ハイロイン

ハイロインofficial

文字の大きさ
89 / 111
第十章

10

しおりを挟む
白洛因バイ・ロインが車に乗ると、顧海グー・ハイはすぐに聞いた。
「午前中は何をしてたんだ?」
「ああ、ゾウおばさんのところに行ってた」
白洛因は淡々と答えた。顧海は白洛因の機嫌がよくないことを敏感に察する。朝出かけるときにはご機嫌だったのに、戻ってきたらなんでこんなにしょんぼりしてるんだ? 誰がうちの奥さんを虐めた? 顧海は手を伸ばして白洛因の前髪をかきあげ、優しく問いかける。
「何があった?」
「何でもない。車を出せよ」
顧海はエンジンをかけるついでに白洛因に小さな箱を渡す。
「これはなんだ?」
白洛因が問いかけても顧海は狭い路地で車の方向を変えようと必死になり、答える余裕がなかった。白洛因が箱を開けてみると、そこには携帯電話が入っている。
「俺に携帯なんて買ってどうするんだ」
白洛因は顧海に放って返す。
「使わない。他の誰かにやれよ」
「必要だよ。午前中、お前に連絡しようとしてもできなかったじゃないか」
白洛因は背もたれに頭を乗せ、目を閉じた。声からは疲労感が滲む。
「お前、また金が入ったんだな?」
「金はない」
白洛因は目を開いた。
「金がないのにどうやって買った?」
「俺の福の神が帰ってきたじゃないか」
顧海の言葉は彼の従兄のことを指しているのだろう。白洛因は軽蔑の眼差しを向けた。
「じゃあせいぜいまとわりついて養ってもらうんだな!」
顧海は口元に意味不明な笑みを浮かべる。
「奴が俺に金をくれるのは当たり前のことなんだ」
五つ星ホテルの豪華な個室でひとりの男が窓辺に座っていた。黒いスーツにシックなネクタイを合わせている。彫りの深い横顔が灯りに照らされくっきりと浮かび上がり、眉間にはわずかに冷たい空気が漂い、霜が降りているようだった。彼はドアが開く音にわずかに表情を変える。
「兄さん、これが白洛因だよ」
男は眼も動かさずにかすかな声で「ああ」と答えた。
「これが俺の兄さん、顧洋グー・ヤンだ」
白洛因は心の中でつぶやく。
お前たち一家は非現実なほど浮世離れしてるんだな。
三人が着席すると、従業員が料理を運び始める。並ぶのはすべて西洋料理だった。白洛因は元々食欲がなかったので料理にまったく手を付けず、黙って鄒おばさんのことを考えていた。
「口に合わないのか?」
顧海の問いかけに、白洛因はようやくナイフとフォークを手に取った。
「いや」
隣に座る顧洋が突然口を開く。その声は硬く透き通っていた。
「ヘロイン」
白洛因はようやく顔を上げて顧洋の顔を見る。そして少し茫然とした。顧海とあまりにも似ている。だが気質はまったく正反対だった。彼らはまるで火と氷のように違う。それに服の格好からも顧海と同世代には見えなかった。
顧海は顧洋の話を聞いて少し考え、やっとその意味に気づく。
「確かに俺たち二人の名前を合わせると海洛因ヘロインで麻薬と同じ名前になるな」
互いに中毒になるのは宿命で、一生やめることはできない。
食事中は沈黙が続き、顧海はただ顧洋に白洛因を紹介したかっただけで、あえて二人の関係を取り持ちはしなかった。
