ハイロイン

ハイロインofficial

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第十一章

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早朝、まだ夜も明ける前に白洛因バイ・ロインは目を覚ました。どうやっても眠れない。ベッドの上にぼんやりと座り込み、隣で気持ちよさそうに眠る顧海グー・ハイを眺める。そうだろう。気持ちよく眠れないはずはない。夕べはさんざん虐められ、こいつは自分だけいい気分になったんだから。
白洛因は「顧洋グー・ヤンのほうがお前よりハンサムだ」と口を滑らせたことを心底後悔した。そのせいで一晩中顧海にあの手この手で虐められたのだ。毎回あと少しでいきそうになると邪魔をされ、どっちのほうがカッコいいか言わされる。白洛因がもし顧洋のほうがカッコいいと答えれば顧海は握って離さず、動かすでもなく放置される。それに堪えきれず白洛因が良心に背いて顧海がカッコいいと口にすると、顧海は喜んですぐにいかせてくれるが、そのあとまた間髪入れずに二回目、三回目と始まる。
嫉妬深い男を怒らせてはいけない。
白洛因は疲れた体を引きずって洗面所へ行き、トイレを済ませ、顔を洗い歯を磨こうとする。棚の上にはお揃いの歯ブラシとコップが二つ置いてあり、コップには二人の写真がプリントされていた。いつのまに撮ったのか、いつ注文して作ったのかもわからない。白洛因はコップと歯ブラシを手に取ってひとしきり眺め、幼稚な奴だと心の中で罵りつつ、手に取ると使うのは少しもったいなく感じた。
綺麗なタオルにアメニティが一式、全部新品だった。これまでのすべてを一掃し、本当に新しい生活を始めるか?
だが白洛因はまだ心の準備ができていなかった。
顧海はいつものように隣を探り、誰もいないことに気づく。
身を起こすと白洛因の影が洗面所で動いているのが見えた。そこで顧海も洗面所へ行って白洛因と洗面所を奪い合
う。もう顔を洗い終えた白洛因にまた洗顔フォームを塗り付けたり、小便をしながら白洛因にお前も一緒にやろうぜとちょっかいをかけた。白洛因は顧海の体力に感服する。夕べ一晩中自分を虐めたくせに、なんで朝からこんなに元気があるんだ。
「一度家に帰らないとな」
白洛因はソファーに座って靴を履く。顧海は隣で携帯をいじりながら返事をした。
「俺はちょっと用事があるから、お前は先に戻れよ。午後には迎えに行く」
「迎えに来なくていいよ。兄さんとゆっくり過ごせばいい。数日で帰るんだろう?」
顧海は冷たく鼻を鳴らした。
「いますぐ追い返したいけどな」
白洛因は靴を履き終えたが、結局そのままソファーに座る。まったく元気がでない。体中が痛いし、目を閉じただけで眠れそうなのに、まったく眠れない。隣にいる顧海に体全体でもたれかかり、頭を彼の肩に乗せて背もたれにする。
「眠い……」
その瞬間、顧海はこのうえなく幸せな気分になった。得難いものほど尊いのだ。
たとえば、顧海は毎晩睡眠不足になっても白洛因が自分から抱きつく瞬間を逃したくない。それが無意識であってもすごく感動する。いつか白洛因が自分に心の扉を開いてくれたら、彼らは命を預け合う兄弟かつ最愛の恋人同士になれるだろう。
出かける前に顧海は白洛因に言い聞かせた。
「携帯を持って行け。何かあれば俺に電話しろよ」
白洛因は頷く。
「何もなくても電話していいんだぞ」
顧海はそう付け加えることも忘れない。白洛因は背を向けたが口元には笑みを浮かべていた。
エレベーターを出て二分もしないうちに白洛因はショートメッセージを受け取った。
「ベイビー、会いたくてたまらないよ」
白洛因は冷ややかに返事を打ち込む。
「いい加減にしろ。嫉妬するにもほどがあるぞ」
バスに乗ると、携帯がメッセージを受け取る。
