ハイロイン

ハイロインofficial

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第十章

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土曜日の朝早く、顧海グー・ハイは服を着てベッドの脇にしゃがみ、白洛因バイ・ロインの顔をつねった。
「ちょっと出かけなきゃならないんだ」
白洛因は目が覚めたばかりで、まだ寝足りないような気怠い声を出す。
「何しに行くんだ」
「俺の兄さんが帰って来るから、空港に迎えに行かないと」
白洛因は目を擦る。
「お前の兄さん? 本当の兄さんか? なんで今まで俺に話さなかったんだ?」
「実の兄さんじゃなくて従兄だよ。外国に住んでいて、なかなか会えない。今回も仕事で来るからうちに滞在するけど、数日で帰るよ」
白洛因は起き上がる。
「うん。じゃあ遅れないように行けよ」
顧海は白洛因をしばらく見つめる。
「お前は今日どうするつもりなんだ?」
「まだ決めてない。宿題をするか、ゾウおばさんのところに手伝いに行くかも」
「あちこちうろつくなよ!」
顧海は子供を叱るように言った。白洛因は眉間にしわを寄せる。
「俺のことはほっとけよ。お前はとっとと自分の用をこなせ」
顧海は白洛因の頬を軽く叩き、外に出て行った。
顧海が出かけ、白洛因は目が覚めたので服を着替えて外に出る。
「おばさん」
鄒おばさんはちょうど店で片づけをしていたところで、白洛因を見るとやさしく笑った。
「因子、来たのね」
白洛因は頷いて厨房をうろつく。数人の調理師は指示された通りに自分の仕事に勤しんでいた。いまや鄒おばさんの店は朝食だけでなく昼も夜も料理を提供し、小さな食堂になっていた。値段が安く清潔で味もいいので、この店はいつもとても繁盛している。座り切れない人はテイクアウトで持ち出し、外で食べるしかなかった。
白洛因が来るといつも鄒おばさんは自分で厨房に立ってご飯を作ってくれる。
「おばさん、いいよ。俺適当に食べるから」
鄒おばさんは首を振った。
「たいしたことないわよ」
そのとき、外から客の大声が聞こえた。
「牛肉面をもう一杯くれ!」
鄒おばさんの顔色が変わり、顔には苦悶の表情が浮かぶ。だが白洛因には知られたくないようで、隣の調理師に目配せをして麺を出させる。調理師は面白くない様子だった。
「あいつ、いつまでタダ飯を食うつもりなんですか?」
白洛因は驚いて鄒おばさんをじっと見る。
「おばさん、あいつ金払わないの?」
「ほっといて」
鄒おばさんは白洛因の腕を掴んだ。
「大丈夫よ。一人分くらいたいしたことないわ。ほら、座って。おばさんがご飯作ってあげるからね」
白洛因は朝食を食べる気分にもならず、鄒おばさんの手を掴んで正面から問い詰める。
「おばさん、いったいどういうこと?」
鄒おばさんは唇を動かそうとしたが、言葉は出てこなかった。白洛因が大股で客席へ歩いていくと、さっきの男が隅の席で威張り散らしているところだった。
「さっさと持って来いよ。いつまで待たせるんだ?」
他の客は金を払い、番号札をもらって料理を待っているのに、この男のテーブルには何もなく、さらに従業員にあれこれ指図をして難癖をつけ、まるでチンピラのようだ。白洛因はこの男をじっくり見た。どうやらヤクザというよりも単純に金がないようだ。痩せこけて、肋骨まで浮いている。あまりに老け込み実年齢はわからなかったが、空威張りの穀潰しに見えた。
従業員が麺を運んでくると、男は目を吊り上げて恫喝する。
「なにをグズグズしてる! 何回呼んだと思ってるんだ!」
従業員は腹を立てながらもラーメンを置き、不機嫌そうに立ち去る。
誰が見ても嫌な男だ。
この店の従業員は全員この男に嫌がらせを受けていた。調理師はこの男に料理を作らされたあげく不味いと文句を言われている。他の客は全員並んで番号札を取るのに、この男は大手を振るって一人で座席を占領しているのだ。
誰かが相席を相談すると恫喝して追い払い、周囲から遠巻きにされる。白洛因は椅子を引っ張っていき、彼の正面に座った。
「誰がそこに座っていいって言った?」
男は麺をすすりながら白洛因を睨みつける。白洛因は冷たく返した。
「俺が自分で決めた」
男がテーブルを強く叩くと、鄒おばさんが飛び出してくる。
孟建志モン・ジエンジー、いい加減にしなさいよ」
孟建志と呼ばれた男は口の中の麺をどんぶりに吐き出し、鄒おばさんの顔に指を突き付けた。
「このクソババア、俺に指図する気か? ふざけんな! タダ飯食って何が悪い。俺は当然お前の飯を食う権利がある。お前のせいで俺はこんなふうになったんだからな! お前は俺を養って当然だし、俺の言うことを聞く立場なのに、邪魔をしようとするのか、このクソババア……」
白洛因は猛然と孟建志の襟を掴み、テーブルの下から蹴りを入れる。
「誰にものを言ってるんだ?」
孟建志はやり返しもせず、テーブルの下に蹲って叫んだ。
「わああ、わああ、暴力だ!」
客は全員逃げ出し店の扉を閉めたが、ガラス窓に顔を張り付けて中を覗きこむ。
「孟建志! 出ていってちょうだい!」
鄒おばさんは突然泣き出した。白洛因は裏に事情があることを察する。