どのみち顧洋と白洛因の気質はとても似ていて、合いそうもない。もし顧海がいなければ、彼ら二人での食事は凍てつくような空間になっただろう。
顧洋は時折顧海に視線を向ける。そしてその後必ず白洛因に視線を流した。食事の最中に顧洋は一度も正面から白洛因を見ず、一切話かけることもなかった。だが白洛因は彼の目線が四六時中自分の上にあることを感じとり、冷たく鋭い目に見えぬ圧迫感を覚えた。
その帰り道、白洛因はずっと黙ったままだった。顧海は白洛因の機嫌が来る前よりもさらに悪くなっていることを感じ取り、顧洋が原因なのではと疑う。
「俺の兄さんはああいう性格だけど、お前のことは気に入ってると思うよ」
白洛因は何も答えなかった。顧海は白洛因がハンサムな無表情を崩さないのを見て、思わず手を伸ばし顔を撫でて宥める。
「あいつがお前を不機嫌にさせたのか? 戻ったら叱ってやるからな」
白洛因は背もたれに頭をつけ、また目を閉じる。彼の心は千々に乱れていた。
車は安定した走行を続けていたが、顧海が突然急ブレーキを踏み、白洛因の体は大きく揺れ、パッと目を開く。
「どうしたんだ?」
顧海は近くの人影を指差す。
「あの女性、鄒おばさんに似てないか?」
その名前を聞いて白洛因は顔色を変えた。窓の外を見ると、すぐ近くに三人の人影が見える。一組の男女と子供だ。子供は初めのうちは男が抱いていたが、それから女性が奪い去り、さらに男が女性を蹴り倒し、子供を抱きかかえて立ち去ろうとする。女性はよろめきながらも起き上がって子供を追いかけた。白洛因はドアを開けて飛び出し、顧海も後に続く。
孟建志モン・ジエンジー、この人でなし。子供を返して!」
白洛因が追いついたとき、鄒おばさんは孟建志と揉み合い、子供は泣き喚いていた。鄒おばさんの顔は涙と泥にまみれ、口元には血痕が付いている。
「俺の息子をなんでお前にやらなきゃならねえんだ」
孟建志は死に物狂いで子供を引っ張ろうとした。顧海は青ざめ、子供を奪い返すと孟建志の顔を強く蹴った。孟建志は二メートルほど吹き飛ばされ、地面に横たわったまま起き上がろうとしない。鄒おばさんは急いで子供を抱きしめ、横たわる孟建志を見て嗚咽を繰り返す。言葉が出ないようだった。
顧海は大股で近づくと孟建志の襟を掴んで引き起こし、もう一度彼の胸を殴りつける。孟建志は口から血を吐き出した。
「因子!」
鄒おばさんが叫ぶ。
「大海を止めて。殴らせないで」
白洛因は顧海を引っ張った。
「もういい。こいつは鄒おばさんの元旦那だ」
「そうだろうな」
顧海は冷たい顔をする。
「子供の父親だからこそ殴ろうと思ったんだ」
孟建志は地面から這い上がり、よろよろと顧海の足元に倒れ込むと、しっかり顧海の足にしがみついて放そうとはしなかった。顧海がどんなに蹴ろうが手を放さず、体は泥まみれになって地面を転がり、服には大きな穴が開いた。
「俺をゆするのか? それならお前は正しい相手を選んだな。三分以内に答えを出してやる」
そう言うと顧海は携帯を手に持った。鄒おばさんは子供を抱いたまま駆け寄り、孟建志に向かって叫んだ。
「早く逃げな! この子は怒らせちゃまずいよ! もし命が惜しければさっさと逃げな!」
孟建志はそれでも手を放さなかった。白洛因は目線で顧海に少し待てと指示を出す。
