ハイロイン

ハイロインofficial

文字の大きさ
72 / 103
第九章

2

しおりを挟む
「父さん、出かけてくるよ」
「こんなに遅くにどこに行くんだ?」
 白漢旗バイ・ハンチーが追いかけてくる。
「飯は食わないのか?」
 白洛因バイ・ロインはすでに自転車に乗って路地の角を曲がっていた。
 顧海グー・ハイが住んでいるのは北京で一番華やかなエリアだ。白洛因が住んでいるあたりとはまったく雰囲気が違う。一方は古くからある北京の街並みで、もう一方は現代的な商業エリアだ。自転車で広い通りを走ると、目に飛び込んでくるのはすべて高級車、エリート、美女、成功者たちだった。
 インターホンを鳴らすと、端正な中年女性が扉を開ける。
「すみません、こちらに顧海は住んでいますか?」
 中年女性は白洛因をじろじろ眺め、疑いながら観察しているようだった。
「どちら様ですか?」
「俺は彼の同級生です」
 白洛因の年齢は若く、顔にはあどけなさも残っている。嘘をついている可能性は低いだろうと判断したのか、中年女性は階下のプライベートラウンジへ連れて行ってくれた。
 顧海はベッドに横たわり、マッサージ師に施術されているところだった。彼のいまの生活は恵まれてはいるが味気ない。毎日午前中はジムのスパに浸かり、午後はプライベートラウンジに篭り、夜はマッサージを受け、たまに心理カウンセラーのカウンセリングを受け、気持ちを整えていた。
「顧様、あなたにお客様です。同級生ということですが、お通ししますか?」
 顧海はマッサージベッドに俯せた姿勢で目も開けず、声もけだるげだった。
「入ってもらえ」
 その二分後、白洛因は中年女性に連れられて中へ入った。七日ぶりに顧海の顔を見て、改めて二人を隔てる距離を感じる。
 長い沈黙の後、顧海はわずかに目を開き、熟知しているようで見知らぬ横顔を見た。その瞬間、ほんの少しだけ癒えた心の傷が裂け、カウンセラーのアドバイスもどこかへ吹き飛び、気持ちがいいはずのマッサージも痛みに変わった。
「何の用だ」
 顧海の語気はひんやりしている。白洛因は大きく息を吸い込み、少しでも自分の語気が冷静に聞こえるように努めた。
「届け物があって来た」
 顧海は白洛因を見下げるように傲慢な眼差しを向ける。
「あそこに置いて来たボロがいまの俺に必要だと思うのか?」
 この態度は疑いなく白洛因の心を傷つけるだろう。
 顧海は目を開かずとも白洛因の表情がわかる。それを思うと胸は痛んだが、同時に喜びも感じた。
「必要かどうかはお前が決めろ。俺はただ先生に頼まれたものを持ってきただけだ。いらなければ捨てればいい」
 顧海は何も答えない。
「ここに置いておく。じゃあな」
 顧海は一歩一歩遠ざかる足音を聞きながら、胸の肉がどんどん削がれていくような気分になる。
 ドアの音が聞こえると、顧海は突然身を起こして叫ぶ。
「白洛因!」
 白洛因の足が止まった。
「この野郎、戻ってこい!」
 白洛因は耳を貸さず、再度ドアノブに手を伸ばす。顧海は猛然とベッドから飛び降りて大股でドアに向かい、白洛因の服を掴んで引き戻す。マッサージ師はお辞儀をして立ち去った。
 顧海は息を荒げ、鋭い眼差しで白洛因を睨みつける。
「もう俺にはそんな態度しか取れないのか」
 白洛因は服を直し、冷たい目線を向けた。
「俺にどんな態度を取れっていうんだ」
 俺はすべてのプライドを捨ててお前に会いに来たんだ。この白洛因が初めて自分の決めたことに背き、お前が心配で、どうしているか知りたくて来たんだ。それがどうだ。お前は正面から俺を見ようともしない。お前に俺の態度をあれこれ言う資格があるのか?
「俺はどこか変わったか?」
 顧海は小声で問いかける。白洛因は奥歯を噛みしめ沈黙を選んだ。顧海は吠える。
「白洛因! 俺をよく見ろ! いまの俺はこれまでと何が違うんだ?」
 白洛因はさらに力を籠め、無理に顔を強張らせる。
「素性のせいで俺を死刑にするのか? 素性のせいで、俺はお前に優しい人間じゃなくなるのか?」
 顧海の冷たく厳しい顔に刀で切り付けられたような苦痛が浮かぶ。彼はもはや自分の感情を隠すことができなくなり、手を伸ばして白洛因を抱き寄せ強く硬く抱きしめた。
この一週間の思いをすべて絞り出し、涙がぽろぽろと意気地なく零れ落ちる。
「白洛因、俺は母さんが死んだとき以外、誰かのために泣いたことはないんだ」
 嗚咽混じりの言葉を白洛因は胸が抉られる思いで聞いた。
 顧海が自分によくしてくれたことはよくわかっている。幼い頃から白洛因は父と共にままならない暮らしをしてきた。人生で初めて自分の靴紐を結んでくれたのは顧海だった。毎晩何度も布団をかけ直してくれたのも彼だ。ラーメンの中に二切れしかない肉をくれたのも顧海だ。彼は無節操に白洛因を甘やかし、譲り、彼に決して卑屈な思いをさせない。それは一週間離れただけで世界中の愛を失ってしまったと思わせるほどだった。
 空気さえ流れを止める中、顧海の呼吸は徐々に平静に戻っていく。
「行けよ」
 白洛因はその場を動けずにいたが、顧海に外へ追い出される。
「出ていけ!」
 街角の美容院からテレサ・テンの懐かしい『時の流れに身をまかせ』が聞こえてくる。
 白洛因の目頭は突然赤くなる。あの晩顧海が歌っていたときは、バカにしてからかった。いまこの時、彼は顧海がもう一度歌うのをとても、とても聞きたかった……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

先輩たちの心の声に翻弄されています!

