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第九章
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白洛因が戻ってくると、すでに祖父母の部屋の明かりが灯っていた。白漢旗は白洛因の部屋に座り、顧海の残したものを眺めてぼんやりしていたが、扉の音を聞いて外を覗く。
「こんなに遅くまでどこに行ってたんだ?」
白洛因は淡々と答えた。
「友達に渡すものがあったんだ」
白漢旗は息子の部屋から出ようとしたが、もの言いたげにドアのところで足を止めたまま、言いよどむ。
「因子」
「なに?」
白洛因は明日の授業のためリュックに教科書を詰めていた。
「大海はしばらく来てないな」
白洛因は手を止め、俯いて小さく「うん」と答える。白漢旗は白洛因の隣に座ってじっと彼を見る。
「本当のことを言え。大海とケンカしたのか?」
「してない」
「じゃあなんであの子はうちに来ないんだ?」
白漢旗はやや声を荒げた。白洛因はおざなりに答える。
「奴にも自分の家はあるんだ! それもすごい金持ちだよ。うちみたいなボロい家に長くいることはないだろう?」
白漢旗はそれを聞き、何かがあったことを確信した。
「因子、言っておくが大海のようにいい子はいないぞ。金持ちにこびへつらうつもりはないが、鄒おばさんのことだって大海は陰に日向に助けてくれただろう。あんなに正義感が強く親切な子はいないよ! 友達とのケンカはよくあることだ。もう大きいんだし広い心を持たないとダメだぞ。些細なことであんなにいい友達を失うなんてもったいない!」
白洛因はリュックを置き、鬱屈した眼差しを白漢旗に向けた。
「今回はどうしても広い心で許すことはできない」
「あの子がそんなひどいことをしでかすもんか」
白漢旗は何でもないことのように笑う。
「お前の彼女を奪ったとでもいうのか?」
「違う。あいつの父親が父さんの妻を奪ったんだ」
白洛因はついに覚悟を決めた。白漢旗にこれ以上顧海の話をさせないためには本当のことを伝えたほうがいい。
「どういう意味だ?」
白漢旗は察しが悪いようだった。白洛因はため息をつき、重い口を開く。
「俺の母さんと結婚したのが、あいつの父親なんだ」
白漢旗はしばらく固まり、そのまま動かなかった。
「それは……最初から分かってたのか? それともあの子はずっとお前を騙して……目的があって近づいてきたのか? いや俺は何を言ってるんだ。いったいどういうことなんだ?」
「俺たちは二人とも知らなかった。この間俺の母さんが来たときにちょうどあいつもいて、それで初めて知ったんだ」
白漢旗はひどく衝撃を受け、信じられないという顔になる。
「じゃあお前たち二人とも最初は全然知らなかったんだな?」
白洛因は頷く。
「すごい偶然だな!」
白漢旗は自分の膝を叩いた。
「お前たち若者はこういうのを何て呼ぶんだ。ご縁? ご縁っていうんだろう? いいことじゃないか。さらに仲も深まる! 今度から母親に会いに行けば彼も同じ家にいるじゃないか」
白洛因は石のように固まった。
「気にしないのか?」
「何を気にするんだ? お前の母さんが出て行ってもう何年になる? ああ、いや、つまり、お前の母さんと俺が離婚してからもう長い時間が経つ。新しい相手ができるのも当然だ。女性にとって頼れる相手に出会えるのはいいことだよ。お前の母さんが何度もお前に会いに来てるのは知ってるよ。お前は彼女を憎んだり恨んだりすべきじゃない。なんといってもこの世界でお前を心から思ってくれる数少ない人だぞ」
白洛因は視線を床に向ける。
「彼女は身勝手な人だと思う」
「おいおい、息子よ」
白漢旗は白洛因の頬に手を添えて顔を上げさせる。
