あきとかな ~恋とはどんなものかしら~

穂祥 舞

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7月 1

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 月が変わってすぐ、4人の課長と課長補佐を中心に構成される、性的マイノリティ他を支援する社内組織の立ち上げ計画が、正式に発表された。中心が男性3名と女性1名ということに、女性が少ないという批判も出たが、差し当たっては生温なまぬるく好意的に受け止められた。人事部直轄で、営業企画統括部長も噛んでいると聞いて、この組織が会社のイメージアップをも目的としていることに、気づかない者はいなかった。プレスリリースをまだ行わないのは、これから具体的に何をしていくのかが絞り込めていないからである。

 営業課周辺では、1課課長に再婚相手候補が出来たのではないかと静かに噂になっていた。女子社員たちは男子社員たちの身だしなみの変化に比較的目ざとい。彼女らがまず目をつけたのは、桂山課長の新しい雨傘である。12本骨の濃紺の傘は、その辺のおじさんが持つときっと本当におじさん臭いのに、背の高い課長が持つと小洒落て見えて、彼によく似合う。しかも柄に何とも美しいネームが入っていた。
 ここしばらくビニール傘で通勤していた桂山課長が、わざわざあんなものを自分で買う筈がないと、営業2課の新人社員・竹内――彼女は1課での研修がいたく印象に残り、本当は1課に配属を希望していたのだが――が、先輩たちの意を汲んで、本人に特攻をかけてみた。梅雨も明けそうかという雨の日、出勤時にエレベーターで一緒になったのである。

「桂山課長、素敵な傘ですね」
「そう? ありがと、誕生日に貰ったんだ」
「へぇ、どなたから?」
「ふふ、内緒」

 決して瀟洒しょうしゃではないけれど清潔感があり、きちんとした真面目な印象の男性(竹内はこの課長に対して、研修の時に接した中で一番感じの良い上司だったと好感を抱いていた)が意外な反応をしたので、彼女は少し驚き、咄嗟とっさに突っ込みを入れられなかった。
 内緒って何なのよ。彼女は自分のパソコンを立ち上げながら、一人思い出し笑いをしていて、先輩社員から変な目で見られてしまった。



 暁斗は岸圭輔にメールを送り、午後一番に少し時間を取ってもらった。新しいプロジェクトにも関わることになるかと考えたので、業務時間内に話すことにした。岸は珍しくその日一日会社にいる予定だったらしく、すぐに了解の返事が来た。

「お疲れさま、食後のコーヒーを出すよ」

 昼休みが終わったばかりとは言え、岸は勤務時間内とは思えないことを口にしながら、暁斗を部長室で歓迎してくれた。

「仮称相談室はまあ社内での反応は上々だね」
「そうみたいですね、良かったです」

 暁斗はどこかほっとしながら言った。いつまでたっても、近しく上司と呼べる人がいるのは幸せなことだと思う。
 コーヒーが出されてから、岸はそれで? と暁斗に話を振った。

「相談室に関する話なんだろう?」
「ええ、まあ……関係すると言えばそうではないかと」

 暁斗はさすがにやや緊張した。岸がどんな顔をするのかが不安だった。ひとつ深呼吸してから、切り出す。

「私……同性の恋人がおりまして」

 岸はコーヒーフレッシュのシールをがそうとした手を止めた。そして、何を言われたのかわからないという表情になった。

「男と交際しています」

 暁斗は平たく言い直した。岸はフレッシュを開けて、なるほど、と言った。彼がどう思ったのか、その表情からは分からなかった。

「蓉子さんと離婚したのはそれが理由だったのか?」

 結婚するときに仲人は立てなかったが、式のスピーチは岸に頼んだし、式の前に蓉子を彼に紹介した。だからこそ暁斗は、自分の現在の状況を岸に話しておきたかった。

「いえ、あの頃はまだ私が気づいていませんでした、ただ……セックスレスではあって……彼女はそれが一番不満だったようです」
「……気づかないものなのか」

 岸は本当に不思議そうだった。中学生の頃には男の子のほうが好きだと自覚していたという山中と接しているからかも知れなかった。

「学生時代から女性に対して淡泊過ぎるとからかわれることはあったんですが、深刻に受け止めていませんでした、蓉子のことは好きだったので」
「ああ、好きの種類が違ったということか」
「……と今交際している相手に出会ってやっとわかった次第です」

 岸は話の理解が早い人である。すぐに、ほづみんは知っているのかと訊いてきた。山中は岸をきっしゃんなどと呼ぶが、岸は岸で山中を下の名前で呼ぶとき、まるでどこかのゆるキャラのように呼ぶ。山中もそれを苦笑しつつ容認していた。

「山中さんにはこの間話しました、というか暴かれました」
「同性愛者の身内がいるというのは?」

 暁斗はさすがに、事実を話すのをためらった。少々疑っていたらしいとはいえ、山中はその話を暁斗を相談室プロジェクトに推薦する理由にしていたからである。

「えー……その身内が今の交際相手というか……そもそも彼は身内ではなくて」

 歯切れが悪過ぎる暁斗の説明に、岸は目を丸くして、ぷっと笑った。

「そういう嘘は苦手だろう?」
「……山中さんより先に蓉子にも暴かれていまして」
「蓉子さんがどうして知っているんだ、今でも連絡を取っているのか?」

 暁斗は山中にしたのと同じ話を岸にしながら、自分の間抜けぶりを認めずにはいられなかった。岸は笑いをこらえられないようだった。

「暁斗、きみは自分の最も不得意なことを散々自分に強いてきて自爆したと理解していいのかな?」

 暁斗は俯いた。恥ずかしい話だった。若い頃から営業の仕事でいろいろやらかしてきたが、ここまでの失敗は犯していない。返す言葉も見つからないので、コーヒーに口をつける。

