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第九章
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「大海! おじさんはお前に会いたくてたまらなかったよ!」
白漢旗は顧海に手を回し、二人は血のつながった家族のように部屋に入って行った。
「おじさん、俺も会いたかったよ」
顧海はうっかり「お父さん」と口を滑らせそうになった。白洛因は二人のおかしな男たちを無視し、白ばあちゃんの部屋に向かった。顧海は中庭をうろついてから厨房に入る。
「おじさん、晩飯を食い足りてないんだけど、何か食べるものはある?」
白漢旗は炊飯器の中を覗いてまだ二杯分の米が残っていることを確認し、冷蔵庫を開けて喜んだ。
「ちょうどここに腰子(豚の腎臓)がある。おじさんが温めてやるからな」
眠る時間になると、顧海は部屋の外へ締め出された。
「なんでお前と一緒に寝かせてくれないんだよ。これまでは気持ちよく眠ってたじゃないか」
白洛因は立場をはっきりさせる。
「これまでとは違う。前はお前を歓迎できたが、今は歓迎できなくなった」
顧海の面の皮は鋼でできているのか、まるで気にせず全身セクハラの気配を漂わせながら白洛因の股間を指さした。
「お前は自分が我慢できなくなるのが心配なんだろう?」
白洛因は顧海を蹴り出した。
ガシャンと音がして扉が閉まる。白洛因は憤懣やるかたない。俺が我慢できないって? お前は牛鞭を半皿と腰子を一皿食っておいて、俺にそんなことを言える立場か?
授業が終わり、顧海がトイレに行っている間に一人の男子がこそこそと白洛因のところへやってきた。クラスメートたちは顧海がいるところでは決して気軽に白洛因に近づかないことにしていた。顧海の独占欲は尋常ではなく、たとえ普通の友達でも自分以外白洛因の傍に寄せ付けない。女子が来れば目線で脅かし、男子は次からはこちらに目も向けなくなる。
「白兄さん、頼みがあるんだよ」
白洛因は彼を一瞥した。
「なんだ?」
「俺は隣のクラスの女の子が好きで、彼女にラブレターを書こうと思ってるんだ。でも俺の作文はさ……知ってるだろう。テストでも要領を得ないのに、そんな俺が書いたら相手はびっくりして逃げちゃうよ」
「いまの時代に? わざわざラブレターなんて書くのか……」
白洛因はあきらかに恋愛方面に疎かった。
「いまの時代だからこそ、ラブレターを書くことで真剣さが際立つんだよ」
男子生徒は膝を曲げ、後ろの扉をしきりに気にしながらも白洛因の机に顔をこすりつけて哀願した。
「白兄さん、俺たち中学校から同じクラスじゃないか。初めてのお願いだ。お前の硬筆習字は全国大会で金賞をもらったし、お前の文章はいつも新聞に載る。お前の文字と文章を借りられたらどんな女の子でも口説き落とせるよ!」
尤其は隣でからかう。
「ついでに顔も借りていけ。そうしたら完璧だ」
「あっち行けよ。お前に関係ないだろう!」
男子生徒は尤其に怒りの目を向けると、また白洛因に哀願し、両手を合わせて上下に振る。
「白兄さん、白兄さん、頼むから」
白洛因は目を泳がせた。
「俺にお前の代わりにラブレターを書けっていうのか?」
「うんうんうん」
男子生徒は頷いた。
「それからお前がそれを書き写すのか?」
「いや、俺は書き写さない。お前が書いてくれれば俺はそれを渡すから。言っただろう? 俺の字は下手くそすぎるんだ。助けるなら徹底的にやってくれ」
白洛因は少しためらった後、頷いた。
男子生徒は大喜びで飛ぶように自分の机から香りのついた便箋と一枚のメモを持ってきた。
すると顧海が後ろのドアから戻ってくる。
男子生徒はあわてて自分の席に座り、何事もなかったようなふりをした。
白洛因がメモを開くと一行文章が書いてある。
「宛名は董娜だ」
事前の準備も万端だ。顧海のいない時間が短いことまで予想していたのか……白洛因は失笑したが、その笑顔はすぐに驚愕に変わる。
董娜? 十二ロールのトイレットペーパーの? なんでよりによって董娜を好きになったんだ? 董娜と白洛因は高校一年生のときに同じクラスだった。同じクラスになった生徒はほぼ白洛因の筆跡を知っている。どうしようか……クオリティを下げずに少しだけ字体を変えよう。うん、そうしよう!