「この世に身勝手じゃない人間なんていないぞ? もし仮にお前なら、一生結婚せず独り身でいられるか?」
白洛因は否定も肯定もできず、一言吐き捨てた。
「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ!」
白漢旗は苦笑する。
「お前が言わせてくれなかったんだろう!」
白洛因は肩を落とす。どうしよう。こんなに大事になってしまったのに……。
白漢旗はハッとした。
「なんでお前の母さんの話になったんだ。そうだよ、顧海のことだ。いいか、ちゃんと謝るんだぞ。後は何とかなるさ」
「俺は謝らない!」
白洛因は叩き落とすように拒絶する。
「お前っていう子は、なんでそんなにわからずやなんだ」
白漢旗は声を荒げた。
「彼が自分の父親にお前の母親と結婚しろと勧めたのか? あの子も破綻した結婚の被害者じゃないのか? 父親が気に入らないからって息子まで憎むのか? お前たちが本当に気が合わないなら仕方がないが、彼はお前にあんなに良くしてくれたのに……」
「それでも俺は謝らない」
「お前って奴は……どう言えばわかるんだ?」
「父さん、ほっといてくれ。俺は自分がどうすべきかわかってるから」
白洛因は白漢旗を押し出す。
「部屋に戻って寝なよ」
「いいか! 三日のうちに大海を連れて来い!」
「うん、わかった」
白漢旗が自分の部屋に戻った後、白洛因は戸口に立ちつくし、何とも言えない気持ちになった。白漢旗はあまりにも物分かりが良すぎる。年を重ねた父親の気持ちを思うと胸が痛んだ。そして顧海については、もっと早く白漢旗の反応がわかっていれば良かったのに、一度放った言葉は回収できない。
それとも一度だけ膝を折るか?
一晩中悩み続け、空が白み始める頃、白洛因はついに顧海を尋ねる決意を固めた。どんな結果になろうと、どんなに皮肉を言われようと堪える。とにかく彼の気持ちを取り戻すのだ。
早朝の落ち葉を踏みしめ、白洛因は毅然と顧海が置いていったボロボロの自転車に跨った。
「下手に出ろ。面子を捨ててお前が頑なに守っていた傲慢さを手放せ。男が頭を下げたからって別にいいじゃないか……」
白洛因は自転車をこぎながらぶつぶつ独り言をこぼす。目の前には坂があり、下った後に大きくカーブしている。だから白洛因はブレーキに手をかけながら坂を下って行った。すると、カーブを曲がるときに突然二人が突っ込んできた。自転車はブレーキが甘く、白洛因が慌てて地面に足をついても、やはりぶつかってしまった。まだ朝も早くあたりには霧がたち込めていて、相手の顔もはっきりと見えない。ただ二十歳過ぎの男で背丈は自分と近いということだけはわかった。
「兄さん、すまない。この自転車はブレーキが効かないんだ。ケガはないか?」
白洛因は礼儀正しく接した。しかし二人の男は互いに目配せをすると、何も言わず飛び掛かり、紐で縛り付けようとする。白洛因は驚いた。いまどき自転車相手に当たり屋をする人間がまだいるのか。当たり屋だとしても、こんな態度はないだろう。しかもこの二人の男の力は尋常ではない。これはまずい事態だと察し、白洛因はまだ自由が利く腕を動かして自転車を持ち上げて二人の体にぶつけると、その隙に自転車を捨てて逃げた。
路地は比較的狭く、二人が自転車を越えてくるまでに少し時間を稼ぐことができた。彼らが追いかけようとしたときには白洛因はすでに角を曲がっていた。白洛因の瞬発力は人並みだが、持久力はある。そしてこのあたりの地理には詳しいので、たくさん角を曲がって小道を抜ければ三分も経たずに二人を撒けるはずだった。
