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第九章
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歩きながら白洛因はたくさん考えた。みんな自分に起きるまではたいしたことがないと思っているが、実際にその可能性が出てくると、あらゆる心配と不安に襲われる。女性が悩みがちなのは色々なことを細かく考えすぎるからで、男性がぼやきがちなのは先のことまで深く考えすぎるからだろう。
特にこの年頃の男子はまだ成長しきっておらず、ちょっとしたことですぐに動揺しがちだ。理性的な部分もあるがまだ十分ではなく、そこまで落ち着いてもいない。白洛因は考えた。もし本当に病気だったら父親はどうなるだろう。家にはすでに二人も病人がいて、両方とも不治の病だ。常に薬を飲まねば命を保てない。自分までそんなことになれば、父は生きていられるだろうか。この病気のせいで将来の就職や出世にも影響が出るかもしれない。自分の夢はここで潰えてしまうのだろうか……。
「因子、本当に俺のところに連れて行くぞ」
白洛因は自分のもの思いに囚われ、顧海の話がまったく耳に入って来なかった。車で長い距離を移動し建物の下に着いた時にはもうあたりは暗くなっていた。白洛因はそのときようやく顧海の部屋に連れて来られたのだと気づいたが、もはやどうでもよかった。ショックが大きすぎて些末なことにかまう余裕はなくなっていた。
顧海は冷蔵庫を開け、冷凍の水餃子を取り出す。
「こんなものしかないけど、食えればいいよな」
家政婦を帰してしまったので、自分で餃子を茹でるしかない。餃子はどれくらい茹でれば火が通るのかわからず、顧海は味見を続けるしかなかった。鍋に入れて三分後から味見を始めたので、いくつも生の餃子を食べる羽目になったが、ようやく火が通ると、あわてて火を止める。顧海はまず白洛因の皿に盛った。
「熱いうちに食え」
白洛因は固まったまま窓の外を見ていた。ここは十八階で視界もよく、夜景も一望できる。
「俺はお前のお口に運んでやらないとならないのか?」
顧海はからかうような目を向けたが、白洛因は彼に取り合わなかった。
顧海は辛抱強く餃子を半分に割り、まず自分が食べ、残り半分を白洛因の口元へ運ぶ。
「ベイビー、ほら、あーん。一口食え」
白洛因は無表情の顔を顧海に向けると、突然口を開いた。
「俺はB型肝炎なんだ」
顧海のレンゲを持つ手が止まる。
「誰が言ったんだ?」
「副学級委員だ。健康診断の結果、俺の肝機能に異常が出て、B型肝炎の疑いがあるって」
顧海はなんでもないような素振りで答えた。
「あいつの戯言なんて気にするな。まったく信じられない。ほらまず餃子を食え! 食わないと冷めちまうぞ」
白洛因は突然爆発し、前触れもなく顧海に怒りを向ける。
「一番信じられないのはお前だろう? 俺がB型肝炎かもしれないっていうのにまだ同じ箸や食器を使うなんて、死にたいのか?」
顧海の表情は一変し、無理に残り半分の餃子を白洛因の口に詰め込むと、白洛因が舐めた箸で餃子を摘まみ自分の口に入れた。白洛因は衝撃を受ける。
「顧海、俺のためにそこまですることないだろう」
「そこまでとかどこまでとかいう問題じゃない。お前がそんな病気なはずはない」
「あるんだよ!」
白洛因は眉を逆立てる。
「俺が病気だといったら病気なんだ!」
こいつはなんでこんなに頑固なんだ?
