明日の後悔 

小谷野 天

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2章

あの日の鍵盤

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 朝川が家に来た。
 
 ちゃんとした返事もできないまま、何度か会っているうちに、旅行に誘われた。

「明日早いから、今日はここに泊まるよ。」
 食事を終えた朝川は優衣にそう言った。

「やっぱり変だよ。付き合ってもいないのに、泊まるとか、出掛けるとか。」
「それは、はっきりした言葉がないだけで、俺達、付き合ってると同じ事だよね。」

 朝川は優衣を抱きしめた。
「朝川くん、私といたってつまらないよ。なんの話題もないいし、楽しい話しも出来ないし。」
「そんな事ないよ。大学病院からきた看護師と付き合えるなんて、あんまりはないからね。」
 
 朝川は優衣にキスをした。
「ほら、これが答えでしょう。」
 優衣は何も言えず下をむいた。

 降ったり止んだりしていた雨は、本格的に土砂降りになった。
 窓を叩く雨の音は、優衣の心を叩くようだ。

「さっきから、窓ばっかり見てる。」
 朝川が優衣にそう言った。
「雨、止まないね。」
「朝までには止むんじゃない。」
「私は雨のほうが好きなんだ。人が少なくて落ち着くし。」
「変わってるね。晴れるほうが、気分がいいじゃん。」
 優衣はあい変わらず窓を見ていた。

「優衣。」
「何?」
「いい加減、寝ようよ。明日早いし。」
「うん。」
 布団に包まった優衣。
 朝川は優衣の布団を取ると、静かに優衣を上から抱きしめた。
「ごめんなさい。」
 優衣は小さな声で言った。
 朝川は何も言わず、優衣の体にどんどん近づいてくる。
 優衣は固く目を閉じ、こんな事、早く終わってくれないか願っていた。

 明け方。
 朝川が眠っている横で、優衣は明るくなっていく空を見ていた。
 結局一睡もできなかった。
 朝川は近くにいたら誰でも良かったのか。
 そんなふうに思っている自分だって、受け入れてしまったじゃないか。
 涙が出るくらいの恋愛なんか、一体どこにあるんだろう。

 優衣はベッドから起き上がると、朝川を起こさないように支度を始めた。
 
 机の奥にしまってあったムラマサのCDを出した。
 デビューする前のムラマサには、まだナオがいる。
 ナオが曲を書いてたのに、今は名前がどこにもない。
 
 偽物だよ、こんなの。
 あれだけ好きだったケンの声さえ、最近は歪んで聞こえた。

 自分が朝川にしている事だって、みんな偽物のくせに。
  
「優衣、早いね。」
「うん。」
「なんか、今日いつもと違うよ。」
「何が?」
「化粧のせいかな。」
「そう?」
 朝川は優衣にキスをした。
「雨、止んだね。」
 優衣は精一杯笑顔を作った。
「俺は晴れ男だからね。」

 朝川の車に乗った優衣は、いつも通る道に咲くあじさいを見た。
「今日は真っ青。」
「何が?」
「あのあじさい。」
「そう、全然気がつかなかった。」

 朝川が選んだ旅館には、大きなグランドピアノがロビーにあった。
 
 優衣がそのピアノを見ていると、弾いていいですよ、と仲居さんが言った。
「時々、ここの息子さんが仕事を終えて弾きにくるんですよ。なんでも弾けるから、好きな曲があったらリクエストしてください。」

「朝川くん、あとで来てもいい?」
「いいよ。そう言えば、学祭の合唱コンクールの時、優衣はいつもピアノを弾いてたよね。」
「そう。」
「ずっと習ってたの?」
「うん、ずっと。」

 部屋についた2人。
 窓から見える川は、昨日の雨のせいか水かさが増している。

「昨日、けっこう降ったんだね。」
 優衣はそう言った。
「優衣。」
「何?」
 朝川は優衣を後ろから抱きしめた。
「高校の頃、1回だけ隣りの席になったよね。」
「そうだった?」
「ぜんぜん、目も合せてくれなかった。」
「そうかな。」
「そうだよ。優衣は坂口達といただろう。」
「モエとね。」
「そっちじゃなくて、男の坂口。」
「坂口くんは、幼稚園から一緒にピアノ習ってたからね。」
「俺は話しに入れなくて淋しかったよ。」
「朝川くんには、たくさん周りにいたじゃない。」
「本当に好きになる子なんていなかった。」
「じゃあ、なんで付き合ったりするの?」
「時間潰しだよ。」
「ひどい。」
「優衣は違うよ。」
「そんな話しを聞いて、何も信じられない。」
 優衣は朝川を見て笑った。
「もう、朝川くんはやめろ。」
「下の名前、知らないもん。」
「哲人だよ。いい加減、名前で呼んでよ。」

 夕方。
 優衣はピアノの前にいた。

 朝川はお風呂に入っている。

「ピアノ、弾いてもいいですか?」
「どうぞ。」
 フロントに声を掛けると、優衣はピアノの蓋を静かに開けた。
 初めは昔練習していたクラッシックの曲を弾いていたが、しばらく練習してないと、なんだか納得がいかなくなり、ラジオから流れていたムラマサの曲を弾き始めた。

「ぜんぜん、違うよ。ほら。」
 
 優衣は男性の声がする方を向いた。
 スーツを着た男性は、優衣の隣りに座って曲を弾き始めた。

「よく、覚えてるようだけど、この曲はすごく複雑に作っているんだ。」

「ナオ…?」

「さっ、俺が弾く番だよ。」

 優衣は立ち上がると、ピアノを弾くナオを見つめていた。

「優衣。」 
 朝川が呼んだ。
「もう、夕食だから部屋に戻ろう。」
「ちょっと待ってて。」
 ナオはピアノを弾きながら、優衣をチラッと見た。
「いいから、戻ろう。」
 朝川は優衣の手を掴んでエレベーターへ向かった。

