ハイロイン

ハイロインofficial

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第十一章

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翌朝早く孟建志モン・ジエンジーは肉饅頭を二つ買ってとりあえず空腹を満たすと、雑貨屋へ立ち寄って安物のメガホンを買い、足を引きずりながら白洛因バイ・ロインの家がある路地へ向かった。
そして十分に感情を高めながら通勤ラッシュが来るのを待つ。徐々に人が増え、誰もが彼の前を通り過ぎるときに訝しげに目を向ける。二、三人は彼が何か始めるのを知っているように、近くに座って待っているようだった。
孟建志は軽く咳払いし、メガホンを持って泣き始める。
「俺の嫁はよその男に奪われ、俺の息子は俺を知らない。この世で俺より可哀想な人間はいるか? 鄒秀雲は腹黒い女だ。俺を裏切って別の男とねんごろになりやがって……」
「ああ、なんてことだ!」
隣から大声が聞こえ、孟建志は飛び上がって驚いた。振り返ると、近くに座っていた男が彼よりも激しく泣きながら地面を叩いている。
「俺の嫁は別の男と逃げ、しかも俺に毒を盛った。そのせいで俺は全身に吹き出物ができ、足も腐って骨まで見えるありさまだ……俺の息子は義理の父親とグルになって俺の家を焼いた! 俺より哀れな男がいるか? そんな奴がいるか?」
孟建志は驚く。こんなことにまで尻馬に乗る奴がいるのか。だがかまっている場合ではないとさらに大きな声で泣き叫ぶ。
鄒秀雲ゾウ・シゥユィン、お前は……」
「ああああ」
東のほうからまた大きな泣き声が聞こえてきて、孟建志の声を遮る。その男の声は大きく、まるで命さえもいらないというように泣き叫んだ。
「俺はなんて不幸なんだ。三十八歳にしてようやく彼女ができ、やっと嫁にしたのに、彼女は乱暴され、東のほうにある臭いドブに捨てられちまった……」
「お前なんてたいしたことないぞ」
今度は南のほうからまたひとり出てきた。
「俺の娘は義理の父親にやられ、それだけじゃなくバラバラ死体にされ、ビニール袋に入れられて我が家の戸口に掛けられたんだ。俺はもう……つらくて死にそうだ!」
この男はもっと激しく、泣いて地面に倒れ、痙攣し始める。
彼らの周りを大勢の野次馬が取り囲み、全員が拍手喝采でいいぞと叫ぶ。心優しき人はいくらか小銭を投げたが、孟建志に対する反応は一番薄かった。彼の話にはインパクトがないので、誰も聞いてくれないのだ。
孟建志にはわかった。この三人は葬儀の泣き屋で、プロだ。孟建志は歯噛みをしつつ立ち去った。
白洛因がクラスに入ると、顧海グー・ハイはとっくに席に座っていた。
「朝飯は食ったか?」
白洛因の問いかけに顧海は冷たい顔で「うん」と答える。
白洛因は顧海の様子がおかしいことに気づいてさらに声をかけようと思ったが、尤其ヨウ・チ―が前の席から話しかけて来る。
「あれ、どうなった?」
白洛因は尤其の肩を叩いた。
「革命いまだ成功ならず。同志たちよ、さらなる努力が必要だ」
尤其は格好よく笑った。
「もっといいネタをくれたらまだがんばれるのに。俺の語彙もそろそろ尽きる」
「ありがとうな!」
白洛因は軽く答える。尤其は手を振った。
「俺たちの間にそんな言葉はいらないぜ」
顧海は後ろに座り、無表情に前の二人が昨日の成果を語り合うのを聞きながらも何も尋ねず、まったく無関心な様子だった。
目論見が外れた孟建志は午前中いっぱいかけて空き瓶を拾い、それを売って十数元に変えるとコピー屋へ行った。
「印刷してほしいんだが俺は文字が打てないんだ。俺の言うとおりに打ってくれるか?」
コピー屋の店員は礼儀正しく答える。
「もちろん大丈夫ですよ」
「俺の嫁、鄒秀雲は別の男と逃げた。そいつの名は白漢旗バイ・ハンチー。奴らが今住んでいるのは……」