次の授業時間を使い、白洛因は筆を走らせた。顧海は頬杖をついて白洛因が手を動かす様子をじっと眺める。奴はいったい何をやってるんだ? 授業も聞かず、寝るわけでもない。顧海は白洛が授業中に宿題をすることはないと知っている。
授業を終えると、白洛因は珍しく主動的に動いた。
「俺は下に買い物に行くけど、お前も来るか?」
顧海が告白をしてから初めて白洛因が誘いかけてくれた瞬間だった。彼からの肯定を喉から手が出るほど欲している人間にとってはこのうえない誘惑だ。だから顧海はその誘いを断るためにすべての力をふり絞る必要があった。だが彼も男だ。奥歯を噛みしめ足を踏み鳴らし、どうにか断る。
そのおかげで尤其は漁夫の利を得ることになった。
もし白洛因が疚しいことをしていないなら、彼の勇敢な犠牲は無駄になる。
だが白洛因が一時間奮闘した成果を調べると、予想した通り確かに疚しいものが見つかった。それも桁外れの代物だ。
顧海の心は凍りつき、便箋を持つ指も震える。
「出会わなければ、心が重くなることもない
この機を逃せば、一生心休まることもない
ひとめ見るだけで、心の海に嵐が吹き抜け、
不毛の大地の上で、その風景の意味を知る
ひとたび長旅に出れば、脆弱な心は憔悴してしまう
秋の穏やかな水紋を見れば、涙が溢れ出てしまう
死に狼狽するはずはない、愛に心動かされないはずはない
ただひとたび二人愛し合えば、人生に悔いなし」
これは俺にむけて書くべき詩なんじゃないのか? 顧海はこれが汪国真の詩であることを知らなかったので、白洛因が必死になって好きな女子に書いたラブレターだと誤解した。手紙に書かれたすべての言葉が針のように顧海の心を突き刺す。白洛因がはっきり答えを寄越さなかったのは、顧海の心を弄ぶためだったのだ。まさかひそかに別の人間に恋をしているとは思いもしなかった!
その衝撃は金璐璐が別の男とホテルにいたときよりもずっと大きかった。金璐璐のことは主に感情的な怒りだったが、今回は心の奥にある脆い部分が傷を負う。
顧海は深呼吸を繰り返し、なんとか表情を取り繕う。白洛因が戻って来るまでまだ間がある。いまこそ夫の威厳を見せつけるときだ! 自分の目の黒いうちは何があろうとこんなことは許さない。たとえ白洛因がそう望んだとしてもダメだ!
顧海は白洛因が書き終えた手紙の下から一枚便箋を取り出して自分の手元に置き、女子の名前を一瞥してからできるだけ下品で鋭利な言葉を選んで攻撃を始める。それから自分の書いた手紙を綺麗な封筒に入れ、白洛因が書いた手紙は破り捨てた。
白洛因が戻って来ると、封をした手紙が机の上に置いてあった。白洛因は顧海に開心果(ピスタチオの中国名、楽しいナッツという文字で、周囲を楽しませるムードメーカーの意味もある)を投げて寄越す。顧海の心臓は破裂しそうになった。俺にこんな仕打ちをしておいて、どう楽しめっていうんだ?
