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第六章
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顧海はその夜長い夢を見た。
まず母親が出てきて、蓮花池の側で彼にベストを編んでくれていた。だがあともう少しで編み上がるというところでベストが池に落ちてしまう。顧海は勢いよく池に飛び込み、ベストを拾い上げようとするが、泥に足を取られてしまった。寒い! 骨に突き刺さるほど寒い! 這い上がろうにも這い上がれず、声も出せない。するとどこからか白洛因がやってきて、大声で顧海に向かって叫んだ。
「俺の手を掴め。俺の手を掴むんだ」
そしてゆっくり岸まで辿り着いた。
目を覚ますと、金璐璐が電話をしているところだった。
顧海は自分が金璐璐の手を握っていることに気づく。
「パパ、今日は帰れないのよ。用事があるの。そうよ、本当に用事があるの。去年の中秋節はパパも出張でいなかったじゃない。出張は許されて私の用事はダメなの? そんなことないわよ。あちこちふらふらなんてしてない……」
金璐璐が電話を切ったとき、顧海はもうベッドから下りていた。
「起きたの?」
金璐璐は笑顔を向ける。
「パパが帰って来いって言ったけど、断ったわ」
「帰れよ。俺は従姉のところに行くから」
「ダメよ!」
金璐璐は起き上がって異を唱える。
「今日は一緒に過ごすって約束したじゃない。またさっさと帰っちゃうの? 言っておくけど今日はどちらも先に帰ったらダメ。私は二人きりで過ごしたいんだから」
二人は一緒に昼食を食べ、午後は映画を見に行った。
映画が終わった後、顧海はトイレに行くと言った。
だが十分待っても出てこない。金璐璐は焦りのあまり顧海を探して男性トイレに駆け込むところだったが、すんでのところで携帯が鳴った。見知らぬ番号からの電話だった。
「璐璐、タクシーで帰れ。俺は北京に帰らなきゃならない」
「私を置き去りにしたのね!」
金璐璐は人気のない映画館で怒りの声を上げる。
「この人でなし!」
「俺は母さんに会いに行くんだ。一人にはしておけない」
金璐璐は数秒間凍りついた後、力なく手を垂れた。
白洛因は白ばあちゃんに肉の細切り巻を取り分ける。
「ばあちゃん、もうひとつ食べて」
白ばあちゃんは小さく一口齧り、残った歯で注意深く咀嚼した。料理のたれが歯の隙間から外にこぼれ出る。白洛因はハンカチで白ばあちゃんの口元を拭った。
「¥@%#@%……は?」
白ばあちゃんはもごもごと話したが、白洛因はひとつも聞き取れない。
「母さん、口の中の飯を飲み込んでから話せよ。ただでさえちゃんとしゃべれないのに……」
白漢旗はぼやく。白ばあちゃんは白漢旗を睨むと口の中のものをモグモグ噛んでから飲み込んだ。それから焦ったように白洛因に問いかける。
「小洋)は? 小洋は?」
「小羊?」
白洛因は驚く。
「ばあちゃん、うちはもうずいぶん長いこと羊は飼ってないよ」
「そうじゃない……」
白ばあちゃんは焦るあまりさらに舌が回らなくなっていた。
「あの……あの……水……大水……」
白漢旗は白湯を白ばあちゃんに渡す。
「母さん、水が飲みたいのか?」
白ばあちゃんは首を振り、焦りで目元にしわを寄せた。
「あの、誰だっけ……大きい背の……たくさん飲む……」
白洛因はわかった。
「ばあちゃん、顧海のことを言ってるのか?」
「そう……そう……」
白祖母ちゃんは何度も頷いた。
白洛因は箸で茶碗の中をつつきながら心の中でぼやく。たかがタダ飯食いが一日来なかっただけだろう。なんで皆そんなに奴を気にするんだ。
八時過ぎ、満月を見ながら白洛因は月餅の箱を手に集合住宅脇のあの老夫婦の家の門を叩いた。