だが白洛因はこの二人の豪傑を甘く見すぎていた。三つめの小道を回り込むと二人の屈強な男に前後を塞がれる。その瞬間白洛因にははっきりとわかった。プロの格闘家ではないにせよ、彼らは訓練を受けた人間だろう。体格は顧海と変わらない。これだけ頑張っても撒けないということは、彼らは事前に準備してきたはずだ。もし今日自転車でぶつからなくても、どのみち彼を誘拐するつもりだったのだろう。白洛因は一体自分がどこで誰に恨みを買ったのか考えた。
「兄さん、悪いな。俺たちと一緒に来てもらうよ」
男の一人が手の中でジャラジャラ手錠を振り回しながら一歩ずつ近づいてくる。このままおとなしく掴まるのは悔しい。白洛因は足を振り上げ男の顎を蹴り倒す。男は彼が抵抗するとは思わなかったようで、大きく口を開けて罵ろうとしたが、顎をやられて口を開くことすらできなかった。隣の男は仲間がやられたのを見て白洛因に手をあげようとしたが、顎を蹴られた男が引き留めた。男はひとしきり罵り、二人は慣れた手つきで白洛因の首を押さえつけ、腕を後ろに捻り上げた。
白洛因は腰を曲げ、二人の股間に狙いを定めて蹴りを入れる。しかし彼らは狂ったように喚きながらも一切反撃してこない。相手が手を出さないとわかったので白洛因は雨のように拳をお見舞いし、風を切るような蹴りを連続で食らわせた。二人は口で罵りながらも反撃はせず、ただ死に物狂いに手錠をかけようとした。白洛因に目隠しをし、体を粽のように縄で縛りあげる頃には、二人は殴られすぎて人相が変わっていた。
「さっき警察を見たぞ。早くここから離れようぜ」
白洛因は車に押し込まれ、朦朧としながら二人の会話を聞く。
「くそ、俺様はこんなに悔しかったことはないぜ。見ろよ、俺の肘を。もう少しで肉が削げ落ちそうだ」
「お前だけじゃないぞ。俺が軍隊にいた頃、誰も俺に手出しをしようとはしなかったんだぞ。今日はひどい目に遭った」
「小僧一人なら問題ないんじゃなかったのか? 王宇も呼ぼうかって言ったのに要らないって言い張っただろう」
「こいつがこんなに暴れると思わなかったんだよ!」
「わかったわかった。もういいよ。早く行こう。向こうでは要人が待ってるんだ!」
車が止まると、白洛因は誰かに担ぎ下ろされた。
「傷つけてないか?」
よく知っている声が耳元で響き、白洛因の心臓は音を立てる。
「ありません! 一切手を出してません!」
「我々の顔を見れば手を出していないとおわかりでしょう」
軽い笑い声が聞こえた。
「ありがとうな!」
「いいえ、当然です。何かあればまた我々を呼んでください」
「ああ」
白洛因はまた担ぎ上げられた。全身を縛られているとはいえ、馴染んだ匂いと広い肩は感じ取れる。扉が開き、白洛因はベッドに下ろされた。彼は注意深く白洛因にかけられた縄を解いたが、目隠しは外さなかった。それに手錠も片方しか外さず、もう片方をベッドヘッドの柱にかける。白洛因は自由になった手で目隠しを外そうとしたが、彼の手に阻まれた。
それはとても知っている感触だった。
白洛因の胸はギュッと苦しくなったが、自分の推測を受け入れることはできなかった。
やがてもう一方の手もベッドに固定される。それから白洛因の目隠しはやっと外された。
顧海の顔がはっきり目の前に現れる。そこには邪悪さや絶望後の逸脱、変態的な興奮やすべてを投げ出した自暴自棄が浮かんでいた。
最後の希望が消え、白洛因は歯ぎしりしながら顧海を怒りの眼差しで見やる。
「何がしたいんだ?」
「何がしたいかって?」
顧海の手は白洛因の頬を貪欲に、まるで宝物のように撫でまわす。ただそこにはいつもの親しさはなく、ある種の静かな独占欲が溢れていた。
「お前は俺から離れたいんだろう? 俺を一刀両断に切り捨てたいんだよな? 俺がどんなに頑張っても挽回させてはくれないんだろう? じゃあいっそお前をここに監禁して逃がさないようにしてやる! お前が義理も人情もなく俺を切り捨てようとするなら、無理にでも俺を気にかけるように、義理も人情も強要してやる!」
