あの日咲かせた緋色の花は

棺ノア

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第6章

引き金

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この日も本当なら家族三人で食卓を囲み、穏やかに一日を終えるはずだった。

裕璃は宿題への集中力を切らし、母が夕食の準備をしているのを見て(今日のご飯は何かな~)などと考えていた。

するとがチャリと玄関のドアを開く音がした。父が帰ってきたのだろう。

「おかえり~!」

そう声を上げるが、いつもなら聞こえる返事が聞こえない。
今日は自分の声が届かなかったのだろうと思い、特に気にすることもなく手元の漢字ドリルに視線を落とすと、間もなく父がリビングに姿を現した。

「あ、おかえり。ちょっと遅か……!?」

振り返って父を見た裕璃は絶句した。

(前のお父さんだ……)

そこにいたのは朗らかに笑う父ではなく、以前鬱病だと言われた時の抜け殻のような父だった。
それに気づいた母も準備の手を止め、こちらに寄ってきた。

「…ねぇ、貴方どうしたの?何か辛いことを思い出したの?取り敢えず座りましょう、お茶を入れるわ」

「お父さん大丈夫?あ、鞄持ってくね」

裕璃は父から鞄を受け取ると、素早くリビングから出ていった。

(本当にどうしちゃったの…!お願い、優しいお父さんに戻ってよ…!!)

自分が下手に口を出すより母に任せた方が良いだろうと場を離れたが、あの状態の父と二人きりは危険である。すぐに戻ろうとすると、リビングから何かが割れる音と怒号が聞こえてきた。

「あいつのせいだ!あいつが自分のミスを全部俺に被せやがった!!それで大手の契約が潰れて責任とってクビだって?ふざけんな!!」

慌てて戸を開くと出していた皿が床で粉々に砕け散り、母は壁際でふるふると怯えていた。

「ちょっとお父さん落ち着いてよ!それって社長さんに訴えたら何とかならないの?」

「ならねぇよ!あいつは立ち回りが上手いから証拠なんざ残してねぇ。そもそも上司があいつより俺を信じると思うか?…くっそ……高橋のやつ…!!」

呟かれた名前を聞き、裕璃は(ん?)と思った。それは仲良くなったと話していた同僚ではなかったか。

「…え、お父さん、高橋さんと仲良かったんじゃないの?」

その台詞を聞いた父は、今まで青筋を立てて怒鳴っていたのが嘘のように大人しくなり俯いた。

「そう思っていたのは俺だけだったんだろうな。現に俺はあいつに覚えのない大失態を被せられせっかく就職できた会社をクビにされている。今思えば上司もグルだったんだろうな。あんなこと一人でするのは無理がある」

裕璃は父の話に心を痛めた。なんで頑張ってるお父さんが悲しくなるようなことになるんだろう。

するとそれまで黙っていた母が呟いた。

「警察……」

え、というように二人で母の方を見ると、恐る恐る話しだした。

「警察か、弁護士にお願いするのはどう?そんな急にクビなんておかしいわ。貴方は何も悪くないんだもの。私達だって生活できなくちゃ困るでしょう?」

「…無理だ。さっきも言ったように証拠がない。上司とグルなら俺がおかしな事を言うやつだと思われるだけだ。もう誰も信じられない」

「そんなこと言わないで!ほら、わたしとお母さんがいるじゃん!ね、わたし達なら信じられるでしょ!」



…今思えば、父は精神疾患を持っていたのだ。もっと慎重に言葉を選ぶべきだったし、軽々しく自分を信じろなんて言ってはいけなかったのだろう。
しかし、まだ人生経験の浅かった裕璃にはそういったことが分からなかった。


「…もういい」

父はそう言うと、フラフラとキッチンの方へ歩いていった。水でも飲むのだろうと落ち着いた様子にホッとしていると、母がヒュッと息を呑んだ。

慌ててキッチンの方を向くと、包丁を握りしめた父がユラユラとした足取りでこちらに近づいてくるところだった。

「え…それ、どうするの…?」

呆然としながら尋ねると、父は自暴自棄な笑みを浮かべた。

「もう何がどうなろうと知ったこっちゃねぇ。お前ら殺して死んでやる!」

「やめてぇええ!!お願い、正気になって…!!」

母が父の足に縋りついて懇願したが当然聞き入れられるはずもなく、足を振り抜かれた勢いでゴロゴロと転がっていくと、壁に当たってピタリと止まった。

「お母さん…!!」

「どいつもこいつもうるせぇな。先にお前から殺してやるよ」

父はそう言って母の下へと歩を進めた。

(どうしよう…このままじゃお母さんもわたしも死んじゃう…!どうにかしなきゃ)

裕璃は緊張で動かなくなっていた足を懸命に動かした。
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