『あなたの携帯電話に五千元がチャージされました』
バスが大きくカーブしたので白洛因はあやうく携帯電話を落としそうになり、冷汗をかいた。奴は一体何を考えているんだ? なんでこんな大金をチャージした? この電話にはあいつの番号しか登録していないのに、高校を卒業しても電話代が使い切れないぞ。
路地に辿り着くと近所の人が二人、彼の家の戸口を指さしているのが見えた。
「あれは誰?」
「知らないわ。昨晩買い物に出たときにはこの壁のところにいたのよ」
「物乞いかしら?」
「物乞いは地下鉄の駅や歩道橋に行くでしょう。ここに来る理由がないわよ」
白洛因が近づくとご近所さんは笑って決まり文句の挨拶を口にし、買い物かごを下げて立ち去った。
孟建志モン・ジエンジーは昨日と同じ服を着ていて、上着にはまだ泥がついている。地面に横たわったまま両手を袖に突っ込み、破れた綿入れを被って両足を縮め、とても哀れな様子だった。
「うちの前で何してるんだ」
孟建志はおっくうな様子で目を開け、弱弱しく返す。
「俺の息子と嫁を守ってるんだよ」
守る? 白洛因は心の中で冷笑した。彼は孟建志を蹴り、強い態度で接する。
「どこで守ろうと好きにすればいいが、うちの前はやめろ」
孟建志は起き上がり、濁った眼で白洛因を眺めた。
「俺が知らないと思うなよ。俺の息子と嫁はお前たちが隠したんだろう。中にいる男はお前の父親か? 奴は俺の嫁とねんごろになってるのか。嫁の店の金もお前の父親が出してるのか?」
白洛因がもう一度蹴ろうとすると、孟建志は白洛因の足にしがみつく。
「俺を殴るなよ。俺は後悔してるんだ。これまで嫁と息子には申し訳ないことをした。彼らに会わせてくれ。話し合いたいんだ。頼むよ」
「ふざけるな。とっとと消え失せろ!」
「頼むよ。彼らを呼ばなくてもいい。何か食べるものをくれ。俺は一日何も食べてないんだ。もし俺が飢え死にしそうになったら、お前たちは俺を医者に連れて行かなきゃならないだろう」
孟建志は苦悶の表情を浮かべた。
「誰がお前を医者に見せるって? なんでそんなことをしなきゃならないんだ?」
白洛因は怒りに腸が煮えくり返ったが、孟建志の惨めな姿は見るに堪えなかった。彼は忌々しげに扉を開けて家に入り、孟建志が押し入るのを防ぐためにさっと閉めて鍵をかける。厨房の中を探すと、ちょうど蒸かしたての饅頭があった。
鄒おばさんお手製のものだろう。こんなにいいものをあのクソ男にやるのは本当にもったいなかった。
孟建志がガツガツと饅頭を口に入れると、土気色だった顔色が多少マシになる。
白洛因は隣で黙っていたが、堪えきれず口を開いた。
「こんな生き方をして面白いか? あんたはまだ四十前だろう。まともに働いて生きられないのか」
「北京っていうところは俺みたいに学歴もコネもない人間は仕事がないんだ。誰が俺を雇う?」
白洛因は怒りで息が詰まる。
「力仕事でもすればいい。街の清掃員も飢え死にはしないぞ」
「力仕事?」
孟建志は鼻で笑って細い腕を叩いて見せた。
「俺が力仕事に向いてると思うか?」
「お前はただの怠け者だ!」
孟建志は体の上から饅頭のくずを払い、硬い顔で言う。
「俺が怠け者だって? 俺が力仕事をしていたのをお前は見てないだろう。俺の体はあのとき痛めたんだ。その結果どうなった? 俺が必至の思いで金を稼ぎ、女もできたのに、彼女は俺が妻子持ちだと分かった途端に逃げたんだぞ。誰のせいだ? 全部あの鄒秀雲ゾウ・シゥユィンババアのせいだろう! あいつがいなきゃ俺はいまこんな有様になってるか?」
孟建志は激高し、饅頭を食べて元気がでたのか、わざと中庭に向かって大声で叫んだ。
「もしあいつがいなけりゃ、俺はこんな病気持ちになったか? あいつはいいさ、自分は店を持っていい暮らしをしてやがる。俺をほったらかしにして。俺が飯を食いに行っても邪魔者扱いだ。鄒秀雲、この腹黒の強欲め。旦那がいるのによその男を誘惑しやがって。出て来い!」