白洛因は怒りのあまり昏倒しそうになったが、一言も発したくなかった。夕べの自分は本当にバカな決意をしたものだ。
「こんなに遅くまでどこに行ってたんだ?」
白洛因は淡々と答えた。
「友達に渡すものがあったんだ」
白漢旗は息子の部屋から出ようとしたが、もの言いたげにドアのところで足を止めたまま、言いよどむ。
「因子」
「なに?」
白洛因は明日の授業のためリュックに教科書を詰めていた。
「大海はしばらく来てないな」
白洛因は手を止め、俯いて小さく「うん」と答える。白漢旗は白洛因の隣に座ってじっと彼を見る。
「本当のことを言え。大海とケンカしたのか?」
「してない」
「じゃあなんであの子はうちに来ないんだ?」
白漢旗はやや声を荒げた。白洛因はおざなりに答える。
「奴にも自分の家はあるんだ! それもすごい金持ちだよ。うちみたいなボロい家に長くいることはないだろう?」
白漢旗はそれを聞き、何かがあったことを確信した。
「因子、言っておくが大海のようにいい子はいないぞ。金持ちにこびへつらうつもりはないが、鄒おばさんのことだって大海は陰に日向に助けてくれただろう。あんなに正義感が強く親切な子はいないよ! 友達とのケンカはよくあることだ。もう大きいんだし広い心を持たないとダメだぞ。些細なことであんなにいい友達を失うなんてもったいない!」
白洛因はリュックを置き、鬱屈した眼差しを白漢旗に向けた。
「今回はどうしても広い心で許すことはできない」
「あの子がそんなひどいことをしでかすもんか」
白漢旗は何でもないことのように笑う。
「お前の彼女を奪ったとでもいうのか?」
「違う。あいつの父親が父さんの妻を奪ったんだ」
白洛因はついに覚悟を決めた。白漢旗にこれ以上顧海の話をさせないためには本当のことを伝えたほうがいい。
「どういう意味だ?」
白漢旗は察しが悪いようだった。白洛因はため息をつき、重い口を開く。
「俺の母さんと結婚したのが、あいつの父親なんだ」
白漢旗はしばらく固まり、そのまま動かなかった。
「それは……最初から分かってたのか? それともあの子はずっとお前を騙して……目的があって近づいてきたのか? いや俺は何を言ってるんだ。いったいどういうことなんだ?」
「俺たちは二人とも知らなかった。この間俺の母さんが来たときにちょうどあいつもいて、それで初めて知ったんだ」
白漢旗はひどく衝撃を受け、信じられないという顔になる。
「じゃあお前たち二人とも最初は全然知らなかったんだな?」
白洛因は頷く。
「すごい偶然だな!」
白漢旗は自分の膝を叩いた。
「お前たち若者はこういうのを何て呼ぶんだ。ご縁? ご縁っていうんだろう? いいことじゃないか。さらに仲も深まる! 今度から母親に会いに行けば彼も同じ家にいるじゃないか」
白洛因は石のように固まった。
「気にしないのか?」
「何を気にするんだ? お前の母さんが出て行ってもう何年になる? ああ、いや、つまり、お前の母さんと俺が離婚してからもう長い時間が経つ。新しい相手ができるのも当然だ。女性にとって頼れる相手に出会えるのはいいことだよ。お前の母さんが何度もお前に会いに来てるのは知ってるよ。お前は彼女を憎んだり恨んだりすべきじゃない。なんといってもこの世界でお前を心から思ってくれる数少ない人だぞ」
白洛因は視線を床に向ける。
「彼女は身勝手な人だと思う」
「おいおい、息子よ」
白漢旗は白洛因の頬に手を添えて顔を上げさせる。
「この世に身勝手じゃない人間なんていないぞ? もし仮にお前なら、一生結婚せず独り身でいられるか?」
白洛因は否定も肯定もできず、一言吐き捨てた。