白洛因は手紙をちらりと一瞥し、名前だけチェックして文章は見なかった。筆跡があまりにも似ていたため、白洛因はため息をついた。あんなに注意して筆跡を変えたつもりなのに、結局書いているうちに自分の文字に戻ってしまったらしい。まあいい。多分董娜はおおざっぱな性格だからこんな些細なことには気づかないだろう。
白洛因は男子生徒の名前をきっちり書き込み、授業開始一分前にさっと教室を出て隣のクラスの董娜へ届けた。
彼の挙動を見て、一刻も待てないのかと顧海の胸はまた痛んだ。次の授業中、顧海は白洛因の後ろの席で頭を掻きむしって懊悩した。ラブレターは書き換えられても、白洛因が誰かに恋をする気持ちはどうすることもできない!
授業が終わり、クラスがざわつき始めたとき、後ろのドアから泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
「関達治って奴はどこ? 出てきなさいよ!」
男子生徒は董娜が自分の名前を呼んでいるのを見て、動揺のあまり右手と右足を同時に出す。だが董娜が彼の頬に平手打ちを食らわせたのは想定外だった。パンという音が響き、静まり返った教室に呼吸音だけが聞こえる。関達治もまさかラブレターの返事が平手打ちだとは夢にも思っていなかった。たとえ好かれていなくても、こんなふうにフラれるなんて。
「それから白洛因!」
董娜は泣いて息を荒げながら続けた。
「高一のときに同じクラスだったくせに、私を貶めて罵る手助けをするなんて!」
「罵る?」
白洛因は呆然とする。顧海も状況がまるで飲み込めなかった。
「しらばっくれないでよ! 私があんたの筆跡を知らないとでも? こんなに恥知らずだとは思わなかったわ! もう今後一切絶対にあんたとは口を利かないからね!」
顧海は見ていられず、白洛因を助けようとする。
「もうそれくらいでいいだろう。気が済んだらとっとと帰れ!」
董娜は涙を手で拭いながら「ラブレター」を白洛因に投げつけ、泣きながら駆け去った。
大騒ぎが収まると、何か手違いがあったはずだと白洛因はくしゃくしゃに丸められた便箋を広げ、内容を確認する。
少し読んだだけで白洛因の顔は怒りでどす黒く変わった。
これだけ似ている筆跡に、下品な罵詈雑言。言うまでもなく後ろに座っている奴の仕業だ。
授業が終わると白洛因は後ろを振り返り、殺意を込めた視線を向ける。
「俺の手紙をこっそりすり替えただろう?」
顧海は素直に頷いた。
「そうだよ!」
白洛因は怒りのあまり机を叩く。
「どうしてこんなひどいことをするんだ? いったい何が気に入らないんだ?」
「何が気に入らないって?」
顧海は微塵も退く構えを見せなかった。
「お前は女子にラブレターまで書いたんだぞ。俺が止めなかったら取り返しがつかないことになるじゃないか!」
白洛因は息が止まりそうになる。なるほどわかったぞ。そういうことか。
「あのラブレターは関達治に頼まれて代わりに書いたんだ!」
一喝され、顧海はしばし言葉を失った。
起死回生の喜びが一気に溢れ出し、二時間分の懊悩が消え、心の中で大宴会が始まる。董娜宛のラブレターは白洛因自身のものではなく、別の男子を助けるために書かれたものだったのだ。苦い漢方薬の口直しに甘い棗の砂糖漬けを食べ、顧海は有頂天になる。恨みに満ちていた両手は突然蜜を塗られたようにやさしく慈愛に満ち、白洛因の眉目秀麗な顔を撫でまわした。
「なんでそれを早く言わないんだよ」
白洛因は歯をむき出し、猛然と顧海の手を振り払った。