老爺はハアハアと息を切らしながら出てきたが、白洛因を見て笑顔になる。
「おじいさん、月餅を持ってきたよ」
老爺は嬉しすぎてどうしていいかわからないようだった。
「やっぱり俺たちの因子(白洛因の愛称)は優しい子だな! 爺さんのことも忘れないでくれた。さあさあ、中に入って座っていけ」
「もうこんなに遅いし、中には入らないよ。これから友達に自転車を返さなきゃならないんだ」
「自転車?」
「ほら、この自転車だよ。忘れた? 俺の同級生がおじいさんのところから押して出てきたでしょう」
老爺はしばらくじっと自転車を眺めていたが、突然思い出したように自転車を指さして叫んだ。
「あの頭が弱い奴だ、そうだろ?」
「……」
白洛因は驚いて固まり、冗談なのか悪口なのかわからない言い方になる。
「そう、あの頭が弱い奴だよ!」
夜十一時を回り、白漢旗は沐浴を済ませると肩にタオルを引っかけ、ペタペタと音を立てながら白洛因の部屋に入ってきた。
「寝るときには中庭の門に鍵をかけるのを忘れるなよ」
白洛因は頷いたが、目はずっとパソコンのモニターを見つめたままだった。
白漢旗が自分の部屋に戻ると、白洛因の指はすごい勢いでキーボードを叩き、怒りの眼差しでモニターを睨む。またフリーズだ! 今日はどういうわけかゲームをしてもすぐクラッシュかフリーズしてしまう。もうやめた! 白洛因は立ち上がると、足で椅子を蹴飛ばし外に出た。
綺麗な月だ。丸くて明るい。白洛因はそれをチラッと眺め、急に空に向かって唾を吐きたい衝動に駆られた。
ちくしょう、なんで今日はそんなに丸いんだ?
中庭の大門は開け放たれていた。白洛因はさびた古い鍵を手に取る。まるで氷のような温度に、心まで凍える。
鍵をかけようとしたそのとき、突然大きな力で押し開けられた。
「カギをかけるな」
門の間から顔が覗き、白洛因はその場に固まった。
顧海はどこから戻ってきたのか、埃だらけだった。白洛因の顔を見て何も言わずに腕の中に抱き込む。
白洛因は顧海から駆けずり回った匂いと猛烈な動悸を感じ取り、それに引きずられて自分の脈も落ち着かなくなった。
白洛因を抱きしめているだけで顧海の心は満たされていく。亡くなった母親の墓参りをした後、顧海の心は極度に鬱屈し、もう少しで街を流れる堀に飛び込むところだった。白洛因に会うために顧海は走った。もう門に鍵をかけてしまって会えないかもしれないが、いまこのときこの場所だけが、そしてこの人だけが彼の孤独を癒してくれる存在だった。
白洛因はしばらく黙っていたが、やがて口を開く。
「この野郎。どこかで野垂れ死んだのかと思ったじゃないか!」
顧海は深く長い息を吐いた。
「お前の罵声を聞けて良かった」
今回だけではない。これまでにも色々あった。そんなに簡単に許すわけにはいかない。だが顧海は死に物狂いで白洛因に抱きつき、どうしても離れようとしない。そこで白洛因は情け容赦なく脊椎の脇を突いて顧海を一メートルほど押しのける。
「もうどこにでも行っちまえよ! 遊び惚けて疲れたからって、こんな遅くに帰って来て俺の安眠を妨害するな!」
顧海は痛みに喘ぎながらも、白洛因が門を閉めようとしていることに気づくと、無理に体を門の間に押し込み、目を黒々と光らせながら白洛因に迫った。
「俺はどこにも行かない。今夜はここに泊まる」
「ここに泊まる?」
白洛因は冷たく鼻を鳴らす。
「金を払えば豚小屋に入れてやらなくもないぞ」
顧海は怒りのあまりいっそ楽しくなった。無理やりぐいっと押し入って、白洛因の後頭部を撫でながら子供を相手にするように宥めすかす。
「わかったわかった、癇癪を起すな。俺が悪かった。それでいいだろう? 黙っていなくなって悪かった。俺を心配してこんなに遅くまで寝ないで待ってくれてたんだろう」