「わかったわかった……お前は病気なんだな」
顧海は歯をむき出す。
「じゃあ遠慮なく俺に移せよ。なんでもやって俺に移して一緒に病気になればいいだろう?」
「お前はバカか!」
白洛因は吠えた。
「俺はバカだよ!」
顧海も白洛因に吠え返す。
「今日こそはっきりさせてやるぞ。バカでもわかることがお前にはわからないんだな? 自分は病気だと思ってるんだろう? いい話も悪い話も聞く耳を持たないんだよな? よし、今日は俺が徹底的にお前のその悪い癖を治してやる!」
そう言うと自分の口の中に餃子を放り込み、白洛因を引き寄せて口移ししようとする。白洛因は歯を噛みしめて抵抗したが、顧海は無理やり口を開けさせ、餃子を半分押し込んだ。白洛因は怒りと感動がない交ぜになる。今日はここに来るべきではなかった。もし顧海が意地でもこんな態度を取るなら、家に帰ったほうがいい。
顧海は白洛因が立ち上がり戸口に向かう姿に胸が締め付けられる。俺はなんで忘れてたんだ。こいつは下手に出れば受け入れてくれるが、無理強いは効かない。こんなことは誰に起きてもショックだろう。いま彼に必要なのは慰めで、責めることじゃない。
「因子」
顧海は大股で駆け寄り、戸口にいる白洛因を抱き込んだ。
「怖がらなくていい。大丈夫だ。俺の話を聞け。土曜日に病院に行って検査をしよう。きっと何もないよ」
白洛因は少し弱気な声を出す。
「本当に?」
「絶対に保証するよ!」
顧海は白洛因の体を無理やり自分のほうへ向けさせた。
「俺の言葉はすごく当たるんだ。俺が何の病気もないと言ったら、お前は絶対に大丈夫だ!」
顧海は自分を慰めているだけだとわかっていたが、白洛因はそれでも少し気分が楽になる。
顧海は白洛因の頭をぽんぽんと叩いた。
「いい子だから餃子を食え」
「じゃあお前も今日は俺に触るな。万が一に備えろ」
顧海は餃子を食べてもいないのにむせ返る。触るなだって? じゃあ俺はなんのためにお前をここに連れて来たんだ?
夕食の後、白洛因は浴室でシャワーを浴び、顧海は部屋でテレビを見ていた。といっても音量は浴室の水音よりも小さく、顧海の目はテレビの上に五秒と止まらずに浴室を見つめた。浴室からわずかに響くシャワーの水音が途切れるたびに顧海の脳裏には白洛因が体を洗う様子がまざまざと浮かび上がる。いまきっとパンツを脱いだ。いま多分背中を擦っている。そして泡を洗い落としたんじゃないか? こんなに時間をかけて、もしやあそこを洗っているのか?
顧海の手はソファーの背もたれを引っ掻き、胸は虫が湧いたようにむず痒かった。
白洛因はシャワーを終えるとタオルを巻いて出てくる。
「余分なパジャマはあるか?」
白洛因の問いかけに、顧海はハッと我に返った。
「あるよ。寝室にある。待ってろ、持ってくるから」
白洛因は顧海の後に続いて寝室に入って来る。顧海はクローゼットの中を漁り、まだ着たことのないナイトガウンを白洛因に渡した。
「とりあえずこれを着ろ」
白洛因はもの思いに沈んでいたか、あるいはそこまで深く考えなかったのか、腰に巻いていたタオルを外し、完璧に美しい裸体を顧海の前に晒した。顧海の心は震え、小刻みに太鼓を打つように呼吸の音がはっきりと聞こえてくる。今日の午後にも見たが、あのときは十数人の目があった。いまは彼一人だ。それに昼間よりもずっと近い距離でじっくりと眺められる。
白洛因はナイトガウンを一度広げてから羽織り、出て行った。それはほんの一瞬の出来事だったが、顧海の心を奮い立たせるには十分だった。
これはつまり無言の誘いなんじゃないか?
