春の香り 夏のかたち

小谷野 天

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4章

行き止まりの道

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 幼い頃、近道かと思って進んだ道は、行き止まりの小さな柵があった。
 草が生い茂るぬかるんだ道を戻り、やっと出た大きな通りで立ち止まると、自分がどっちから歩いて来たのか、すっかり忘れてしまっていた。
 
 家に帰ると、母が待っていた。
「夏希、今までどこに行ってたの?」
「普通に学校にいたよ。」
「部活は?」
「……。」
「原田先生から電話がきたよ。夏希が部活を休んでるって。」
「お母さん、部活はもうやめたいの。」
「それなら、夜練も終わりにしてね。」
「……。」
「夏希のせいで、県大会は辞退になるね。頑張ってきた皆には、最悪の思い出になってしまったね。」

 2階に上がると、春香が帰る支度をしていた。
「お姉ちゃん、帰るの?」
「明日ね。夏希、お母さん、すごく怒ってたよ。」
「うん。」
「高校選ぶのミスったね。」
「違うよ、顧問のガチャがハズレたの。」
「あと数カ月じゃない。言う事聞いて大人しくしてればいいのよ。」
「もう遅いよ。先生にけっこう反抗しちゃったし。」
「そっか。ねぇ、七海ちゃんって、どうして亡くなったの?」
「いろいろ。」
「悪いやつってどこにでもいるのよね。だけど、絶対、罰が当たるから。」
 
 夏希を呼ぶ母の声が聞こえる。
「お弁当、早く出して!」

「あっ、忘れた。」

 次の日。
 潤が学校の近くで夏希を待っていた。 
「おはよう。」
 笑顔の潤。不揃いの様で、キレイにバランスの取れたの髪が、サラサラと風に揺れている。
「どうして、学校がわかったの?」
「ジャージにそう書いてあったから。」
 潤は夏希のカバンを見せた。
「美容師さん、ジャージ、見たの?」
「お弁当箱も入ってた。」
 夏希は恥ずかしくて顔を覆った。
「ごめんなさい。」
 頭を下げた夏希の肩に手をやると、
「ちゃんと両方とも洗っておいたからね。」
 潤はカバンを夏希に渡した。
「ありがとうございます。美容師さん、あの、」
 夏希が潤を呼び止めると、
「嫌な事があったら、すぐに逃げておいで。」
 潤は夏希の頭を撫でて車に戻った。

「城田、どういう事?」
 廣岡が来た。
 夏希は何も言わず、校門へ走って行った。

 それから廣岡は、何度か授業中に夏希にちょっかいを掛けてきたが、夏希は聞こえないフリをして授業を受け続けた。廣岡と話しているところを有紗が見たら、また何をされるかわからない。
 休み時間は隣りのクラスへ行き、怪我をしている優芽の隣りから離れなかった。

「夏希、有紗がなんか言ってきてんの?」
 優芽のクラスには、有紗と仲の良いミノリが見張っている。
「ううん。」
「そういえば、朝来てた人って、新しい美容室の人?」
「そう。」
「ジャージ忘れちゃって、届けてくれた。」
「わざわざ学校までくるなんて、親切過ぎる人だね。夏希の事、好きなんじゃない?」
 夏希は大きく首を振った。
「いい人だよ、すごく大人で。」
「私も好きだなぁ、ああいう顔。」
「ねえ、今度髪切ってもらったら?」
「そうだね。夏希の髪もすごく似合ってる。」
「優芽、いつになったら足は治るの?」
「2ヵ月くらいかな。部活も実質引退したのと同じ。だけど、夜は行ってるよ。座っててもできる事っていろいろあるから。」
「私ね、お母さんに部活やめるなら、夜もやめなさいって言われちゃった。」
「それなら何もなかった顔して、部活に行きなよ。そしたら夜は、来れるんでしょう?」
「うん、そうだね。」

 ついこの前まで、あんなに楽しかった事が、今は自分を縛り付ける鎖に変わった。 

 放課後。
 部活へ行こうと、涙を溜めながらジャージに着替えると、上着のポケットに、逃げろ書いたメモが入っているのに、気がついた。
 潤が洗ってくれたというジャージは、美容室と同じ匂いがする。大きく息を吸って、肺の奥まで、潤の優しさを満たした。 
 夏希は七海のラケットを持つと、涙を拭いて体育館へ向かった。