「この野郎、笑ってる場合か! クソみたいなことをしたくせに笑うのかよ」
「クソなもんか。言っとくが、もしお前が本当に女子にラブレターを書いてたんなら、俺はもっとひどい言葉を書くぞ! あれでも手加減したんだ」
顧海は真顔になる。
「関達治がお前を利用したなら、俺がそれを反故にしてもいいだろう。何故お前を巻き込む? 自分で女を口説くことすらできないのか? そんな不誠実な奴、助けてやらなくていいぞ!」
白洛因は顧海とは理解し合えないと悟り、リュックを持って外に出た。
「戻って来いよ!」
顧海は白洛因を捕まえ、傲慢でありながら溺愛するような目で彼を見る。
「こんな小さなことでいちいちヒステリーを起こすなよ!」
白洛因は怒りに息を詰まらせた。
「顧海、もう何度目だ。余計なことはするな。そもそも俺とお前はまだそんな関係でもないだろう。それなのにいまやクラス中が俺を避け、お前を怒らせないように気を使ってる」
顧海は目を光らせた。
「それはつまり、俺とつきあうつもりがあるってことか?」
なんてこった……たった一言でこれまでの話がすべて無駄になった。
白洛因は嫌気がさして煙草を吸いに行く。ライターを探していると、隣に立っていた男子生徒が白洛因に火を貸そうとして顧海に遮られた。顧海はライターで自分の煙草に火をつけ、その煙草の端を白洛因の煙草とキスをさせるように合わせ、ゆっくりと煙草に火をつけた。
隣の男子生徒は目を丸くする。
「なに見てんだよ」
顧海は男子生徒の顔に煙を吹きかけ、彼を咳き込ませた。彼が立ち去り、部屋は白洛因と顧海の二人だけになる。
「因子、さっきお前が言った話はつまり、俺とつきあう可能性があるっていうことだよな?」
「顧海、いい加減にしろよ」
白洛因は眉をひそめた。
「さっきはお前への注意だよ。家ではどんなにちょっかいをかけてもいいが、学校ではよせ。皆が見てるんだから! これからも俺と一緒にいたいんだろう? 今日のことだって大変だぞ。俺はこれから関達治の前でどんな顔をすればいいんだ」
顧海は煙草を持っていた手を震わせる。
「家ではどんなにちょっかいをかけてもいいっていうのは本当か?」
ああああ! 白洛因は心の中で吠えまくる。誰か俺の代わりにこの疫病神を退治してくれ!
白漢旗は顧海に手を回し、二人は血のつながった家族のように部屋に入って行った。
「おじさん、俺も会いたかったよ」
顧海はうっかり「お父さん」と口を滑らせそうになった。白洛因は二人のおかしな男たちを無視し、白ばあちゃんの部屋に向かった。顧海は中庭をうろついてから厨房に入る。
「おじさん、晩飯を食い足りてないんだけど、何か食べるものはある?」
白漢旗は炊飯器の中を覗いてまだ二杯分の米が残っていることを確認し、冷蔵庫を開けて喜んだ。
「ちょうどここに腰子(豚の腎臓)がある。おじさんが温めてやるからな」
眠る時間になると、顧海は部屋の外へ締め出された。
「なんでお前と一緒に寝かせてくれないんだよ。これまでは気持ちよく眠ってたじゃないか」
白洛因は立場をはっきりさせる。
「これまでとは違う。前はお前を歓迎できたが、今は歓迎できなくなった」
顧海の面の皮は鋼でできているのか、まるで気にせず全身セクハラの気配を漂わせながら白洛因の股間を指さした。
「お前は自分が我慢できなくなるのが心配なんだろう?」
白洛因は顧海を蹴り出した。
ガシャンと音がして扉が閉まる。白洛因は憤懣やるかたない。俺が我慢できないって? お前は牛鞭を半皿と腰子を一皿食っておいて、俺にそんなことを言える立場か?
