レターレ・カンターレ

穂祥 舞

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7 襲い来る過去

7-④

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 篠原の大きな目に、新しい涙がじわりと湧いた。それを見ると、三喜雄の鼻の奥までつんとしてくる。今の篠原にどんな慰めの言葉をかけても、無責任なだけだと思った三喜雄は、ゆっくり口を開く。

「俺も篠原くんと練習してると、高校時代の後輩のこと思い出すんだ……美術部だったんだけどピアノも上手くて、音楽室でよく伴奏してくれて……そいつちょっと篠原くんに見かけが似てた」

 篠原は驚きを見せ、恐る恐る訊いてくる。

「その子……どうしたの?」

 三喜雄は笑顔を作り、篠原の不安を払ってやった。

「あ、たぶん元気にしてるんだけど、いろいろ思い残すことがあるんだ」

 コーヒーをひと口飲んでから、三喜雄は高3の夏の話をした。少しどきどきしたが、冷静に話せた。



 お盆に入る直前の、あの日。声楽コンクールの準本選を2週間後に控えていた三喜雄は、音楽室で高崎に伴奏を頼んで練習に励んだ。その後、高崎は少し描くと言って同じ階の美術室に向かい、三喜雄はグリークラブの練習があるので、音楽室で部員を待っていた。すると件の美術部長が、音楽室の前を通り美術室に向かったのだ。
 高崎と部長が美術室で2人きりになることに対し、三喜雄は漠然とした不安を抱いた。しかし、美術部の顧問が続けてやってきたので、大丈夫だろうと思い直した。
 すぐに美術部の顧問の大声が廊下に響き、異変を察した三喜雄は音楽室から美術室に駆けつけた。そして信じられないような光景を目にした。中から全ての鍵をかけられたその部屋の奥で、部長が高崎に馬乗りになり、首を絞めていたのだ。三喜雄は譜面台で窓を叩き割って、顧問と一緒に美術室に飛び込んだ。しかし、高崎が必死で手繰り寄せた大きなイーゼルが、部長の頭上に倒れた瞬間を、呆然と見つめるしかなかったのだった。
 高崎と美術部長が調査で語った内容に、齟齬は無かった。秋の展覧会でどうしても賞が欲しかった美術部長は、高崎の自分への気持ちを知ったうえで、卒業する自分に花を持たせると思って、出品しないでくれと彼に迫った。この非常識な頼みを断った高崎は、逆上した部長から暴力を振るわれたのである。結果的に部長が額を数針縫う怪我をしたが、三喜雄に言わせれば自業自得で、高崎に非は無いはずだった。
 しかし高崎はやはり傷ついてメールに応えなくなり、三喜雄は自分を責めた。あの時すぐに美術室に行って、高崎をあの場から連れ出していれば。あの日俺が、一緒に練習したいと言わなければ。あんな奴を庇うのはやめろと、もっと早くに高崎に強く言っていれば。もっと高崎を、しっかり見てやっていれば――後悔の念が止まらない三喜雄に追い打ちをかけたのは、2学期が始まる前に、高崎が帯広の高校への転学を決めたことだった。
 三喜雄は激しくショックを受けた。もう歌えないと、藤巻の前で泣いた。しかし三喜雄の苦しみを全て聞いた師は、ばっさりと言ったのだった。
 コンクールを棄権したら、ずっと練習につき合ってくれた高崎くんの好意まで無になってしまう。それに彼がいないと歌えないと言うならば、進学以前に、今ここできみの歌は終わりだ。
 三喜雄は泣きながら立ち上がり、歌った。
 俺が選んで決めたことだから。高崎のためだけでなく、俺のために。
 今も自分の歌う姿を、誰よりも高崎に見てもらいたいのに、三喜雄が彼と連絡を取るすべは無い。高崎が北海道を出て、東京の大学に進学したらしいという情報は得ていた。大学院に合格して東京に出てきた三喜雄は、就職活動をしているであろう4回生の高崎とばったり出会うことを期待していたが、奇跡でも起きない限りそんなことはあり得ないと、早々に思い知ったのだった。この都市は、たった1人の男性を探すには巨大過ぎた。



「こないだ俺、止まっただろ? あれ、くじらがお嫁さんにしたい人をいつも気にするみたいにさ、あの時俺がちゃんと見張っていれば……ってなったんだ」

 三喜雄が半ば呟きにして話すと、同情混じりの声が返ってきた。

「そうだったのか……その子も片山くんも何も悪くないよ」

 篠原は真剣な目をしていた。優しいな、と三喜雄は思った。
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