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春の憧れ
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俺の自宅の裏の筋に住む仲良しのお兄さんが、社会人になった。
お兄さんが大学生の頃は、特に朝は全然顔を見なかったのに、今年の4月に入ってから、俺の通学時間に家から出てくるようになった。高校にチャリンコで通う俺が角を曲がると、お兄さんが3軒奥の家の門からちょうど出てくるのだ。
「おはよう」
初めてお兄さんがスーツ姿で俺に声をかけてきたとき、本当にびっくりした。俺の知る限り、彼は中学生くらいからずっと陸上の長距離走を続けている。だから大学生になっても、下はジーンズのラフな姿か、今すぐにでも走れそうな恰好をしているのしか見たことなかったからだ。
「あ、おはよう」
そう返した俺の声は、自分でもわかるくらい、最初はぎこちなかった。髪もさっぱりと整えたお兄さんのイメチェン具合が凄まじく、敬語でないとやばいかな、と一瞬思った。そもそも、幾らご近所で、幼馴染と呼んでもいいくらいだからって、5歳年上の人に今までタメ口だったほうがおかしいのかもしれない。
住宅街を抜けて大きな道に出るまで、ほんの300メートルほどだが、俺は自転車を押して歩き、お兄さんと他愛無い話をする。車通りに出たところで、俺たちは左右に分かれて、俺は高校に、彼は駅に向かうのだ。
その朝も、俺たちは世間話をしていた。
「やっちゃんも3年か、受験準備だなぁ」
お兄さんに言われて、そうだよ、と俺はうんざりしながら応じた。
「お兄さんって大学は陸上推薦だった?」
「違うぞ、そこまで速くなかった」
「そうなの? でもちゃんと勉強したんだ、その方がすごい」
俺の話に、お兄さんは小さく笑った。ちなみにお兄さんは、俺の高校の卒業生だ。
「普通に勉強してたら、あまり高望みさえしなけりゃどこか合格できるよ」
「えーっ、何その余裕の発言……」
たぶん高校時代のお兄さんは、今の俺より成績が良かったのではないかと思う。受験の話なんかつまらないので、俺は話題を変えた。
「スーツかっこいいな、何げにネクタイ毎日替えてるし」
お兄さんは照れ笑いのような顔になった。
「ネクタイチェックしてるのかよ、パートのおばちゃんみたいだな」
「だって制服のネクタイは毎日一緒だから」
確かに、と言って笑い合う。俺は右に並ぶお兄さんを見た。
「俺もあと何年かしたら、スーツ着てお兄さんと満員電車に揺られて通勤するのかなぁ」
だったらいいなと思った。まあ、その前に大学生活は人並みに過ごしたいけれど。
「やっちゃんが社会人になる頃に、一緒に通勤できるかな?」
お兄さんの含みのある言い方に、どうして? と俺は思わず返した。彼は少し真面目な顔になる。
「転勤してるかもしれないし、スーツを着ない会社に転職してるかもしれないだろ?」
俺は彼の返事に勝手にほっとしていた。結婚して家を出るかもしれない、と言わなかったからだ。俺的には、一番お兄さんと会えなくなりそう度が高いシチュエーションは考えたくない。
「やっちゃんがそんなこと考える年齢になったんだなぁ」
俺とお兄さんのつき合いは長い。俺が小学校に入学した時、集団登校のリーダーがお兄さんだった。不安の中で、手を繋いで学校に連れて行ってくれたのが嬉しかった。妹しかいない俺にとって、お兄さんは本当の兄のようであり続けてくれた。
「俺はやっちゃんが高校生になった時、当たり前なのに、俺の高校時代と同じ制服着てるって、何か嬉しくなった」
そんなことを聞いたのは初めてで、今度は俺のほうが照れた。
大通りに出たので、俺は自転車のサドルに跨る。お兄さんはじゃあな、と言って、駅に向かう人の波に紛れていった。俺はしばらく、スーツの凛々しい背中を見送る。
歩道の傍の沢山のつつじの蕾が、膨らんでいた。
*初出 2024.4.13 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「イメチェン」「スーツ」
どこの子たちか特に決めずに書いたものです。ラブ味うっすいですね、たぶんわざとですけれど。たしか誰かと、「男って結構身近な同性に憧れたりして、それを恥ずかしげもなく口に出すよな笑」などと話していて、それを記憶に残したまま書いたような気がします。
女性は「憧れ」の対象が、結構距離の離れた場所にいることが多い気がします。たまに私、男性が「○○さんって憧れるわぁ」と口にするとき、驚くのです。えっ、そんな近場の人なんですか? みたいな……。もちろんそれはそれで、とても良いことだと思います。