「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ!」
白漢旗は苦笑する。
「お前が言わせてくれなかったんだろう!」
白洛因は肩を落とす。どうしよう。こんなに大事になってしまったのに……。
白漢旗はハッとした。
「なんでお前の母さんの話になったんだ。そうだよ、顧海のことだ。いいか、ちゃんと謝るんだぞ。後は何とかなるさ」
「俺は謝らない!」
白洛因は叩き落とすように拒絶する。
「お前っていう子は、なんでそんなにわからずやなんだ」
白漢旗は声を荒げた。
「彼が自分の父親にお前の母親と結婚しろと勧めたのか? あの子も破綻した結婚の被害者じゃないのか? 父親が気に入らないからって息子まで憎むのか? お前たちが本当に気が合わないなら仕方がないが、彼はお前にあんなに良くしてくれたのに……」
「それでも俺は謝らない」
「お前って奴は……どう言えばわかるんだ?」
「父さん、ほっといてくれ。俺は自分がどうすべきかわかってるから」
白洛因は白漢旗を押し出す。
「部屋に戻って寝なよ」
「いいか! 三日のうちに大海を連れて来い!」
「うん、わかった」
白漢旗が自分の部屋に戻った後、白洛因は戸口に立ちつくし、何とも言えない気持ちになった。白漢旗はあまりにも物分かりが良すぎる。年を重ねた父親の気持ちを思うと胸が痛んだ。そして顧海については、もっと早く白漢旗の反応がわかっていれば良かったのに、一度放った言葉は回収できない。
それとも一度だけ膝を折るか?
一晩中悩み続け、空が白み始める頃、白洛因はついに顧海を尋ねる決意を固めた。どんな結果になろうと、どんなに皮肉を言われようと堪える。とにかく彼の気持ちを取り戻すのだ。
早朝の落ち葉を踏みしめ、白洛因は毅然と顧海が置いていったボロボロの自転車に跨った。
「下手に出ろ。面子を捨ててお前が頑なに守っていた傲慢さを手放せ。男が頭を下げたからって別にいいじゃないか……」
白洛因は自転車をこぎながらぶつぶつ独り言をこぼす。目の前には坂があり、下った後に大きくカーブしている。だから白洛因はブレーキに手をかけながら坂を下って行った。すると、カーブを曲がるときに突然二人が突っ込んできた。自転車はブレーキが甘く、白洛因が慌てて地面に足をついても、やはりぶつかってしまった。まだ朝も早くあたりには霧がたち込めていて、相手の顔もはっきりと見えない。ただ二十歳過ぎの男で背丈は自分と近いということだけはわかった。
「兄さん、すまない。この自転車はブレーキが効かないんだ。ケガはないか?」
白洛因は礼儀正しく接した。しかし二人の男は互いに目配せをすると、何も言わず飛び掛かり、紐で縛り付けようとする。白洛因は驚いた。いまどき自転車相手に当たり屋をする人間がまだいるのか。当たり屋だとしても、こんな態度はないだろう。しかもこの二人の男の力は尋常ではない。これはまずい事態だと察し、白洛因はまだ自由が利く腕を動かして自転車を持ち上げて二人の体にぶつけると、その隙に自転車を捨てて逃げた。
路地は比較的狭く、二人が自転車を越えてくるまでに少し時間を稼ぐことができた。彼らが追いかけようとしたときには白洛因はすでに角を曲がっていた。白洛因の瞬発力は人並みだが、持久力はある。そしてこのあたりの地理には詳しいので、たくさん角を曲がって小道を抜ければ三分も経たずに二人を撒けるはずだった。
だが白洛因はこの二人の豪傑を甘く見すぎていた。三つめの小道を回り込むと二人の屈強な男に前後を塞がれる。その瞬間白洛因にははっきりとわかった。プロの格闘家ではないにせよ、彼らは訓練を受けた人間だろう。体格は顧海と変わらない。これだけ頑張っても撒けないということは、彼らは事前に準備してきたはずだ。もし今日自転車でぶつからなくても、どのみち彼を誘拐するつもりだったのだろう。白洛因は一体自分がどこで誰に恨みを買ったのか考えた。
