レターレ・カンターレ

穂祥 舞

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7 襲い来る過去

7-③

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 篠原がいなくなるなどしたら大変なので、急ぎ足でイベントホールに戻った。彼がハンカチを手にして、しゃんと座っているのを見た三喜雄は、ちょっとほっとした。元々華奢な篠原は、何となく儚い風情を醸し出している。
 篠原は三喜雄の差し出した、温かいコーヒーの缶を受け取り、ありがとう、と小さく言う。

「この歌をいつか一緒歌いたいなって話し合った、同いのバリトンがいてさ」

 篠原は話しながら、缶コーヒーのタブを起こした。彼の隣でそれに倣いつつ、三喜雄は早まる鼓動を宥めていた。そのバリトンが、一昨年見送った同級生なのだろうか。

「そいつ……森山っていったんだけど、帰り道が一緒だったりして、声楽科の中ではたぶん一番よく話したと思う……古い歌を本格的に勉強したいって言ったのも、森山が最初だった」

 人づきあいがあまり得意でない篠原の、数少ない心許せる仲間だったということらしい。既に三喜雄は、この先の話を聞きたくなくなっていた。しかし行きがかり上、聞かなくてはいけないようだ。辛い時間になりそうだった。

「3回生の時の文化祭の企画で、一緒に有名どころの日本歌曲を何曲か歌ったんだ」

 篠原は目を伏せたまま、ぽつぽつと話した。その時かなり歌いこんだのではないかと三喜雄は想像する。だからきっと、篠原の歌は日本語がきれいなのだ。

「歌の練習は、夏休みが終わる前から始めたんだったかな……森山は後期授業が始まってすぐの頃から、時々頭が痛いって言ってたんだけど、少なくとも俺はそれを深刻に受け止めてなかった」

 篠原は言葉を切る。三喜雄が黙って聞いていると、彼はコーヒーをひと口飲み、溜め息をついた。

「文化祭の練習で俺が無理させたから……本番が終わって1週間後に……」

 森山が朝起きてこないので、母親が部屋に行ったら、布団の中で冷たくなっていたのだという。
 検死の結果、森山の脳内に出血が見つかった。篠原は呆然としたまま声楽科の同級生と弔問に訪れ、物言わぬ森山と対面した。彼の頭には包帯が巻かれていたが、顔は穏やかで美しく、痛みに苦しんだような痕跡は見られなかった。そのことだけが救いだった。

「信じられないよな、前の日に普通にバイバイって電車で別れてるんだぜ」

 三喜雄も一昨年の秋、母方の祖父を見送っていた。10月に本選がおこなわれた声楽コンクールで入選し、その報告をした直後だったので、もしかしたら森山の死と時期が近かったかもしれない。
 三喜雄の祖父は80に手が届いていて、入院が決まった時にはもう、長くないことがわかっていた。それでもやはり、いつも自分の歌を聴きに来てくれた祖父が息を引き取った時はショックだった。だから、一緒に歌っていた同い年の友人がいきなり逝ったと聞かされて、篠原がどれだけ衝撃を受けただろうかと思うと、三喜雄は何とも言えない気持ちになる。

「先週の日曜、三回忌の法要だったんだ……あの頃森山と一番長い時間一緒にいた俺が、病院に行って来いってひと言でも言ってたら……」

 篠原は諦めたように淡々と語る。しかし、事実を受け止められないまま友人を見送り、2年しか経たないのだから、心の中が整理できているはずがなかった。
 だから先月、無理をするなとあんなに俺に言ったのか。
 思い当たった三喜雄は、篠原に胸が痛くなるほど同情し、早逝した見知らぬバリトン歌手を思って、悲しくなった。

「今回『恋するくじら』をもらった時、めちゃ複雑な気持ちになったんだ」

 篠原はコーヒーの缶を両手で包んで、ちらっと窓の外を見る。

「でも片山くんと歌ってると楽しいから、頑張ろうって思うようになった……今日は調子はめちゃいいんだけど、森山と歌ったらどんな感じになったかなあって、途中から何だかそればっかり頭の中ぐるぐるして……だんだん、自分だけが元気で歌ってることが申し訳なくなってきて、我慢できなくなって」
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