 夕食を終えた優衣はロビーを探したが、ナオはいなかった。
「朝川くん、ちょっと先に行ってて。」
 優衣はフロントに行った。
「さっき、ピアノを弾いてた男性は、ここの人ですか?」
「そうです。時々、仕事が終ったら、ここにピアノを弾きに来るんです。」
「今日はもう帰りましたか?」
「家の方で、夕食を食べてると思いますけど。」
「あの、少し会えませんか?」
「よく来るんですよ。あの人のファンだったって人がね。でも、会えないって断ってるんです。」
「そうですか。」

 優衣は外に出た。
 昨日の雨を含んだ空気は、まだ生暖かい。

 ナオ、ここにいたんだ。
 初めて聴くナオのピアノなのに、ずっと前からそこで聞いていたような気持ちになる。
 
「どこに行ってたの?」
「ちょっと外。」
「散歩に出掛けるんなら、一緒にいこうよ。」
「ううん、外の空気を吸っただけ。」
「優衣の好きなムラマサって、刀の名前だろう。」
「そう。すごくキレる刀で、妖力があるの。」
「もっと、オシャレな名前にすればいいのに。曲と名前が合ってないよね。」
「昔はね、もっといろんな曲をあったの。」
「そんなにいいかな。俺にはわかんない。」 
「朝川くんはいつも、何聞いてるの?」
「だから、朝川くんはもうやめなよ。」
「ごめん。ずっとそう呼んでるから、急に名前でなんて呼べないよ。」
「優衣、真面目だよね。俺はずっとサッカーやってただろう。スポーツなんて、みんな騙し合いだから。」
「今でもやってるの?サッカー。」
「今は仕事が忙しいから、ほとんど練習に行けてないよ。」
「そうなんだ。」
「なあ、優衣。」
「俺達もう27だろう。もう少し付き合ったら結婚しないか。」
「会ったばっかりなのに?」
「優衣となら、一緒になってもいいかなって思ってる。いい奥さんになると思うし。」
「ありがとう。もう少し考える。私、もう一回お風呂入ってくる。」
 優衣は立ち上がった。
「じゃあ、俺も行くわ。」
 
 お風呂上がり、少しのぼせて休憩所で水を飲んでいると、ナオが廊下を歩いていた。

「ナオ!」
 ナオは優衣に気がついたようだったが、そのまま優衣の前を通り過ぎた。
「あの、」
 立ち上がると少しめまいがしたけど、優衣はナオを追いかけた。
 振り向いたナオは、
「何?」
 そう言った。

「ピアノ、弾けるなんて知らなかった。」

 どんな言葉を掛けたらいいか迷った優衣は、それだけ言うのが精一杯だった。

 微笑んだナオはピアノの前に座ると、聴いたことのない曲を弾いた。

「優衣。またここにいたんだ。遅いから心配したよ。」
 ナオのピアノに聴き入っていた優衣は、
 朝川が隣りに来たのに、気が付かなかった。
「優衣!」
「あっ、ごめん。」
 優衣はびっくりして、朝川の顔を見た。

 ナオはずっとピアノを弾いている。

「もう少し聴いていてもいい?」
「わかった。部屋で待ってる。」  
 朝川は優衣の髪を撫でると、部屋に向かった。

 ピアノを弾き終えたナオに
「なんて曲なの?」
 優衣は聞いた。
「雨の音、みたいでしょう。」
 ナオは優衣の右手を掴むと、鍵盤に置いた。
 少しメロディを弾くと、優衣の右手を見る。
 優衣はナオの奏でたメロディを同じように弾いた。
 すぐにメロディを覚えた優衣を、ナオは驚いて見つめた。

 覚えたくて、覚えているんじゃない。

 ピアノを教えてくれた母は、よく聞いて!と、何度も優衣の前でピアノを弾いた。
 もういいって!
 私とお母さんの違いなんて、ぜんぜんわからない。
 優衣は練習が長くなるのが嫌になり、いつの間に母の弾くメロディを一度で覚える様になった。
 2つ上の姉は、とっくにピアノをやめた。
 毎回、母とピアノの前で言い合いになり、気の強い姉のせいで、いつも自分にとばっちりがきた。
 イライラして優衣にピアノを教える母は、音を間違えると、指をつまむ事さえある。
 こんなに嫌な思いをして、どうしてピアノを続けないとダメなのか。自分はピアノなんて弾けなくても別に困らないのに。
 
「彼氏待ってるよ。」

 ナオは立ち上がると、優衣にそう言った。

「いつも、ここで弾いてるの?」
「時々ね。」
「今度はいつ弾くの?」
「さあ。」
 ナオはそう言って少し笑うと、玄関を出ていった。

 金髪だった髪は塗れたように黒くなっている。
 あんなに楽しそうに笑っていたはずのナオは、誰も寄せ付けない空気が漂う。

 みんなそうやって、世の中に紛れていくんだ。
 自分が夢中だった過去も、無茶してた過去も、明日には後悔になる。
 
 部屋に戻ると、朝川が布団に寝転んでいた。
「なんかさ、こうやって2つ並んでると照れるね。」
「そうだね。」
「優衣の母親って音楽の先生だったっけ?」
「そう。」
「ピアノは強制?」
「そうだね。」
 布団の端に座る優衣を、朝川は自分の方に引き寄せた。
「朝川くん、やっぱり、」
「何?」
「ううん、なんでもない。」
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