「兄さん、悪いな。俺たちと一緒に来てもらうよ」
男の一人が手の中でジャラジャラ手錠を振り回しながら一歩ずつ近づいてくる。このままおとなしく掴まるのは悔しい。白洛因は足を振り上げ男の顎を蹴り倒す。男は彼が抵抗するとは思わなかったようで、大きく口を開けて罵ろうとしたが、顎をやられて口を開くことすらできなかった。隣の男は仲間がやられたのを見て白洛因に手をあげようとしたが、顎を蹴られた男が引き留めた。男はひとしきり罵り、二人は慣れた手つきで白洛因の首を押さえつけ、腕を後ろに捻り上げた。
白洛因は腰を曲げ、二人の股間に狙いを定めて蹴りを入れる。しかし彼らは狂ったように喚きながらも一切反撃してこない。相手が手を出さないとわかったので白洛因は雨のように拳をお見舞いし、風を切るような蹴りを連続で食らわせた。二人は口で罵りながらも反撃はせず、ただ死に物狂いに手錠をかけようとした。白洛因に目隠しをし、体を粽のように縄で縛りあげる頃には、二人は殴られすぎて人相が変わっていた。
「さっき警察を見たぞ。早くここから離れようぜ」
白洛因は車に押し込まれ、朦朧としながら二人の会話を聞く。
「くそ、俺様はこんなに悔しかったことはないぜ。見ろよ、俺の肘を。もう少しで肉が削げ落ちそうだ」
「お前だけじゃないぞ。俺が軍隊にいた頃、誰も俺に手出しをしようとはしなかったんだぞ。今日はひどい目に遭った」
「小僧一人なら問題ないんじゃなかったのか? 王宇も呼ぼうかって言ったのに要らないって言い張っただろう」
「こいつがこんなに暴れると思わなかったんだよ!」
「わかったわかった。もういいよ。早く行こう。向こうでは要人が待ってるんだ!」
車が止まると、白洛因は誰かに担ぎ下ろされた。
「傷つけてないか?」
よく知っている声が耳元で響き、白洛因の心臓は音を立てる。
「ありません! 一切手を出してません!」
「我々の顔を見れば手を出していないとおわかりでしょう」
軽い笑い声が聞こえた。
「ありがとうな!」
「いいえ、当然です。何かあればまた我々を呼んでください」
「ああ」
白洛因はまた担ぎ上げられた。全身を縛られているとはいえ、馴染んだ匂いと広い肩は感じ取れる。扉が開き、白洛因はベッドに下ろされた。彼は注意深く白洛因にかけられた縄を解いたが、目隠しは外さなかった。それに手錠も片方しか外さず、もう片方をベッドヘッドの柱にかける。白洛因は自由になった手で目隠しを外そうとしたが、彼の手に阻まれた。
それはとても知っている感触だった。
白洛因の胸はギュッと苦しくなったが、自分の推測を受け入れることはできなかった。
やがてもう一方の手もベッドに固定される。それから白洛因の目隠しはやっと外された。
顧海の顔がはっきり目の前に現れる。そこには邪悪さや絶望後の逸脱、変態的な興奮やすべてを投げ出した自暴自棄が浮かんでいた。
最後の希望が消え、白洛因は歯ぎしりしながら顧海を怒りの眼差しで見やる。
「何がしたいんだ?」
「何がしたいかって?」
顧海の手は白洛因の頬を貪欲に、まるで宝物のように撫でまわす。ただそこにはいつもの親しさはなく、ある種の静かな独占欲が溢れていた。
「お前は俺から離れたいんだろう? 俺を一刀両断に切り捨てたいんだよな? 俺がどんなに頑張っても挽回させてはくれないんだろう? じゃあいっそお前をここに監禁して逃がさないようにしてやる! お前が義理も人情もなく俺を切り捨てようとするなら、無理にでも俺を気にかけるように、義理も人情も強要してやる!」
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