白洛因はパソコンの画面を見ていたがまるで集中できず、頭の中は健康診断のことでいっぱいだった。ゲームや音楽も楽しめず、結局「B型肝炎」という文字を検索してしまう。すると山のような情報が彼の前に並んだ。
『B型肝炎ウィルスは微生物の一種で感染性があり、広がりやすい。B型肝炎のウィルス保持者は多くそのうちかなりの人が不顕性感染のため、さらに感染対策が難しい。慢性化しやすく治療の期間は長い。安静が必要なため学業や仕事への影響もあり、患者には精神的プレッシャーや経済的な負担がかかる。重症化すると肝硬変や肝臓がんに至り、死亡することもある……』
さきほど食べた餃子が胸を塞ぎ、息が苦しくなる。
顧海がシャワーを終えて出てくると、白洛因はまだパソコンの前に座っていた。半分湿った髪の毛が柔らかく張り付き、セクシーな喉仏が動いている。しっかりとした顎や固く引き結ばれた唇、刻一刻と変わる目の表情は憂いを帯びつつも静かな強靭さを湛え、部屋中の光を吸い込んだかのように光っていた。
顧海は軽い足取りで近づいてやや身を伏せ、後ろから彼を抱き込み薄い唇を耳元に寄せると、熱い声で囁いた。
「何を見てるんだ?」
白洛因はただでさえ苛立っていたところにベタベタ張り付かれ、怒鳴り散らす。
「あっちへ行け! うっとうしい!」
しかし顧海は悪い笑顔を浮かべ、へこたれない。
「どうした? ツンデレを学んだのか?」
白洛因は歯をむき出して威嚇する。
「これが最後の警告だ。俺から離れろ!」
「お前はどうしてそうなんだ?」
顧海はいじけてみせた。
「お前が先に誘惑したのに、なんで今頃知らん顔するんだよ。ひどいじゃないか」
白洛因は頭を抱える。
「俺がいつお前を誘惑した?」
顧海は顎を上げ、舐めまわすような視線を向ける。
「さっきどこかのおバカさんは俺の前でわざと時間をかけてゆっくり着替えただろう? 俺がわからないとでも思うのか? 悪い奴め! 俺に見せつけて煽ろうとしたんだろう?」
わああああああ!
白洛因はテーブルクロスを顧海の口に詰め込んだ。
「なんでわざわざここに来るんだ?」
白洛因が寝る準備を済ませると、顧海がドアを開けて入ってきた。顧海はドアを閉めながら答える。
「俺はここで寝るために来たんだ!」
「お前の家に寝室はいくつもあるだろう。なにもわざわざここで寝なくてもいいんじゃないか? なるべく接触しないほうがいいと言っただろう。汗からも移るって知らないのか」
「あとは何から感染する?」
白洛因は顧海が自分の心配をまるで深刻に受け止めていないと悟った。これ以上話しても無駄だ。もう別の部屋で寝よう。
そう思ったのに、立ち上がるとすぐベッドに引き戻される。
「確か唾液からも移るんだよな?」
顧海は猛然と押し倒して白洛因の唇を奪った。
ガウンがはだけ顧海の腿が白洛因の肌に触れる。体の熱が溶け合い、顧海の瞳は邪に赤く染まった。軽く白洛因の唇を噛むと彼の拒絶や不安、心の奥底にある恐怖が伝わって来る。白洛因の耳元に唇を押し付けると柔らかかった。そこが柔らかい人間は騙されやすいという。
「因子、怖がるな。本当に大丈夫だよ。何かあったとしても俺が側にいるから」
顧海の語気は淡々としていたが、かえって強烈な鎮静効果があった。白洛因はすぐそばにある顧海の顔を見る。彼はそっと白洛因の頬を撫でて囁いた。
「怖がるな。俺がいるよ!」
白洛因は顧海の手を掴む。
「俺は大丈夫だから、もうやめろ。本当にこんな危険を冒す必要はないんだ」
危険を冒すってなんだ? 俺様はこのチャンスに乗じるつもりだぞ。こんな絶好の機会はなかなかない。得をするだけでなく、無償の愛を捧げるという大義名分までついてくる。
「性行為も感染経路らしいぞ」
「ダメだ!」
白洛因は顧海を押しやる。
「絶対ダメだ。バカなことをするな!」
