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第十二章
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その日の午前中、白洛因はまったく居眠りをしなかった。朝三十分長く寝たせいかもしれない。顧海は自分のおかげだと胸を張った。授業中、彼はいつも白洛因の背中に手を伸ばす。あるときは無意識に、またあるときは我慢できずに触った。特に邪念はない。ただ彼の存在を確かめたかっただけだ。最初は白洛因も警戒し、振り返って罵ることもあったが、いまでは完全に放置している。それどころか、顧海がおとなしく触らずにいると、そっと振り返って顧海の安否を確認するありさまだった。
午前中の授業が終わり、二人は適当に総菜を買って帰る。
エレベーターを降りると、驚くことにドアの鍵がまた開いていた。どういうことだ? 昨日のうちにこっそり鍵を取り換えたのに? あるいは泥棒か?
恐る恐る部屋に入ると泥棒などはいなかったが、また姜圓の姿が厨房に現れ、彼らは頭を抱える。
「ベイビーたち、おかえりなさい。ママがご飯を準備したから、手を洗ってきなさい」
顧海の額には青筋が浮かび、素早く白洛因をリビングに引っ張った。
「どういうことだ? 鍵は取り換えたんじゃないのか? なんで入ってきた?」
白洛因の目に疑念の色が浮かぶ。顧海は歯がみをした。クソ、修理工を呼んで鍵を壊したのか? そう聞こうとしたとき、姜圓が笑いながら出てきた。
「そうだ、言うのを忘れてたわ。鍵が壊れてたけど、直しておいたから」
そう言うと、手を叩きながら厨房へ戻り、鼻歌を歌いながら料理を運んでくる。白洛因は玄関へ行ってみたが、鍵自体は変わっていなかった。昨日あんなに苦労して換えたのに、あっさりと破られた。外側は何も変わっておらず、唯一残っている傷跡は昨日白洛因がドライバーでつけたものだ。修理工ではなく、完全に母親が自分でやったのが見て取れる。
顧海は隣で冷笑した。
「なるほどわかったぞ」
白洛因は目を上げる。
「何がわかったんだ」
「お前の父さんはあんなに温厚でおとなしいのに、なぜお前のような小賢しい子供が生まれたのか。お前たちはまさしく親子だ。なんで俺の父親ががっちり掴まったのかようやくわかった」
白洛因は怒りをこめて顧海を睨む。姜圓に似ていると言われるのは嫌だったが、自分の優良な遺伝子の多くが姜圓から来たことを否定はできなかった。
「決めたわ。これから毎日ここにきて、あなたたちにご飯を作り、洗濯や掃除をしてあげる。お手伝いさんじゃ安心できないし、私も特にやることがないから、ここに来てあなたたちの面倒を見てあげるわ」
白洛因と顧海は顔色を変えた。姜圓は言い添える。
「もちろんずっとはいないわよ。昼と夜にしか来ないわ」
よりによってその時間を選ぶとは、本当に吐き気がする。顧海は顔のパーツがわからなくなるほど腹を立てた。姜圓は二人の前に料理を並べる。
「早く食べなさい」
白洛因は箸を持たず、姜圓の目を見た。
「俺たちの生活を邪魔しに来ないでくれ」
顧海もずいぶん前からそう言いたかったのだが、彼女が白洛因の母親だから遠慮して口に出せずにいた。姜圓は厚く塗った口紅でも隠せないほど唇の色が悪くなる。
「洛因、ママはあなたに会いたいの。一日会わなかったらもうつらくて……」
「俺に会いたいわけじゃないだろう」
白洛因は話を遮った。
「あんたはチャンスに乗じてつけこもうとしてるだけだ」
姜圓の目には涙が浮かぶ。
「俺が家にいたとき、半月やそこら会わなくてもあんたはしっかり生きていただろう」
