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11 風雪
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2社合同の新年会は、品川のやや大崎寄りの隠れ家的な居酒屋で開催された。明るい個室で、靴を脱いで座敷に上がるが掘り炬燵状という、寛げる設えである。
乾杯の後でウィルウィンの木許社長は、自分の会社に近い場所に決めたことを詫びた。晴也はともかく、営業の者たちにとっては庭のような場所なので、いえいえ、とのっけから和やかなムードである。
あちらからインドネシア出身の女性社員アガタが参加するというので、晴也はウィルウィンの持ち込んだ菓子のアンケートをきっちり集計してくれた、総務課の天河を誘った。彼女は総務課長も一目置くベテランで、結婚と出産を経て現在は契約社員だが、正社員のままで勤めていればきっと管理職もこなしただろうと、少なくとも晴也は思っている。
ところが晴也が男女比を考慮したのを裏切るかのように、あちらからもう一人参加したのは、女性の営業社員だった。彼女……物集は会社の立ち上げの時に新卒で入社して、晶の教育も担当したという。年齢は晴也と変わらないがこちらもベテランだ。
料理や酒のオーダーは晴也と晶で仕切ることにした。晶は予告通り、晴也を自分と向かい合わせにしてテーブルの隅に座らせ、晴也の隣にアガタを配置し、早川を個室の上座、木許の横に詰め込んだ。相互の交流を深めると言いつつ、合コン並みの気遣いと自分の思惑を席順に折り込む晶に、晴也は苦笑した。
8人という参加者数や、女性が3人いることは、飲み会嫌いの晴也の気を楽にした。日本語が上手なアガタは、実は、と言いながら小さく晴也に言った。
「初めてそちらにお邪魔した時、紅茶を出していただいて嬉しかったです」
「日本茶はあまりお好きでないと吉岡さんから後で聞きました、良かったです」
彼女の故郷はジャカルタ、つまり都会っ子だが、祖父母がバリ島にいるという。美しい写真が沢山載った会社のカレンダーには、彼女の撮ったバリの夕景もあった。
晶の横に座る天河が弾んだ声で話す。
「私、新婚旅行と結婚して3年目にバリに行きました、大好きな場所です……子どもに手がかからなくなったらまた絶対行きたい」
アガタは人懐っこい笑顔を見せた。
「その時には声をかけてください、良いホテルやお店をリサーチします」
「わぁ、嬉しい」
女性たちは盛り上がる。奥の席の面々も仕事の話が弾んでいる様子で、晴也はホッとする。料理はひと通り頼んであったので、晴也は皆のグラスを気にするだけで良かった。
自分の受け持つ他社がウィルウィンと形態が似ているという話を早川が始めて、晴也も皆と一緒にそちらに気を向けていると、左足に何かがこつんと当たった。びっくりして椅子の上でぴくりとなると、晶がこちらを見てにやにやしている。
何だよ馬鹿、蹴るな。晴也は嫌な目線を彼に送ったが、晶は両足で晴也の左の足首を挟んできた。そのままぷらぷらと脚を揺らす。……何やってんだ、てめぇは! 晴也は晶を睨みつけたが、彼は眼鏡の奥の目を面白そうに細めただけで、やめる素振りもない。
お陰で早川が何の話をしているのか、少しもわからなかった。テーブルの隅の2人が自分の話を聞いていなかったのに気づいたのかそうでないのか、やや酔いに任せるような口調で、早川がそうだ、と言う。
「面白い動画を見つけたんですよ、今日絶対吉岡さんと福原に見てもらおうと思って」
晴也は一気に嫌な予感に囚われた。晶は無邪気に何ですか、などと応じる。
早川が鞄からタブレットを引っ張り出した。皆が注目する中、その画面に映し出されたのは、YouTubeの投稿動画だった。「クリスマスの渋谷にすげぇダンサー現る(ガチタップお楽しみください)」というタイトルを見て、晴也は危うく叫びそうになる。
スクランブル交差点のざわめきのなか、何? とか、あーすごぉいといった声が入る。真ん中に軽やかに踊る男が映り、周りがおおっ、と言いながら手拍子を始めた。あの夜の映像に間違いなかった。
「わぁ、素敵! アキラに似てるね、この彼」
アガタが楽しげに晶に言った。晶はえーっ、と笑う辺り余裕である。
「ほんとだ、吉岡さんにそっくり」