「いや、笑って悪かった……それできみはどうしたい、ほづみんと同じようにカミングアウトしたいのか、隠しておきたいのか」
「……私は自分が同性愛者であることを恥ずかしいとは思いませんし、言ってもいいと考えていますが……山中さんや連れ合いはまだ早いのではないかと言うんです」

 岸はうん、とちょっと考える風になる。

「きみは嘘をつくのが下手だ、無理に隠すのは逆効果だろうな、ただ山中の言うように今すぐ自ら公表することもないように私も思う」

 岸が続けて言ったのは、奏人と同じことだった。

「きみは自分が同性愛者だとまだ知ったばかりということなんだろう、そのことをまず自分でしっかり受け止めてからでいいんじゃないかな」
「そうです……かね」
「カミングアウトして相談室の仕事に向き合いたいという気持ちはわかる、きみならそう考えるだろうしモチベーションも上がるだろう、ただこれは微妙な問題だ」

 岸が言うには、現在同性愛への理解が社内で十分だとは決して言えないため、暁斗の精神的な負担が心配だということだった。

「あと相談室だ、山中もきみも同性愛者だとなると逆に相談のハードルが上がってしまいそうに私には思える」
「それは……相談しづらくなるということですか?」
「そうだ、相談者は基本的に相談内容を隠したい人が多い、自分の性的指向を恥ずかしいと感じている人もたぶんいる、そこに堂々とカミングアウトしている連中が並んで待ち構えていたら……圧迫感が強いと思わないか?」

 岸の言いたいことはよくわかる。自分は性的少数者であると、誰もが堂々と言って生きて行ける訳ではないのが現状だ。それは暁斗も、もちろん山中も分かっている。カミングアウトするのがベストだというように相談者に受け取られてしまうのは良くない。

「それに現時点で公表するほうに気持ちが傾いていても、きみ自身にも迷いが出るかも知れない……いや、きっと出ると私は思う」

 岸は新入社員の頃から暁斗を見ている。決断してもふらふらしたことはこれまでも沢山あった。それを良く知っているから、こんな風に言うのだ。

「仕事なら誰かがフォロー出来る、しかし性的指向の件はそうはいかない……私は暁斗がそこで悩むのをあまり見たくないな」

 岸の言葉に暁斗は頷いた。岸は、暁斗がフラットな立場で、相談者と一緒に迷い悩んで答えを探してくれたらいいと考えていた。いつも暁斗はそうやって社内外の問題に取り組んできたからだ。そしていつも見事なまでにベストな選択をした。暁斗のそういうところを岸や人事が高く評価していることを、暁斗自身は知らなかったが。

「時間をかけて考えるといい、納期がある訳ではないんだから……で、お相手はどんな人なんだ?」

 暁斗は訊かれて苦笑する。実は岸はこういう話には興味津々で、部下のハマっていることや交際している相手のことを知りたがる。おかげで岸は同世代の社員の中でも、結婚式の仲人率や披露宴への出席率が最も高く、お祝い貧乏人の称号をたまわっている。

「コンピュータ会社のSEです、10こ下の」
「10も歳下? 勝ち組だな、どこで知り合ったんだ」
「まあ……そういう人の集まる場所です」

 歌舞伎町のゲイバー辺りを、岸に想像しておいてもらうことにする。
 若い相手と交際したり結婚したりする男を勝ち組と呼ぶのは、一定の年齢以上の女性に対して失礼だと暁斗は思うのだが、男だけだとついこんな言葉も出てしまう。しかし相手が男でも、使えるのだろうか。この間は酔っ払って、山中に同じことを言ってしまったが。

「勝ち組なんですかね、とてもいい子ではあります」
「若い人と親しくなるのはいいことだ、新鮮な空気を運んでくれるからな」
「たまにジェネレーションギャップを感じますよ」

 暁斗はひげ脱毛の話をした。岸は興味深そうにその話を聞いていた。

「じゃあきみの……パートナーの顔の肌はつるつるな訳だ」
「そうですね」

 暁斗は相槌あいづちを打っただけだったが、岸は目を見開いた。そして形容し難い笑いを口許に浮かべた。

「……どうかしましたか?」
「暁斗、おまえ今一瞬いやらしい顔になった」
「は?」

 暁斗は声を上げた。岸はくつくつと笑う。

「なるほどなぁ、確かにそれは蓉子さんの時は無かったな」

 岸の言いたいことを察して、暁斗は自分でも分かるくらい顔が熱くなった。今特に奏人のことを考えた訳では無かったのに。

「いやいや、それが普通というか、そう……きみが蓉子さんを連れて来たときに少し違和感があったんだよ、仲は良さそうだったけど何かあっさりし過ぎてるというか」

 先輩と後輩の関係だからだろうと、当時岸は思っていたらしい。そんな風に思われていたのかと、暁斗は微かな悲しみ混じりの気持ちを覚えた。

「いや、ある意味良かった、暁斗の健康な男子らしいところが見られて安心した……仕事も最近調子が良いみたいだから、その子との交際はきみに良い影響を与えているんだろうな」

 岸は楽しげに頷いた。元々鷹揚な人ではあるが、本当に暁斗の告白に混乱しなかったのか、疑問になる。

「部長……私の話に、何というか……困惑なさってないんですか?」

 暁斗の恐る恐るの質問に、岸は笑い声を上げた。

「困惑してるさ、ここ数年で最大の驚きだよ、帰ったら嫁さんにだけ話してもいいか? でないと落ち着いて飯も食えそうにないよ」
「あ、どうぞお話しください……すみません」

 暁斗は恐縮して思わず身体を小さくしてしまった。その後やっとコーヒーの味がはっきり分かるようになった。香りが良くてコクのある、好みの味だった。
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