「あの頃はあなたの面倒を見る人がいたからよ、でも今は……」
「俺が面倒を見る」
顧海が口を挟んだ。
「西洋式の教育スタイルを信望してるんだろう? 俺たちはもう十七歳だ。とっくに独立すべきだよ。白洛因が可哀想だというなら、俺は約束する。彼の服は俺が洗うし、飯も俺が作る。どんなにつらくても俺がやる。あんたがこの部屋に入らないと約束してくれれば、俺たちはしっかり暮らすし、もしあんたがどうしても俺たちの生活を邪魔しに来るって言うなら、明日も俺たちがここにいるとは保証できない」
顧海の声は大きくはなかったが力があり、一言一句部屋に響き渡った。
それから長い間、姜圓が姿を現すことはなかった。たまに誰かに服や布団を送ってこさせたがほぼ使われることはなく、そのまま物置にしまわれた。
白洛因は本格的にここに住むことになった。
しかも一度決めたら週末以外は実家に戻らず、そのほかの時間は常にここにいた。二人の生活はとても規則正しく、顧海は白洛因より三十分より早く起き、朝食を買いに行って白洛因と一緒に食べる。白洛因は申し訳なく思い、当番制にしようと持ち掛けたが、顧海はすぐさま断った。理由は白洛因が車の運転ができないからだった。そこで毎日昼休憩の時間に白洛因は顧海から車の運転の仕方を教わった。夜は帰って食事をし、少し休んでから階下で運動をする。ジムやバスケットコートで大汗をかくまで部屋には戻らない。風呂に入ってから残りの時間はひたすらイチャイチャした。
二人はまったくケンカせず、不思議なほど和やかだった。特にケンカになる原因もなかったからだ。部屋は汚くてもかまわない。二人とも見ないふりをする。洗面用具が乱雑に置いてあっても問題ない。そこにあるものを使えばいい。テレビのチャンネル争いもない。二人の趣味はほぼ同じだったからだ。
もちろん、最大の問題は食事だった。顧海は白洛因の食事を作ると自分で言い切ったので、確かに作っていた。それに対する白洛因の最高評価は「死にはしない」だった。目をつぶり鼻を摘まんで口に入れればどうにか食べられる。もちろん顧海にも得意料理はある。ゆで卵だ。お湯に入れさえすれば確実に火が通るからだ。作るたびに白洛因も褒めてくれた。
だから週末に実家に帰ると、二人は鄒おばさんが呆れる勢いで飢えた狼のごとく食卓に座り、一気に十数人分の量を掻きこんでも満腹にならないようだった。日曜日に実家を離れる際に鄒おばさんはたくさんの料理を持たせてくれ、帰ったらすぐ冷蔵庫にしまうように言い聞かせ、一週間食べられる量を渡した。それでも時間があれば鄒おばさんは二人に食べ物を届けた。
もちろん洗濯においても顧海は常に職責を尽くした。自分の服はそのまま洗濯機に放り込み、白洛因の服だけ手洗いをする。白洛因は毎回洗濯機に入れろと勧めたが、顧海は手洗いをすると言い張り、白洛因を感動させた。だがやがて気づいた。彼はすべての服を手洗いしているわけではない。それからさらにしばらく経ってからわかった。顧海が手洗いするのは白洛因のパンツだけだ。顧海は毎晩洗面所に立ってごしごし手洗いする。
軽く十数キロ走れる男がなぜ洗濯する時にだけ顔を赤くしてふうふう息を荒げているのか、白洛因はようやく理解した。
また金曜日がやってきた。布団の中はひどく温かくて起きるのが億劫だった。白洛因は寝ぼけ眼をこじ開け、掃き出し窓から外を見る。空は明るいようでそうでもない。曇天なので何時なのかよくわからない。手探りで携帯を探したが腕が動かない。それはあまりにもしっかり布団でくるまれていたからだ。道理で温かいはずだ。
「五時二十分か。まだ早いな」
白洛因はそうつぶやき目を閉じて再度眠ろうとしたが、ふと窓枠が白くなっていることに気づく。雪か?
