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第1章 幼馴染編

22、そんなに心配したの? (1)

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「よっしゃ、着いた! 」
「うん、着いたね! 」

 私とたっくんが母に連れられて、家から高速を使って1時間程のネズミーランドに来たのは、クリスマスが目前に迫った12月の週末だった。

 母が働いている会社がネズミーランドのスポンサーになっていて、その関係で特別優待券が手に入ったのだ。


 母は生命保険の会社で保険外交員をしている。
 いわゆる『生保レディ』というやつだ。

 結婚後ずっと専業主婦だった母は、父が事故で死んだ時に生命保険の担当さんに親身になってもらったのが縁で、彼女と同じ営業所で働き始めた。
 鶴ヶ丘に引っ越して来たのも、母の勤務先がこの街にあったからだ。


 そういう訳で、母の仕事の恩恵おんけいにあずかって、生まれて初めて憧れのネズミーランドに来た私は、とにかくうれしくてたまらなくて、変にテンションが高かった。

「小夏、こっちだ。ちゃんと前を見てないと迷子になるぞ」

 キョロキョロと辺りを見回していたら、1人だけ違う方向に行きそうになってたらしい。
 たっくんにグイッと手を引っ張られて、軌道きどう修正させられた。

 だけど、そう言うたっくんだって、十分うかれていると思う。
 アーケードを眺める瞳がキラキラ輝いている。

「ほら、小夏、あのお店、見てみろよ」

 そう言う表情がパアッと明るくて屈託くったくがない。

ーー 私が大好きな、ヒマワリの笑顔。

 この笑顔を見れたのは久しぶりな気がする。



 2週間前に穂華さんと母が言い合いになってから、両家の間は何となく気まずくなっていた。

 それまでは、私がたっくんの家で遊んでいたら、必要以上に構いはしないものの、ニコッとしながら何かしらは話しかけて来た穂華さんが、あれ以来、スッと目を逸らして何も言ってこない。
 たっくんをお迎えついでに彼女が我が家に上がってお茶していくこともなくなったし、母も上がっていけとは言わない。

 というか、ここ数日はお迎えにも来ないから、子供だけで勝手に行き来している状態だ。

 それでも私とたっくんが遊ぶことも、今まで通りお互いの家でご飯を食べたりすることも禁止はしてこないから、2人とも付き合いをやめるつもりは無いのだ。

 だって私たちが保育園に通っていた頃から、協力しあって仲良くやって来ていた。
 母と穂華さんは、姉妹のようになんでも話していた。
 たぶん本心では母も穂華さんも、また以前のような関係に戻りたいと思っているに決まってる。

 その証拠に、母が出勤前の穂華さんをつかまえて、「たっくんを小夏と一緒にネズミーランドに連れて行ってもいいかしら?」と優待券を見せた時に、穂華さんは笑顔は見せなかったものの、「よろしくお願いします」とだけ言って、反対はしなかった。

 そのまま日程やお金について少し立ち話してから別れたけれど、母もこれを仲直りのきっかけにしたいんじゃないだろうか……。



 土曜日のネズミーランドは想像以上に混んでいて、小さい私たちは、油断するとすぐに人混みにさらわれてしまいそうになる。
 そうなるたびにたっくんは、握る手に力を込めて、必死に私を引き寄せてくれた。

「さあ、何から乗ろうかしらね」

 母が広げた地図をたっくんと一緒に覗き込むけれど、情報量が多過ぎて何が何やら分からない。

「キャラクタータウンに行くといいって友達が言ってたよ」

 たっくんが地図の一画を指差して言う。

 さすが人気者のたっくんは、学校で経験者からの情報収集を完了かんりょう済みだった。

 だからなのか。
 私は誰にも言ってないのに、何人かの女子から『月島くんとネズミーランドに行くの? いいなぁ~』とうらやましがられて、何人かの女子からはギロッとにらまれた。


『キャラクタータウン』は文字通りネズミーランドのキャラクター達が住んでいる街というコンセプトのエリアで、小さい子向けのアトラクションが充実していて、キャラクターの家で一緒に写真を撮ることも出来るという。

 子供向けの乗り物に乗ってから、 キャラクターとの写真撮影に向かう。
 ネズミーの彼女と写真を撮れたのは嬉しかったけれど、そのために1時間以上も並ぶのはさすがに疲れた。

 ベンチに座って一休みしていると、たっくんがトイレに行くと言うので、私もついでに済ませておくことにした。

 母と私がトイレから出て待っていると、なかなかたっくんが出てこない。
 それから更に10分以上待ったけれど、やっぱりたっくんが姿を見せないので、さすがに心配になって来る。
 男子トイレに入っていくことは出来ないので、母が出てきた男性をつかまえて、中にいる青い目の男の子の様子を見てきて欲しいと頼んだ。

 数分して出てきた男性は、 中にそんな子はいなかったと言う。

「個室はどうですか? 栗色の髪をした、8歳の男の子なんです」
「いや、本当に。個室もノックして確認したけど、子供じゃなかった」

 その男性は、『誘拐の可能性もあるからすぐに係の人をつかまえて知らせたほうがいい』と言った。

ーー 誘拐?!

 その言葉に私は背筋がスッと冷え込んで、心臓がバクバクし始めた。
 それは母も同じだったようで、右手で口元を押さえると、すぐに男子トイレに駆け込んで行った。

「たっくん! たっくん、いないの?! 」

 急な乱入者にどよめく男子トイレで、母は個室のドアを一心不乱に叩きまくって行く。
 そしてそこにたっくんの姿がないと確信すると、ダッと走り出した。

 グイッと手を引っ張られた私は付いて行くのに必死だったし腕が痛かったけれど、それよりもたっくんが急に消えたという事実の方がショックで、それどころでは無かった。

 母が若い女性のキャストをつかまえて事情を説明すると、彼女はこういうことに慣れているのか、すぐに「こちらに来て下さい」と歩き出した。

 すぐにパーク内に迷子のアナウンスが流れ出す。

「迷子のご案内をさせていただきます。栗色の髪に青い目の男の子…… 」

 それを耳にした途端、たっくんがいないという事を実感して、また背中が震えた。



 キャストのお姉さんに案内されたのは、パーク出入り口のゲート横にある小さなブースだった。
 縦長の狭いその部屋には小窓があって、そこからゲートの出入り口が見えるようになっている。

「いいですか、今開いてるゲートはこの1ヶ所だけです。もしも拓巳くんが誘拐されていたとしたら、犯人は必ずここから出て行きます。 拓巳君が履いていた靴を覚えていますか? 色とか種類とか」

 母は目線を上にして必死に思い出そうとしたようだけど、動転していたのか最初から覚えていなかったのか、言葉が出てこなかった。

 だけど私は覚えている。
 たっくんがいつも履いているお気に入りの靴。
 忘れるはずがない。

 私は大声で叫んだ。
 たっくんが戻ってくるよう祈って、声を振り絞った。

「青色! たっくんが好きな青色! 」
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