白洛因は自分の髪が抜けるのも構わず無理やり顧海の手を引きはがした。
「気味の悪いことを言うな。誰がお前なんか待ってるもんか!」
「じゃあどうしてまだ門に鍵をかけてないんだ? 俺が泊まるときには九時に鍵を閉めていたはずだろう」
白洛因は怒りに任せて蹴ろうとしたが、顧海はなりふり構わずがっちりと一分の隙間もなく彼にしがみつく。
「因子、騒ぐなよ。俺はついさっき母親の墓参りに行ってしんどいんだ。今回だけは許してくれよ。な?」
白洛因は死んだように体を強張らせていたが、顧海の柔らかい声を聞いているうちに徐々に力を抜いていった。
部屋に入ると、顧海はテーブルに箱を置く。
「お前のために買った月餅だ」
白洛因の顔にはまだ冷たさが残っていた。
「勝手に自分で食えよ」
顧海は月餅の箱を開け、白洛因を誘い込むような声を出す。
「お前のためにオーダーしたんだ。本当に食べてみないのか?」
「お前が勝手にやったんだろう。俺は食わないって言って……」
振り返ると巨大な月餅が目に入り、白洛因は言葉を失った。
ピザ一枚分はあるだろう。表面には「黄身と蓮の実」の文字が刻まれ、つやつやふっくらと美味しそうだ。ほのかに甘い香りも漂ってくる。
「何件も回ってこの店だけがオーダーに応えてくれたんだ。この月餅はすごいぞ。作るのが難しいんだ。四つの黄身が入った月餅だって作るのは大変だ。まず月餅を作るための型がないし、卵の黄身が入った餡はなかなかくっつかず、少し手違いがあればすぐにバラバラになっちまう。この月餅には十二個の黄身が使われてるんだ。お前だって絶対満腹になるぞ」
顧海の得意満面な様子に白洛因の心臓はわずかに高鳴る。
「バカじゃないのか。何個か買えばいいだけだろう。どうしてそんな苦労してまででかいのを作らなきゃならないんだ」
「それは違う」
顧海は笑顔ともつかない顔で白洛因を見た。
「俺たちは大食いで、俺はお前とひとつの月餅を一緒に食べたかったんだから、これが正解だ」
白洛因は鼻で笑って嘲るような表情を浮かべていたが、その目はまるでフォークのように、顧海が切り分けた一切れに刺さっていた。顧海は白洛因をよくわかっていたので、彼が言葉を発する前に口元へ差し出した。
白洛因は少しためらいながらも口を開ける。
一口食べるとふわふわでわずかに塩味があり、まるでこの二日間の気分を味わっているかのようだった。
まず母親が出てきて、蓮花池の側で彼にベストを編んでくれていた。だがあともう少しで編み上がるというところでベストが池に落ちてしまう。顧海は勢いよく池に飛び込み、ベストを拾い上げようとするが、泥に足を取られてしまった。寒い! 骨に突き刺さるほど寒い! 這い上がろうにも這い上がれず、声も出せない。するとどこからか白洛因がやってきて、大声で顧海に向かって叫んだ。
「俺の手を掴め。俺の手を掴むんだ」
そしてゆっくり岸まで辿り着いた。
目を覚ますと、金璐璐が電話をしているところだった。
顧海は自分が金璐璐の手を握っていることに気づく。
「パパ、今日は帰れないのよ。用事があるの。そうよ、本当に用事があるの。去年の中秋節はパパも出張でいなかったじゃない。出張は許されて私の用事はダメなの? そんなことないわよ。あちこちふらふらなんてしてない……」
金璐璐が電話を切ったとき、顧海はもうベッドから下りていた。
「起きたの?」
金璐璐は笑顔を向ける。
「パパが帰って来いって言ったけど、断ったわ」
「帰れよ。俺は従姉のところに行くから」
「ダメよ!」
金璐璐は起き上がって異を唱える。
「今日は一緒に過ごすって約束したじゃない。またさっさと帰っちゃうの? 言っておくけど今日はどちらも先に帰ったらダメ。私は二人きりで過ごしたいんだから」