崎岡も笑う。画像は信号が点滅して、男のタップダンスを見ていた人たちが一斉に動き始めた様子を映す。男は首を動かし、手を伸ばした。その手を取った女は肩からいくつか袋を下げている。そして2人して軽やかに交差点を走り去っていくのを、画面は見送っていた。
早川は面白そうに皆に言った。
「この彼女、何となく福原に似てません?」
「確かに……でも女性ですよね? 2人ともミュージカルの俳優さんか何かっぽいですね、プロモビデオの撮影とか?」
天河が笑いながら応じたが、晴也は笑顔を貼り付けるのが精一杯だった。崎岡が訊いてくる。
「福原は女きょうだいいたよなあ?」
「あ、はい、姉と妹が……」
晴也は崎岡の言いたいことを察して、答えた。
「うちの姉は既婚者ですし、妹がダンサーとつき合ってるとは聞いてません」
晶はやはり演技者だった。晴也をフォローしながら笑いを取りにかかる。
「私こういうこと初めてじゃないんです、生き霊が出没するみたいで」
晴也以外の全員が爆笑した。物集はあらでも、と思いついたように言う。
「吉岡くん踊ってたことあるんだよね?」
「学生時代ですよ」
「そっか、それにあなた眼鏡無いと動けないよね」
またテーブルが笑いに包まれる。晴也はごまかせたようだと思い、胸を撫でおろした。ふと目を上げると、早川が探るような視線をこちらに向けていた。ぎょっとしたのを悟られないよう静かに視界を横に移すと、言葉を挟まない木許が何とも言えない微笑を浮かべていた。
社長さん、知ってるのか。晴也は直感する。ある意味当たり前だ。ウィルウィンの人事システムがどんなものなのかは知らないが、小さな会社だから採用面接を社長自らしていてもおかしくない。膝を痛めて傷心していることを知っていて、晶を社員として受け入れたのではないか。
また晶が爪先で晴也の足首を突いてきた。目だけで彼を見ると、大丈夫、と言いたげに、彼は微かに頷いた。晴也も大丈夫だと自分に言い聞かせる。……しかし! 言わないことじゃない、スクランブル交差点で踊るなんて、誰の目があるかわからないのに。やはり説諭せねばなるまい。晴也は鼻から息を抜いた。
遅い目の新年会は和やかにお開きになった。家庭のあるメンバーもいるので、すぐに解散した。木許の気遣いの手前、あまり飲めなかったが、晴也はそこそこ楽しかった飲み会に満足していた。
乾杯の後でウィルウィンの木許社長は、自分の会社に近い場所に決めたことを詫びた。晴也はともかく、営業の者たちにとっては庭のような場所なので、いえいえ、とのっけから和やかなムードである。
あちらからインドネシア出身の女性社員アガタが参加するというので、晴也はウィルウィンの持ち込んだ菓子のアンケートをきっちり集計してくれた、総務課の天河を誘った。彼女は総務課長も一目置くベテランで、結婚と出産を経て現在は契約社員だが、正社員のままで勤めていればきっと管理職もこなしただろうと、少なくとも晴也は思っている。
ところが晴也が男女比を考慮したのを裏切るかのように、あちらからもう一人参加したのは、女性の営業社員だった。彼女……物集は会社の立ち上げの時に新卒で入社して、晶の教育も担当したという。年齢は晴也と変わらないがこちらもベテランだ。
料理や酒のオーダーは晴也と晶で仕切ることにした。晶は予告通り、晴也を自分と向かい合わせにしてテーブルの隅に座らせ、晴也の隣にアガタを配置し、早川を個室の上座、木許の横に詰め込んだ。相互の交流を深めると言いつつ、合コン並みの気遣いと自分の思惑を席順に折り込む晶に、晴也は苦笑した。
8人という参加者数や、女性が3人いることは、飲み会嫌いの晴也の気を楽にした。日本語が上手なアガタは、実は、と言いながら小さく晴也に言った。
「初めてそちらにお邪魔した時、紅茶を出していただいて嬉しかったです」
「日本茶はあまりお好きでないと吉岡さんから後で聞きました、良かったです」
彼女の故郷はジャカルタ、つまり都会っ子だが、祖父母がバリ島にいるという。美しい写真が沢山載った会社のカレンダーには、彼女の撮ったバリの夕景もあった。
晶の横に座る天河が弾んだ声で話す。
「私、新婚旅行と結婚して3年目にバリに行きました、大好きな場所です……子どもに手がかからなくなったらまた絶対行きたい」
アガタは人懐っこい笑顔を見せた。
「その時には声をかけてください、良いホテルやお店をリサーチします」