「俺は自分が何をしているのか、はっきりわかってるよ」
顧海は両手で白洛因を押さえ体重をかけて押し倒す。白洛因とやることしか考えられない。
「君がやるかどうかだ……君がやるかどうかだ……君がやるかどうかだ……」
もう待ちきれなかった。脳内は欲望で一杯になり、真っ白な肉体以外何も浮かばなかった。確か白洛因はナイトガウンの下には何も着ていなかった。パンツさえ履いていない。彼と完全に結ばれたい欲求で顧海は爆発しそうだった。
白洛因は顧海の肉に爪を食い込ませながらも絶望と逃げ出したい気持ちが入り混じり、全身の感覚が研ぎ澄まされる。だが顧海は遅々として動かない。まるで刑罰の執行を待つように恐怖と不安に襲われ、精神は崩壊寸前になる。止められないならいっそもう早くやってくれという気持ちだった。待たされるのはある意味受け入れるよりもつらい。
顧海の舌先が白洛因の耳たぶに触れ、探りながら煽るように意地悪く周辺を舐めまわす。そしてようやく両唇で軽く吸い付くと、今度は舌先で蹂躙し始めた。白洛因は顧海の足を蹴り、口からは「いやだ」という言葉しか出て来なくなった。男によって初めて味わわされる翻弄、屈辱、苦悶、悔しさ……つらさを表すあらゆる単語が脳内に次々と湧き上がってくる。だが顧海の唇と舌の感触は熱すぎて反抗できず、白洛因は自分の脆弱さを憎んだ。だがいまこの時彼が恥知らずにも必要としていたのは、確かにこの男の慰めだった。
「因子、俺はもう我慢できない……」
顧海は熱い吐息を白洛因の首筋に吹きかけた。
白洛因の声はわずかに震える。
「俺に無理強いするな」
顧海は猛然と白洛因の着ているガウンの紐を解き、白洛因が怒りを目に宿して睨みつける中、たこのできた親指で二粒の赤い実を押し潰した。そして有無を言わせぬ強い力で揉み捻りながら、同時に股間にも摩擦を加える。
「んあ……っ」
白洛因の理性は崩れ落ち、呻き声を上げる。胸には電流が通り、快感が波のように彼の喉を塞いだ。白洛因は屈辱を覚える。こんな場所が感じるのは女性だけだとこれまで気にもかけなかった。だから顧海の指が触れて猥雑に弄り回したとき、見知らぬ快楽に何の抵抗もできなかったのだ。
特にこの年頃の男子はまだ成長しきっておらず、ちょっとしたことですぐに動揺しがちだ。理性的な部分もあるがまだ十分ではなく、そこまで落ち着いてもいない。白洛因は考えた。もし本当に病気だったら父親はどうなるだろう。家にはすでに二人も病人がいて、両方とも不治の病だ。常に薬を飲まねば命を保てない。自分までそんなことになれば、父は生きていられるだろうか。この病気のせいで将来の就職や出世にも影響が出るかもしれない。自分の夢はここで潰えてしまうのだろうか……。
「因子、本当に俺のところに連れて行くぞ」
白洛因は自分のもの思いに囚われ、顧海の話がまったく耳に入って来なかった。車で長い距離を移動し建物の下に着いた時にはもうあたりは暗くなっていた。白洛因はそのときようやく顧海の部屋に連れて来られたのだと気づいたが、もはやどうでもよかった。ショックが大きすぎて些末なことにかまう余裕はなくなっていた。
顧海は冷蔵庫を開け、冷凍の水餃子を取り出す。
「こんなものしかないけど、食えればいいよな」
家政婦を帰してしまったので、自分で餃子を茹でるしかない。餃子はどれくらい茹でれば火が通るのかわからず、顧海は味見を続けるしかなかった。鍋に入れて三分後から味見を始めたので、いくつも生の餃子を食べる羽目になったが、ようやく火が通ると、あわてて火を止める。顧海はまず白洛因の皿に盛った。
「熱いうちに食え」
白洛因は固まったまま窓の外を見ていた。ここは十八階で視界もよく、夜景も一望できる。
「俺はお前のお口に運んでやらないとならないのか?」