お兄さんが大学生の頃は、特に朝は全然顔を見なかったのに、今年の4月に入ってから、俺の通学時間に家から出てくるようになった。高校にチャリンコで通う俺が角を曲がると、お兄さんが3軒奥の家の門からちょうど出てくるのだ。
「おはよう」
初めてお兄さんがスーツ姿で俺に声をかけてきたとき、本当にびっくりした。俺の知る限り、彼は中学生くらいからずっと陸上の長距離走を続けている。だから大学生になっても、下はジーンズのラフな姿か、今すぐにでも走れそうな恰好をしているのしか見たことなかったからだ。
「あ、おはよう」
そう返した俺の声は、自分でもわかるくらい、最初はぎこちなかった。髪もさっぱりと整えたお兄さんのイメチェン具合が凄まじく、敬語でないとやばいかな、と一瞬思った。そもそも、幾らご近所で、幼馴染と呼んでもいいくらいだからって、5歳年上の人に今までタメ口だったほうがおかしいのかもしれない。
住宅街を抜けて大きな道に出るまで、ほんの300メートルほどだが、俺は自転車を押して歩き、お兄さんと他愛無い話をする。車通りに出たところで、俺たちは左右に分かれて、俺は高校に、彼は駅に向かうのだ。
その朝も、俺たちは世間話をしていた。
「やっちゃんも3年か、受験準備だなぁ」
お兄さんに言われて、そうだよ、と俺はうんざりしながら応じた。
「お兄さんって大学は陸上推薦だった?」
「違うぞ、そこまで速くなかった」
「そうなの? でもちゃんと勉強したんだ、その方がすごい」
俺の話に、お兄さんは小さく笑った。ちなみにお兄さんは、俺の高校の卒業生だ。
「普通に勉強してたら、あまり高望みさえしなけりゃどこか合格できるよ」
「えーっ、何その余裕の発言……」
たぶん高校時代のお兄さんは、今の俺より成績が良かったのではないかと思う。受験の話なんかつまらないので、俺は話題を変えた。
「スーツかっこいいな、何げにネクタイ毎日替えてるし」
お兄さんは照れ笑いのような顔になった。
「ネクタイチェックしてるのかよ、パートのおばちゃんみたいだな」
「だって制服のネクタイは毎日一緒だから」
確かに、と言って笑い合う。俺は右に並ぶお兄さんを見た。
「俺もあと何年かしたら、スーツ着てお兄さんと満員電車に揺られて通勤するのかなぁ」
だったらいいなと思った。まあ、その前に大学生活は人並みに過ごしたいけれど。
「やっちゃんが社会人になる頃に、一緒に通勤できるかな?」
お兄さんの含みのある言い方に、どうして? と俺は思わず返した。彼は少し真面目な顔になる。
「転勤してるかもしれないし、スーツを着ない会社に転職してるかもしれないだろ?」
俺は彼の返事に勝手にほっとしていた。結婚して家を出るかもしれない、と言わなかったからだ。俺的には、一番お兄さんと会えなくなりそう度が高いシチュエーションは考えたくない。
「やっちゃんがそんなこと考える年齢になったんだなぁ」
俺とお兄さんのつき合いは長い。俺が小学校に入学した時、集団登校のリーダーがお兄さんだった。不安の中で、手を繋いで学校に連れて行ってくれたのが嬉しかった。妹しかいない俺にとって、お兄さんは本当の兄のようであり続けてくれた。
「俺はやっちゃんが高校生になった時、当たり前なのに、俺の高校時代と同じ制服着てるって、何か嬉しくなった」
そんなことを聞いたのは初めてで、今度は俺のほうが照れた。
大通りに出たので、俺は自転車のサドルに跨る。お兄さんはじゃあな、と言って、駅に向かう人の波に紛れていった。俺はしばらく、スーツの凛々しい背中を見送る。
歩道の傍の沢山のつつじの蕾が、膨らんでいた。
*初出 2024.4.13 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「イメチェン」「スーツ」
どこの子たちか特に決めずに書いたものです。ラブ味うっすいですね、たぶんわざとですけれど。たしか誰かと、「男って結構身近な同性に憧れたりして、それを恥ずかしげもなく口に出すよな笑」などと話していて、それを記憶に残したまま書いたような気がします。
女性は「憧れ」の対象が、結構距離の離れた場所にいることが多い気がします。たまに私、男性が「○○さんって憧れるわぁ」と口にするとき、驚くのです。えっ、そんな近場の人なんですか? みたいな……。もちろんそれはそれで、とても良いことだと思います。
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人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。
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