レターレ・カンターレ

穂祥 舞

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8 本番の前

8-③

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 ハンドベルのリハーサルは終わってしまっていた。全く聴けなかったのが三喜雄は残念だったが、中学生たちはベルをてきぱきとケースに片づけ、赤いケープを水色や白いマントに替えた。頭にお手製の海の生きものの面をかぶると、辻井の指示でいろいろな場所に散り始める。サンゴと海藻らしい2人の女の子は、舞台の上手の隅ぎりぎりに丸椅子を置き、腰を下ろした。

「わ、舞台の上に乗ってくるの?」

 思わずといったように篠原が言うと、牧野がやってきて説明した。

「ここに2人、あと8人は客席のあいだに紛れ込んでもらいます……みんなには基本的に楽しんで観てと言ってるんだけど、あなたたちの歌に合わせて、たまにちょこっと動くかも……余裕があったら反応してあげて」
「えーっ! そんなことゲネプロで言います?」

 篠原は困惑気味だったが、三喜雄は面白いと思った。

「俺たちがずっと反応したらお客さんが歌に集中できないから、基本歌ってない時に……」

 三喜雄が一応楽譜を開いてチェックすると、篠原が苦笑した。

「片山くんはアドリブ演出強いな、オペラやれよ」
「それとこれとは別だって……牧野先生、あれをお借りして、ピアノの傍に俺たちのジャケット掛けとくのは変ですか? シャツのほうが動きやすいって話してて」

 牧野は三喜雄が指さした、部屋の隅のパイプハンガーを見て軽く頷いた。

「いいんじゃないかな、今回大道具全然無いものね」

 職員は、こんなものでいいのかと言いたそうだったが、すぐにそれを舞台上に持ってきてくれた。
 三喜雄は自分の考えた段取りを、辻井も併せて3人に説明する。

「213小節目でいるかとくじらが握手してから、くじらは捌ける前に着ます……いるかはPiu mosso になってからゆっくり着て紙とペンを出しても、歌の入りに十分間に合うんじゃないかと思います」

 ピアノの横のハンガーにぶら下がったシルバーと黒のジャケットは、見栄え的にも悪くない。辻井は異議を口にせず、音楽の尺が合うかどうか試してみるよう指示した。
 牧野がすぐにその箇所を弾き始めて、まず三喜雄が篠原に手伝ってもらいながらジャケットに腕を通す。バラの花を再度篠原から受け取り、ゆっくりと下手に向かった。職員たちの興味津々の視線を浴びると、まだ完全に本番モードに入っていないので、ちょっと恥ずかしい。
 舞台に残り三喜雄を見送っていた篠原も、音楽に合わせてゆったりと、ジャケットをハンガーから取った。三喜雄は彼の所作に無駄が無いのを感心しながら見る。篠原が内ポケットから紙とペンを出した時、牧野が伴奏の手を止めないまま言った。

「篠原くん、ここからのソロでこないだちょっとテンポがブレたでしょ? このまま歌ってみて」
「あ、はい」

 篠原はすぐに牧野に応じて、ソロを歌い始めた。客席で見つめる中学生たちの視線が、すらりとした立ち姿のテノール歌手に注がれる。三喜雄も客席から見てみたくて、そっとそちらに向かうと、辻井がちょいちょいと手招きした。

「ジャケットを着ることで、これから2人がフォーマルな場所に出る感じがするね」

 篠原の澄んだ声が響く中、辻井が小さく言った。三喜雄はそこまで考えていなかったが、そういう解釈ができるなら、とてもいいと思う。ここでくじらといるかの関係性が、これまでとは少し変わるのだ。自分と篠原のあいだに、この2か月半で何かがうまれたように。
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