白洛因は元気を出して目を見開き、じっくりと外を見る。確かに雪が降っていた。この冬初めての雪だ。それもかなり激しく降っている。雪が降ると生活はかなり不便になるが、それでもガチョウの羽のような雪が次々空から降り、世界をすべて白く塗り替えていくのを目にすれば、やはり気分は高揚する。
白洛因は起き上がって隣を探ったが、シーツはすでに冷たくなっていた。顧海が出かけてどれくらい経ったかわからない。雪が降れば道は滑り、車はゆっくり走らねばならない。だからいつもより早く起きたのに違いない。
顧海の車がマンションの敷地に入ると、白洛因が雪の中佇んでいる姿が目に入った。頭から肩まで薄く雪が積もっている。
「なんで出て来たんだ? こんなに寒いのに……」
顧海は白洛因の顔を撫でた。薄く雪で覆われ、とても冷たい。
「早く中に入れ! 出てくるならもっとたくさん着ろよ!」
顧海は眉間に深くしわを寄せ、責めるような口調になる。まるで大人が子供を叱るように、怒りながらわざとらしく白洛因の尻を蹴った。白洛因は長い綿入れを着ていた。とても分厚いものなので、たとえ蹴られても布団越しのようにまったく痛みは感じない。むしろ積もっていた雪が払い落とされた。
雪で道が滑りやすく顧海が事故を起こすのではないかと心配だったが、彼が戻って来て白洛因はとても安心した。
熱々の肉饅頭、柔らかく粘りのあるうるち米の粥に漬物の細切りを少し乗せ、さらに毎日欠かせない豆汁(緑豆の絞り汁)と焦圏(塩味の揚げドーナツ)、顧海はそれらをすべてテーブルに並べた。白洛因は手をさすり箸を動かそうとして顧海の頭から水が滴っていることに気づいた。額は湿っている。雪が溶けたのではなく、汗のようだった。
「なんで汗をかいてるんだ?」
白洛因の問いかけに顧海は汗を拭い、さらっと答える。
「途中で追突事故があって渋滞したから、待ちきれなくなって車を降りてしばらく走ったんだ」
白洛因の心の底から淡い感動が溢れ、ほんの少しだけ胸が痛んだ。顧海は白洛因が何も食べずにじっと自分を見つめていることに気づき、思わずにっこりする。
「感動したか? それなら俺に一度やらせてくれ」
白洛因は温かいまなざしをサッと冷たく変え、肉饅頭に食らいつく。
「顧海、お前はいつかその口で身を亡ぼすぞ」
顧海は口を歪めて笑い、そんなことはないと思っているようだった。
朝食を食べて体は温まったが、出かけるときには顧海はそれでも白洛因にダウンジャケットを着せようとする。
「綿入れの上にダウンを着る奴なんて見たことあるか?」
白洛因はバカみたいだとダウンを脱ぐ。
「着ろと言ったら着ろよ。別に女子じゃあるまいし、ほっそり見せる必要はないだろう?」
顧海の語気は強く、絶対にダウンジャケットを着せようとする。白洛因は抵抗した。
「じゃあなんでお前は着ないんだよ」
「俺様は寒くない」
「俺も寒くないぞ!」
白洛因は恫喝する。顧海は白洛因の頭を指さす。
「ケンカするつもりか?」
白洛因は主張を曲げなかった。
「お前が着ないのに、なんで俺に着せようとするんだ」
顧海は歯噛みをしながら白洛因の頭を何度か突く。そして大股で部屋に戻りダウンジャケットを持ってくると自分で羽織り、顎を上げて白洛因にも着ろと示す。
白洛因はダウンを着ただけでなく、マフラーも持っていたが、それは顧海の首にかける。顧海が前を歩いていると、突然首が温かくなった。ワイン色のものが無造作に首に巻きついている。振り返ると、白洛因は無表情だった。
顧海は初めて夢から覚めたように尋ねる。
「お前は俺が寒いんじゃないかと聞くのが恥ずかしくて、自分も着ようとしなかったのか?」
白洛因は否定も肯定もしなかった。言葉にできない嬉しさがじわじわこみ上げ、顧海は白洛因の肩を抱き、ギュッと力を込めたが、語気はそれでも優しかった。
「因子、お前は俺に優しいな」
白洛因は顧海を斜めに見て言い返す。
「お前が俺によくしてくれるほどじゃない」
顧海はわざと尋ねる。
「俺はお前にそんなによくしてるか?」
「ちょっとバカなんじゃないかってほどよくしてくれる」
おっと……それはどういう評価だ? 顧海は眩暈を覚えた。
白洛因の口元はわずかに笑顔を浮かべたようだった。ほんの僅かではあったが、とても生き生きしている。まるであたり一面雪が降り、とても静かなのに、世界のすべてが魂を持って動いている様子に似ていた。
午前中の授業が終わり、二人は適当に総菜を買って帰る。
エレベーターを降りると、驚くことにドアの鍵がまた開いていた。どういうことだ? 昨日のうちにこっそり鍵を取り換えたのに? あるいは泥棒か?