この騒ぎに近所中が出てきた。通りすがりの者も足を止め野次馬に加わる。
人が集まると、孟建志は座り込んで泣き喚き始めた。泣きながら腿を叩き、大騒ぎをする。
「なんてことだ、俺は生きていられない。皆聞いてくれ! 俺の嫁は夜中に人の家に逃げ込んで眠ってる。俺を入れないどころか殴りかかる。かわいそうな俺の六歳の息子よ。自分の父親が誰かもわからないんだ。俺は身を粉にして出稼ぎし、戻ってくれば嫁はよその男とデキてる。俺はどこに訴えればいいんだ……うう……」
周囲の人々はざわつく。
白漢旗バイ・ハンチーのことじゃないか?」
「決まってるだろう! この家の独り者はあいつだけだ。他に誰がいる?」
「アイヨー、なんでこんな騒ぎになってるんだ」
「そうよ。白さんはそんな人じゃないよ」
白洛因は腹を立て、孟建志の首を掴んで人ごみから連れ出した。孟建志はわめきながら白洛因を蹴り、周囲の人々は白洛因を追って問い質そうとするが、白洛因は険しい面持ちで無言のまま孟建志を人々から数メートル離れたところへ引きずり、何発か蹴りを食らわせた。孟建志はさきほど食べた饅頭をすべて吐き出しながら白洛因を指さす。
「見ただろう? 家族で寄ってたかって俺を虐めやがる……うう……」
大門が突然開き、白漢旗の真っ青な顔が現れた。衆目の中、白漢旗は孟建志の脇に立ち、沈んだ面持ちで告げる。
「話があるなら中へ入れ!」
「嫌だ。お前たちは俺を部屋の中で殴るから、行かない!」
白漢旗は孟建志を引きずる。
「嫌でも中へ入れ!」
「お前らは俺を虐めるじゃないか!」
孟建志は喚き始め、泣きながら隣の女性の服を掴む。女性は転びそうになり、大声で怒鳴ったので、孟建志は手を放した。白漢旗は彼がよその女性を盾にしようとするのを見て、巻き込んではならないと手を放した。
そのとき、戸口からもう一人が飛び出してきた。鄒おばさんだ。白洛因は急いで止める。
「おばさん、中に入って。あなたがいれば奴を喜ばせるだけだ」
「孟建志、あんた一体どういうつもり?」
鄒おばさんは泣き喚いた。
「私と息子に死ねっていうの?」
周囲は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
「小鄒じゃないか。なんでまた白家に逃げ込んだんだ?」
「ほらほら、見てみろ。完全に家に上がり込んでる。これは言い訳できないな」
「今回は老白も完全に体面を失ったぞ」
白洛因は近所の心ない噂話を聞いて自分の身を切られるようにつらく、いますぐ孟建志を蹴り殺したい気持ちになった。捕まってもかまわない。このクソ野郎が一秒でも目の前にいることが耐えられない!
白洛因が自分に向かってくるのを見て、孟建志は人ごみから転がり出ると鄒おばさんの足に縋りついて泣き喚く。
「秀雲! なんでそんなひどいことを言うんだ! 俺はお前たち親子を迎えにきたんだぞ。なんで俺を認めてくれないんだ。俺はどんなに貧しくても息子の父親だぞ!」
東院の王おばさんは見ていられずに口を挟んだ。
「この男も気の毒だよ。少しは優しくしてやりなさいよ」
そう言って孟建志を支え起こそうとする。鄒おばさんは唇を震わせて彼を見る。
「孟建志、あんたも男なら私と一緒に中に入って話をして。近所の人たちが外にいるんだから、私たちは一切手を出さないわよ! 腰抜けだっていうなら好きなだけ外で泣いてなさい。いくら泣いても誰もあんたを哀れまないわよ!」
孟建志は息を荒げたが、野次馬の数を見てそろそろ潮時だと思ったのか、口の周りについた唾を拭い、足を引きずりながら鄒おばさんと共に白家の門をくぐった。
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