ほさちのBL小品詰め合わせ

穂祥 舞

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むしさされ、あかくかなしき

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 帰宅が遅くなったので三喜雄に先に風呂を使ってもらい、一旦おやすみを言った。しかし私が風呂から出ると、三喜雄はリビングのソファに座って、小さな声で歌っていた。

 「『いれぼくろ、あおくかなしき』」

 四分の三拍子のゆったりとした、日本の曲らしかった。三喜雄はバリトンだが、高い音でもふわりとした響きで歌う。こんな時間なので小声だけれど、きちんと歌えばうっとりするようなメロディになるに違いない。 

「『ほたるとし、みゆるよもあり』……」

 三喜雄は歌いながら、首の後ろに手をやった。そして、Tシャツから伸びたうなじを掻いた。 

「『さばえとし、みゆるよもあり』」

 彼は声を響かせつつ、うなじを中指で触り続ける。歌詞が古風な日本語なので、意味がわからないせいもあるのか、彼の指の動きに目が行って仕方がない。 

「三喜雄、首がどうかしましたか」

 歌声が止まったので、私は声をかけた。三喜雄は驚いたように振り返る。 

「ごめんなさいノアさん、うるさいですね」 
「いえ、歌はいいんだけど、何を気にしてるのかなと思って」 

 私の言葉に、三喜雄は眉の裾を下げた。 

「首の後ろがすごく痒くて」
「え? あっ……」 

 私は三喜雄の背後に近寄り、生え際の少し下に赤い痕があるのを見つけた。案外白いうなじが、やや私の胸の中をざわめかせたが、赤さが目立って痛々しい。掻いてしまったからだろう、膨らんでいるのがよくわかる。 

「蚊に刺されてますね」 

 三喜雄は首の後ろをぱっと手で押さえた。私がじろじろ見ているのも、気になったのかもしれなかった。 

「今日音楽室で、蚊が飛んでるって中学生が騒いでたんです……まさか俺がやられたとは」 

 職場で授業中に刺されたらしかった。私は少し可笑しくなりながら、虫刺されの薬を取りに戸棚に向かった。 

「今歌っていた歌は、どんな意味なんですか?」

 私が薬を出しながら訊くと、三喜雄の答えは私の想像をちょっと逸れていた。 

「入れ黒子……黒子の刺青をうなじにほどこしてる女性に、恋をしている男の歌です」 

 私はそれを聞いて、ロココの時代の宮廷の女性たちが、口元や目尻に付け黒子をして、セクシーさを演出したことを思い出した。 

「そんな女性が日本にもいるんですか」 
「うーん、たぶん水商売系の人でしょうね」 
「なるほど、男性が振り回されてそうですね……薬を塗るからじっとして」 

 私は三喜雄が自分でやりますと言わないよう、先制した。指先に白い軟膏を出して患部に近づけると、三喜雄は楽譜を閉じてじっとしていた。 

「すみません、こんなことさせて」 
「いえいえ、後ろだと見えないからね」 

 とはいえ私が手当てすることも無いのだが。私はぷくっと膨らんだ場所に、人差し指で薬を塗り込む。そこは少し熱を持っていた。 

「その入れ黒子が、蛍に見える夜もあれば、青蠅に見える夜もあるって歌ってます」 
「へぇ……蛍と蠅はやっぱり対照的な意味合いですか?」
「そうですね、たぶん清らかに思えたり汚らわしく思えたりって感じだと思います」

 三喜雄の説明を聞きながら、彼のうなじの虫刺されの痕は、恥ずかし気に自己主張するミニバラの花びらみたいだと私は思った。すると彼は、突然歌い出した。 

「『虫刺され、赤く悲しき』」 

 さっきの歌のパロディだった。三喜雄の声帯の震えが、うなじに触っている私の指先にも微かに伝わる。 

「……って感じですよね、俺の場合」 

 言われて、私は笑ってしまった。何と色気の無いことか。三喜雄も笑い、うなじが揺れた。
 ひどく楽しい風呂上がりの時間になったので、私は三喜雄の勤務先で飛んでいる蚊たちに、毎日彼のうなじを刺してくれと頼んでしまいそうだった。


⭐︎挿入歌 「入墨子(いれぼくろ)」(作詞/大木惇夫 作曲/別宮貞雄)  


*初出 2025.6.21 #創作BL版深夜の60分一本勝負 お題「虫刺され」「痕」
 この歌は、別宮貞夫の「淡彩抄」という歌曲集の中の1曲で、入墨子青く悲しきなどと言いつつ、割と優雅な雰囲気の歌です。歌曲集の全てが、何となくミステリアスな女に男が片恋をしているシチュエーション(物語はたぶん繋がっていません)で、「入墨子」などは、花魁に金を出して会っている「ぬしさん」っぽい男性が語り手のような気がします。
 『恋する鳥刺し』で、三喜雄が実質ノアに囲われていることなど、いろいろな連想の集まりが、こんなお話になったという感じです。ノアは虫刺されの痕にキスするよりも、たぶんいじいじ触るほうが好きなんですね……。
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