授業が終わり、顧海がトイレに行っている間に一人の男子がこそこそと白洛因のところへやってきた。クラスメートたちは顧海がいるところでは決して気軽に白洛因に近づかないことにしていた。顧海の独占欲は尋常ではなく、たとえ普通の友達でも自分以外白洛因の傍に寄せ付けない。女子が来れば目線で脅かし、男子は次からはこちらに目も向けなくなる。
「白兄さん、頼みがあるんだよ」
白洛因は彼を一瞥した。
「なんだ?」
「俺は隣のクラスの女の子が好きで、彼女にラブレターを書こうと思ってるんだ。でも俺の作文はさ……知ってるだろう。テストでも要領を得ないのに、そんな俺が書いたら相手はびっくりして逃げちゃうよ」
「いまの時代に? わざわざラブレターなんて書くのか……」
白洛因はあきらかに恋愛方面に疎かった。
「いまの時代だからこそ、ラブレターを書くことで真剣さが際立つんだよ」
男子生徒は膝を曲げ、後ろの扉をしきりに気にしながらも白洛因の机に顔をこすりつけて哀願した。
「白兄さん、俺たち中学校から同じクラスじゃないか。初めてのお願いだ。お前の硬筆習字は全国大会で金賞をもらったし、お前の文章はいつも新聞に載る。お前の文字と文章を借りられたらどんな女の子でも口説き落とせるよ!」
尤其は隣でからかう。
「ついでに顔も借りていけ。そうしたら完璧だ」
「あっち行けよ。お前に関係ないだろう!」
男子生徒は尤其に怒りの目を向けると、また白洛因に哀願し、両手を合わせて上下に振る。
「白兄さん、白兄さん、頼むから」
白洛因は目を泳がせた。
「俺にお前の代わりにラブレターを書けっていうのか?」
「うんうんうん」
男子生徒は頷いた。
「それからお前がそれを書き写すのか?」
「いや、俺は書き写さない。お前が書いてくれれば俺はそれを渡すから。言っただろう? 俺の字は下手くそすぎるんだ。助けるなら徹底的にやってくれ」
白洛因は少しためらった後、頷いた。
男子生徒は大喜びで飛ぶように自分の机から香りのついた便箋と一枚のメモを持ってきた。
すると顧海が後ろのドアから戻ってくる。
男子生徒はあわてて自分の席に座り、何事もなかったようなふりをした。
白洛因がメモを開くと一行文章が書いてある。
「宛名は董娜だ」
事前の準備も万端だ。顧海のいない時間が短いことまで予想していたのか……白洛因は失笑したが、その笑顔はすぐに驚愕に変わる。
董娜? 十二ロールのトイレットペーパーの? なんでよりによって董娜を好きになったんだ? 董娜と白洛因は高校一年生のときに同じクラスだった。同じクラスになった生徒はほぼ白洛因の筆跡を知っている。どうしようか……クオリティを下げずに少しだけ字体を変えよう。うん、そうしよう!
次の授業時間を使い、白洛因は筆を走らせた。顧海は頬杖をついて白洛因が手を動かす様子をじっと眺める。奴はいったい何をやってるんだ? 授業も聞かず、寝るわけでもない。顧海は白洛が授業中に宿題をすることはないと知っている。
授業を終えると、白洛因は珍しく主動的に動いた。
「俺は下に買い物に行くけど、お前も来るか?」
顧海が告白をしてから初めて白洛因が誘いかけてくれた瞬間だった。彼からの肯定を喉から手が出るほど欲している人間にとってはこのうえない誘惑だ。だから顧海はその誘いを断るためにすべての力をふり絞る必要があった。だが彼も男だ。奥歯を噛みしめ足を踏み鳴らし、どうにか断る。
そのおかげで尤其は漁夫の利を得ることになった。
もし白洛因が疚しいことをしていないなら、彼の勇敢な犠牲は無駄になる。
だが白洛因が一時間奮闘した成果を調べると、予想した通り確かに疚しいものが見つかった。それも桁外れの代物だ。
顧海の心は凍りつき、便箋を持つ指も震える。
「出会わなければ、心が重くなることもない
この機を逃せば、一生心休まることもない
ひとめ見るだけで、心の海に嵐が吹き抜け、
不毛の大地の上で、その風景の意味を知る
ひとたび長旅に出れば、脆弱な心は憔悴してしまう
秋の穏やかな水紋を見れば、涙が溢れ出てしまう
死に狼狽するはずはない、愛に心動かされないはずはない
ただひとたび二人愛し合えば、人生に悔いなし」
これは俺にむけて書くべき詩なんじゃないのか? 顧海はこれが汪国真の詩であることを知らなかったので、白洛因が必死になって好きな女子に書いたラブレターだと誤解した。手紙に書かれたすべての言葉が針のように顧海の心を突き刺す。白洛因がはっきり答えを寄越さなかったのは、顧海の心を弄ぶためだったのだ。まさかひそかに別の人間に恋をしているとは思いもしなかった!