「城田、早く来い!」 
 原田が夏希を呼んだ。
「砂田と基礎打ち。」
 原田はそう言うと、椅子に座り足を組んだ。
 隣りには廣岡と青田がいる。
 夏希は青田の隣りにくると、
「もう少しそっちにいって。」
 そう言った。有紗は廣岡の隣りで、なんとか夏希に打ち返そうとするが、なかなかシャトルは返ってこない。見兼ねた青田が、
「城田、廣岡とやって。俺が砂田とやるから。」
 そう言った。
「原田先生の言う通りにしよう。」
 夏希は青田にそう言った。
「それなら、全然練習にならないよ。」
 青田は小さく言ったつもりだが、その声は反対のコートにも聞こえていた様だ。
「城田、青田と場所代われ。」
 廣岡がそう言った。
 夏希は原田の方を見ると、廣岡の言った通りにしろと合図した。
「回れだって。」  
 夏希はそう言った。
「回れ?」
「そう、右回り。」
 4人はコートの中で回ると、青田と夏希、廣岡と有紗の打ち合いが始まった。廣岡はうまく打ち返せない有紗に苛立ち不機嫌になると、勝手に1人で休憩を取った。
「青田くん、1人でお願い。」
 夏希はそう言って1人残された有紗の後ろに行き、有紗がこぼしたシャトルを拾い、青田に打ち返した。廣岡は原田に何か言うと、原田と廣岡が打ち合いを始めた。

「練習試合、始めるぞ。」  
 原田が皆を呼んだ。有紗と夏希、廣岡と青田のペアでダブルスの練習試合が始まった。コートの前庭で固まっている有紗に代わり、夏希が2人分のシャトルを打ち返していく。顔が真っ赤になった頃、やっと試合が終わった。
「少し休んだら、青田と城田で練習試合。負けた方は廣岡と代われ。砂田は、こっちでノック。」
 有紗は返事をしなかった。
「城田、」
 青田が夏希の隣りで何かを言おうとしたが、夏希は休憩している2年の佐藤に声を掛け、2人で打ち合いを始めた。
 練習試合が始まり、青田のシャトルは、打ち返す事が出来たけど、夏希はわざとネットに引っ掛けて、青田に負けた。何か言いたそうな青田の視線を感じたが、夏希は無言で廣岡と代わり、そのまま休憩に入った。あと少しで練習が終わると思い、ずっと時計の針を眺めていた。
 
 荷物をまとめ、急いで体育館を出る。
 バス停に座り、1人で最終のバスを待っていると、青田がやってきた。
「城田、さっき、手を抜いただろう。」
「そうかな。」
「お前、なんか怒ってるのか?」
「別に何も。」
「この前、少し言い過ぎたな。」
「気にしてないから。」
 他の部活の生徒が、練習を終えバス停に集まってきたので、
「明日も来いよ。」
 青田は夏希にそう言って帰って行った。
 夏希はポケットに入っていたメモを見つめると、いろんな思いが溢れだし、また喉の奥が熱くなった。鼻を押さえて上を向くと、太陽から月に変わった光りが、ゆらゆらと揺れて見える。
 バスの大きな明かりが、だんだんこちらに近づいてきた。

 駅前の美容室の前を通ると、小さな店に明かりが見えた。美容師さんは大人だから、いろんな事もみんな許せるんだね。あんなふうに自分の時間を生きていられるように、いつか私もなれるかな。 
 きっと誰よりと心の深い、素敵な彼女が隣りにいるんだろうな。いつも向けてくれる笑顔は、けして自分だけじゃないのはわかってはいるけれど、もう少しだけ、勘違いしてもいいだろうか?
 夏希はバスの窓から、その明かりを見つめていた。

 最終のバスが過ぎていくのを見届けると、潤は店を閉めた。
 今日の客は、小学生の娘とその母親の2人。
 こんなに平和な町なのに、あの子は行き止まりの道で、立ち止まっている。
 たかが高校生のお悩み相談に、本気で付き合っている俺は、ずいぶんお人好しになったんだな。自分で解決できないくらいの悩みなら、とっとと手放してしまえばいいだろう。向こうからくる怪しい影には、絶対に近づくな。逃げる事が、一番いい方法の時だってあるんだよ。
 
 夏希は家に帰ると、お弁当の残りを捨てた。
「食べなかったの?」
 母がそう言うと、
「明日からパン買うから、お弁当はいらない。」
 そう言って2階へ上がった。
 夕飯も食べようとせず、七海の使っていたラケットを握っていると、自由にならない学校生活にほとほと嫌気が差してきた。
 潤のくれた逃げろというメッセージを、大切に制服のポケットにしまうと、夏希は疲れて、そのまま朝まで眠ってしまった。

 朝、目が覚めると外は、大雨だった。強い風が窓を揺らすと、それについてきた雨がバチバチとガラスを叩いた。
「夏希、起きなさい。バス運休になったから、学校まで送っていく。お母さんも早く出るから、起きて準備して。」
 母が夏希にそう言った。
「台風でもきてるの?」
「台風よ。通行止めにならなきゃいいけどね。」
 夏希がラインを見ると、
 今日は休む、と優芽からのメッセージがあった。
 優芽、いないのかぁ。
 夏希はため息をつくと、下に降りていった。
「お母さん、休んじゃダメ?」
「ダメに決まってるじゃない。」
 母の運転する車に乗ると、
「夏希、お弁当。」
 母が夏希にジャージとお弁当の入った袋を渡した。
「いらないって言ったのに。」
「パンなら、力にならないでしょう。」
「別にいいよ。授業中なんて動かないし。」
「部活だってあるんだし、ちゃんと食べないとダメだよ。あと少しなんだから、頑張りな。」
 部活と言う言葉を聴くだけで、体中の血が沸騰するようだ。
「逃げたらダメ?」
「逃げるなんて卑怯者のする事。お母さん、今日は仕事が昼で終わるから、帰りも迎えに行くからね。」
「晴れたらバスで帰る。」
「だから、今日1日運休なんだって。夏希、どうしたの?この頃、なんか変だよ。」
 母はバックミラー越しに夏希を見た。
 