「わぁ、嬉しい」
女性たちは盛り上がる。奥の席の面々も仕事の話が弾んでいる様子で、晴也はホッとする。料理はひと通り頼んであったので、晴也は皆のグラスを気にするだけで良かった。
自分の受け持つ他社がウィルウィンと形態が似ているという話を早川が始めて、晴也も皆と一緒にそちらに気を向けていると、左足に何かがこつんと当たった。びっくりして椅子の上でぴくりとなると、晶がこちらを見てにやにやしている。
何だよ馬鹿、蹴るな。晴也は嫌な目線を彼に送ったが、晶は両足で晴也の左の足首を挟んできた。そのままぷらぷらと脚を揺らす。……何やってんだ、てめぇは! 晴也は晶を睨みつけたが、彼は眼鏡の奥の目を面白そうに細めただけで、やめる素振りもない。
お陰で早川が何の話をしているのか、少しもわからなかった。テーブルの隅の2人が自分の話を聞いていなかったのに気づいたのかそうでないのか、やや酔いに任せるような口調で、早川がそうだ、と言う。
「面白い動画を見つけたんですよ、今日絶対吉岡さんと福原に見てもらおうと思って」
晴也は一気に嫌な予感に囚われた。晶は無邪気に何ですか、などと応じる。
早川が鞄からタブレットを引っ張り出した。皆が注目する中、その画面に映し出されたのは、YouTubeの投稿動画だった。「クリスマスの渋谷にすげぇダンサー現る(ガチタップお楽しみください)」というタイトルを見て、晴也は危うく叫びそうになる。
スクランブル交差点のざわめきのなか、何? とか、あーすごぉいといった声が入る。真ん中に軽やかに踊る男が映り、周りがおおっ、と言いながら手拍子を始めた。あの夜の映像に間違いなかった。
「わぁ、素敵! アキラに似てるね、この彼」
アガタが楽しげに晶に言った。晶はえーっ、と笑う辺り余裕である。
「ほんとだ、吉岡さんにそっくり」
崎岡も笑う。画像は信号が点滅して、男のタップダンスを見ていた人たちが一斉に動き始めた様子を映す。男は首を動かし、手を伸ばした。その手を取った女は肩からいくつか袋を下げている。そして2人して軽やかに交差点を走り去っていくのを、画面は見送っていた。
早川は面白そうに皆に言った。
「この彼女、何となく福原に似てません?」
「確かに……でも女性ですよね? 2人ともミュージカルの俳優さんか何かっぽいですね、プロモビデオの撮影とか?」
天河が笑いながら応じたが、晴也は笑顔を貼り付けるのが精一杯だった。崎岡が訊いてくる。
「福原は女きょうだいいたよなあ?」
「あ、はい、姉と妹が……」
晴也は崎岡の言いたいことを察して、答えた。
「うちの姉は既婚者ですし、妹がダンサーとつき合ってるとは聞いてません」
晶はやはり演技者だった。晴也をフォローしながら笑いを取りにかかる。
「私こういうこと初めてじゃないんです、生き霊が出没するみたいで」
晴也以外の全員が爆笑した。物集はあらでも、と思いついたように言う。
「吉岡くん踊ってたことあるんだよね?」
「学生時代ですよ」
「そっか、それにあなた眼鏡無いと動けないよね」
またテーブルが笑いに包まれる。晴也はごまかせたようだと思い、胸を撫でおろした。ふと目を上げると、早川が探るような視線をこちらに向けていた。ぎょっとしたのを悟られないよう静かに視界を横に移すと、言葉を挟まない木許が何とも言えない微笑を浮かべていた。
社長さん、知ってるのか。晴也は直感する。ある意味当たり前だ。ウィルウィンの人事システムがどんなものなのかは知らないが、小さな会社だから採用面接を社長自らしていてもおかしくない。膝を痛めて傷心していることを知っていて、晶を社員として受け入れたのではないか。
また晶が爪先で晴也の足首を突いてきた。目だけで彼を見ると、大丈夫、と言いたげに、彼は微かに頷いた。晴也も大丈夫だと自分に言い聞かせる。……しかし! 言わないことじゃない、スクランブル交差点で踊るなんて、誰の目があるかわからないのに。やはり説諭せねばなるまい。晴也は鼻から息を抜いた。
遅い目の新年会は和やかにお開きになった。家庭のあるメンバーもいるので、すぐに解散した。木許の気遣いの手前、あまり飲めなかったが、晴也はそこそこ楽しかった飲み会に満足していた。
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