その衝撃は金璐璐が別の男とホテルにいたときよりもずっと大きかった。金璐璐のことは主に感情的な怒りだったが、今回は心の奥にある脆い部分が傷を負う。
顧海は深呼吸を繰り返し、なんとか表情を取り繕う。白洛因が戻って来るまでまだ間がある。いまこそ夫の威厳を見せつけるときだ! 自分の目の黒いうちは何があろうとこんなことは許さない。たとえ白洛因がそう望んだとしてもダメだ!
顧海は白洛因が書き終えた手紙の下から一枚便箋を取り出して自分の手元に置き、女子の名前を一瞥してからできるだけ下品で鋭利な言葉を選んで攻撃を始める。それから自分の書いた手紙を綺麗な封筒に入れ、白洛因が書いた手紙は破り捨てた。
白洛因が戻って来ると、封をした手紙が机の上に置いてあった。白洛因は顧海に開心果(ピスタチオの中国名、楽しいナッツという文字で、周囲を楽しませるムードメーカーの意味もある)を投げて寄越す。顧海の心臓は破裂しそうになった。俺にこんな仕打ちをしておいて、どう楽しめっていうんだ?
白洛因は手紙をちらりと一瞥し、名前だけチェックして文章は見なかった。筆跡があまりにも似ていたため、白洛因はため息をついた。あんなに注意して筆跡を変えたつもりなのに、結局書いているうちに自分の文字に戻ってしまったらしい。まあいい。多分董娜はおおざっぱな性格だからこんな些細なことには気づかないだろう。
白洛因は男子生徒の名前をきっちり書き込み、授業開始一分前にさっと教室を出て隣のクラスの董娜へ届けた。
彼の挙動を見て、一刻も待てないのかと顧海の胸はまた痛んだ。次の授業中、顧海は白洛因の後ろの席で頭を掻きむしって懊悩した。ラブレターは書き換えられても、白洛因が誰かに恋をする気持ちはどうすることもできない!
授業が終わり、クラスがざわつき始めたとき、後ろのドアから泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
「関達治って奴はどこ? 出てきなさいよ!」
男子生徒は董娜が自分の名前を呼んでいるのを見て、動揺のあまり右手と右足を同時に出す。だが董娜が彼の頬に平手打ちを食らわせたのは想定外だった。パンという音が響き、静まり返った教室に呼吸音だけが聞こえる。関達治もまさかラブレターの返事が平手打ちだとは夢にも思っていなかった。たとえ好かれていなくても、こんなふうにフラれるなんて。
「それから白洛因!」
董娜は泣いて息を荒げながら続けた。
「高一のときに同じクラスだったくせに、私を貶めて罵る手助けをするなんて!」
「罵る?」
白洛因は呆然とする。顧海も状況がまるで飲み込めなかった。
「しらばっくれないでよ! 私があんたの筆跡を知らないとでも? こんなに恥知らずだとは思わなかったわ! もう今後一切絶対にあんたとは口を利かないからね!」
顧海は見ていられず、白洛因を助けようとする。
「もうそれくらいでいいだろう。気が済んだらとっとと帰れ!」
董娜は涙を手で拭いながら「ラブレター」を白洛因に投げつけ、泣きながら駆け去った。
大騒ぎが収まると、何か手違いがあったはずだと白洛因はくしゃくしゃに丸められた便箋を広げ、内容を確認する。
少し読んだだけで白洛因の顔は怒りでどす黒く変わった。
これだけ似ている筆跡に、下品な罵詈雑言。言うまでもなく後ろに座っている奴の仕業だ。
授業が終わると白洛因は後ろを振り返り、殺意を込めた視線を向ける。
「俺の手紙をこっそりすり替えただろう?」
顧海は素直に頷いた。
