そういうシステム

火消茶腕

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そういうシステム

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「オナゴは船には乗れん。あっちに行ってみなされ」
 渡し船に乗り込もうとした私に、船着場の前にいた老爺と老婆が言った。
「あっち?」
 私は老婆が指さした方を見る。その辺りには女性だけが固まって皆が川の向こう岸を見ている。
 私は言われるままにその集団に近付いて行った。

「あの~、こっちに来るようにあそこのおじいさん、おばあさんに言われたんですけど」
 一番外側にいた、年配の優しそうな婦人にそう声を掛けてみた。その御婦人は私の方を振り向くと、にっこりとして、私を上から下まで眺め、「そうね。あなたならこちらでいいと思うわ」と言った。

 その言葉を聞き、私はホッとして婦人の後ろに並んだ。
「ここで待ってれば向こう岸に渡れるんですか?女は船には乗れないってさっき言われたんですけど、別の船が迎えに来るんでしょうか?」

 私は疑問に思ったことを前の御婦人に聞いてみた。
「いいえ、船は来ませんよ」
 婦人が答えた。
「じゃ、どうやって川を渡るんですか?」

 私はさらに尋ねると、「ああやってです」と、婦人が前の方を指さした。
 見ると川面に人が見えた。川を生身で漕いでこちらにやってくるようだ。
 段々近づいてきて、それが男の人だとわかった。かなり若い。

 男の人は誰かの名前を呼んだ。すると女の人が一人進み出る。
 男の人は「さあ」と言うと、女の人に背を向け屈んだ。どうやら負ぶされ、ということらしい。

 女の人は少しもためらわず、男の人の首に手を回し、素直におんぶしてもらう。ふたりともすごく嬉しそうだ。
「じゃ、行くぞ」
 男の人はそう言うと、女の人を背負って川を渡りだし、やがてふたりとも見えなくなった。無事向こう岸に着いたのだろう。

「なるほど。男の人におんぶされて川を渡るんですか。じゃ、自分の名前が呼ばれるまで、ここで待ってればいいんですね?」
 私がそう言うと御婦人が頷いた。
「ええ、あなたが初めて契りを交わした男性が迎えに来てくれますよ」

「はい?!」
 私は驚いた。
「えっ、あの契りって?あの、その……」

「初めて肌を許した人のことです」
 御婦人はあくまで上品にのたまった。
「え~~~~っ!」
 私は動転した。そんなシステムなのかよ!なんだよ、それ!

 あっ、でも、そういえばちょっと聞いたことがあった気もする。けど、それは平安時代のころの伝説だって、民俗学の教授が言ってたと思うんだけど。
 しかし、現実にはそのシステムは延々続いてたということか。なんてこった~~っ。

 青ざめる私を心配してか、御婦人が優しく慰めてくれた。
「確かに、あなたほどの年齢なら、お相手の方もお若いでしょうから、その方がお亡くなりになって、あなたを迎えに来るには相当掛かると思います。
 でもね、不思議なことに、ここにこうして立って待っているのは、皆さん何ら苦痛を感じないんですよ。
 それよりも初めて思い思われた方が、若い姿に戻って迎えに来てくれることを考えると、それだけで幸せな気持ちになって、どんなに時間が経とうと、それは瞬く間に過ぎていくように思えるんです」

 上気した顔の御婦人を見て、私はため息をついた。
 そんなことを心配してるんじゃないんです。いい年こいて、私はまだなんですよ。その、契るとか、肌を許すってやつが。

 私の表情で察したのか、御婦人が「あら」と、口に手を当てた。
「ひょっとしてあなた、まだ清い体なんですか?」
 私はがっくりと首を落とした。
「はい」

「あら~、それはそれは」
 御婦人は別に馬鹿にするでもなく、心底心配した顔になって言った。
「では、まだ子供扱いでいいのかしら?でも、そうなったら……」
 そう言って、同じこちら側の岸の遠く河原を見た。そこにたくさんの子供がいる。

「ひょっとして、あそこ、賽の河原ですか?」
 私が聞くと婦人が頷いた。
「じゃ、私もあそこに行って、石を積む羽目に?そんで、塔が完成間近になると鬼が来て壊されてって、延々、そんなことをやらなければならないんですか?」

 悲嘆にくれる私に婦人が言った。
「あそこでは本当に小さい子供しか見たことないですから、それはないんじゃないですかねえ。あなたもここに来るように言われようですし、ここにいていいんじゃないでしょうか」