顧海はからかうような目を向けたが、白洛因は彼に取り合わなかった。
顧海は辛抱強く餃子を半分に割り、まず自分が食べ、残り半分を白洛因の口元へ運ぶ。
「ベイビー、ほら、あーん。一口食え」
白洛因は無表情の顔を顧海に向けると、突然口を開いた。
「俺はB型肝炎なんだ」
顧海のレンゲを持つ手が止まる。
「誰が言ったんだ?」
「副学級委員だ。健康診断の結果、俺の肝機能に異常が出て、B型肝炎の疑いがあるって」
顧海はなんでもないような素振りで答えた。
「あいつの戯言なんて気にするな。まったく信じられない。ほらまず餃子を食え! 食わないと冷めちまうぞ」
白洛因は突然爆発し、前触れもなく顧海に怒りを向ける。
「一番信じられないのはお前だろう? 俺がB型肝炎かもしれないっていうのにまだ同じ箸や食器を使うなんて、死にたいのか?」
顧海の表情は一変し、無理に残り半分の餃子を白洛因の口に詰め込むと、白洛因が舐めた箸で餃子を摘まみ自分の口に入れた。白洛因は衝撃を受ける。
「顧海、俺のためにそこまですることないだろう」
「そこまでとかどこまでとかいう問題じゃない。お前がそんな病気なはずはない」
「あるんだよ!」
白洛因は眉を逆立てる。
「俺が病気だといったら病気なんだ!」
こいつはなんでこんなに頑固なんだ?
「わかったわかった……お前は病気なんだな」
顧海は歯をむき出す。
「じゃあ遠慮なく俺に移せよ。なんでもやって俺に移して一緒に病気になればいいだろう?」
「お前はバカか!」
白洛因は吠えた。
「俺はバカだよ!」
顧海も白洛因に吠え返す。
「今日こそはっきりさせてやるぞ。バカでもわかることがお前にはわからないんだな? 自分は病気だと思ってるんだろう? いい話も悪い話も聞く耳を持たないんだよな? よし、今日は俺が徹底的にお前のその悪い癖を治してやる!」
そう言うと自分の口の中に餃子を放り込み、白洛因を引き寄せて口移ししようとする。白洛因は歯を噛みしめて抵抗したが、顧海は無理やり口を開けさせ、餃子を半分押し込んだ。白洛因は怒りと感動がない交ぜになる。今日はここに来るべきではなかった。もし顧海が意地でもこんな態度を取るなら、家に帰ったほうがいい。
顧海は白洛因が立ち上がり戸口に向かう姿に胸が締め付けられる。俺はなんで忘れてたんだ。こいつは下手に出れば受け入れてくれるが、無理強いは効かない。こんなことは誰に起きてもショックだろう。いま彼に必要なのは慰めで、責めることじゃない。
「因子」
顧海は大股で駆け寄り、戸口にいる白洛因を抱き込んだ。
「怖がらなくていい。大丈夫だ。俺の話を聞け。土曜日に病院に行って検査をしよう。きっと何もないよ」
白洛因は少し弱気な声を出す。
「本当に?」
「絶対に保証するよ!」
顧海は白洛因の体を無理やり自分のほうへ向けさせた。
「俺の言葉はすごく当たるんだ。俺が何の病気もないと言ったら、お前は絶対に大丈夫だ!」
顧海は自分を慰めているだけだとわかっていたが、白洛因はそれでも少し気分が楽になる。
顧海は白洛因の頭をぽんぽんと叩いた。
「いい子だから餃子を食え」
「じゃあお前も今日は俺に触るな。万が一に備えろ」
顧海は餃子を食べてもいないのにむせ返る。触るなだって? じゃあ俺はなんのためにお前をここに連れて来たんだ?
夕食の後、白洛因は浴室でシャワーを浴び、顧海は部屋でテレビを見ていた。といっても音量は浴室の水音よりも小さく、顧海の目はテレビの上に五秒と止まらずに浴室を見つめた。浴室からわずかに響くシャワーの水音が途切れるたびに顧海の脳裏には白洛因が体を洗う様子がまざまざと浮かび上がる。いまきっとパンツを脱いだ。いま多分背中を擦っている。そして泡を洗い落としたんじゃないか? こんなに時間をかけて、もしやあそこを洗っているのか?