二人は一緒に昼食を食べ、午後は映画を見に行った。
映画が終わった後、顧海はトイレに行くと言った。
だが十分待っても出てこない。金璐璐は焦りのあまり顧海を探して男性トイレに駆け込むところだったが、すんでのところで携帯が鳴った。見知らぬ番号からの電話だった。
「璐璐、タクシーで帰れ。俺は北京に帰らなきゃならない」
「私を置き去りにしたのね!」
金璐璐は人気のない映画館で怒りの声を上げる。
「この人でなし!」
「俺は母さんに会いに行くんだ。一人にはしておけない」
金璐璐は数秒間凍りついた後、力なく手を垂れた。
白洛因は白ばあちゃんに肉の細切り巻を取り分ける。
「ばあちゃん、もうひとつ食べて」
白ばあちゃんは小さく一口齧り、残った歯で注意深く咀嚼した。料理のたれが歯の隙間から外にこぼれ出る。白洛因はハンカチで白ばあちゃんの口元を拭った。
「¥@%#@%……は?」
白ばあちゃんはもごもごと話したが、白洛因はひとつも聞き取れない。
「母さん、口の中の飯を飲み込んでから話せよ。ただでさえちゃんとしゃべれないのに……」
白漢旗はぼやく。白ばあちゃんは白漢旗を睨むと口の中のものをモグモグ噛んでから飲み込んだ。それから焦ったように白洛因に問いかける。
「小洋)は? 小洋は?」
「小羊?」
白洛因は驚く。
「ばあちゃん、うちはもうずいぶん長いこと羊は飼ってないよ」
「そうじゃない……」
白ばあちゃんは焦るあまりさらに舌が回らなくなっていた。
「あの……あの……水……大水……」
白漢旗は白湯を白ばあちゃんに渡す。
「母さん、水が飲みたいのか?」
白ばあちゃんは首を振り、焦りで目元にしわを寄せた。
「あの、誰だっけ……大きい背の……たくさん飲む……」
白洛因はわかった。
「ばあちゃん、顧海のことを言ってるのか?」
「そう……そう……」
白祖母ちゃんは何度も頷いた。
白洛因は箸で茶碗の中をつつきながら心の中でぼやく。たかがタダ飯食いが一日来なかっただけだろう。なんで皆そんなに奴を気にするんだ。
八時過ぎ、満月を見ながら白洛因は月餅の箱を手に集合住宅脇のあの老夫婦の家の門を叩いた。
老爺はハアハアと息を切らしながら出てきたが、白洛因を見て笑顔になる。
「おじいさん、月餅を持ってきたよ」
老爺は嬉しすぎてどうしていいかわからないようだった。
「やっぱり俺たちの因子(白洛因の愛称)は優しい子だな! 爺さんのことも忘れないでくれた。さあさあ、中に入って座っていけ」
「もうこんなに遅いし、中には入らないよ。これから友達に自転車を返さなきゃならないんだ」
「自転車?」
「ほら、この自転車だよ。忘れた? 俺の同級生がおじいさんのところから押して出てきたでしょう」
老爺はしばらくじっと自転車を眺めていたが、突然思い出したように自転車を指さして叫んだ。
「あの頭が弱い奴だ、そうだろ?」
「……」
白洛因は驚いて固まり、冗談なのか悪口なのかわからない言い方になる。
「そう、あの頭が弱い奴だよ!」
夜十一時を回り、白漢旗は沐浴を済ませると肩にタオルを引っかけ、ペタペタと音を立てながら白洛因の部屋に入ってきた。
「寝るときには中庭の門に鍵をかけるのを忘れるなよ」
白洛因は頷いたが、目はずっとパソコンのモニターを見つめたままだった。
白漢旗が自分の部屋に戻ると、白洛因の指はすごい勢いでキーボードを叩き、怒りの眼差しでモニターを睨む。またフリーズだ! 今日はどういうわけかゲームをしてもすぐクラッシュかフリーズしてしまう。もうやめた! 白洛因は立ち上がると、足で椅子を蹴飛ばし外に出た。
綺麗な月だ。丸くて明るい。白洛因はそれをチラッと眺め、急に空に向かって唾を吐きたい衝動に駆られた。
ちくしょう、なんで今日はそんなに丸いんだ?