孟建志が半分まで読み上げたとき、店員はパッと手を止めた。そして信じられないという顔で孟建志を振り返る。
「あんた、孟建志か?」
孟建志は驚いた。
「なんで俺の名前を知ってるんだ?」
ついさっきまでの態度が豹変して店員は激怒し、小椅子を孟建志に投げつけながら怒鳴る。
「どの面下げて来た? この畜生め、クズ野郎! 俺は多くの心あるネット民を代表してお前をやっつけてやる!」
孟建志は転がるようにコピー屋を飛び出した。その日の午後、この不思議な騒ぎで彼らの路地は賑わい、各メディアの車でひしめいた。
「張おばさんこんにちは。私は北京晩報の記者です。あなたは鄒秀雲さんを知ってますか?」
「もちろん知ってますよ! このあたりに住んでる年寄りはみんな彼女の店で朝食を食べるんです。本当にいい人ですよ」
「ではお伺いします。あなたが知る限り、彼女の夫が訪ねてきたことはありますか? あるいは生活費を送ってきた話を聞いたことはありますか?」
「ないわよ! 鄒さんと知り合って二年以上が経つけど、彼女に旦那がいることすら知らなかったわ。一人で子供を抱えて大変そうだし、そんなことはぶしつけで聞けなかったわよ」
房菲ファン・フェイはテレビ局の人間を連れてあたりを探っていたが、ようやく諸悪の根源を見つけて興奮し、カメラマンの肘を掴んだ。
「早く撮って。あれが奴よ」
孟建志は突然四、五人に囲まれカメラを向けられて、ちょっと嬉しかった。これでメガホンを使わずとも直接テレビから奴らを懲らしめてやれる。彼は地面からレンガのかけらを拾い、白い壁に人目を引く低俗で露骨な言葉を書き始めた。



放課後になり、白洛因は荷物をまとめると、いつものように振り返った。
「お前、今日は……」
「兄さんが俺に帰って来いって言ってるから」
顧海は白洛因の言葉を遮る。白洛因はまだ言葉を続けようとしたが、顧海はすでにリュックを背負って後ろのドアから出て行った後だった。その後姿は硬く、冷たかった。
白洛因が戻ると、家の周りに多くの人が群がっていた。彼らはそれぞれ何かを持っていて、真ん中に向かって投げながら罵っている。そのうち数名は直接手を下していた。白洛因は背が高いので、少し離れたところからでも中の様子が分かった。
一人が真ん中に横たわり、人々に囲まれている。野菜のクズや生卵、石を投げつける者もいた。
「今日の夕刊を読まなきゃ、お前みたいな男がいることも知らなかった」
「そうだよ! こいつはなんてひどい奴なんだ」
「私はテレビで見たわ。本当に腹が立ってご飯も喉を通らなかったわよ」
「こんな奴はそのまましょっぴくべきよ。被害が出る前に」
白洛因は近所の路地に住む劉おじいさんが新聞を手に掴んでいるのを見て、穏やかに声をかける。
「劉おじいさん、その新聞をちょっと見せてくれる?」
劉おじいさんは眼鏡を下げて上目遣いに白洛因を見ると、新聞を手渡して白洛因の肩を慰めるように叩いた。
「つらい思いをしたな。家に戻ったらお父さんに言ってくれ。あんな奴を気にするなって。お前の父親がどんな人間かは、近所は皆分かってるぞ」
「そうよ!」
張おばさんが側で賛同の声を上げる。
「あの日は私もちょっとひどく言い過ぎたわ。家に帰ったらお父さんに申し訳なかったって取りなしておいて」
白洛因が家に入ってからも外から罵声が聞こえてきた。
「もう二度とここには来るな! 見かけたらまた殴るぞ!」
「また店に押し掛けて鄒さんを困らせたら許さないからな!」
「とっとと出ていけ!」
握り潰された北京晩報はぐしゃぐしゃで見る影もなかったが、大きく一面に記事が載っていた。この記事は急いで差し込まれたもので、写真も撮って出しだ。テレビのニュースも含め何度も厳しい審査が必要なので、世間の揉め事がその日のうちに報道されることは非常に稀だった。白洛因にはわかっていた。ネットの炎上は運頼みでいけても、正規のメディアで報道するには大きなコネがないと無理だ。