恐る恐る部屋に入ると泥棒などはいなかったが、また姜圓の姿が厨房に現れ、彼らは頭を抱える。
「ベイビーたち、おかえりなさい。ママがご飯を準備したから、手を洗ってきなさい」
顧海の額には青筋が浮かび、素早く白洛因をリビングに引っ張った。
「どういうことだ? 鍵は取り換えたんじゃないのか? なんで入ってきた?」
白洛因の目に疑念の色が浮かぶ。顧海は歯がみをした。クソ、修理工を呼んで鍵を壊したのか? そう聞こうとしたとき、姜圓が笑いながら出てきた。
「そうだ、言うのを忘れてたわ。鍵が壊れてたけど、直しておいたから」
そう言うと、手を叩きながら厨房へ戻り、鼻歌を歌いながら料理を運んでくる。白洛因は玄関へ行ってみたが、鍵自体は変わっていなかった。昨日あんなに苦労して換えたのに、あっさりと破られた。外側は何も変わっておらず、唯一残っている傷跡は昨日白洛因がドライバーでつけたものだ。修理工ではなく、完全に母親が自分でやったのが見て取れる。
顧海は隣で冷笑した。
「なるほどわかったぞ」
白洛因は目を上げる。
「何がわかったんだ」
「お前の父さんはあんなに温厚でおとなしいのに、なぜお前のような小賢しい子供が生まれたのか。お前たちはまさしく親子だ。なんで俺の父親ががっちり掴まったのかようやくわかった」
白洛因は怒りをこめて顧海を睨む。姜圓に似ていると言われるのは嫌だったが、自分の優良な遺伝子の多くが姜圓から来たことを否定はできなかった。
「決めたわ。これから毎日ここにきて、あなたたちにご飯を作り、洗濯や掃除をしてあげる。お手伝いさんじゃ安心できないし、私も特にやることがないから、ここに来てあなたたちの面倒を見てあげるわ」
白洛因と顧海は顔色を変えた。姜圓は言い添える。
「もちろんずっとはいないわよ。昼と夜にしか来ないわ」
よりによってその時間を選ぶとは、本当に吐き気がする。顧海は顔のパーツがわからなくなるほど腹を立てた。姜圓は二人の前に料理を並べる。
「早く食べなさい」
白洛因は箸を持たず、姜圓の目を見た。
「俺たちの生活を邪魔しに来ないでくれ」
顧海もずいぶん前からそう言いたかったのだが、彼女が白洛因の母親だから遠慮して口に出せずにいた。姜圓は厚く塗った口紅でも隠せないほど唇の色が悪くなる。
「洛因、ママはあなたに会いたいの。一日会わなかったらもうつらくて……」
「俺に会いたいわけじゃないだろう」
白洛因は話を遮った。
「あんたはチャンスに乗じてつけこもうとしてるだけだ」
姜圓の目には涙が浮かぶ。
「俺が家にいたとき、半月やそこら会わなくてもあんたはしっかり生きていただろう」
「あの頃はあなたの面倒を見る人がいたからよ、でも今は……」
「俺が面倒を見る」
顧海が口を挟んだ。
「西洋式の教育スタイルを信望してるんだろう? 俺たちはもう十七歳だ。とっくに独立すべきだよ。白洛因が可哀想だというなら、俺は約束する。彼の服は俺が洗うし、飯も俺が作る。どんなにつらくても俺がやる。あんたがこの部屋に入らないと約束してくれれば、俺たちはしっかり暮らすし、もしあんたがどうしても俺たちの生活を邪魔しに来るって言うなら、明日も俺たちがここにいるとは保証できない」