 学校へ着くと、夏希の上履きにたくさんの画鋲が入っていた。
 とうとうきたか、夏希はそう思った。明日から、上履きは持って帰ろう。
 夏希はみんなの見ている前で、靴に入っていた画鋲を床にバラバラと落とすと、何事もなかったかのように上履きを履いて、教室へ向かった。
「ちょっと城田さん、」
 近くを通りかかった女性教師が、夏希を止めると、そのまま職員室に連れて行かれた。

「城田、頼むからこれ以上問題を起こさないでくれ!」
 担任の島田はそう言った。
「画鋲拾ってこい。危ないだろう。」
「私がですか?」
「当たり前だ。」
 夏希は島田から画鋲の入れ物をもらうと、玄関に落ちている画鋲をひとつひとつが拾って入れ物に入れた。職員室にいる島田にそれを届けると、教室へ戻り、遅れて授業を受けた。

 休み時間。
 一人でいる夏希の所へ有紗がきた。
「あんたの態度はなんなの?」
 夏希は有紗から目を反らした。
「砂田、放っておけよ。」
 廣岡が有紗の腕を掴んだ。 
「城田がいないと、県大会に行けないだろう。ムカつく奴だけど、もう少し我慢しろって。なぁ、ちょっと、こっち。」
 廣岡は有紗をどこかへ連れて行った。 
 
 お昼休み。
 いつも一緒にお弁当を食べていた女子達は、有紗に何か言われたのか、誰も夏希を一緒に食べようと誘って来なかった。廣岡は有紗から、パンをもらい、嬉しそうに笑っていた。
 お弁当を抱え、誰も通らない非常階段の入口を明け、上まで昇ると、同じ中学からきた石山さくら《いしやまさくら》が1人で、お弁当を食べていた。
「夏希、おいで。」
「いいの?」
「いいよ。座りなよ。」
 夏希はさくらの隣りに座ってお弁当を膝に乗せた。
「砂田でしょう?」
 さくらは言った。
「……。」
 夏希は下を向いた。
「廣岡、有紗と付き合ってくれないかな。被害者が増える一方。」
 さくらはそう言って笑った。
「さくらもそうなの?」
「私は七海を庇ったの。それで、有紗に目をつけられた。夏希は?」
「私は、よくわかんない。」
「なんなんだろうね、本当に。ねえ、どこで髪を切ったの?」
「新しい美容室。」
「すごく似合ってて、いいなぁって思ったの。私もショートにしようかな。」
「駅のすぐ側だよ。」
「そうなんだ。今度行ってみよう。」
 さくらはそう言うと、夏希にとうもろこしを半分に割ってくれた。
「ありがとう。私、とうもろこし、好きなんだ。」
「家の畑で採れたやつ。良かったら、明日も持ってきてあげる。優芽にもあげな。」

 その日の部活は、廣岡と原田が有紗につきっきりだった。夏希は2年生練習をしようと、佐藤を探した。
「城田、早く。」
 青田が夏希を呼んだ。
「城田はこっちで別メニューだろう。」
「そ。」
「お前、テンション低いなぁ。」
「サーブ、どっち?」
「先にやれよ。」
 青田と2人で練習をしていると、
「城田、練習試合だって。」
 有紗が夏希の隣りにきた。
「城田は後ろね。私がこぼしたものを拾えばいいから。」
「わかった。」
 試合の相手は、入って間もない1年生のペアだった。有紗は楽しそうに、シャトルに手を伸ばしていた。たまたまふわっと上がったシャトルを打ち返すと、それは、体育館の床にポンッと跳ねた。
「砂田、ナイス!」
 廣岡が声を掛けた。試合が終わり、1年生が有紗に駆け寄ると、誇らしげに有紗は、1年生に何かを言っていた。
「これで、いいのかよ。」
 様子を見ていた青田が夏希に言った。
「何が?」
 夏希は青田の言いたい事を、わざとわからないフリをした。
 
 部活を終えて玄関を出ると、母が駐車場で待っていた。
「お母さん、来週の遠征代、5万円だって。」
「えっー、ずいぶんかかるのね。学校から補助も出てるはずなのに。」
「いいホテルに泊まるらしいよ。みんな個室らしい。」 
「高校生の部活動なのに、贅沢ね。」
「本当だね。」
「優芽ちゃんのお父さん、夏希の応援に行くってさ。」
「本当に?」
「最後だから、普通に応援に来るって言ってけど、途中で熱くなるかもしれないね。」
「お母さん、ちゃんと勉強もするから、夜練に行ってもいい?」
「試験って、いつくらい?」
「秋。」
「二学期が始まったら、夜練習は禁止だからね。」
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