孟建志は机の脚を抱え、苦悶の表情を浮かべた。
「俺はもうダメだ。ケガをさせられた。賠償しろ。賠償するまで俺はここから動かないぞ」
白洛因にはわかった。この男は人生がうまくいかない憂さを弱い者苛めで晴らすような人間だ。一番の特徴は、ごたくを並べて自分の苦しみをすべて人のせいにする。簡単に言うと、自分が不幸だから相手も不幸にしてやれというタイプだ。
白洛因がきっかけになったのか、あるいは他の従業員も我慢の限界を迎えたのか、彼らも孟建志を蹴りまくる。店内には男のおおげさな声が耳をつんざき、鄒おばさんは見るに見かねて止めに入った。
「もうやめて。もうそれ以上やめて」
皆が手を止めると、鄒おばさんは滂沱の涙を流していた。
「この人を放り出してちょうだい」
男はそれを聞いてぴたっと叫び声を止め、怒り出す。
鄒秀雲ゾウ・シゥユィン、俺を外に放り出す気か。このアバズレめ! 腹黒女、俺たちの息子はどう思うかな……」
「あんたに息子のことを言う資格があるの?」
鄒おばさんは泣き叫んだ。
「出て行って!」
従業員は数人がかりで孟建志を外に放り出した。
白洛因は鄒おばさんを二階に連れて行ったが、彼女はずっと涙を流し続ける。
「因子、笑っちゃうわよね。朝食もまだ食べてないじゃない。おばさんが今作ってあげるからね」
「いらないよ」
白洛因は鄒おばさんを止めた。
「腹は空いてない」
鄒おばさんは椅子に座ってぼんやりする。目尻には細い皺が何本か浮かんでいた。
白洛因はおおよそ理解した。あの孟建志こそが白漢旗が話していた大物になると言って出て行った男だろう。これまで彼女の前に顔を出さなかったのは、彼女たちが足手まといになるからで、突然現れたのは、彼女が店を開いたことを聞きつけ、おこぼれにあずかろうと思ったからに違いない。最悪の男だ。
「おばさん、父さんはこのことを知ってるの?」
鄒おばさんは白漢旗の名前を聞いて顔色を変える。白洛因の手を引いて小声で言い聞かせた。
「このことはお父さんには黙っていてちょうだい。彼の性格だと必ず孟建志を半殺しにするわ」
「それはあの男をまだ可哀想に思ってるから?」
「そうじゃないわ」
鄒おばさんは表情を曇らせる。
「あいつがあなたのお父さんを巻き添えにするのが怖いのよ。あいつのあのやり方を見たでしょう! あんな人でなし見たことないわ。一日中店の中で怒鳴り続けてるのは何故だかわかる? 誰かに殴られるのを待ってるの。そして殴った相手に一生面倒見させるつもりよ!」
「でも放っておくのも得策じゃない。大変だったときに放っておいて、暮らしがよくなったらまとわりついてくるなんて。おばさん、ああいう人間は甘くするとつけあがるよ」
「因子」
鄒おばさんは白洛因の手を握った。
「あなたが好意で言ってくれるのはわかるの。でもあいつは息子の父親なのよ! これは私が蒔いた種なんだから、自分で始末をつけるわ。因子、おばさんの言うことを聞いて。お父さんには言わないで。私がカタをつけるから」
白洛因は納得がいかない。
「おばさん、ひとつ聞いていい? あいつとは離婚したの?」
鄒おばさんは俯いて磨き上げたテーブルを眺め、小さいため息をついた。
「実のところ私とあいつはそもそも結婚なんてしてないのよ。うちの田舎はとても貧しく考え方も遅れているから、手続きをしない人が多いの。両家が一緒にご飯を食べればそれで終わり。結婚の手続きをしようとしたこともあったんだけど、彼が出稼ぎに出て、そのまま他の女と逃げて三年も家に戻らずできなかった。あの頃は本当につらかった。姑は息子が帰らないのをすべて私のせいにして一日中罵ったわ。腹が立ったから息子を連れて北京に出て、そのまま五年経ったの。この五年間一度も連絡してこなかったから、もう完全に切れたと思っていたのに、まさか……もうやめましょう。話すだけでうんざりするわ」
白洛因が口を開こうとすると、白漢旗バイ・ハンチーが下から叫ぶ声が聞こえてきた。
「息子は上にいるか?」
鄒おばさんはさっと涙を拭って服を整えると、小声で白洛因に言い聞かせる。
「お父さんに言わないでね。絶対よ」
白洛因は不本意ながら頷いた。白漢旗は息を切らしながら二階に上がってきた。
「大海が俺に電話をかけてきた。昼にお前を迎えに来るから食事をしないかって言ってる」
白洛因はまったく興味がわかない。
「俺は行きたくない」
「もう俺が了承しちまった」
白漢旗は白洛因の頭を撫でる。
「行ってこい。向こうは好意で誘ってくれてるんだ」
白洛因は無言で階段を下った。白漢旗はしばらく鄒おばさんを見つめてから問いかける。
「外に寝そべってる奴を見たんだが」
鄒おばさんはサッと遮った。
「物乞いでしょうよ」
「物乞いがなんでうちの店の戸口にいるんだ? 待ってろ、追い払ってくる」
「やめて!」
鄒おばさんは白漢旗の服を掴んで引き留めたが、疑わしげな視線をむけられると、あわてて表情を取り繕う。
「物乞いなんてほっておけばいいのよ。そのうちいなくなるわ」
「お前は優しすぎるんだよ」
白漢旗は鄒おばさんに怒ったふりをした。鄒おばさんは無理に笑顔を作り、白漢旗と一緒に階段を下りて行った。
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