 確かにそうかも。少なくとも石積みはしなく良さそう。でも!
「でもそれなら、私は未来永劫ここにずっと立っていることになるんでしょうか」
 私は恐怖で青くなった。
「そうよねえ、それだとそうなってしまうわよねえ。変ねえ」

 話の途中で御婦人の態度が急に変わった。ぱっと、川の方を見る。
「あなた!」
 御婦人は駆けるように川岸へ行った。男の人が呼んでいる。
 見ると御婦人が若返っていた。出会った頃の姿なのだろうか。
 二人は嬉しそうにお互いを見つめ合い、それから御婦人は背負われ、川の向こうに行ってしまった。

 私は二人を見送ったあと、絶望的な孤独に見舞われた。
 私には何もない。迎えてくれる人はいないのだ。いっそ死ねたら、そう思ったが、それは不可能なこと。だってすでに死んでるし。

 やけになって、この不条理なシステムと自分の過去の不甲斐なさを呪った。ず~っと。
 その間誰にも声を掛けられなかったし、私も声を掛けなかった。
 どのくらい経っただろう。そろそろそれにも飽きてきた頃、不意に名前を呼ばれた。えっ?うそ!

 私は川岸に歩み寄った。確かに男の人が私を呼んでいる。
 そんなに若くもないが、年寄りでもない。顔はまあイケメン?かな?
 でも覚えがない。誰?

 私に身に覚えがないのにこの男は私を迎えに来た。と言うことは、私が知らないところで、この男は私とやっちゃったってこと?
 なに?睡眠薬レイプ?それとも私が物心つく前に襲ってきたロリコン野郎とかなのか?

 不審な目で相手を見たけど、相手の方はそれはそれは純真な笑顔で私を呼び、そして背を向けて屈んだ。
 私はふらふらとその背中にすがった。温かい。この上もない、不思議な安堵感に包まれた。

「行きますよ」
 優しい声が告げる。
「はい」
 私は返事をして首に回した手に力を込めた。

 男の人が川の中を進む。川面がキラキラときらめいている。男の人の足取りはしっかりしていて、不安はない。いつまでもそうしていたかったけど、川の中ほどに来て、ついに私はたまらず質問した。
「あの、あなたは誰ですか?私はあなたに見覚えはないんですけど」
 すると相手は川面を見たまま答えた。
「地蔵です」

 地蔵?地蔵菩薩?賽の河原の子どもを救ってくれるという、あのお地蔵さん?
 そうか、それでか!あそこに永遠に立っていなければならなかった私を救いに来てくれたのか。
 私は涙を流した。なぜ泣けるのかよく分からなかったが、川を渡り切るまで涙は止まらなかった。
そしていよいよ彼岸に着く、と思ったその時、私は目を覚ました。


 気が付くと病院のベッドだった。
 ああ、これが臨死体験というやつか。
 私は交通事故に巻き込まれて、生死の境をさまよっていたらしい。
 助かったのは運が良かったそうだ。

 数カ月後、身体もすっかり治って、私は再び日常に戻った。
 意識のなかった時の川辺での出来事はしっかり覚えていたけど、生活に変化はなかった。婚活とか合コンとか、相変わらず不甲斐ない私はそんな行動をとってはいない。

 ただし、お礼の意味も込め、お地蔵さんが祭ってある所によく参拝するようになった。今日も初地蔵ということである寺に来て。そして……。
 見たことのある人に出会った。あの、私を迎えに来た地蔵、その顔にそっくりの人。
 
 私は驚いてその人の顔をじっと見た。すると相手もそれに気づいたらしくこちらを見てきたので、私は慌てて目を反らした。気まずい。絶対、変に思われた。そんなことを思っていると、何と相手の方から私に声をかけてきたではないか。
「あの~、ひょっとして?」

 何とその男の人は私が事故に巻き込まれた時にそばに居て、通報やら何やらしてくれた人らしい。
「お体はもう大丈夫なんですか?とてもひどい怪我に見えて、どうなったか心配していたんです」
「そうだったんですか。知らぬこととはいえ、お礼もしませんで」
 私はペコペコと頭を下げた。

 私は運命を感じていた。これは神の啓示か?いや、仏の加護か?
 これはもう、絶対、この人に私をおぶらせるしかないのではないだろうか。

「あの~、それではよろしかったら、そのへんでお茶でもご一緒しませんか?なにか奢らせて欲しいんですけど」
「いいんですか?じゃあ、お言葉に甘えて」
 彼は地蔵のように笑った。つられて私も笑う。

 

 一瞬、あの川面が見えた。


終わり

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