顧海の声は大きくはなかったが力があり、一言一句部屋に響き渡った。
それから長い間、姜圓が姿を現すことはなかった。たまに誰かに服や布団を送ってこさせたがほぼ使われることはなく、そのまま物置にしまわれた。
白洛因は本格的にここに住むことになった。
しかも一度決めたら週末以外は実家に戻らず、そのほかの時間は常にここにいた。二人の生活はとても規則正しく、顧海は白洛因より三十分より早く起き、朝食を買いに行って白洛因と一緒に食べる。白洛因は申し訳なく思い、当番制にしようと持ち掛けたが、顧海はすぐさま断った。理由は白洛因が車の運転ができないからだった。そこで毎日昼休憩の時間に白洛因は顧海から車の運転の仕方を教わった。夜は帰って食事をし、少し休んでから階下で運動をする。ジムやバスケットコートで大汗をかくまで部屋には戻らない。風呂に入ってから残りの時間はひたすらイチャイチャした。
二人はまったくケンカせず、不思議なほど和やかだった。特にケンカになる原因もなかったからだ。部屋は汚くてもかまわない。二人とも見ないふりをする。洗面用具が乱雑に置いてあっても問題ない。そこにあるものを使えばいい。テレビのチャンネル争いもない。二人の趣味はほぼ同じだったからだ。
もちろん、最大の問題は食事だった。顧海は白洛因の食事を作ると自分で言い切ったので、確かに作っていた。それに対する白洛因の最高評価は「死にはしない」だった。目をつぶり鼻を摘まんで口に入れればどうにか食べられる。もちろん顧海にも得意料理はある。ゆで卵だ。お湯に入れさえすれば確実に火が通るからだ。作るたびに白洛因も褒めてくれた。
だから週末に実家に帰ると、二人は鄒おばさんが呆れる勢いで飢えた狼のごとく食卓に座り、一気に十数人分の量を掻きこんでも満腹にならないようだった。日曜日に実家を離れる際に鄒おばさんはたくさんの料理を持たせてくれ、帰ったらすぐ冷蔵庫にしまうように言い聞かせ、一週間食べられる量を渡した。それでも時間があれば鄒おばさんは二人に食べ物を届けた。
もちろん洗濯においても顧海は常に職責を尽くした。自分の服はそのまま洗濯機に放り込み、白洛因の服だけ手洗いをする。白洛因は毎回洗濯機に入れろと勧めたが、顧海は手洗いをすると言い張り、白洛因を感動させた。だがやがて気づいた。彼はすべての服を手洗いしているわけではない。それからさらにしばらく経ってからわかった。顧海が手洗いするのは白洛因のパンツだけだ。顧海は毎晩洗面所に立ってごしごし手洗いする。
軽く十数キロ走れる男がなぜ洗濯する時にだけ顔を赤くしてふうふう息を荒げているのか、白洛因はようやく理解した。
また金曜日がやってきた。布団の中はひどく温かくて起きるのが億劫だった。白洛因は寝ぼけ眼をこじ開け、掃き出し窓から外を見る。空は明るいようでそうでもない。曇天なので何時なのかよくわからない。手探りで携帯を探したが腕が動かない。それはあまりにもしっかり布団でくるまれていたからだ。道理で温かいはずだ。
「五時二十分か。まだ早いな」
白洛因はそうつぶやき目を閉じて再度眠ろうとしたが、ふと窓枠が白くなっていることに気づく。雪か?