顧海の手はソファーの背もたれを引っ掻き、胸は虫が湧いたようにむず痒かった。
白洛因はシャワーを終えるとタオルを巻いて出てくる。
「余分なパジャマはあるか?」
白洛因の問いかけに、顧海はハッと我に返った。
「あるよ。寝室にある。待ってろ、持ってくるから」
白洛因は顧海の後に続いて寝室に入って来る。顧海はクローゼットの中を漁り、まだ着たことのないナイトガウンを白洛因に渡した。
「とりあえずこれを着ろ」
白洛因はもの思いに沈んでいたか、あるいはそこまで深く考えなかったのか、腰に巻いていたタオルを外し、完璧に美しい裸体を顧海の前に晒した。顧海の心は震え、小刻みに太鼓を打つように呼吸の音がはっきりと聞こえてくる。今日の午後にも見たが、あのときは十数人の目があった。いまは彼一人だ。それに昼間よりもずっと近い距離でじっくりと眺められる。
白洛因はナイトガウンを一度広げてから羽織り、出て行った。それはほんの一瞬の出来事だったが、顧海の心を奮い立たせるには十分だった。
これはつまり無言の誘いなんじゃないか?
白洛因はパソコンの画面を見ていたがまるで集中できず、頭の中は健康診断のことでいっぱいだった。ゲームや音楽も楽しめず、結局「B型肝炎」という文字を検索してしまう。すると山のような情報が彼の前に並んだ。
『B型肝炎ウィルスは微生物の一種で感染性があり、広がりやすい。B型肝炎のウィルス保持者は多くそのうちかなりの人が不顕性感染のため、さらに感染対策が難しい。慢性化しやすく治療の期間は長い。安静が必要なため学業や仕事への影響もあり、患者には精神的プレッシャーや経済的な負担がかかる。重症化すると肝硬変や肝臓がんに至り、死亡することもある……』
さきほど食べた餃子が胸を塞ぎ、息が苦しくなる。
顧海がシャワーを終えて出てくると、白洛因はまだパソコンの前に座っていた。半分湿った髪の毛が柔らかく張り付き、セクシーな喉仏が動いている。しっかりとした顎や固く引き結ばれた唇、刻一刻と変わる目の表情は憂いを帯びつつも静かな強靭さを湛え、部屋中の光を吸い込んだかのように光っていた。
顧海は軽い足取りで近づいてやや身を伏せ、後ろから彼を抱き込み薄い唇を耳元に寄せると、熱い声で囁いた。
「何を見てるんだ?」
白洛因はただでさえ苛立っていたところにベタベタ張り付かれ、怒鳴り散らす。
「あっちへ行け! うっとうしい!」
しかし顧海は悪い笑顔を浮かべ、へこたれない。
「どうした? ツンデレを学んだのか?」
白洛因は歯をむき出して威嚇する。
「これが最後の警告だ。俺から離れろ!」
「お前はどうしてそうなんだ?」
顧海はいじけてみせた。
「お前が先に誘惑したのに、なんで今頃知らん顔するんだよ。ひどいじゃないか」
白洛因は頭を抱える。
「俺がいつお前を誘惑した?」
顧海は顎を上げ、舐めまわすような視線を向ける。
「さっきどこかのおバカさんは俺の前でわざと時間をかけてゆっくり着替えただろう? 俺がわからないとでも思うのか? 悪い奴め! 俺に見せつけて煽ろうとしたんだろう?」
わああああああ!