七瀬
BL
人と関わるのが少し苦手な高校1年生・綾瀬遙真(あやせとうま)。 ある日、食堂へ向かう人混みの中で先輩にぶつかった瞬間──彼は「触れた相手の心の声」が聞こえるようになった。 最初に声を拾ってしまったのは、対照的な二人の先輩。 乱暴そうな俺様ヤンキー・不破春樹(ふわはるき)と、爽やかで優しい王子様・橘司(たちばなつかさ)。 見せる顔と心の声の落差に戸惑う遙真。けれど、彼らはなぜか遙真に強い関心を示しはじめる。 **** 三作目の投稿になります。三角関係の学園BLですが、なるべくみんなを幸せにして終わりますのでご安心ください。 ご感想・ご指摘など気軽にコメントいただけると嬉しいです‼️

アイドルですがピュアな恋をしています。

雪 いつき
BL
人気アイドルユニットに所属する見た目はクールな隼音(しゅん)は、たまたま入ったケーキ屋のパティシエ、花楓(かえで)に恋をしてしまった。 気のせいかも、と通い続けること数ヶ月。やはりこれは恋だった。 見た目はクール、中身はフレンドリーな隼音は、持ち前の緩さで花楓との距離を縮めていく。じわりじわりと周囲を巻き込みながら。 二十歳イケメンアイドル×年上パティシエのピュアな恋のお話。

義兄が溺愛してきます

ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。 その翌日からだ。 義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。 翔は恋に好意を寄せているのだった。 本人はその事を知るよしもない。 その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。 成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。 翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。 すれ違う思いは交わるのか─────。

「目を閉じ耳を塞いだ俺の、君は唯一の救いだった」

濃子
BL
「知ってる?2―Aの安曇野先輩ってさ、中学のとき付き合ってたひとが死んでるんだってーー………」   その会話が耳にはいったのは、本当に偶然だったんだーー。 図書委員の僕、遠野悠月は、親の仕事からボッチでいることが多かった。けれどその日、読書をしていた安曇野晴日に話をふられ、彼の抱えている問題を知ることになる。 「ーー向こうの母親から好かれているのは事実だ」 「ふうん」  相手は亡くなってるんだよね?じゃあ、彼女をつくらない、っていうのが嘘なのか?すでに、彼女もちーー? 「本当はーー……」 「うん」 「亡くなった子のこと、全然知らないんだ」  ーーそれは一体どういうことなのか……?その日を境に一緒にいるようになった僕と晴日だけど、彼の心の傷は思った以上に深いものでーー……。   ※恋を知らない悠月が、晴日の心の痛みを知り、彼に惹かれていくお話です。青春にしては重いテーマかもしれませんが、悠月の明るい性格で、あまり重くならないようにしています。 青春BLカップにエントリーしましたが、前半は恋愛少なめです。後半の悠月と晴日にご期待ください😊 BETくださった方、本当にありがとうございます😁 ※挿絵はAI画像を使用していますが、あくまでイメージです。

ふれて、とける。

花波橘果(はななみきっか)
BL
わけありイケメンバーテンダー×接触恐怖症の公務員。居場所探し系です。 【あらすじ】  軽い接触恐怖症がある比野和希(ひびのかずき)は、ある日、不良少年に襲われて倒れていたところを、通りかかったバーテンダー沢村慎一(さわむらしんいち)に助けられる。彼の店に連れていかれ、出された酒に酔って眠り込んでしまったことから、和希と慎一との間に不思議な縁が生まれ……。  慎一になら触られても怖くない。酒でもなんでも、少しずつ慣れていけばいいのだと言われ、ゆっくりと距離を縮めてゆく二人。  小さな縁をきっかけに、自分の居場所に出会うお話です。

冬は寒いから

青埜澄
BL
誰かの一番になれなくても、そばにいたいと思ってしまう。 片想いのまま時間だけが過ぎていく冬。 そんな僕の前に現れたのは、誰よりも強引で、優しい人だった。 「二番目でもいいから、好きになって」 忘れたふりをしていた気持ちが、少しずつ溶けていく。 冬のラブストーリー。 『主な登場人物』 橋平司 九条冬馬 浜本浩二 ※すみません、最初アップしていたものをもう一度加筆修正しアップしなおしました。大まかなストーリー、登場人物は変更ありません。

坂木兄弟が家にやってきました。

風見鶏ーKazamidoriー
BL
父子家庭のマイホームに暮らす|鷹野《たかの》|楓《かえで》は家事をこなす高校生。ある日、父の再婚話が持ちあがり相手の家族とひとつ屋根のしたで生活することに、再婚相手には年の近い息子たちがいた。 ふてぶてしい兄弟に楓は手を焼きながら、しだいに惹かれていく。

平凡なぼくが男子校でイケメンたちに囲まれています

七瀬
BL
あらすじ 春の空の下、名門私立蒼嶺(そうれい)学園に入学した柊凛音(ひいらぎ りおん)。全寮制男子校という新しい環境で、彼の無自覚な美しさと天然な魅力が、周囲の男たちを次々と虜にしていく——。 政治家や実業家の子息が通う格式高い学園で、凛音は完璧な兄・蒼真(そうま)への憧れを胸に、新たな青春を歩み始める。しかし、彼の純粋で愛らしい存在は、学園の秩序を静かに揺るがしていく。 **** 初投稿なので優しい目で見守ってくださると助かります‼️ご指摘などございましたら、気軽にコメントよろしくお願いしますm(_ _)m

処理中です...