「そうだよ!」
白洛因は怒りのあまり机を叩く。
「どうしてこんなひどいことをするんだ? いったい何が気に入らないんだ?」
「何が気に入らないって?」
顧海は微塵も退く構えを見せなかった。
「お前は女子にラブレターまで書いたんだぞ。俺が止めなかったら取り返しがつかないことになるじゃないか!」
白洛因は息が止まりそうになる。なるほどわかったぞ。そういうことか。
「あのラブレターは関達治に頼まれて代わりに書いたんだ!」
一喝され、顧海はしばし言葉を失った。
起死回生の喜びが一気に溢れ出し、二時間分の懊悩が消え、心の中で大宴会が始まる。董娜宛のラブレターは白洛因自身のものではなく、別の男子を助けるために書かれたものだったのだ。苦い漢方薬の口直しに甘い棗の砂糖漬けを食べ、顧海は有頂天になる。恨みに満ちていた両手は突然蜜を塗られたようにやさしく慈愛に満ち、白洛因の眉目秀麗な顔を撫でまわした。
「なんでそれを早く言わないんだよ」
白洛因は歯をむき出し、猛然と顧海の手を振り払った。
「この野郎、笑ってる場合か! クソみたいなことをしたくせに笑うのかよ」
「クソなもんか。言っとくが、もしお前が本当に女子にラブレターを書いてたんなら、俺はもっとひどい言葉を書くぞ! あれでも手加減したんだ」
顧海は真顔になる。
「関達治がお前を利用したなら、俺がそれを反故にしてもいいだろう。何故お前を巻き込む? 自分で女を口説くことすらできないのか? そんな不誠実な奴、助けてやらなくていいぞ!」
白洛因は顧海とは理解し合えないと悟り、リュックを持って外に出た。
「戻って来いよ!」
顧海は白洛因を捕まえ、傲慢でありながら溺愛するような目で彼を見る。
「こんな小さなことでいちいちヒステリーを起こすなよ!」
白洛因は怒りに息を詰まらせた。
「顧海、もう何度目だ。余計なことはするな。そもそも俺とお前はまだそんな関係でもないだろう。それなのにいまやクラス中が俺を避け、お前を怒らせないように気を使ってる」
顧海は目を光らせた。
「それはつまり、俺とつきあうつもりがあるってことか?」
なんてこった……たった一言でこれまでの話がすべて無駄になった。
白洛因は嫌気がさして煙草を吸いに行く。ライターを探していると、隣に立っていた男子生徒が白洛因に火を貸そうとして顧海に遮られた。顧海はライターで自分の煙草に火をつけ、その煙草の端を白洛因の煙草とキスをさせるように合わせ、ゆっくりと煙草に火をつけた。
隣の男子生徒は目を丸くする。
「なに見てんだよ」
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「因子、さっきお前が言った話はつまり、俺とつきあう可能性があるっていうことだよな?」
「顧海、いい加減にしろよ」
白洛因は眉をひそめた。
「さっきはお前への注意だよ。家ではどんなにちょっかいをかけてもいいが、学校ではよせ。皆が見てるんだから! これからも俺と一緒にいたいんだろう? 今日のことだって大変だぞ。俺はこれから関達治の前でどんな顔をすればいいんだ」
顧海は煙草を持っていた手を震わせる。
「家ではどんなにちょっかいをかけてもいいっていうのは本当か?」
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素敵な表紙お借りしました!
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