出来心、あるいは、必然。~デキる年下同僚を買ってしまった件~

穂祥 舞

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3 初めての朝

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 晃嗣は顔を洗い、小さなカミソリに悪戦苦闘して、髭を剃った。急に朔の部屋に泊まることになり、歯ブラシとシャツとパンツ、それに靴下は入手したが、カミソリに思いが至らなかった。朔が、出張に行った時にホテルから持って帰ってきたやつがあるはず、と言いながら、洗面所を探してくれたのだった。
 朔は朝になってもつるんとした顎をしていた。髭が薄いのだなと思ったが(朔は体毛も薄いほうである)、脱毛していると聞いて驚く。

「ディレット・マルティールに復帰した時に勧められたんだ、楽ちんだよ」

 朔はそう言って晃嗣にも髭脱毛を勧めてくる。晃嗣はうーん、と唸った。

「レーザーで1本1本処理するんだろ?」
「うん、パチン! って音がしてたまにめちゃくちゃ痛い」

 病院嫌いの朔が、そんな苦行に耐えたとは。晃嗣は驚かされてばかりだ。

「今はもっと、楽できれいにできるよう進化してるんじゃないかな」
「男も美容整形で脱毛かぁ……」

 晃嗣は呟きながら、紅茶の入ったマグカップを手で包んだ。朔はただのバタートーストを、やけに美味しそうに食べている。まだお互い、スウェット姿のままだった。
 朔は器用にキウイフルーツの皮を剥いて、小さくカットしヨーグルトに入れてくれた。キウイはアレルギーを持つ人は注意すべき果物だが、朔は大丈夫だと言った。

「こうちゃんに心配して貰える俺って幸せ者」

 朔はうっとりしながら言う。当たり前だろうと晃嗣は思うが、朔の色っぽい表情に幻惑されそうだった。明け方のあれこれを頭の中から締め出そうとする晃嗣の努力を、踏みにじるかのようである。

「晃嗣さん、そんな見つめないで……」

 見つめているつもりは無かった。晃嗣は突っ込みたかったが、朔がふわっと頬を染め、きれいな形の目にとろけた光を浮かべるので、どきまぎしてしまう。
 こいつ本当にきれいな顔してるんだな。晃嗣は自分が面食いだとは思わないが、朔のそんな表情は、毒になるレベルで眼福だった。

「こうちゃん赤くなってる、可愛い」

 朔に言われて、晃嗣は背筋を伸ばした。

「朔さんこそ……そんな目で俺を見ないでくれ」
「えーっ、見ちゃうよ、4時間前のエロい姿はどこに引っ込んだのかなぁって……」

 晃嗣の心臓が、意思に反してどきどき鳴り始める。あんな気持ちのいい経験は、初めてだった。互いの性器を擦り合わせるという行為は、何処となく背徳的で淫靡だった。きっと、相手が朔でなければ、する気にはなれなかっただろう。
 朔はヨーグルトのスプーンを手にして、言った。

「今夜仕事が終わったあとにまた来てよ、クリスマスだから」

 晃嗣は一瞬首を縦に振りかけたが、強い意志でもって駄目だよ、と答えた。明け方の快感を身体が思い出しそうになっていたので、結構辛かった。

「朔さん今夜指名多いんだろ? 疲れるだろうからゆっくり休んだほうがいい」

 朔の唇が尖った。可愛らしいから困る。

「言うと思った」

 そんな言葉に、随分と朔に自分のことを読まれているなと思う。

「俺が来たらいろんな意味で休まらない」
「こうちゃんとエッチなことするのは、俺的にはむしろ活力源だけどな……」

 もちろん晃嗣だって、朔と触れ合うのは嬉しいし楽しい。今だって照れておとなしくしているが、朔を抱きしめてキスしたい。さっくんが俺の恋人になってくれたと叫びながら、外を走り回りたいくらいである。
 晃嗣は少し考えて、若い彼氏に提案してみる。

「じゃあ朔さんの仕事が終わってから、リモート通話しないか? お互いにケーキを買って一緒に食べよう」

 晃嗣はキウイとヨーグルトをスプーンで掬った。ヨーグルトを口にした朔も、ふんふんと頷く。

「でも余計切なくなりそう……」
「お互い大人なんだから、切ないのも楽しめるようにしたくないか?」

 揺れる気持ちを抑えつつ、晃嗣は朔を説得する。朔の副業は重労働だ。疲れているのに彼の時間を奪うのは申し訳ないし、彼が自分と会うことばかりを気にして、注意力散漫な仕事をするようなことになってはいけない。
 朔はあくまでも残念そうに言った。

「じゃあせめて、同じケーキを食べることにしようよ……晃嗣さんを送る時に駅前のケーキ屋さんに寄って、選ぼう」
「うん、わかった」

 晃嗣が応じると、朔は腰を浮かせて、顔を近づけてきた。驚く間もなく、朔の唇が晃嗣のそれを包み込む。どきりとしつつも、唇の力を緩めると、朔は晃嗣の下唇を軽く挟んで吸った。微かに甘酸っぱさを感じた。
 名残惜しげに唇を離して、朔はぽそっと言った。

「変にお堅い晃嗣さんも好きなんだけど、もっと俺に溺れてほしいなあ……」

 どうなることを溺れると言うのだろう。晃嗣としては、自分が朔に夢中だと思っているので、ちょっと困惑した。

「……俺は朔さんが好きだよ、明け方言ったのは、流された訳でも浮ついた訳でもないよ」

 口にして、顔が熱くなった。朔は目を見開き、ややだらしない笑顔になる。
 朔はわかっていない、と思う。こんな朝は人生で初めてだから、晃嗣もどう振る舞えばいいのか、本当にわからないということを。理性の切れ端にしがみついていないと、熱い激流に全てが押し流されそうだから、もっともらしいことを言って自分を律しているのに。
 好きな人に思いが通じると、きらきらしたものが身体中に溢れて、それが口からこぼれると幸せという言葉では足りなくなって、甚だ困惑する。でもその反面、このきらきらしたものを、朔がずっと受け止めてくれるのかどうかも心配で……。
 朔さんのそばにいると、俺はどんどん俺でなくなっていく。晃嗣は30を過ぎて初めて知った思いに、振り回されてしまう。でもそれは決して不快ではなく、むしろわくわくするものなのだった。
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