「早く行っちまいな!」
鄒おばさんがもう一度叫ぶと、子供もつられて泣きだした。孟建志は嫌々ながらに立ち上がり、凶悪な視線を顧海に向け、忌々しげに吐き捨てる。
「この野郎、見てやがれ。お前ら全員覚えてろよ!」
そのまま足を引きずり東へ向かって歩いて行った。
車に乗り込むと、鄒おばさんはまだ動転したまま自分の息子を抱きしめ、何度も息子の胸に頬を押し当てながら存在を確かめる。一秒でも目を放したら誰かに奪われてしまうと怯えているようだった。
顧海はバックミラーでその様子を眺めているうちに突然亡き母親を思い出した。彼もかつては愛情を受け、可愛がられ、同じように大切にされ、母子で助け合いながら暮らした日もあった。だから鄒おばさんにとって息子がどれだけ大切なのかはよくわかる。それは彼の母親が彼を大切にしたのと同じだ。
今回は白漢旗を騙すわけにはいかなかった。顧海は車で鄒おばさんと息子を白洛因の家へ連れていく。
あの男が戻って来たからには鄒おばさんと息子はこれまでのようには暮らせない。少しでも気を抜けば子供は攫われてしまうかもしれない。いま頼れるのは白漢旗だけだった。鄒おばさんが仕方なく事情を話すと、白漢旗は何も言わずに大門を閉め、そのまま彼らを家に留め置く。
「大海、しばらく因子をお前の家に泊めてくれ。知ってのとおり、我が家には部屋数が少ないから、彼女たちが泊る部屋が他にないんだ……」
白漢旗は申し訳なさそうに言った。鄒おばさんは目を赤く腫らして口を挟む。
「私と息子は廂房(南北の部屋をつなぐ東西の部屋)でいいわ」
「お前たちを廂房になんて住ませられるものか」
白漢旗は眉をひそめる。
「俺が子供と寝るから、お前は因子の部屋に寝るといい。何かあればいつでも俺を呼べ」
子供は鄒おばさんの首にかじりつく。
「俺はママと寝る」
顧海は子供の頬をつねった。
「お前、そんなに大きくなったのにママの布団に潜り込むのか。恥ずかしくないか?」
子供は小賢しく、顧海につねられた仕返しに白洛因の足を踏んだ。そして挑戦的な顔で顧海を見る。顧海は驚いた。この子の知能指数は200以上あるんじゃないか?
「よし、じゃあそうしよう。大海……」
白漢旗は顧海の肩を叩く。
「すまないな」
ちっともすまないことはない。顧海はわくわくしていた。白洛因は躊躇うように父を見る。
「あれだったら俺も家に残ろうか。俺と父さんが一緒に寝て、彼ら親子が一緒に寝れば、万が一の時にも対応できるし」
顧海は血相を変えて反論した。
「その必要はないと思うぞ。おじさんの実力を信じてないのか? それに今日俺がやっつけておいたから、しばらく大丈夫だろう。余計な手は出さずに俺と帰ろう!」
白洛因は含みのある視線を顧海に向ける。
顧海は威風堂々と誠実な軍人の模範的な姿勢を取った。腰をまっすぐに伸ばし、白漢旗の指示を仰いで待つ。
「そうだな。因子、お前は大海と行きなさい」
顧海は白洛因の肩にサッと手を回し、外に出るときには白い歯を見せて笑う。
それは白洛因の背筋が寒くなるほどの笑顔だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