このあたりの年寄りたちはネットなど見ない。彼らの情報源はやはり新聞とテレビだ。白漢旗と密接な関係にある彼らの考え方と態度が、白漢旗の情緒に強く影響を及ぼす。だからこそ白洛因はこれら正規メディアの支持を必要としていた。
顧洋はリビングの隅でズボンにアイロンをかけながら、顧海の様子を観察していた。
顧海はバスケの試合を見ていたが、手にはしっかりと携帯電話を握りしめ、まるで気迫のある塑像のように固まったまま同じ姿勢で座っていた。
顧洋は咳払いをしながら冷たく問いかける。
「CMまでそんなに熱心に見る必要があるか?」
顧海はそこでようやくテレビの画面に意識を戻したようで、リモコンを手に取って適当にチャンネルを換えまくる。顧洋はこっそり自分の携帯を手に取ると、顧海にショートメッセージを送った。顧海はハッとし、まるでずっと待ち望んでいた瞬間が訪れたかのように姿勢を整え、重々しく画面を開く。その横顔は言い知れぬ興奮を帯び、額から顎のラインはすべて喜びに魂が震えているようだった。
だがすぐそれが空メッセージで、しかも発信者が顧洋だとわかると、彼は怒ってゆっくり後ろを振り返る。
「俺をからかったな?」
顧洋はアイロンをかけ終えたズボンを注意深く畳みながら、顧海の顔に鋭い視線を向ける。
「うっかり送り間違えたんだ」
顧海は吠えそうになった。俺がここでどれだけ電話を待ち望んでいたか知ってるか? 送り間違えただと? 俺の感情を弄ぶなよ。
「電話を待っているのか?」
顧洋は顧海の隣に座り、彼を見た。顧海は携帯を投げ、わざと冷たく傲慢な様子を装う。
「電話を待ってるって? お前の電話を待ってたんだよ!」
「何を言ってるのかわからないぞ」
顧海は起き上がってトイレに向かった。この電話を待って、彼の膀胱は破裂しそうになっていたのだ。顧洋は彼の背中を見ながら、わずかに口角を上げた。弟を見る時にだけ彼の表情はほんの少し温かみを帯びる。顧海がトイレに入ってまもなく携帯が鳴り、ショートメッセージの着信を知らせた。
「お前が待っていたメッセージが来たぞ」
顧海は洗った手を拭きながら、顧洋の隣にある携帯のメッセージランプが光っているのを見て、眼の奥に天邪鬼な光が走る。
「言っただろう。別にメッセージなんて待ってないって」
顧洋は顧海の表情から興奮を見て取り、心の中で冷笑する。お前の小さな企みは全部顔に出てるぞ。隠せると思うのか?
「じゃあ見なくていいな」
顧洋はそう言うと、携帯を自分のほうへ引き寄せた。顧海は顧洋をチラッと見る。顧洋はからかうような眼差しで顧海を眺め、失態を待ち望んでいるようだった。小さい頃から顧洋は顧海の疫病神で、一番の趣味は顧海の心の砦がどこにあるかを見つけ出し、それを突破することだった。
顧海は心を鬼にしてリモコンでチャンネルを換え続ける。横顔には絶対に負けないぞという意地を漂わせていた。
五分後、携帯がまたメッセージを着信する。顧洋は悠々とソファーに座って瓜子を食べ、足を組みながら勝利を確信している風情だった。
顧海の心はサンドバックのようだった。白洛因からのメッセージは自分に叩きこまれる拳で、狂ったように攻撃を続けて来る。限界を試す訓練のような時間が続き、気付けば顧海は指でソファーのひじ掛けを叩いていた。鉄板のように背筋を固く伸ばし、意味もなく口を開け閉めする。彼は心を隠しきれずに焦燥感に駆られ、落ち着きを失っていた。
緊張の糸は電話が鳴った瞬間に途切れた。顧洋は携帯電話を持ち上げ、画面を彼に向ける。
「因子……どうやらお前のお兄ちゃんからだぞ。俺が代わりに切ってやろうか?」
顧海は森から飛び出す野生の豹のように顧洋の膝に飛びかかって携帯電話を奪うと、さっと自分の寝室へ戻って扉を閉めた。それは二人の特別な感情をはっきりと示す行動だった。
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