中庭の大門は開け放たれていた。白洛因はさびた古い鍵を手に取る。まるで氷のような温度に、心まで凍える。
鍵をかけようとしたそのとき、突然大きな力で押し開けられた。
「カギをかけるな」
門の間から顔が覗き、白洛因はその場に固まった。
顧海はどこから戻ってきたのか、埃だらけだった。白洛因の顔を見て何も言わずに腕の中に抱き込む。
白洛因は顧海から駆けずり回った匂いと猛烈な動悸を感じ取り、それに引きずられて自分の脈も落ち着かなくなった。
白洛因を抱きしめているだけで顧海の心は満たされていく。亡くなった母親の墓参りをした後、顧海の心は極度に鬱屈し、もう少しで街を流れる堀に飛び込むところだった。白洛因に会うために顧海は走った。もう門に鍵をかけてしまって会えないかもしれないが、いまこのときこの場所だけが、そしてこの人だけが彼の孤独を癒してくれる存在だった。
白洛因はしばらく黙っていたが、やがて口を開く。
「この野郎。どこかで野垂れ死んだのかと思ったじゃないか!」
顧海は深く長い息を吐いた。
「お前の罵声を聞けて良かった」
今回だけではない。これまでにも色々あった。そんなに簡単に許すわけにはいかない。だが顧海は死に物狂いで白洛因に抱きつき、どうしても離れようとしない。そこで白洛因は情け容赦なく脊椎の脇を突いて顧海を一メートルほど押しのける。
「もうどこにでも行っちまえよ! 遊び惚けて疲れたからって、こんな遅くに帰って来て俺の安眠を妨害するな!」
顧海は痛みに喘ぎながらも、白洛因が門を閉めようとしていることに気づくと、無理に体を門の間に押し込み、目を黒々と光らせながら白洛因に迫った。
「俺はどこにも行かない。今夜はここに泊まる」
「ここに泊まる?」
白洛因は冷たく鼻を鳴らす。
「金を払えば豚小屋に入れてやらなくもないぞ」
顧海は怒りのあまりいっそ楽しくなった。無理やりぐいっと押し入って、白洛因の後頭部を撫でながら子供を相手にするように宥めすかす。
「わかったわかった、癇癪を起すな。俺が悪かった。それでいいだろう? 黙っていなくなって悪かった。俺を心配してこんなに遅くまで寝ないで待ってくれてたんだろう」
白洛因は自分の髪が抜けるのも構わず無理やり顧海の手を引きはがした。
「気味の悪いことを言うな。誰がお前なんか待ってるもんか!」
「じゃあどうしてまだ門に鍵をかけてないんだ? 俺が泊まるときには九時に鍵を閉めていたはずだろう」
白洛因は怒りに任せて蹴ろうとしたが、顧海はなりふり構わずがっちりと一分の隙間もなく彼にしがみつく。
「因子、騒ぐなよ。俺はついさっき母親の墓参りに行ってしんどいんだ。今回だけは許してくれよ。な?」
白洛因は死んだように体を強張らせていたが、顧海の柔らかい声を聞いているうちに徐々に力を抜いていった。
部屋に入ると、顧海はテーブルに箱を置く。
「お前のために買った月餅だ」
白洛因の顔にはまだ冷たさが残っていた。
「勝手に自分で食えよ」
顧海は月餅の箱を開け、白洛因を誘い込むような声を出す。
「お前のためにオーダーしたんだ。本当に食べてみないのか?」
「お前が勝手にやったんだろう。俺は食わないって言って……」
振り返ると巨大な月餅が目に入り、白洛因は言葉を失った。
ピザ一枚分はあるだろう。表面には「黄身と蓮の実」の文字が刻まれ、つやつやふっくらと美味しそうだ。ほのかに甘い香りも漂ってくる。
「何件も回ってこの店だけがオーダーに応えてくれたんだ。この月餅はすごいぞ。作るのが難しいんだ。四つの黄身が入った月餅だって作るのは大変だ。まず月餅を作るための型がないし、卵の黄身が入った餡はなかなかくっつかず、少し手違いがあればすぐにバラバラになっちまう。この月餅には十二個の黄身が使われてるんだ。お前だって絶対満腹になるぞ」
顧海の得意満面な様子に白洛因の心臓はわずかに高鳴る。
「バカじゃないのか。何個か買えばいいだけだろう。どうしてそんな苦労してまででかいのを作らなきゃならないんだ」
「それは違う」
顧海は笑顔ともつかない顔で白洛因を見た。
「俺たちは大食いで、俺はお前とひとつの月餅を一緒に食べたかったんだから、これが正解だ」
白洛因は鼻で笑って嘲るような表情を浮かべていたが、その目はまるでフォークのように、顧海が切り分けた一切れに刺さっていた。顧海は白洛因をよくわかっていたので、彼が言葉を発する前に口元へ差し出した。
白洛因は少しためらいながらも口を開ける。
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