ているだけで食欲がそそられる。
「おばさん、代わりにちょっと味見しようか?」
「いい加減にしろ」
顧海が箸を麺に伸ばそうとしたとき、戸口から怒りの声が聞こえてきた。
「外に出て来い! 働け! ただで飯を食えると思うなよ」
鄒おばさんは顧海と白洛因の後ろ姿を見ながら笑う。あの子たちはなんて可愛いんだろう。
食事をしながら顧海はビールを飲み、白ばあちゃんと楽しくおしゃべりした。白ばあちゃんは友達ができたと喜び、食事の後も顧海を帰さず、興奮しながら中庭を指さした。
「このあたりの作物は全部劉少奇同志(中国二代目の国家主席)が私たちに作らせたんだよ」
「……」
白洛因は祖母の手を取り、言い聞かせる。
「ばあちゃん、まず先に足を洗おうか。ほら、一緒に部屋に戻ろう」
顧海は白洛因が祖母のタオルを取りに外に出てきたところを捕まえる。
「お前のおばあちゃんの話はつまり、俺に泊まれってことじゃないか?」
白洛因は顧海の肩を強く叩いた。
「それはお前の考えすぎだ!」
中庭をぶらぶら歩きながら、顧海はばあちゃんの部屋の前で足を止め、静かに薄暗い電球を眺めた。どれだけ使い込まれたかわからない古い電球の明度は携帯の画面にも及ばない。だがこの灯りとその下にいる彼を思うと顧海の胸は温かく満たされる。これこそ家庭というものだ。家庭の夜には昼のような明るさはいらない。ほのかな明かりに照らされ、家族の影が壁に長く短く映し出されればいい。
じいちゃんは白酒を飲んだのでもう寝てしまったのだろう。かすかに鼾が聞こえてくる。ばあちゃんは相変わらずぶつぶつおしゃべりを続け、その前に座る可愛い孫が忍耐強く足を擦ってあげている。
白洛因は冷たいこともあるが、時には人情深い。彼は相手によって温度と距離を変える。冷たいときは頭上にある太陽すら受け入れないが、熱くなると相手の心にどれだけ雪が積もっていても瞬時に溶かしてしまう。この種の人間は常に相手の心を掴み、追えば逃げ、引けばチラリとこちらを振り返り、それだけで魂まで持っていかれる。同性のただの友達であっても、彼がいなければ世界が大きく欠けてしまう。
麻薬以外に彼を形容する言葉が見つからない。
白洛因がばあちゃんの部屋から出てくると、あたりは静まり返っていた。時々犬の遠吠えが聞こえてくるが、鄒おばさんもいつのまにか帰ってしまったようで、中庭も綺麗に片付けられている。シャワーカーテンで覆われた浴室では白漢旗が疲れた体を洗っている。白洛因は自分の部屋に向かった。
部屋の明かりは誰かがつけたようだ。中に入って白洛因は固まる。
顧海が靴を脱いで彼のベッドに横たわっている。枕も布団も白洛因のものを使い、当たり前のようにそこに寝ていた。
「とっとと帰りやがれ!」
白洛因は顧海に蹴りを入れる。
顧海はもごもごと何かつぶやいたが、薄く開いた目はギラギラとあやしい光を放っていた。
「酔っぱらっちまったんだよ!」
白洛因は怒りに顔色を変える。
「たったビール一本しか飲んでないだろう! 騙されるもんか。さっさと起きろ!」
「起きられない!」
「調子に乗るな!」
白洛因は顧海を引っ張り起こそうとしたが、逆に彼にベッドに押し倒されてしまう。木製のベッドが大きく軋む。顧海は上に乗り上げて白洛因の肩を押さえ、両足で必死に白洛因を抑え込んだ。視線が蛇のように白洛因の体を張ってまとわりつき、背筋が寒くなる。簡単には逃げられないと体がすくみ、白洛因は動けなくなった。
白洛因のためらう視線に気づき、顧海は自分の頭を白洛因の肩に勢いよく乗せて歯を食いしばる。
「どうやら……マジで酔ったみたいだ」
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