バスケ部のイケメン先輩に誘惑されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 他にも書きたいのがいっぱいある。

先輩たちの心の声に翻弄されています!

七瀬
BL
人と関わるのが少し苦手な高校1年生・綾瀬遙真(あやせとうま)。 ある日、食堂へ向かう人混みの中で先輩にぶつかった瞬間──彼は「触れた相手の心の声」が聞こえるようになった。 最初に声を拾ってしまったのは、対照的な二人の先輩。 乱暴そうな俺様ヤンキー・不破春樹(ふわはるき)と、爽やかで優しい王子様・橘司(たちばなつかさ)。 見せる顔と心の声の落差に戸惑う遙真。けれど、彼らはなぜか遙真に強い関心を示しはじめる。 **** 三作目の投稿になります。三角関係の学園BLですが、なるべくみんなを幸せにして終わりますのでご安心ください。 ご感想・ご指摘など気軽にコメントいただけると嬉しいです‼️

劣等アルファは最強王子から逃げられない

BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。 ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。

アイドルくん、俺の前では生活能力ゼロの甘えん坊でした。~俺の住み込みバイト先は後輩の高校生アイドルくんでした。

天音ねる(旧:えんとっぷ)
BL
家計を助けるため、住み込み家政婦バイトを始めた高校生・桜井智也。豪邸の家主は、寝癖頭によれよれTシャツの青年…と思いきや、その正体は学校の後輩でキラキラ王子様アイドル・橘圭吾だった!? 学校では完璧、家では生活能力ゼロ。そんな圭吾のギャップに振り回されながらも、世話を焼く日々にやりがいを感じる智也。 ステージの上では完璧な王子様なのに、家ではカップ麺すら作れない究極のポンコツ男子。 智也の作る温かい手料理に胃袋を掴まれた圭吾は、次第に心を許し、子犬のように懐いてくる。 「先輩、お腹すいた」「どこにも行かないで」 無防備な素顔と時折見せる寂しげな表情に、智也の心は絆されていく。 住む世界が違うはずの二人。秘密の契約から始まる、甘くて美味しい青春ラブストーリー!

【完結】俺とあの人の青い春

月城雪華
BL
 高校一年の夏、龍冴(りょうが)は二つ上の先輩である椰一(やいち)と付き合った。  けれど、告白してくれたにしては制限があまりに多過ぎると思っていた。  ぼんやりとした不信感を抱いていたある日、見知らぬ相手と椰一がキスをしている場面を目撃してしまう。  けれど友人らと話しているうちに、心のどこかで『椰一はずっと前から裏切っていた』と理解していた。  それでも悲しさで熱い雫が溢れてきて、ひと気のない物陰に座り込んで泣いていると、ふと目の前に影が差す。 「大丈夫か?」  涙に濡れた瞳で見上げると、月曜日の朝──その数日前にも件の二人を見掛け、書籍を落としたのだがわざわざ教室まで届けてくれたのだ──にも会った、一学年上の大和(やまと)という男だった。

とある金持ち学園に通う脇役の日常~フラグより飯をくれ~

無月陸兎
BL
山奥にある全寮制男子校、桜白峰学園。食べ物目当てで入学した主人公は、学園の権力者『REGAL4』の一人、一条貴春の不興を買い、学園中からハブられることに。美味しい食事さえ楽しめれば問題ないと気にせず過ごしてたが、転入生の扇谷時雨がやってきたことで、彼の日常は波乱に満ちたものとなる──。 自分の親友となった時雨が学園の人気者たちに迫られるのを横目で見つつ、主人公は巻き込まれて恋人のフリをしたり、ゆるく立ちそうな恋愛フラグを避けようと奮闘する物語です。

アイドルのマネージャーになったら

はぴたん
BL
大人気5人組アイドル"Noise" ひょんな事からそのマネージャーとして働く事になった冴島咲夜(さえじまさくや)。 Noiseのメンバー達がみんなで住む寮に一緒に住むことになり、一日中メンバーの誰かと共にする毎日。 必死にマネージャー業に専念し徐々にメンバーとの仲も深まってきたけど、、仲深まりすぎたかも!? メンバー5人、だけではなく様々な人を虜にしちゃう総愛され物語。

溺愛極道と逃げたがりのウサギ

イワキヒロチカ
BL
完全会員制クラブでキャストとして働く湊には、忘れられない人がいた。 想い合いながら、…想っているからこそ逃げ出すしかなかった初恋の相手が。 悲しい別れから五年経ち、少しずつ悲しみも癒えてきていたある日、オーナーが客人としてクラブに連れてきた男はまさかの初恋の相手、松平竜次郎その人で……。 ※本編完結済。アフター&サイドストーリー更新中。 二人のその後の話は【極道とウサギの甘いその後+ナンバリング】、サイドストーリー的なものは【タイトル(メインになるキャラ)】で表記しています。

処理中です...