白洛因はテーブルクロスを顧海の口に詰め込んだ。
「なんでわざわざここに来るんだ?」
白洛因が寝る準備を済ませると、顧海がドアを開けて入ってきた。顧海はドアを閉めながら答える。
「俺はここで寝るために来たんだ!」
「お前の家に寝室はいくつもあるだろう。なにもわざわざここで寝なくてもいいんじゃないか? なるべく接触しないほうがいいと言っただろう。汗からも移るって知らないのか」
「あとは何から感染する?」
白洛因は顧海が自分の心配をまるで深刻に受け止めていないと悟った。これ以上話しても無駄だ。もう別の部屋で寝よう。
そう思ったのに、立ち上がるとすぐベッドに引き戻される。
「確か唾液からも移るんだよな?」
顧海は猛然と押し倒して白洛因の唇を奪った。
ガウンがはだけ顧海の腿が白洛因の肌に触れる。体の熱が溶け合い、顧海の瞳は邪に赤く染まった。軽く白洛因の唇を噛むと彼の拒絶や不安、心の奥底にある恐怖が伝わって来る。白洛因の耳元に唇を押し付けると柔らかかった。そこが柔らかい人間は騙されやすいという。
「因子、怖がるな。本当に大丈夫だよ。何かあったとしても俺が側にいるから」
顧海の語気は淡々としていたが、かえって強烈な鎮静効果があった。白洛因はすぐそばにある顧海の顔を見る。彼はそっと白洛因の頬を撫でて囁いた。
「怖がるな。俺がいるよ!」
白洛因は顧海の手を掴む。
「俺は大丈夫だから、もうやめろ。本当にこんな危険を冒す必要はないんだ」
危険を冒すってなんだ? 俺様はこのチャンスに乗じるつもりだぞ。こんな絶好の機会はなかなかない。得をするだけでなく、無償の愛を捧げるという大義名分までついてくる。
「性行為も感染経路らしいぞ」
「ダメだ!」
白洛因は顧海を押しやる。
「絶対ダメだ。バカなことをするな!」
「俺は自分が何をしているのか、はっきりわかってるよ」
顧海は両手で白洛因を押さえ体重をかけて押し倒す。白洛因とやることしか考えられない。
「君がやるかどうかだ……君がやるかどうかだ……君がやるかどうかだ……」
もう待ちきれなかった。脳内は欲望で一杯になり、真っ白な肉体以外何も浮かばなかった。確か白洛因はナイトガウンの下には何も着ていなかった。パンツさえ履いていない。彼と完全に結ばれたい欲求で顧海は爆発しそうだった。
白洛因は顧海の肉に爪を食い込ませながらも絶望と逃げ出したい気持ちが入り混じり、全身の感覚が研ぎ澄まされる。だが顧海は遅々として動かない。まるで刑罰の執行を待つように恐怖と不安に襲われ、精神は崩壊寸前になる。止められないならいっそもう早くやってくれという気持ちだった。待たされるのはある意味受け入れるよりもつらい。
顧海の舌先が白洛因の耳たぶに触れ、探りながら煽るように意地悪く周辺を舐めまわす。そしてようやく両唇で軽く吸い付くと、今度は舌先で蹂躙し始めた。白洛因は顧海の足を蹴り、口からは「いやだ」という言葉しか出て来なくなった。男によって初めて味わわされる翻弄、屈辱、苦悶、悔しさ……つらさを表すあらゆる単語が脳内に次々と湧き上がってくる。だが顧海の唇と舌の感触は熱すぎて反抗できず、白洛因は自分の脆弱さを憎んだ。だがいまこの時彼が恥知らずにも必要としていたのは、確かにこの男の慰めだった。
「因子、俺はもう我慢できない……」
顧海は熱い吐息を白洛因の首筋に吹きかけた。
白洛因の声はわずかに震える。
「俺に無理強いするな」
顧海は猛然と白洛因の着ているガウンの紐を解き、白洛因が怒りを目に宿して睨みつける中、たこのできた親指で二粒の赤い実を押し潰した。そして有無を言わせぬ強い力で揉み捻りながら、同時に股間にも摩擦を加える。
「んあ……っ」
白洛因の理性は崩れ落ち、呻き声を上げる。胸には電流が通り、快感が波のように彼の喉を塞いだ。白洛因は屈辱を覚える。こんな場所が感じるのは女性だけだとこれまで気にもかけなかった。だから顧海の指が触れて猥雑に弄り回したとき、見知らぬ快楽に何の抵抗もできなかったのだ。
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翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。
すれ違う思いは交わるのか─────。
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