白洛因は元気を出して目を見開き、じっくりと外を見る。確かに雪が降っていた。この冬初めての雪だ。それもかなり激しく降っている。雪が降ると生活はかなり不便になるが、それでもガチョウの羽のような雪が次々空から降り、世界をすべて白く塗り替えていくのを目にすれば、やはり気分は高揚する。
白洛因は起き上がって隣を探ったが、シーツはすでに冷たくなっていた。顧海が出かけてどれくらい経ったかわからない。雪が降れば道は滑り、車はゆっくり走らねばならない。だからいつもより早く起きたのに違いない。
顧海の車がマンションの敷地に入ると、白洛因が雪の中佇んでいる姿が目に入った。頭から肩まで薄く雪が積もっている。
「なんで出て来たんだ? こんなに寒いのに……」
顧海は白洛因の顔を撫でた。薄く雪で覆われ、とても冷たい。
「早く中に入れ! 出てくるならもっとたくさん着ろよ!」
顧海は眉間に深くしわを寄せ、責めるような口調になる。まるで大人が子供を叱るように、怒りながらわざとらしく白洛因の尻を蹴った。白洛因は長い綿入れを着ていた。とても分厚いものなので、たとえ蹴られても布団越しのようにまったく痛みは感じない。むしろ積もっていた雪が払い落とされた。
雪で道が滑りやすく顧海が事故を起こすのではないかと心配だったが、彼が戻って来て白洛因はとても安心した。
熱々の肉饅頭、柔らかく粘りのあるうるち米の粥に漬物の細切りを少し乗せ、さらに毎日欠かせない豆汁(緑豆の絞り汁)と焦圏(塩味の揚げドーナツ)、顧海はそれらをすべてテーブルに並べた。白洛因は手をさすり箸を動かそうとして顧海の頭から水が滴っていることに気づいた。額は湿っている。雪が溶けたのではなく、汗のようだった。
「なんで汗をかいてるんだ?」
白洛因の問いかけに顧海は汗を拭い、さらっと答える。
「途中で追突事故があって渋滞したから、待ちきれなくなって車を降りてしばらく走ったんだ」
白洛因の心の底から淡い感動が溢れ、ほんの少しだけ胸が痛んだ。顧海は白洛因が何も食べずにじっと自分を見つめていることに気づき、思わずにっこりする。
「感動したか? それなら俺に一度やらせてくれ」
白洛因は温かいまなざしをサッと冷たく変え、肉饅頭に食らいつく。
「顧海、お前はいつかその口で身を亡ぼすぞ」
顧海は口を歪めて笑い、そんなことはないと思っているようだった。
朝食を食べて体は温まったが、出かけるときには顧海はそれでも白洛因にダウンジャケットを着せようとする。
「綿入れの上にダウンを着る奴なんて見たことあるか?」
白洛因はバカみたいだとダウンを脱ぐ。
「着ろと言ったら着ろよ。別に女子じゃあるまいし、ほっそり見せる必要はないだろう?」
顧海の語気は強く、絶対にダウンジャケットを着せようとする。白洛因は抵抗した。
「じゃあなんでお前は着ないんだよ」
「俺様は寒くない」
「俺も寒くないぞ!」
白洛因は恫喝する。顧海は白洛因の頭を指さす。
「ケンカするつもりか?」
白洛因は主張を曲げなかった。
「お前が着ないのに、なんで俺に着せようとするんだ」
顧海は歯噛みをしながら白洛因の頭を何度か突く。そして大股で部屋に戻りダウンジャケットを持ってくると自分で羽織り、顎を上げて白洛因にも着ろと示す。
白洛因はダウンを着ただけでなく、マフラーも持っていたが、それは顧海の首にかける。顧海が前を歩いていると、突然首が温かくなった。ワイン色のものが無造作に首に巻きついている。振り返ると、白洛因は無表情だった。
顧海は初めて夢から覚めたように尋ねる。
「お前は俺が寒いんじゃないかと聞くのが恥ずかしくて、自分も着ようとしなかったのか?」
白洛因は否定も肯定もしなかった。言葉にできない嬉しさがじわじわこみ上げ、顧海は白洛因の肩を抱き、ギュッと力を込めたが、語気はそれでも優しかった。
「因子、お前は俺に優しいな」
白洛因は顧海を斜めに見て言い返す。
「お前が俺によくしてくれるほどじゃない」
顧海はわざと尋ねる。
「俺はお前にそんなによくしてるか?」
「ちょっとバカなんじゃないかってほどよくしてくれる」
おっと……それはどういう評価だ? 顧海は眩暈を覚えた。
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